第十三章 愛の成就へ 第八話
文字数 2,980文字
王女もメリザンドの方へ進み出て対抗した。
「わたくしはなにも皆様にリゼットへの指示を強要しているわけではありません。彼女がいかに相応しいと思うかを述べて、共感してくださる方に投票するよう呼び掛けているだけですわ。批判される筋合いはありません」
「詭弁ですわ。その共感というのは、王女様の口から語られるからこそ得られるものなのです。例えばそこいらの平民の娘が街角で同じことを言ったって、誰も共感はおろか、聞く耳も持ちませんことよ。最初に公正なやり方を求めて、皇后さまのご意向のみでの決定を不服としたのに、投票になったらご自身の権力で人々を脅し、思い通りの結果を得ようとするなんて、一国のお王女というお立場で、あまりに分別のない行いですわ」
「なによ、あなたが最初に皇后に……」
思わず地が出た。アンリエットに止められて、何とか取り繕う。
「皇后陛下があなたに信頼をおいていたことは、誰もが知る事実ですわ。あなたが先にご自身の有利な立場を利用して、殿下のお気持ちも、これまでの競い合いの結果も無視して、皇太子妃になろうとしていたから、抗議しのですよ」
「まぁ、お互い様とおっしゃいますのね。いいですわ。投票権のある皆様の自由な意思を尊重すべきと思っていましたが、もう王女様がそのご威光で人々を動かすのに文句は言いません。ただし、わたくしとソンルミエール家も遠慮なく戦わせていただきますわ」
メリザンドはそう言って周りの令嬢たちを見回した。
「あなた方はリゼット様を支持しているようですけれど、あの平民上がりの田舎娘が皇太子妃になったら、皆さんはずっとかしずいて仰ぎ見なくてはいけないのですよ。そんなこと、耐えられる方がどれほどいらっしゃるかしら。
トレゾールにとって外国はなにもリヴェールだけではございません。いくら王女様が熱烈に支持しても、他の国からはどう思われるでしょう。ただでさえ王家の血筋ではなく国内の子女から妃を選ぶのは珍しいというのに、それが取るに足らない身分の変わり者の娘となったら、馬鹿にされ軽んじられるに決まっていますわ。リゼット様も、それを支持した社交界も。皇帝陛下も、そういう状況に陥ったら、その状況を作り出した方々を恨むでしょうね。そこのところは、よくお考えにならなければなりませんわ」
現実的で冷え切った政治の話をされて、令嬢たちは先ほどまでの熱気を失ってしまった。
「既にメールヴァン家がリゼット様支持に回ったと聞いておりますわ。リゼット様は後ろ盾のないお立場ですから、助けてやれば後に大きな見返りがあると期待しておいでよ。他の方々もそういう
「メリザンドを支持しても、ソンルミエール家の天下になるだけじゃない」
「そうかでしょうか? リーアヌが選挙を降りたのは、メールヴァン家として皇太子妃の座を失っても問題ないと判断したからでしょう。もしわたくしが勝ったとして、リゼットが勝つより、社交界の勢力図に変化がないのですわ。変わるほうがいいか変わらない方がいいか。皆様よく見極めてお決めになってくださいませ」
いつの間にか令嬢たち以外もメリザンドの言葉に耳を傾けていた。メリザンドが満足したように微笑んで口をつぐむと、人々はざわざわと誰を支持すべきか相談を始めた。せっかく気持ちが固まっていた令嬢たちも不安な表情をしている。今日のキトリィの選挙活動は一からやり直しとなってしまった。
「メリザンド様、お待ちを」
アンリエットは会場を出たメリザンドを追いかけた。階段の踊り場でメリザンドは立ち止まり、降りてくるアンリエットを見上げた。
「王女様がわたくしに何か御用でも?」
アンリエットは同じ踊り場へ立ち、首を振った。
「いいえ。わたくしがお話したかったのです。メリザンド様は、お小さいころから皇太子妃になるべく育てられたゆえに、その地位に強くこだわっていらっしゃるのだとお見受けします。でも、わたくしの目に映るあなたは、とても辛そうに見えます。気を張ってリゼット様と、世間と戦っていらっしゃる。苦しいとお思いなのではありませんか」
メリザンドは一瞬戸惑いを浮かべてから、視線を外して手すりの方へ寄った。
「あなたはまるで皇太子妃になるべしという檻に閉じ込められているようです。でも世界はその檻の中より広いのです。その先に、家に決められた未来とは別の、もしかしたらそれ以上に素晴らしいものがあるかもしれませんのよ。その可能性に目を向けてほしいのです。そして檻から出て自由になるのは、決して悪いことではございませんよ」
アンリエットがうわべの優しさで語り掛けたのでないことは、メリザンドにも伝わった。だが、それが却って腹立たしかった。
「有り難いお説教ですこと。でもあいにく檻の外を見ても、檻の中より魅力的には思えませんわ。あなたにとって檻に見えるそれは、わたくしにとっては城ですのよ。誰が好き好んで城を出て荒野をさまようというのですか」
メリザンドは手すりから離れて階段を下りて行ってしまった。アンリエットは小さくなってゆく背中に気づかわし気な視線を向け続けた。
リゼットの選挙活動は順調かに見えたが、メリザンドが王女に宣言した通り、ソンルミエール家と皇后は元からあった票を堅守し、さらには多くの票を獲得すべく動き出したので、伸び悩みはじめた。
「社交界の勢力が丁度真っ二つという状況よ。こちらにはメールヴァン家と王女様、向こうはソンルミエール家と皇后陛下。両家の権勢は互角だし、王女様と皇后陛下だと、やはり王女様は外国の王族だから、少し影響力が落ちるの。本当は我が家が力添えをしてあげたいけれど、お父様は堅物だから、どちらかに与するようなことはしないの一点張りなのよ。おじい様は協力してくれているけれど、もう引退しているからそこまで大きな力になれないし」
ブランシュは夜の選挙対策会議でぼやいた。
「ポーラック家にはこれまで沢山お世話になっているから、もう充分よ。それにちょっと劣勢くらいなら、挽回できるはずよ」
リゼットはハードスケジュールで疲れが顔に出始めていたが、まだまだ踏ん張れるともう一度気合を入れ直した。
「それにしてもお兄様は大丈夫かしら。サビーナはもう到着しているわよね。知らせをくれないかしら」
リゼットがやきもきし始めたのを見計らったように、翌日手紙が届いた。選挙活動の移動中に封を開けて読んでみると、シモンもノエルも無事だったようだ。サビーナはシモンたちと今後の事を話し合ってから戻ってくる手はずらしい。
「まだ続きがあるわ。文章を偽造した人間はすでに死んでいた。だが、ソンルミエール家の刺客団を騙してエスカリエへおびき寄せる作戦が当たった。奴らは11月8日にエスカリエへやってくる……。11月8日って、開票日の翌日じゃない」
リゼットは驚いてさらに続く文字を追った。
「わたくしはなにも皆様にリゼットへの指示を強要しているわけではありません。彼女がいかに相応しいと思うかを述べて、共感してくださる方に投票するよう呼び掛けているだけですわ。批判される筋合いはありません」
「詭弁ですわ。その共感というのは、王女様の口から語られるからこそ得られるものなのです。例えばそこいらの平民の娘が街角で同じことを言ったって、誰も共感はおろか、聞く耳も持ちませんことよ。最初に公正なやり方を求めて、皇后さまのご意向のみでの決定を不服としたのに、投票になったらご自身の権力で人々を脅し、思い通りの結果を得ようとするなんて、一国のお王女というお立場で、あまりに分別のない行いですわ」
「なによ、あなたが最初に皇后に……」
思わず地が出た。アンリエットに止められて、何とか取り繕う。
「皇后陛下があなたに信頼をおいていたことは、誰もが知る事実ですわ。あなたが先にご自身の有利な立場を利用して、殿下のお気持ちも、これまでの競い合いの結果も無視して、皇太子妃になろうとしていたから、抗議しのですよ」
「まぁ、お互い様とおっしゃいますのね。いいですわ。投票権のある皆様の自由な意思を尊重すべきと思っていましたが、もう王女様がそのご威光で人々を動かすのに文句は言いません。ただし、わたくしとソンルミエール家も遠慮なく戦わせていただきますわ」
メリザンドはそう言って周りの令嬢たちを見回した。
「あなた方はリゼット様を支持しているようですけれど、あの平民上がりの田舎娘が皇太子妃になったら、皆さんはずっとかしずいて仰ぎ見なくてはいけないのですよ。そんなこと、耐えられる方がどれほどいらっしゃるかしら。
トレゾールにとって外国はなにもリヴェールだけではございません。いくら王女様が熱烈に支持しても、他の国からはどう思われるでしょう。ただでさえ王家の血筋ではなく国内の子女から妃を選ぶのは珍しいというのに、それが取るに足らない身分の変わり者の娘となったら、馬鹿にされ軽んじられるに決まっていますわ。リゼット様も、それを支持した社交界も。皇帝陛下も、そういう状況に陥ったら、その状況を作り出した方々を恨むでしょうね。そこのところは、よくお考えにならなければなりませんわ」
現実的で冷え切った政治の話をされて、令嬢たちは先ほどまでの熱気を失ってしまった。
「既にメールヴァン家がリゼット様支持に回ったと聞いておりますわ。リゼット様は後ろ盾のないお立場ですから、助けてやれば後に大きな見返りがあると期待しておいでよ。他の方々もそういう
うまみ
を考慮していらっしゃるはず。でも、既に一番の支援者の椅子はメールヴァン家が取っていますのよ。他の方々がリゼット様を支持しても、メールヴァン家のおこぼれにあずかる程度ですわ。その上、メールヴァン家が大きな力を持ちすぎます。社交界の勢力図が大きく変わり、もともとメールヴァン家の派閥であったなら、恩恵にあずかれるでしょうけれど、そうでない方たちにとっては、厳しい時代となるのでは?」「メリザンドを支持しても、ソンルミエール家の天下になるだけじゃない」
「そうかでしょうか? リーアヌが選挙を降りたのは、メールヴァン家として皇太子妃の座を失っても問題ないと判断したからでしょう。もしわたくしが勝ったとして、リゼットが勝つより、社交界の勢力図に変化がないのですわ。変わるほうがいいか変わらない方がいいか。皆様よく見極めてお決めになってくださいませ」
いつの間にか令嬢たち以外もメリザンドの言葉に耳を傾けていた。メリザンドが満足したように微笑んで口をつぐむと、人々はざわざわと誰を支持すべきか相談を始めた。せっかく気持ちが固まっていた令嬢たちも不安な表情をしている。今日のキトリィの選挙活動は一からやり直しとなってしまった。
「メリザンド様、お待ちを」
アンリエットは会場を出たメリザンドを追いかけた。階段の踊り場でメリザンドは立ち止まり、降りてくるアンリエットを見上げた。
「王女様がわたくしに何か御用でも?」
アンリエットは同じ踊り場へ立ち、首を振った。
「いいえ。わたくしがお話したかったのです。メリザンド様は、お小さいころから皇太子妃になるべく育てられたゆえに、その地位に強くこだわっていらっしゃるのだとお見受けします。でも、わたくしの目に映るあなたは、とても辛そうに見えます。気を張ってリゼット様と、世間と戦っていらっしゃる。苦しいとお思いなのではありませんか」
メリザンドは一瞬戸惑いを浮かべてから、視線を外して手すりの方へ寄った。
「あなたはまるで皇太子妃になるべしという檻に閉じ込められているようです。でも世界はその檻の中より広いのです。その先に、家に決められた未来とは別の、もしかしたらそれ以上に素晴らしいものがあるかもしれませんのよ。その可能性に目を向けてほしいのです。そして檻から出て自由になるのは、決して悪いことではございませんよ」
アンリエットがうわべの優しさで語り掛けたのでないことは、メリザンドにも伝わった。だが、それが却って腹立たしかった。
「有り難いお説教ですこと。でもあいにく檻の外を見ても、檻の中より魅力的には思えませんわ。あなたにとって檻に見えるそれは、わたくしにとっては城ですのよ。誰が好き好んで城を出て荒野をさまようというのですか」
メリザンドは手すりから離れて階段を下りて行ってしまった。アンリエットは小さくなってゆく背中に気づかわし気な視線を向け続けた。
リゼットの選挙活動は順調かに見えたが、メリザンドが王女に宣言した通り、ソンルミエール家と皇后は元からあった票を堅守し、さらには多くの票を獲得すべく動き出したので、伸び悩みはじめた。
「社交界の勢力が丁度真っ二つという状況よ。こちらにはメールヴァン家と王女様、向こうはソンルミエール家と皇后陛下。両家の権勢は互角だし、王女様と皇后陛下だと、やはり王女様は外国の王族だから、少し影響力が落ちるの。本当は我が家が力添えをしてあげたいけれど、お父様は堅物だから、どちらかに与するようなことはしないの一点張りなのよ。おじい様は協力してくれているけれど、もう引退しているからそこまで大きな力になれないし」
ブランシュは夜の選挙対策会議でぼやいた。
「ポーラック家にはこれまで沢山お世話になっているから、もう充分よ。それにちょっと劣勢くらいなら、挽回できるはずよ」
リゼットはハードスケジュールで疲れが顔に出始めていたが、まだまだ踏ん張れるともう一度気合を入れ直した。
「それにしてもお兄様は大丈夫かしら。サビーナはもう到着しているわよね。知らせをくれないかしら」
リゼットがやきもきし始めたのを見計らったように、翌日手紙が届いた。選挙活動の移動中に封を開けて読んでみると、シモンもノエルも無事だったようだ。サビーナはシモンたちと今後の事を話し合ってから戻ってくる手はずらしい。
「まだ続きがあるわ。文章を偽造した人間はすでに死んでいた。だが、ソンルミエール家の刺客団を騙してエスカリエへおびき寄せる作戦が当たった。奴らは11月8日にエスカリエへやってくる……。11月8日って、開票日の翌日じゃない」
リゼットは驚いてさらに続く文字を追った。