第八章 恋心 第四話
文字数 2,941文字
ユーグは町でチラシをもらってきてルシアンに見せた。彼が何くれとリゼットの事を気にしているからであったが、ルシアンはチラシを見て頭を抱えた。
「何だこの宣伝文句は、これではまるでわたしがリゼット嬢たちの足を見ていたみたいじゃないか!」
「まぁ、あの踊りはどうしても足が目に入りますからね」
下心があったかのように思われるのがルシアンには心外だった。
「何が問題なんだ。このチラシがなくても、リゼット嬢は太腿でルシアン殿下を射止めたと噂になっているじゃないか。近衛隊の訓練の時、こっそり会っていたことも社交界に知れ渡っているぞ」
セブランの言った通りで、いくら舞踊の一種だと言ったって、ラインダンスにはしっかりとお色気要素があるため、下世話な発想をする者は多くいた。それにリゼットをルシアンが気に入っていることも、既に社交界では事実となってしまっていていた。
「わたしがリゼット嬢を評価しているのは、別に太腿が魅惑的だったからではない。本来の出し物ができなくなり困難な中、短期間であれほどの出し物を作り上げたことが素晴らしいと思ったのだ。それに、同じ立場に置かれた者たちも救い、他の令嬢たちを敵と切り捨てないその寛容さや優しさも美点だと思った」
「いずれにせよ、気に入っているのは事実じゃないか」
「あくまで評価に値するということだ。大体、気に入るとか気に入らないとかは、傲慢な考え方だ。そうではなくて、一人の人間としてリゼット嬢のことを尊敬しているということだ」
「つまり、好きということですか?」
ユーグの問いに、ルシアンは何も飲んでいないのにむせた。
「好きとかそういうとこではない! こう、人として、友として、素晴らしいと感じているだけだ」
何て言い草だとセブランは笑った。
「それを好きというんじゃないか。いいか。同年代の同性に同じ感情を抱いたなら、親友になる。同世代の若い令嬢に抱いたならそれはもう恋だ」
「なんだいきなり。大体、わたしにそこまで思われていると自称するとは、とんだ自惚れだ」
「わたしに対して以上の感情をリゼット嬢に抱いているなら、尚更だぞ」
ルシアンは勢いで反論するのをハタとやめて、腕を組んで考え込んだ。というのも、彼はこれまで女性に惹かれたことがなかった。アンリエットだけが例外だが、あれは恋とも呼べないものだったと言われ、一応納得したところだ。
セブランの言う通り、リゼットに抱いている感情こそが恋なのだろうか。
どうやら真剣に悩み始めてしまったようだ。ユーグとセブランは顔を見合わせて肩をすくめた。
次の皇太子妃選びは王宮から離れた所で行われる。リゼットはブランシュの家の馬車に揺られて出発した。なにせ人数が多いので、二つの馬車に分かれて、一台目にはブランシュとポーラック卿とサビーナが、二台目にはリゼットとシモン、パメラが乗り込んだ。
馬車の中でリゼットは悶々と悩んでいた。
「思うにラインダンスよりも先にフレンチカンカンが発明されたんだと思うのよ。あれは長いスカートを持ち上げて足を上げるから。その後でスカートを短くして、レオタードなんてものが出てきたんだと思うのよね。わたし、なんだか先走ってしまったみたい」
いきなりラインダンスを持ち込んで、この国のダンスの歴史を歪めたのではないかというのである。
「何をわけのわからないことを。これだから劇場の見世物の総合演出監督なんて引き受けるべきではなかったんだ。これから妃選びだぞ。シャキッとしろ!」
シモンに背中を叩かれて、リゼットはようやく意識を今日の催しに向けた。
「今日は王宮を離れて何をするの?」
「呆れた。招待状もきちんと読んでいないのか。今日の催しは川辺でカジノだ」
「カ、カジノ? そんなことを妃選びにしていいの? しかも真昼間っから、大っぴらに」
「もちろん金は賭けない。トレゾールでは賭けは禁止されているからな。軽食や菓子や飲み物を賭けるただのごっこ遊びさ」
参加者には木を削って作ったコインが与えられ、それを賭けで増やす。最後に手元に残った通貨に応じて景品が与えられる。
川辺で行うのは、段々と暑くなってきているので、涼しい場所を選んだというだけだ。小川が曲がりくねって走る森の中は、適度に日差しを遮り、時折風が吹き抜けて爽やかだった。あちこちにカードやルーレットが乗ったテーブルが置いてある。森の入り口には天幕が張られ、景品が並べられていた。天幕の前に掲げられた紙には景品とコインの枚数が書いてある。
「やっぱり果物が高いのね。桃なんてコイン100枚も必要だわ。一番高いのは、サクランボ?」
「サクランボは皇太子殿下の好物らしいわ。だから150コインも必要なのでしょう」
各人に配られたコインは20枚。相当勝たないと上位のフルーツは手に入らない。
「きっと皆サクランボを狙うはずよ。この催しでは、最後に手に入れた景品をどうするかは自由なの。景品を交換したり贈ったりできるわけ」
「みんな皇太子殿下にサクランボを贈ろうとするわけね」
ならばリゼットも狙うはサクランボである。
「我が国では賭けごとは禁止されています。とはいえ他国では上流階級の嗜みとされていることもありますし、お金を賭けなければ、知恵や度胸を試される高尚な遊びです。こうした遊びを優雅に楽しめるのも良家の子女の証。それぞれのテーブルには審査員の方々についてもらっていますから、彼らの指示に従って節度をもって楽しんでください。
良いですか、遊びとはいえイカサマはまかりなりません。皇太子妃候補者が不正をした場合、即座に失格となりますから、そのつもりで」
皇后は始まる前にきつく言い含めた。
人々は森の中へ散っていった。リゼットもパメラたちと一緒に各所のテーブルを巡った。
(でも、わたし賭けってしたことないのよね。当たり前だけど)
わからないなりにやってみるかと、まずはルーレットに挑戦してみる。同じテーブルにはキトリィもいた。
「王女様は何を狙っておりますの?」
「豆ジャムのパイよ!」
豆ジャムのパイ。奇妙な名前だが、豆を甘く煮詰めて濾した餡を特殊な生地で包んだ菓子で、いわばもなかのようなものだった。なんでも、トレゾールの名物らしい。洋風な世界に和風なお菓子が存在しているのは何ともおかしなことだが、この世界は以前からご都合主義なところがあるので、もう気にしないことにした。
「王女様はこの前迎賓館で召し上がってから、すっかり虜になってしまって」
「あのパリパリの皮と中の甘ーいジャムがたまらないの。アンリエット、もしあなたのコインが多かったら、豆ジャムのパイをもらってきて、わたしの景品と交換してちょうだい」
アンリエットもテーブルについて、いざ賭けが始まった。ルーレットを回して、小さな玉がどの数字に留まるかを予想する。いくつかの数字のグループに賭けるか、ピンポイントに数字を指定して賭けるか、二種類の方法がある。リゼットは慎重に複数の数字のグループにコインを5枚賭けた。
ルーレットが回って、赤い玉が7と9に留まった。リゼットの数字のグループには、どちらも入っていない。キトリィはピンポイントに9に賭けており、リゼットのコインは早くも彼女の元へ消えた。
「何だこの宣伝文句は、これではまるでわたしがリゼット嬢たちの足を見ていたみたいじゃないか!」
「まぁ、あの踊りはどうしても足が目に入りますからね」
下心があったかのように思われるのがルシアンには心外だった。
「何が問題なんだ。このチラシがなくても、リゼット嬢は太腿でルシアン殿下を射止めたと噂になっているじゃないか。近衛隊の訓練の時、こっそり会っていたことも社交界に知れ渡っているぞ」
セブランの言った通りで、いくら舞踊の一種だと言ったって、ラインダンスにはしっかりとお色気要素があるため、下世話な発想をする者は多くいた。それにリゼットをルシアンが気に入っていることも、既に社交界では事実となってしまっていていた。
「わたしがリゼット嬢を評価しているのは、別に太腿が魅惑的だったからではない。本来の出し物ができなくなり困難な中、短期間であれほどの出し物を作り上げたことが素晴らしいと思ったのだ。それに、同じ立場に置かれた者たちも救い、他の令嬢たちを敵と切り捨てないその寛容さや優しさも美点だと思った」
「いずれにせよ、気に入っているのは事実じゃないか」
「あくまで評価に値するということだ。大体、気に入るとか気に入らないとかは、傲慢な考え方だ。そうではなくて、一人の人間としてリゼット嬢のことを尊敬しているということだ」
「つまり、好きということですか?」
ユーグの問いに、ルシアンは何も飲んでいないのにむせた。
「好きとかそういうとこではない! こう、人として、友として、素晴らしいと感じているだけだ」
何て言い草だとセブランは笑った。
「それを好きというんじゃないか。いいか。同年代の同性に同じ感情を抱いたなら、親友になる。同世代の若い令嬢に抱いたならそれはもう恋だ」
「なんだいきなり。大体、わたしにそこまで思われていると自称するとは、とんだ自惚れだ」
「わたしに対して以上の感情をリゼット嬢に抱いているなら、尚更だぞ」
ルシアンは勢いで反論するのをハタとやめて、腕を組んで考え込んだ。というのも、彼はこれまで女性に惹かれたことがなかった。アンリエットだけが例外だが、あれは恋とも呼べないものだったと言われ、一応納得したところだ。
セブランの言う通り、リゼットに抱いている感情こそが恋なのだろうか。
どうやら真剣に悩み始めてしまったようだ。ユーグとセブランは顔を見合わせて肩をすくめた。
次の皇太子妃選びは王宮から離れた所で行われる。リゼットはブランシュの家の馬車に揺られて出発した。なにせ人数が多いので、二つの馬車に分かれて、一台目にはブランシュとポーラック卿とサビーナが、二台目にはリゼットとシモン、パメラが乗り込んだ。
馬車の中でリゼットは悶々と悩んでいた。
「思うにラインダンスよりも先にフレンチカンカンが発明されたんだと思うのよ。あれは長いスカートを持ち上げて足を上げるから。その後でスカートを短くして、レオタードなんてものが出てきたんだと思うのよね。わたし、なんだか先走ってしまったみたい」
いきなりラインダンスを持ち込んで、この国のダンスの歴史を歪めたのではないかというのである。
「何をわけのわからないことを。これだから劇場の見世物の総合演出監督なんて引き受けるべきではなかったんだ。これから妃選びだぞ。シャキッとしろ!」
シモンに背中を叩かれて、リゼットはようやく意識を今日の催しに向けた。
「今日は王宮を離れて何をするの?」
「呆れた。招待状もきちんと読んでいないのか。今日の催しは川辺でカジノだ」
「カ、カジノ? そんなことを妃選びにしていいの? しかも真昼間っから、大っぴらに」
「もちろん金は賭けない。トレゾールでは賭けは禁止されているからな。軽食や菓子や飲み物を賭けるただのごっこ遊びさ」
参加者には木を削って作ったコインが与えられ、それを賭けで増やす。最後に手元に残った通貨に応じて景品が与えられる。
川辺で行うのは、段々と暑くなってきているので、涼しい場所を選んだというだけだ。小川が曲がりくねって走る森の中は、適度に日差しを遮り、時折風が吹き抜けて爽やかだった。あちこちにカードやルーレットが乗ったテーブルが置いてある。森の入り口には天幕が張られ、景品が並べられていた。天幕の前に掲げられた紙には景品とコインの枚数が書いてある。
「やっぱり果物が高いのね。桃なんてコイン100枚も必要だわ。一番高いのは、サクランボ?」
「サクランボは皇太子殿下の好物らしいわ。だから150コインも必要なのでしょう」
各人に配られたコインは20枚。相当勝たないと上位のフルーツは手に入らない。
「きっと皆サクランボを狙うはずよ。この催しでは、最後に手に入れた景品をどうするかは自由なの。景品を交換したり贈ったりできるわけ」
「みんな皇太子殿下にサクランボを贈ろうとするわけね」
ならばリゼットも狙うはサクランボである。
「我が国では賭けごとは禁止されています。とはいえ他国では上流階級の嗜みとされていることもありますし、お金を賭けなければ、知恵や度胸を試される高尚な遊びです。こうした遊びを優雅に楽しめるのも良家の子女の証。それぞれのテーブルには審査員の方々についてもらっていますから、彼らの指示に従って節度をもって楽しんでください。
良いですか、遊びとはいえイカサマはまかりなりません。皇太子妃候補者が不正をした場合、即座に失格となりますから、そのつもりで」
皇后は始まる前にきつく言い含めた。
人々は森の中へ散っていった。リゼットもパメラたちと一緒に各所のテーブルを巡った。
(でも、わたし賭けってしたことないのよね。当たり前だけど)
わからないなりにやってみるかと、まずはルーレットに挑戦してみる。同じテーブルにはキトリィもいた。
「王女様は何を狙っておりますの?」
「豆ジャムのパイよ!」
豆ジャムのパイ。奇妙な名前だが、豆を甘く煮詰めて濾した餡を特殊な生地で包んだ菓子で、いわばもなかのようなものだった。なんでも、トレゾールの名物らしい。洋風な世界に和風なお菓子が存在しているのは何ともおかしなことだが、この世界は以前からご都合主義なところがあるので、もう気にしないことにした。
「王女様はこの前迎賓館で召し上がってから、すっかり虜になってしまって」
「あのパリパリの皮と中の甘ーいジャムがたまらないの。アンリエット、もしあなたのコインが多かったら、豆ジャムのパイをもらってきて、わたしの景品と交換してちょうだい」
アンリエットもテーブルについて、いざ賭けが始まった。ルーレットを回して、小さな玉がどの数字に留まるかを予想する。いくつかの数字のグループに賭けるか、ピンポイントに数字を指定して賭けるか、二種類の方法がある。リゼットは慎重に複数の数字のグループにコインを5枚賭けた。
ルーレットが回って、赤い玉が7と9に留まった。リゼットの数字のグループには、どちらも入っていない。キトリィはピンポイントに9に賭けており、リゼットのコインは早くも彼女の元へ消えた。