第八章 恋心 第三話
文字数 3,005文字
リゼットはパメラの宿屋へ向かった。宿の主人の案内で彼女が泊まっている部屋の前へ行くと、中から母親の大声が聞こえてくる。
「だめよ歌手なんて。あなたは皇太子妃になるの。将来は皇后になって、名実ともにこの国一の女になるの。富も名声も全て手に入れるのよ。それがあなたが幸せなのよ。母親のいうことが聞けないなら、そんな娘はわたしの子ではないわ。出て行きなさい!」
と、声が扉まで近づいて来たかと思うと、扉が乱暴に開いて、パメラがつんのめりながら出てきた。娘を部屋の外に押し出した母親は、リゼットを見ると歯を剥いてわめいた。
「あなたのせいで娘はおかしくなったんですからね!」
それから扉のが乱暴に閉められ、リゼットがパメラを支えて茫然としている間に、鞄が一つポイっと廊下に放り出された。
「出て行けって、ここは宿屋よねぇ?」
パメラを励ますつもりでわざと間の抜けたことを言ったのではない。そんな感想しか出てこないほど、あっけにとられていたのだ。
パメラは廊下に放り出された荷物をもって、扉に背を向けた。リゼットはその後に続いて宿を出た。
「母がひどいことを言って申し訳ございません」
「いいのよ。でも、本当に出てきてよかったの? お母様も本当に追い出すつもりなんてないはずよ。今からでも、扉の所に戻って、もう一度話し合った方がいいわ」
「でも、話し合いをした結果がこれですもの」
パメラは両手で鞄を膝の前に下げてトボトボと歩きながら話した。
「わたくし、やっぱり挑戦してみようと思うんです。この前の芸術祭で、歌でリゼット様をお助けできたんです。これまで生きてきて、誰かの役に立ったのは初めてでしたわ。だからやってみる価値はあると思うんです。
それに、そうしたら、母の言いなりではなくて、自分の足で人生を歩んでいけるような気がするんです。リゼット様みたいに」
「ええ、わたくし?」
「そうですわ。リゼット様は困難な状況をご自身の力で切り抜けています。そんなお姿に、わたくし憧れていますの。わたくしにはリゼット様のような才能はないかもしれませんが、少しでも近づきたくて」
買いかぶりすぎとも思うが、面と向かって言われると照れる。しかし今は照れている場合ではない。とにかく彼女は宿屋を出てきてしまったのだ。身の落ち着けどころがない。
とりあえずカミーユの店へ連れて帰ってきた。するとカミーユは一階の工房で新人のお針子たちに仕事を教えていた。芸術祭のあと、ドレスやアクセサリーの注文も増えたし、リゼットが劇場の演目を監督するとなれば、衣装の仕事も来るため、人を補充したのだそうだ。
「うちには余っている部屋ありませんよ。それに御覧の通り、工房も手狭になってきましたから、二階も片付けて作業場にしようと思っているんです。申し訳ありませんが、リゼット様たちはどこか宿に移っていただけないでしょうか。もちろん、そうなったらこれまで家賃とさせていただいていたドレスのデザイン料なんかは、いくらかお渡ししますから」
ノエルはシモンとリゼットの荷物をまとめていた。リゼットまで行く当てがなくなってしまった。
こうなったら、頼るべきは友である。ポーラック家を訊ねて、暫く泊まらせてくれと頼むと、ブランシュは快く受け入れてくれた。サビーナとパメラとリゼット、それにくっついてノエルとシモンもだから、五人の面倒を見ることになったわけだが、部屋が余っているからそれくらいはお安い御用だそうだ。
「カミーユの仕立屋も、人が増えて大変なようね。いっそのこと移転したらどうかしら。けっこう有名になったのに、表通りから外れた所にあるなんて勿体ないもの。大通りの方で空いているところはないかしら。ポーラック家で権利を持っている建物がないか、おじい様に聞いてみるわ」
「でも、そこまでしてもらうなんて悪いわよ」
「いいのよ。それにリゼットが引き受けたら、劇場の衣装の仕事も引き受けるんでしょう。そういえば、それはどうすることにしたの?」
「ええ。そのことでね。引き受けることにしたのよ。せっかくだから。それを言いにパメラに会いに行ったんだけれどね」
何はともあれ二人とも劇場の申し出を引き受けることになったので、約束の三日後である翌日、リゼットはパメラと一緒に劇場へ足を運んだ。
支配人以下、演出家やら何やら偉い人たちがずらずらとできてリゼットを歓迎し、舞台裏に引っ張っていって、早速具体的な話を始めた。
パメラは声楽教師に連れられて、早速レッスンを始めるということだった。
「あのね、一場面は彼女の歌を入れたいと思っているの。入っていきなり主役ってわけにはいかないけれど、一場面だけね」
「もちろん。リゼット様は総合演出監督としてわざわざ来ていただいたのですから、ご意向は可能な限り叶えさせていただきます」
前世では絶対の存在であった演出家が、平身低頭してこちらの意向を全て聞くというのだ。実のところ気分が良かったが、演出に関しては素人なのにこんな待遇は却って申し訳なくもあった。ただ、ラインダンス、ましてレビューショーは他の誰も演出できないのだから、ここは自信をもってやっていくべきだと気持ちを奮い立たせた。
ラインダンスを取り入れた公演を作るということ、ちょうど宝川歌劇のショーを作るようなもの。そういうつもりで演出家と話し合いをした。
「最初の場面は、舞台奥から主役の人がせり上がりで登場して歌うの。前に出てきて、ここでアップテンポになって、周りから人が出てきて、それであの主題歌を歌うんだけど」
といっても、この劇場にいるのはオペラ歌手かバレリーナ、その他は曲芸師や特殊な楽器の演奏家だけであって、歌も踊りもこなせるミュージカル俳優はいない。そのために本物のレビューショーとまったく同じにはできなかった。演出家としては限界のあるリゼットは、劇場の演出家の原案台本を下敷きに、レビュー風味にアレンジするにとどまった。だが、劇場の人間はそれだけでも新鮮に感じるのか、リゼットのアイディアにいちいち驚き、褒めそやした。
「足は頭の高さまでしっかり上げる。角度もタイミングもずれちゃだめよ! それから笑顔!」
平素は演出家や音楽家、振付家たちの意見を尊重して遠慮しているため、腐っても貴族の令嬢、おしとやかなものだと思われていたリゼットだが、ラインダンスの稽古では急にスパルタになるので、当初はバレエ団のひとびとから驚かれていた。それも数日を過ぎると慣れてきて、はい、と生きのいい返事が聞こえてくるようになった。
パメラのレッスンも順調に進んでいるらしい。既に在団しているプリマドンナにいじめられてはいないかと心配していたが、そこは芝居のようにドラマチックではないようだった。
カミーユはブランシュの口利きで、ポーラック家が所有していた一等地にある店舗に移った。そこにはポーラック家御用達の高級な仕立屋が入っていたので、その店と合併する形だった。
レビューショーが形になってくると、劇場はチラシを印刷して都にばらまいた。その謳い文句は大いに人々を引き付けた。
『トレゾールに生まれた新しい芸術! 今年度芸術祭優勝者レーブジャルダン子爵令嬢監修“ラディアント トレゾール” 皇太子殿下を虜にしたラインダンスに乞うご期待!』
文句の下に、短いスカートで足を上げる女性たちのイラストが描かれている。
「だめよ歌手なんて。あなたは皇太子妃になるの。将来は皇后になって、名実ともにこの国一の女になるの。富も名声も全て手に入れるのよ。それがあなたが幸せなのよ。母親のいうことが聞けないなら、そんな娘はわたしの子ではないわ。出て行きなさい!」
と、声が扉まで近づいて来たかと思うと、扉が乱暴に開いて、パメラがつんのめりながら出てきた。娘を部屋の外に押し出した母親は、リゼットを見ると歯を剥いてわめいた。
「あなたのせいで娘はおかしくなったんですからね!」
それから扉のが乱暴に閉められ、リゼットがパメラを支えて茫然としている間に、鞄が一つポイっと廊下に放り出された。
「出て行けって、ここは宿屋よねぇ?」
パメラを励ますつもりでわざと間の抜けたことを言ったのではない。そんな感想しか出てこないほど、あっけにとられていたのだ。
パメラは廊下に放り出された荷物をもって、扉に背を向けた。リゼットはその後に続いて宿を出た。
「母がひどいことを言って申し訳ございません」
「いいのよ。でも、本当に出てきてよかったの? お母様も本当に追い出すつもりなんてないはずよ。今からでも、扉の所に戻って、もう一度話し合った方がいいわ」
「でも、話し合いをした結果がこれですもの」
パメラは両手で鞄を膝の前に下げてトボトボと歩きながら話した。
「わたくし、やっぱり挑戦してみようと思うんです。この前の芸術祭で、歌でリゼット様をお助けできたんです。これまで生きてきて、誰かの役に立ったのは初めてでしたわ。だからやってみる価値はあると思うんです。
それに、そうしたら、母の言いなりではなくて、自分の足で人生を歩んでいけるような気がするんです。リゼット様みたいに」
「ええ、わたくし?」
「そうですわ。リゼット様は困難な状況をご自身の力で切り抜けています。そんなお姿に、わたくし憧れていますの。わたくしにはリゼット様のような才能はないかもしれませんが、少しでも近づきたくて」
買いかぶりすぎとも思うが、面と向かって言われると照れる。しかし今は照れている場合ではない。とにかく彼女は宿屋を出てきてしまったのだ。身の落ち着けどころがない。
とりあえずカミーユの店へ連れて帰ってきた。するとカミーユは一階の工房で新人のお針子たちに仕事を教えていた。芸術祭のあと、ドレスやアクセサリーの注文も増えたし、リゼットが劇場の演目を監督するとなれば、衣装の仕事も来るため、人を補充したのだそうだ。
「うちには余っている部屋ありませんよ。それに御覧の通り、工房も手狭になってきましたから、二階も片付けて作業場にしようと思っているんです。申し訳ありませんが、リゼット様たちはどこか宿に移っていただけないでしょうか。もちろん、そうなったらこれまで家賃とさせていただいていたドレスのデザイン料なんかは、いくらかお渡ししますから」
ノエルはシモンとリゼットの荷物をまとめていた。リゼットまで行く当てがなくなってしまった。
こうなったら、頼るべきは友である。ポーラック家を訊ねて、暫く泊まらせてくれと頼むと、ブランシュは快く受け入れてくれた。サビーナとパメラとリゼット、それにくっついてノエルとシモンもだから、五人の面倒を見ることになったわけだが、部屋が余っているからそれくらいはお安い御用だそうだ。
「カミーユの仕立屋も、人が増えて大変なようね。いっそのこと移転したらどうかしら。けっこう有名になったのに、表通りから外れた所にあるなんて勿体ないもの。大通りの方で空いているところはないかしら。ポーラック家で権利を持っている建物がないか、おじい様に聞いてみるわ」
「でも、そこまでしてもらうなんて悪いわよ」
「いいのよ。それにリゼットが引き受けたら、劇場の衣装の仕事も引き受けるんでしょう。そういえば、それはどうすることにしたの?」
「ええ。そのことでね。引き受けることにしたのよ。せっかくだから。それを言いにパメラに会いに行ったんだけれどね」
何はともあれ二人とも劇場の申し出を引き受けることになったので、約束の三日後である翌日、リゼットはパメラと一緒に劇場へ足を運んだ。
支配人以下、演出家やら何やら偉い人たちがずらずらとできてリゼットを歓迎し、舞台裏に引っ張っていって、早速具体的な話を始めた。
パメラは声楽教師に連れられて、早速レッスンを始めるということだった。
「あのね、一場面は彼女の歌を入れたいと思っているの。入っていきなり主役ってわけにはいかないけれど、一場面だけね」
「もちろん。リゼット様は総合演出監督としてわざわざ来ていただいたのですから、ご意向は可能な限り叶えさせていただきます」
前世では絶対の存在であった演出家が、平身低頭してこちらの意向を全て聞くというのだ。実のところ気分が良かったが、演出に関しては素人なのにこんな待遇は却って申し訳なくもあった。ただ、ラインダンス、ましてレビューショーは他の誰も演出できないのだから、ここは自信をもってやっていくべきだと気持ちを奮い立たせた。
ラインダンスを取り入れた公演を作るということ、ちょうど宝川歌劇のショーを作るようなもの。そういうつもりで演出家と話し合いをした。
「最初の場面は、舞台奥から主役の人がせり上がりで登場して歌うの。前に出てきて、ここでアップテンポになって、周りから人が出てきて、それであの主題歌を歌うんだけど」
といっても、この劇場にいるのはオペラ歌手かバレリーナ、その他は曲芸師や特殊な楽器の演奏家だけであって、歌も踊りもこなせるミュージカル俳優はいない。そのために本物のレビューショーとまったく同じにはできなかった。演出家としては限界のあるリゼットは、劇場の演出家の原案台本を下敷きに、レビュー風味にアレンジするにとどまった。だが、劇場の人間はそれだけでも新鮮に感じるのか、リゼットのアイディアにいちいち驚き、褒めそやした。
「足は頭の高さまでしっかり上げる。角度もタイミングもずれちゃだめよ! それから笑顔!」
平素は演出家や音楽家、振付家たちの意見を尊重して遠慮しているため、腐っても貴族の令嬢、おしとやかなものだと思われていたリゼットだが、ラインダンスの稽古では急にスパルタになるので、当初はバレエ団のひとびとから驚かれていた。それも数日を過ぎると慣れてきて、はい、と生きのいい返事が聞こえてくるようになった。
パメラのレッスンも順調に進んでいるらしい。既に在団しているプリマドンナにいじめられてはいないかと心配していたが、そこは芝居のようにドラマチックではないようだった。
カミーユはブランシュの口利きで、ポーラック家が所有していた一等地にある店舗に移った。そこにはポーラック家御用達の高級な仕立屋が入っていたので、その店と合併する形だった。
レビューショーが形になってくると、劇場はチラシを印刷して都にばらまいた。その謳い文句は大いに人々を引き付けた。
『トレゾールに生まれた新しい芸術! 今年度芸術祭優勝者レーブジャルダン子爵令嬢監修“ラディアント トレゾール” 皇太子殿下を虜にしたラインダンスに乞うご期待!』
文句の下に、短いスカートで足を上げる女性たちのイラストが描かれている。