第十章 最後のダンス 第八話
文字数 2,981文字
純粋な正義感から怒りを抱いていたが、二人が不幸になることを望んではいない。
「わたくしもお二人のなさったことは許せません。けれど怒りのままに糾弾し罰することが必ずしも正しいとはかぎりません。ましてこれはお妃選びという、傍から見たら他愛もない茶番なのですから」
「そしたら、どうすればいいの? このまま二人を見過ごすのは嫌だけど、リゼットさんと同じように、厳しいお仕置きはかわいそうだと思っているの」
「でしたら、リゼット様を応援なさってください。王女様も皇帝陛下やメールヴァン家と同じように権力があります。その権力を良い方に使って、正しいものを守るのです。王女様は既に、『ラディアント トレゾール』を友好事業にして、リゼット様を助けたではありませんか。あれは立派な王女の行いだと思いましたわよ。
王女様は純粋で曲がったことがお嫌いな方ですから、どうかそのお心に従って、ご自身のお力を正しく使ってください」
このアンリエットの教えはとても大切に感じられて、キトリィは小さく頷きながらその言葉を胸に焼き付けていた。
リゼットも馬車に乗って会場にやってきた。シモンも一緒だ。もちろん身分を明かされることを恐れていたが、逃げ隠れしたところで平民だと蔑まれるのはかわらないので、せめて堂々と姿を見せたかった。
華々しい音楽が鳴って、皇帝の前の前で銅像の布が取り払われる。煌めく立派な銅像を見て、人々は拍手喝さいした。この栄光に溢れた光景も、リゼットの心を高揚させるはずもなく、周りに合わせて操り人形のように両手を叩いていた。
「リゼット様、皇帝陛下の晴れがましい日に、どうしてそんなに浮かないお顔ですの?」
メリザンドがわざとらしく話しかけた。自然と人人の視線がメリザンドに集まる。
「やはりあなたのような身分のお方には、この銅像の素晴らしさがお分かりにならないのね」
「メリザンド様、どうしてそんなに失礼なことをおっしゃるの」
ブランシュが非難したが、メリザンドは勝ち誇った笑顔で続ける。
「皆様、この方は子爵令嬢などではなく、田舎の農民なんですもの。身寄りがないのを憐れまれ、子爵家に迎えられた養女で、れっきとした貴族の血を引いておりませんのよ」
集まった人々は、驚き、そして疑いの目をリゼットに向けた。ブランシュたちもである。リゼットは心が引き裂かれるように悲しくなったが、覚悟していた事でもある。メリザンドの顔を正面から見返して、周りの人々の視線も全て受け止めてから、口を開いた。
「メリザンド様のおっしゃることは事実です。わたくしは元農民なのです。生まれながらの貴族ではありません」
人々はどよめいた。
「まぁ、正真正銘の子爵令嬢ではないと。そんな娘が皇太子に近付くとは、なんて恐ろしいことでしょう」
皇后もこのことは今日初めて知ったが、これで気に入らないリゼットを失格にできると内心大喜びして、声高にリゼットを非難した。人々も賤しい娘だと、冷たい視線を投げかけ、ひそひそと悪態を囁き合った。
リゼットは雪原に一人で佇んでいるかのような孤独を感じ、いたたまれなくなっていた。ただ生まれは変えられないからこそ、最後まで堂々としていたいという小さな意地で、なんとかその場に留まっていられた。
そんなリゼットの肩に手を添えて、支えてくれる者が現れた。ルシアンである。彼は蔑む視線が集まるリゼットの隣に立った。
「リゼット嬢が子爵家の養女で元は農民だということは、わたしも初めて知りました。ですが、わたしは彼女と親しくしたことを後悔しておりませんし、騙されていたとも、まして恐ろしいとも思っておりません。
彼女は淑女としての立ち居振る舞いも申し分なく、服飾の美的なセンスがあり、音楽や踊りといった芸術に造詣が深く、斬新な演目を生み出すほど才能に溢れています。皆、その才能を褒めそやしたのに、手のひらを反すとは。
ご令嬢方、そのアクセサリーも、そのドレスも、リゼット嬢の考案したものですね。もし彼女を蔑むのであれば、今すぐそれを脱ぎ捨てなければなりませんよ。他の皆さまも、あれだけ拍手喝采して褒めたたえた『ラディアント トレゾール』はリゼット嬢の演目です。彼女を排斥するのであれば、二度とあの演目を見に入ってはいけません。
それができますか? できないでしょう。それこそがリゼット嬢の才能と努力が、身分を超えた証ではありませんか。わたしは彼女をここから追い出すつもりはありませんし、最後まで妃選びに加わることを望みます」
皇太子の強い主張に人々はたじろぎ、己の変わり身の早さを恥さえした。さらに、キトリィもリゼットの隣へ立った。
「両陛下に申し上げます。リヴェールから妃選びに参加しましたが、リゼット嬢のような素晴らしい女性に出会い、共に高めあえること、とても光栄に存じております。それに平民の娘でも、これほど美しく魅力的で才能に溢れているなんて、流石は長い伝統を持ち、芸術を尊び、良い治世が続くトレゾールだと、非常に感心しております。むしろ平民出身の彼女が妃選びに参加することで、皇帝陛下の善政が国中に行きとどき、誰もが豊かに己の才能を発揮できるのだと、国の内外に示すことができます。建国500年の節目には相応しいと思いますわ」
精一杯王女らしい口調で訴えたあと、キトリィは愛らしくリゼットに目配せした。
「そうですわ。わたくしたちも、あなたが平民だからと、お友達をやめるわけがありませんわ」
ブランシュとサビーナとパメラも、リゼットの側へ来てくれた。冷たい雪原のようだった公園が、段々と暖かくなっていくのを感じ、リゼットは涙ぐんだ。
ルシアンは改めて父親へ向かって言った。
「我が国では正式な手続きを経て養子となった場合は、過去の身分は問わず、それこそ貴族の後継ぎになっても問題はないと、法で定められております。もちろんリゼット嬢はきちんと手続きをして養子となっていますから、身分を理由に失格とするのは不当です」
「うむ。法に照らせば、殊更身分を偽っていたことにはならんし、何の問題もなかろう」
皇帝の言葉で、メリザンドの起死回生をかけた告発も無に帰してしまった。集まった人々は、一度でもリゼットに侮蔑の感情を抱いたことを恥じ、その償いとしても妃選びに残留することを認め、喜んだ。
「殿下、ありがとうございます」
「いいや。君が失格になってしまったら、最後の舞踏会に呼べなくなってしまうからな。私は心に決めた。舞踏会でこの胸の気持ちの全てをぶつけるのだと。愛は身分を、あらゆる障壁をも越えるのだと教えてくれた君に、わたしの最後のダンスを見せたいのだ」
最後のダンス。舞踏会の最後の一曲は婚約者と踊るのが通例となっている。皇太子に誘われたならば求婚を意味し、妃選びの勝者となったことを意味する。
皇太子に最後のダンスに誘われた。身分を理由に排除されれる危機を乗り越えた今、リゼットに用意されたのは輝かしい未来だけだった。
本日の妃選びは、公園内の偉人の像を見て彼らに対する質問に答えるというものだったが、皇后も他の候補たちもまったくやる気をなくしていて、何とも張り合いがなかった。リゼットだけは気持ちが舞い上がっていて、頬を上気させながら、熱心にシモンに叩き込まれた偉人についての知識を披露していた。
「わたくしもお二人のなさったことは許せません。けれど怒りのままに糾弾し罰することが必ずしも正しいとはかぎりません。ましてこれはお妃選びという、傍から見たら他愛もない茶番なのですから」
「そしたら、どうすればいいの? このまま二人を見過ごすのは嫌だけど、リゼットさんと同じように、厳しいお仕置きはかわいそうだと思っているの」
「でしたら、リゼット様を応援なさってください。王女様も皇帝陛下やメールヴァン家と同じように権力があります。その権力を良い方に使って、正しいものを守るのです。王女様は既に、『ラディアント トレゾール』を友好事業にして、リゼット様を助けたではありませんか。あれは立派な王女の行いだと思いましたわよ。
王女様は純粋で曲がったことがお嫌いな方ですから、どうかそのお心に従って、ご自身のお力を正しく使ってください」
このアンリエットの教えはとても大切に感じられて、キトリィは小さく頷きながらその言葉を胸に焼き付けていた。
リゼットも馬車に乗って会場にやってきた。シモンも一緒だ。もちろん身分を明かされることを恐れていたが、逃げ隠れしたところで平民だと蔑まれるのはかわらないので、せめて堂々と姿を見せたかった。
華々しい音楽が鳴って、皇帝の前の前で銅像の布が取り払われる。煌めく立派な銅像を見て、人々は拍手喝さいした。この栄光に溢れた光景も、リゼットの心を高揚させるはずもなく、周りに合わせて操り人形のように両手を叩いていた。
「リゼット様、皇帝陛下の晴れがましい日に、どうしてそんなに浮かないお顔ですの?」
メリザンドがわざとらしく話しかけた。自然と人人の視線がメリザンドに集まる。
「やはりあなたのような身分のお方には、この銅像の素晴らしさがお分かりにならないのね」
「メリザンド様、どうしてそんなに失礼なことをおっしゃるの」
ブランシュが非難したが、メリザンドは勝ち誇った笑顔で続ける。
「皆様、この方は子爵令嬢などではなく、田舎の農民なんですもの。身寄りがないのを憐れまれ、子爵家に迎えられた養女で、れっきとした貴族の血を引いておりませんのよ」
集まった人々は、驚き、そして疑いの目をリゼットに向けた。ブランシュたちもである。リゼットは心が引き裂かれるように悲しくなったが、覚悟していた事でもある。メリザンドの顔を正面から見返して、周りの人々の視線も全て受け止めてから、口を開いた。
「メリザンド様のおっしゃることは事実です。わたくしは元農民なのです。生まれながらの貴族ではありません」
人々はどよめいた。
「まぁ、正真正銘の子爵令嬢ではないと。そんな娘が皇太子に近付くとは、なんて恐ろしいことでしょう」
皇后もこのことは今日初めて知ったが、これで気に入らないリゼットを失格にできると内心大喜びして、声高にリゼットを非難した。人々も賤しい娘だと、冷たい視線を投げかけ、ひそひそと悪態を囁き合った。
リゼットは雪原に一人で佇んでいるかのような孤独を感じ、いたたまれなくなっていた。ただ生まれは変えられないからこそ、最後まで堂々としていたいという小さな意地で、なんとかその場に留まっていられた。
そんなリゼットの肩に手を添えて、支えてくれる者が現れた。ルシアンである。彼は蔑む視線が集まるリゼットの隣に立った。
「リゼット嬢が子爵家の養女で元は農民だということは、わたしも初めて知りました。ですが、わたしは彼女と親しくしたことを後悔しておりませんし、騙されていたとも、まして恐ろしいとも思っておりません。
彼女は淑女としての立ち居振る舞いも申し分なく、服飾の美的なセンスがあり、音楽や踊りといった芸術に造詣が深く、斬新な演目を生み出すほど才能に溢れています。皆、その才能を褒めそやしたのに、手のひらを反すとは。
ご令嬢方、そのアクセサリーも、そのドレスも、リゼット嬢の考案したものですね。もし彼女を蔑むのであれば、今すぐそれを脱ぎ捨てなければなりませんよ。他の皆さまも、あれだけ拍手喝采して褒めたたえた『ラディアント トレゾール』はリゼット嬢の演目です。彼女を排斥するのであれば、二度とあの演目を見に入ってはいけません。
それができますか? できないでしょう。それこそがリゼット嬢の才能と努力が、身分を超えた証ではありませんか。わたしは彼女をここから追い出すつもりはありませんし、最後まで妃選びに加わることを望みます」
皇太子の強い主張に人々はたじろぎ、己の変わり身の早さを恥さえした。さらに、キトリィもリゼットの隣へ立った。
「両陛下に申し上げます。リヴェールから妃選びに参加しましたが、リゼット嬢のような素晴らしい女性に出会い、共に高めあえること、とても光栄に存じております。それに平民の娘でも、これほど美しく魅力的で才能に溢れているなんて、流石は長い伝統を持ち、芸術を尊び、良い治世が続くトレゾールだと、非常に感心しております。むしろ平民出身の彼女が妃選びに参加することで、皇帝陛下の善政が国中に行きとどき、誰もが豊かに己の才能を発揮できるのだと、国の内外に示すことができます。建国500年の節目には相応しいと思いますわ」
精一杯王女らしい口調で訴えたあと、キトリィは愛らしくリゼットに目配せした。
「そうですわ。わたくしたちも、あなたが平民だからと、お友達をやめるわけがありませんわ」
ブランシュとサビーナとパメラも、リゼットの側へ来てくれた。冷たい雪原のようだった公園が、段々と暖かくなっていくのを感じ、リゼットは涙ぐんだ。
ルシアンは改めて父親へ向かって言った。
「我が国では正式な手続きを経て養子となった場合は、過去の身分は問わず、それこそ貴族の後継ぎになっても問題はないと、法で定められております。もちろんリゼット嬢はきちんと手続きをして養子となっていますから、身分を理由に失格とするのは不当です」
「うむ。法に照らせば、殊更身分を偽っていたことにはならんし、何の問題もなかろう」
皇帝の言葉で、メリザンドの起死回生をかけた告発も無に帰してしまった。集まった人々は、一度でもリゼットに侮蔑の感情を抱いたことを恥じ、その償いとしても妃選びに残留することを認め、喜んだ。
「殿下、ありがとうございます」
「いいや。君が失格になってしまったら、最後の舞踏会に呼べなくなってしまうからな。私は心に決めた。舞踏会でこの胸の気持ちの全てをぶつけるのだと。愛は身分を、あらゆる障壁をも越えるのだと教えてくれた君に、わたしの最後のダンスを見せたいのだ」
最後のダンス。舞踏会の最後の一曲は婚約者と踊るのが通例となっている。皇太子に誘われたならば求婚を意味し、妃選びの勝者となったことを意味する。
皇太子に最後のダンスに誘われた。身分を理由に排除されれる危機を乗り越えた今、リゼットに用意されたのは輝かしい未来だけだった。
本日の妃選びは、公園内の偉人の像を見て彼らに対する質問に答えるというものだったが、皇后も他の候補たちもまったくやる気をなくしていて、何とも張り合いがなかった。リゼットだけは気持ちが舞い上がっていて、頬を上気させながら、熱心にシモンに叩き込まれた偉人についての知識を披露していた。