第七章 芸術祭 第三話
文字数 2,943文字
「足の先を包むみたいにコルクが入っているのよ。先っぽが平たくなっていて、それでつま先立ちできるの。周りはサテンでできてて、口の所は細いひもを通して結べるようになっていて、リボンをつけて足首に巻き付けて固定するの」
と説明してみたものの、カミーユはいまいちわかっていないようだった。まだ発明されていないのだから当然だ。シモンもノエルも首をかしげている。絵に描いて何度も説明繰り返し、ようやく理解してくれたようだ。
衣装は工房に置いてる布だったり、付き合いのある問屋で材料を揃えればいいが、コルクなんてものはカミーユの付き合いの範囲内では扱っていない。そのため、そういうものを売っている場所へ出向いて仕入れる必要があった。リゼットたちは連れ立って衣装の材料とトウシューズの材料を買いに町へ出た。
その途中、画材を扱う店や画廊のある通りを横切った。リゼットの視界に見慣れた姿が飛び込んできたので、思わず足を止めた。パメラが画廊の入り口で母親と押し問答していた。
「そんなずるはダメよ」
「じゃあ、あなたは何ができるっていうの? ピアノだってろくに弾けないくせに」
「だからって、誰かの描いた絵を自分が描いたって嘘をつくなんて、やってはいけないわ」
道行く人は二人をじろじろ見て、足早に去ってゆく。リゼットは仲裁しようと二人の間に割って入ったが、母親はリゼットを見るなり、金切り声をあげてパメラから離そうと突き飛ばしてきた。
「あなたなんかと一緒にいるから、うちの娘が皇太子殿下のお目に留まらないのよ。あんな裁判まで起こして、こっちにまで悪い評判が付いたらたまらないわ」
「あれはもう決着がついています。お母さん落ち着いて、こんなところで大声を上げたらみんなから変に思われますわ」
ノエルに助け起こされたリゼットは、再度パメラの母親を宥めようとしたが、彼女はますますヒステリックに叫ぶ。ノエルとカミーユも何とか落ち着かせようと手伝った。シモンは完全にリゼットの後ろに隠れていた。
そうこうしていると、品のいい馬車で通りに乗りつけたリアーヌが彼らを見咎めた。
「これはリゼット様にパメラ様、道の真ん中で何を揉めておいでですの? そちらの方は?」
パメラが母親だと紹介すると、リアーヌはそのけばけばしい装いやヒステリックに怒鳴り散らす様を嘲笑した。
「まぁ。パメラ様は大人しくて静かな方ですのに、そのお母さまがこんなふうだなんて。親子といっても似ないものですわね。でも、お母様がこんなダチョウみたいな方だと知られたら、審査員方は良い印象を抱かないでしょうね」
「ダチョウ? わたくしの事ですの?」
「ええ。失礼ですけれど、往来で大騒ぎするなんて、あまり褒められたことではございませんわ。仮にもタンセラン男爵夫人と名乗るなら、ご自重あそばせ。さぁ、わたくしこれから画材を買いに行きますの。道を開けてくださらない」
リアーヌに馬鹿にされ悔しかったのか、それとも図星を指されて恥ずかしかったのか、パメラの母は唇を噛んで鼻息荒く、わざと足音をさせながら、路地から出て行ってしまった。
「母が申し訳ありません」
パメラは恥ずかしそうにリゼットに詫びた。
「いいのよ。それより、聞こえてしまったんだけど、絵を買って芸術祭に出すつもりだったの?」
「母はそうするつもりでここへ来たんです。このあたりは画材屋だけでなく、画廊も多いそうで。
わたくし、貴族といってもあまり裕福ではなかったので、他の皆さんのように、幼いころから習っている芸術がないのです。それで困っていて。だからと言って、誰かの絵を自分の作品だと偽るなんて、そんなずるいことはできませんから」
「そうだったのね」
借金まみれの実家のおかげで、貴族が必ずしも金持ちでないことはよくわかる。財力に余裕がなければ楽器や絵を習わせるなんてできない。リゼットは前世でバレエを習っていたわけだが、教室の月謝、トウシューズやレオタード代はそれなりにしたし、発表会やコンクールに出るとなると、さらに出費だった。どの世界でも芸事はお金がかかる。
「リゼット様はバレエを披露するのですね。お小さいころからバレエを習うなんて、珍しいけれど素敵ですわ。どうりで舞台にお詳しいわけだわ」
「いや、習っていたというか……」
リゼットは横目でちらっとシモンを見た。レーブジャルダン家の屋敷にはピアノは愚か、楽器なんて置いていなかった。大体リゼットは元は農民の娘だったのだから、楽器があろうとなかろうと演奏できなかったはず。夢園 さゆりが転生してきたからよかったものの本来ならここで詰みだ。シモンはどう切り抜けるつもりでいたのだろう。
「それは、適当に絵を買って持たせたさ」
パメラの母親と同じ考えだったようだ。バレエができて良かったとリゼットは前世に感謝した。
「とにかく、一緒に買い物しながら、どうするか考えましょう」
母親の醜態と芸術祭で披露するものがないことに悩むパメラを励まして、リゼットたちはコルクを求めて歩き出した。
(それにしても、さっきはなんだかキツかったわよね、リアーヌ様。いつもニコニコしているイメージだけど)
リゼットたちが話している間に、リアーヌはとっくに姿を消していた。
いつになくきつい物言いをしたくらい、リアーヌは機嫌が悪かった。
「どの風景を描けばいいかしら。お兄様、皇太子殿下はどんな絵をお好みなの? お部屋に飾ってある絵とかご存じない?」
屋敷で真新しいキャンパスを前に、何を書こうか思案しながらリアーヌはセブランに訊ねた。
「さぁ。彼はあまり絵画を鑑賞しないから。それに今回の審査員は芸術家たちだからね。単純に自分の腕が振るえる景色を選びなさい」
「でも、殿下も御覧になるのでしょう。だったらお好みの絵を描いた方がいいわ」
これまでと打って変わってセブランは消極的だった。
「仮面舞踏会の一件で、わたしはちょっとルシアンから小言を食らってしまってね。だからこれからは、友として知りうる情報を君に打ち明けるのは控えるよ。だが、ルシアンはこんなふうに、ずるい手を使ったりするのが好きではないんだよ。純粋に自分が良いと思う景色を描いた方が、彼の心にも響くはずだ」
これはもう協力しないと言っているも同然だった。
(殿下と仲直りできたのに、わたくしに便宜を図ってくださらないなんて。おじ様とおば様も、また仲たがいしないように、今はあまり特別なことはできない、ですって。未来の当主が殿下のお友達でいてくれたら、家にとって良いという判断でしょうけれど、縁者の娘が未来の皇后のほうが、よっぽど魅力がなくて? そのために都へ来たようなものなのに。結局わたくしなんて遠縁の小娘で、大事な跡取り息子の二の次なのよ。セブランお兄様もひどいわ。手を貸す約束だったのに、途中でやっぱりやめたなんて)
これまで皇太子の親友であるセブランの助力を得てきたが、突然それがなくなり、まるで親とつないでいた手を離された幼子のような気分だった。
とはいえ、リアーヌも胸の奥で野心を燃やす一人だ。助力がないなら自力でやってやると、川辺の斜面にイーゼルと椅子、そして日よけのパラソルを運ばせて、そこから見える景色を描くことに決めた。
と説明してみたものの、カミーユはいまいちわかっていないようだった。まだ発明されていないのだから当然だ。シモンもノエルも首をかしげている。絵に描いて何度も説明繰り返し、ようやく理解してくれたようだ。
衣装は工房に置いてる布だったり、付き合いのある問屋で材料を揃えればいいが、コルクなんてものはカミーユの付き合いの範囲内では扱っていない。そのため、そういうものを売っている場所へ出向いて仕入れる必要があった。リゼットたちは連れ立って衣装の材料とトウシューズの材料を買いに町へ出た。
その途中、画材を扱う店や画廊のある通りを横切った。リゼットの視界に見慣れた姿が飛び込んできたので、思わず足を止めた。パメラが画廊の入り口で母親と押し問答していた。
「そんなずるはダメよ」
「じゃあ、あなたは何ができるっていうの? ピアノだってろくに弾けないくせに」
「だからって、誰かの描いた絵を自分が描いたって嘘をつくなんて、やってはいけないわ」
道行く人は二人をじろじろ見て、足早に去ってゆく。リゼットは仲裁しようと二人の間に割って入ったが、母親はリゼットを見るなり、金切り声をあげてパメラから離そうと突き飛ばしてきた。
「あなたなんかと一緒にいるから、うちの娘が皇太子殿下のお目に留まらないのよ。あんな裁判まで起こして、こっちにまで悪い評判が付いたらたまらないわ」
「あれはもう決着がついています。お母さん落ち着いて、こんなところで大声を上げたらみんなから変に思われますわ」
ノエルに助け起こされたリゼットは、再度パメラの母親を宥めようとしたが、彼女はますますヒステリックに叫ぶ。ノエルとカミーユも何とか落ち着かせようと手伝った。シモンは完全にリゼットの後ろに隠れていた。
そうこうしていると、品のいい馬車で通りに乗りつけたリアーヌが彼らを見咎めた。
「これはリゼット様にパメラ様、道の真ん中で何を揉めておいでですの? そちらの方は?」
パメラが母親だと紹介すると、リアーヌはそのけばけばしい装いやヒステリックに怒鳴り散らす様を嘲笑した。
「まぁ。パメラ様は大人しくて静かな方ですのに、そのお母さまがこんなふうだなんて。親子といっても似ないものですわね。でも、お母様がこんなダチョウみたいな方だと知られたら、審査員方は良い印象を抱かないでしょうね」
「ダチョウ? わたくしの事ですの?」
「ええ。失礼ですけれど、往来で大騒ぎするなんて、あまり褒められたことではございませんわ。仮にもタンセラン男爵夫人と名乗るなら、ご自重あそばせ。さぁ、わたくしこれから画材を買いに行きますの。道を開けてくださらない」
リアーヌに馬鹿にされ悔しかったのか、それとも図星を指されて恥ずかしかったのか、パメラの母は唇を噛んで鼻息荒く、わざと足音をさせながら、路地から出て行ってしまった。
「母が申し訳ありません」
パメラは恥ずかしそうにリゼットに詫びた。
「いいのよ。それより、聞こえてしまったんだけど、絵を買って芸術祭に出すつもりだったの?」
「母はそうするつもりでここへ来たんです。このあたりは画材屋だけでなく、画廊も多いそうで。
わたくし、貴族といってもあまり裕福ではなかったので、他の皆さんのように、幼いころから習っている芸術がないのです。それで困っていて。だからと言って、誰かの絵を自分の作品だと偽るなんて、そんなずるいことはできませんから」
「そうだったのね」
借金まみれの実家のおかげで、貴族が必ずしも金持ちでないことはよくわかる。財力に余裕がなければ楽器や絵を習わせるなんてできない。リゼットは前世でバレエを習っていたわけだが、教室の月謝、トウシューズやレオタード代はそれなりにしたし、発表会やコンクールに出るとなると、さらに出費だった。どの世界でも芸事はお金がかかる。
「リゼット様はバレエを披露するのですね。お小さいころからバレエを習うなんて、珍しいけれど素敵ですわ。どうりで舞台にお詳しいわけだわ」
「いや、習っていたというか……」
リゼットは横目でちらっとシモンを見た。レーブジャルダン家の屋敷にはピアノは愚か、楽器なんて置いていなかった。大体リゼットは元は農民の娘だったのだから、楽器があろうとなかろうと演奏できなかったはず。
「それは、適当に絵を買って持たせたさ」
パメラの母親と同じ考えだったようだ。バレエができて良かったとリゼットは前世に感謝した。
「とにかく、一緒に買い物しながら、どうするか考えましょう」
母親の醜態と芸術祭で披露するものがないことに悩むパメラを励まして、リゼットたちはコルクを求めて歩き出した。
(それにしても、さっきはなんだかキツかったわよね、リアーヌ様。いつもニコニコしているイメージだけど)
リゼットたちが話している間に、リアーヌはとっくに姿を消していた。
いつになくきつい物言いをしたくらい、リアーヌは機嫌が悪かった。
「どの風景を描けばいいかしら。お兄様、皇太子殿下はどんな絵をお好みなの? お部屋に飾ってある絵とかご存じない?」
屋敷で真新しいキャンパスを前に、何を書こうか思案しながらリアーヌはセブランに訊ねた。
「さぁ。彼はあまり絵画を鑑賞しないから。それに今回の審査員は芸術家たちだからね。単純に自分の腕が振るえる景色を選びなさい」
「でも、殿下も御覧になるのでしょう。だったらお好みの絵を描いた方がいいわ」
これまでと打って変わってセブランは消極的だった。
「仮面舞踏会の一件で、わたしはちょっとルシアンから小言を食らってしまってね。だからこれからは、友として知りうる情報を君に打ち明けるのは控えるよ。だが、ルシアンはこんなふうに、ずるい手を使ったりするのが好きではないんだよ。純粋に自分が良いと思う景色を描いた方が、彼の心にも響くはずだ」
これはもう協力しないと言っているも同然だった。
(殿下と仲直りできたのに、わたくしに便宜を図ってくださらないなんて。おじ様とおば様も、また仲たがいしないように、今はあまり特別なことはできない、ですって。未来の当主が殿下のお友達でいてくれたら、家にとって良いという判断でしょうけれど、縁者の娘が未来の皇后のほうが、よっぽど魅力がなくて? そのために都へ来たようなものなのに。結局わたくしなんて遠縁の小娘で、大事な跡取り息子の二の次なのよ。セブランお兄様もひどいわ。手を貸す約束だったのに、途中でやっぱりやめたなんて)
これまで皇太子の親友であるセブランの助力を得てきたが、突然それがなくなり、まるで親とつないでいた手を離された幼子のような気分だった。
とはいえ、リアーヌも胸の奥で野心を燃やす一人だ。助力がないなら自力でやってやると、川辺の斜面にイーゼルと椅子、そして日よけのパラソルを運ばせて、そこから見える景色を描くことに決めた。