第十二章 ざわめく社交界 第一話
文字数 2,990文字
なぜリゼットが従者を探しに行ったのかもわからず、ただ慌ただしく出てゆくのを見送るだけだった友人たちは、彼女の帰還を今か今かと待っていた。そして戻ってきたリゼットを質問攻めにした。それにいちいち答えたら却って混乱させてしまう。まとめて後で話すと、リゼットは友人たちを押さえた。
それからキトリィとアンリエットを手紙で呼び出し、夕暮れのサンルームで全てを順に話して聞かせた。
「では、あの従者は実は女で、ソフィという名前なのね。しかもフルーレトワール侯爵令嬢だったというわけ」
「なら、皇太子殿下が男が好きだということこそが、勘違いでしたのね」
「でも、フルーレトワール一族には国家反逆の罪があり、その生き残りだと知れたら監獄へ連れていかれる」
「だがそれは濡れ衣で、何者かの、恐らくソンルミエール家の陰謀だという話だ」
「なんてひどいの! その悪者を懲らしめなくちゃだめよ!」
キトリィが勢いよく椅子から立ち上がった。リゼットが己の恋心と嫉妬心に蹴りをつけたことは既に説明していたので、他の友人たちもキトリィと同じくソフィの境遇に同情し、そして憤りを感じていた。
アンリエットは昔の記憶を掘り起こして当時の宮廷の様子を語った。
「13年前といえば、わたくしは14歳でしたから、全てをはっきりと覚えているわけではありませんが、フルーレトワール家の当主は温厚で気取ったところがなく、それゆえに皇帝陛下に気に入られていたようです。それで何かの折に、陛下がフルーレトワール家の娘を将来皇太子殿下に娶せたいと、そんなことをおっしゃったらしいのです。その時すでにメリザンド様は殿下の遊び相手となっておりましたから、ソンルミエール公爵は面白くなかったと。もしかしたら、そういう対立が陰謀の発端となったのかもしれません」
「その娘というのが、ソフィなのですよね。なんだかすごい運命のめぐりあわせね」
「いっぱしの名家が政敵を排除する理由はそれだけではないだろうが。とにかくこれでエテスポワール公爵が陰謀の首謀者である可能性が高まった」
リゼットは深く頷き、仲間たちに向かって語った。
「殿下とソフィは相思相愛よ。わたくしは、あの二人が結ばれることを望みます。でも、二人の前には過去の事件が立ちふさがっているわ。この事件の真相を解き明かして、濡れ衣を晴らし、名誉を回復したいの。そうすればソフィはまた侯爵令嬢にもどって、皇太子妃になれる。でも一人だときっと無理だから、皆に協力してもらいたいの」
陰謀を許せないのは皆同じだったが、貴族たちの権力争いに身を投じる危険性も、よくわかっていた。
「そんなことをして、リゼット様の身にも災いが降りかかるのではないでしょうか。なにせエテスポワール家は名門一族ですから、下手に楯突いたらどうなるか。それが恐ろしいですわ」
パメラの憂いはもっともだった。過去には政敵を暗殺した家なのだ。だがリゼットの決意は揺るがなかった。
「わたくしも恐ろしいわ。こればっかりはもう、妃選びで他のご令嬢の意地悪を躱すのとは全く違うもの。でもこの欺瞞と不正を知ってしまって、見過ごすことはできない。できる限りのことをしたいの。ひとかけらの勇気が、わたしにあるかぎり」
そういうと、真っ先にキトリィが賛同した。
「リゼットさんの言う通りだわ、それに、皆がひとかけらずつ勇気を出したら、七かけらになるんだから心強いったらないわよ。芸術祭の時のように、力を合わせましょう」
「そうですわね。わたくしたちなら、登れない山も渡れない川も、あらゆる障壁を乗り越えられるはずですわ」
「そうですわね。強い力が立ちふさがっても、諦めてはいけませんわね」
全員頼もしく協力を申し出てくれた。リゼットはこの友情に心から感謝した。
話が決まると、サビーナがリゼットが不在の間のエストカピタールについて説明した。
「皇太子殿下はまだ軟禁されているのだけれど、貴族たちはこの番狂わせをどう収拾するつもりなのかと、毎日のように皇帝皇后両陛下に抗議しているのよ。お二人ものらりくらりとかわしていたけれど、そろそろ限界みたい。
それで、皇后陛下は頻繁にメリザンドを呼び出しているの。社交界ではメリザンドを皇太子妃に据えて全ては終わりとしてしまうつもりらしいと、もっぱらの噂よ」
それは何としても阻止しないといけない。それと同時に、まずやるべきはソンルミエール家の過去の悪事を暴くことだ。そして皇太子は自らが同性愛者であると奇妙な思い違いをしたままだから、それも何とかしなければいけない
これは手分けしてあたるべきだ。額を寄せ合って役割分担を決めると、早速翌日から動くことになった。その夜リゼットは急いで手紙をしたためて、朝一番でメールヴァン家に届けるように使用人に頼んだ。
リゼットからの手紙を受け取ったセブランは、急いで王宮の門まで出かけて行った。そしてリゼットから手短に話を聞き、パメラだけを連れて王宮へ入った。
皇后は呼び寄せた医師たちに息子の治療がどうなっているか報告させたが、どうも芳しくないと聞いて、深く溜息をついた。そこへセブランがパメラを連れてやってきた。
「皇后陛下、これまでいろいろと治療を試してきましたが、どれも効果はありませんでした。そこで新しい方法を提案します。それは音楽療法です。お側で拝見するに、医師たちが躍起になればなるほど、殿下は意固地になっていきます。なので、まず良質な音楽で心を解きほぐし、そのうえで思い違いを少しずつ矯正するのです。さすれば目に見える変化があるかと存じます」
音楽療法がこの世界に存在しているのかどうか、もちろんリゼットには定かではなかったが、セブランとサビーナの話を聞けば、呪いに近いような治療までやっているようなので、この際無茶苦茶だろうと押し通せると判断した。
「でも、歌を聞くだけなんて」
皇后は当然効果を疑った。
「我が国は芸術の国、殿下も幼いころから音楽に親しんでおります。それにご自身は詩を嗜まれる。芸術の崇高さと美しさを理解し、また表現できるということは、つまり殿下お心は他の人間などよりよほど繊細にできているのです。ならば、芸術でその心に訴えかけることができるでしょう。それにパメラ嬢は何といっても天使の歌声ですからね。効果は期待できるかと」
セブランはやや強引に押し切ってパメラをルシアンの部屋へ連れてゆくことに成功した。
朝から医者の治療攻めにあってぐったりしていたルシアンは、新たな来訪者を告げる声に、すわ医者かと身構えたが、部屋に入ってきたのはセブランとパメラだった。
パメラはルシアンとセブランに全ての顛末を語った。ルシアンはへなへなと椅子に座り込み額に手を当てて俯いた。
「ユーグが女だったとは。ではこの大騒動は、まるっきりわたしが思い込みで大騒ぎしていただけではないか。なんて間抜けな。穴があったら入りたい」
この羞恥心は、散策の時に、キトリィが婚約者に内定していると思い込み、皇太子妃は自分で選ぶと宣言した時の比ではない。救いなのはここが私室で、セブランとパメラしかいないことだ。
「恥ずかしいなら、これからは何事も一度疑え。お前はそれくらいでやっとちょうどいいくらいだぞ」
さらに追い打ちをかけるような友人の言葉。しかし有り難い助言だと、ルシアンは胆に銘じた。
それからキトリィとアンリエットを手紙で呼び出し、夕暮れのサンルームで全てを順に話して聞かせた。
「では、あの従者は実は女で、ソフィという名前なのね。しかもフルーレトワール侯爵令嬢だったというわけ」
「なら、皇太子殿下が男が好きだということこそが、勘違いでしたのね」
「でも、フルーレトワール一族には国家反逆の罪があり、その生き残りだと知れたら監獄へ連れていかれる」
「だがそれは濡れ衣で、何者かの、恐らくソンルミエール家の陰謀だという話だ」
「なんてひどいの! その悪者を懲らしめなくちゃだめよ!」
キトリィが勢いよく椅子から立ち上がった。リゼットが己の恋心と嫉妬心に蹴りをつけたことは既に説明していたので、他の友人たちもキトリィと同じくソフィの境遇に同情し、そして憤りを感じていた。
アンリエットは昔の記憶を掘り起こして当時の宮廷の様子を語った。
「13年前といえば、わたくしは14歳でしたから、全てをはっきりと覚えているわけではありませんが、フルーレトワール家の当主は温厚で気取ったところがなく、それゆえに皇帝陛下に気に入られていたようです。それで何かの折に、陛下がフルーレトワール家の娘を将来皇太子殿下に娶せたいと、そんなことをおっしゃったらしいのです。その時すでにメリザンド様は殿下の遊び相手となっておりましたから、ソンルミエール公爵は面白くなかったと。もしかしたら、そういう対立が陰謀の発端となったのかもしれません」
「その娘というのが、ソフィなのですよね。なんだかすごい運命のめぐりあわせね」
「いっぱしの名家が政敵を排除する理由はそれだけではないだろうが。とにかくこれでエテスポワール公爵が陰謀の首謀者である可能性が高まった」
リゼットは深く頷き、仲間たちに向かって語った。
「殿下とソフィは相思相愛よ。わたくしは、あの二人が結ばれることを望みます。でも、二人の前には過去の事件が立ちふさがっているわ。この事件の真相を解き明かして、濡れ衣を晴らし、名誉を回復したいの。そうすればソフィはまた侯爵令嬢にもどって、皇太子妃になれる。でも一人だときっと無理だから、皆に協力してもらいたいの」
陰謀を許せないのは皆同じだったが、貴族たちの権力争いに身を投じる危険性も、よくわかっていた。
「そんなことをして、リゼット様の身にも災いが降りかかるのではないでしょうか。なにせエテスポワール家は名門一族ですから、下手に楯突いたらどうなるか。それが恐ろしいですわ」
パメラの憂いはもっともだった。過去には政敵を暗殺した家なのだ。だがリゼットの決意は揺るがなかった。
「わたくしも恐ろしいわ。こればっかりはもう、妃選びで他のご令嬢の意地悪を躱すのとは全く違うもの。でもこの欺瞞と不正を知ってしまって、見過ごすことはできない。できる限りのことをしたいの。ひとかけらの勇気が、わたしにあるかぎり」
そういうと、真っ先にキトリィが賛同した。
「リゼットさんの言う通りだわ、それに、皆がひとかけらずつ勇気を出したら、七かけらになるんだから心強いったらないわよ。芸術祭の時のように、力を合わせましょう」
「そうですわね。わたくしたちなら、登れない山も渡れない川も、あらゆる障壁を乗り越えられるはずですわ」
「そうですわね。強い力が立ちふさがっても、諦めてはいけませんわね」
全員頼もしく協力を申し出てくれた。リゼットはこの友情に心から感謝した。
話が決まると、サビーナがリゼットが不在の間のエストカピタールについて説明した。
「皇太子殿下はまだ軟禁されているのだけれど、貴族たちはこの番狂わせをどう収拾するつもりなのかと、毎日のように皇帝皇后両陛下に抗議しているのよ。お二人ものらりくらりとかわしていたけれど、そろそろ限界みたい。
それで、皇后陛下は頻繁にメリザンドを呼び出しているの。社交界ではメリザンドを皇太子妃に据えて全ては終わりとしてしまうつもりらしいと、もっぱらの噂よ」
それは何としても阻止しないといけない。それと同時に、まずやるべきはソンルミエール家の過去の悪事を暴くことだ。そして皇太子は自らが同性愛者であると奇妙な思い違いをしたままだから、それも何とかしなければいけない
これは手分けしてあたるべきだ。額を寄せ合って役割分担を決めると、早速翌日から動くことになった。その夜リゼットは急いで手紙をしたためて、朝一番でメールヴァン家に届けるように使用人に頼んだ。
リゼットからの手紙を受け取ったセブランは、急いで王宮の門まで出かけて行った。そしてリゼットから手短に話を聞き、パメラだけを連れて王宮へ入った。
皇后は呼び寄せた医師たちに息子の治療がどうなっているか報告させたが、どうも芳しくないと聞いて、深く溜息をついた。そこへセブランがパメラを連れてやってきた。
「皇后陛下、これまでいろいろと治療を試してきましたが、どれも効果はありませんでした。そこで新しい方法を提案します。それは音楽療法です。お側で拝見するに、医師たちが躍起になればなるほど、殿下は意固地になっていきます。なので、まず良質な音楽で心を解きほぐし、そのうえで思い違いを少しずつ矯正するのです。さすれば目に見える変化があるかと存じます」
音楽療法がこの世界に存在しているのかどうか、もちろんリゼットには定かではなかったが、セブランとサビーナの話を聞けば、呪いに近いような治療までやっているようなので、この際無茶苦茶だろうと押し通せると判断した。
「でも、歌を聞くだけなんて」
皇后は当然効果を疑った。
「我が国は芸術の国、殿下も幼いころから音楽に親しんでおります。それにご自身は詩を嗜まれる。芸術の崇高さと美しさを理解し、また表現できるということは、つまり殿下お心は他の人間などよりよほど繊細にできているのです。ならば、芸術でその心に訴えかけることができるでしょう。それにパメラ嬢は何といっても天使の歌声ですからね。効果は期待できるかと」
セブランはやや強引に押し切ってパメラをルシアンの部屋へ連れてゆくことに成功した。
朝から医者の治療攻めにあってぐったりしていたルシアンは、新たな来訪者を告げる声に、すわ医者かと身構えたが、部屋に入ってきたのはセブランとパメラだった。
パメラはルシアンとセブランに全ての顛末を語った。ルシアンはへなへなと椅子に座り込み額に手を当てて俯いた。
「ユーグが女だったとは。ではこの大騒動は、まるっきりわたしが思い込みで大騒ぎしていただけではないか。なんて間抜けな。穴があったら入りたい」
この羞恥心は、散策の時に、キトリィが婚約者に内定していると思い込み、皇太子妃は自分で選ぶと宣言した時の比ではない。救いなのはここが私室で、セブランとパメラしかいないことだ。
「恥ずかしいなら、これからは何事も一度疑え。お前はそれくらいでやっとちょうどいいくらいだぞ」
さらに追い打ちをかけるような友人の言葉。しかし有り難い助言だと、ルシアンは胆に銘じた。