第五章 仮面舞踏会 第六話
文字数 3,008文字
広い工房ではない。メリザンドは作業の手を止めてこちらを見つめるリゼットたちに目をとめた。
「あ、あの、これはその、仮面にどのような装飾をつけるか、見本を見ながら決めていたところですの」
流石に社交界一の淑女であるメリザンドに、工房の職人の真似事をしています、素人が工作した仮面をつけけます、とは言えない。
「そう……。珍しい作りですわね。針金を巡らして形作ってありますわ」
「そうなのです。店主が考案した新しい仮面ですのよ。せっかくですから、斬新なものを身に着けたいと思って、店主もこんどの舞踏会でこの仮面を発表するというか、そういう心づもりですの」
「なかなか美しいですわ。やはり最近社交界で流行の店だけありますわね。わたくしも同じ物をお願いできないかしら」
言い訳を疑われなかったことにはほっとしたが、仮面をオーダーされたのには驚き、戸惑った。
「申し訳ありませんが、このとおり小さな店ですから、店主もわたくしたち五人分を作成するので精一杯でして……」
「いいえ! もう一人くらいなら何とかなります。先ほど申し上げたように、これはいわば試作品なのですが、社交界の花であるメリザンド様に身に着けていただければ、これほど光栄なことはございません。さぁ、こちらでご要望を伺いましょう」
断ろうとした途中でカミーユが割り込んできた。商売としては受けた方が利が大きいのは確かだが、作るのはリゼットである。それを目線で訴えても、カミーユはすっぱりと無視して、帳面を持ってきて、メリザンドの要望を書き取り始めた。不自然にならないよう、リゼットも側でそれを聞いていた。
「ところで、メリザンド様は何のお花ですの? 赤い仮面にするということは、赤いお色の花なのでしょうけど」
「あら、候補者同士がそれを明かしてしまったらいけませんわ」
(作る時、参考にしたかった……)
メリザンドは希望をあらかた話すと、よろしくと言い残して店を後にした。
「どうしよう、メリザンド様の仮面も作らなくちゃいけないなんて。自分の仮面も完成していないし、他の皆のも手伝わなくちゃいけないのに」
「いっそ手抜きの粗悪品を掴ませてやればいいだろう」
シモンは二階で耳をそばだてていたらしい。降りてきて投げやりにそんなことを言った。
「できるわけないじゃない。メリザンド様に恥をかかせるなんて。それにそんなことしたこの店の評判にもかかわるわ」
「流石はお人好しのリゼット様だ。それじゃあ、わたしの仮面もよろしく頼むぞ。今回の舞踏会は親族も参加できるから、上手くいくように付き添ってやる」
「ええ!」
そこでまた店の扉が開いた。
「あれ、あの時の可愛い従者さん」
現れたのは、散策で知り合った皇太子つきの従者ユーグ。
「実は、この店に仮面をお願いしたくて……」
「まさか、皇太子殿下の?」
「いいえ。わたしのです。仮面舞踏会は日ごろ忠勤な使用人も参加できるのです。この度は皇帝皇后両陛下並びに皇太子殿下のご厚意で、参加を許されました。それで近頃評判のこの店に頼もうかと。きっとわたしでも手が届く価格かとも思ったのですが」
仮面の評判が皇太子の耳に入るかもしれないと、カミーユは大喜びでその話も受けてしまった。リゼットは余計に三つも仮面を作る羽目になった。
「こだわりは特にないのです。使用人の身ですから、あまり華美になりすぎないようにしていただけたらと」
幸いユーグの仮面はさほど苦労せずに作れそうだ。
「そう? あなたには可愛いのが似合うと思うけれど」
「可愛い? とんでもない! くれぐれもご令嬢方がお好みになるような色やデザインはおやめください。男らしくて、でもごつすぎないように上品で、格式高く、とにかくかっこいいのにしてください」
「……こだわりは無いんじゃなかったかしら」
可愛いと言われたのが心外だったらしい。ユーグはぷりぷりと怒って、注文を済ませるとすぐに店を出て行ってしまった。
そんなユーグの様子を微笑ましく見送ると、リゼットは大きく伸びをした。これから忙しくなる。
「大丈夫ですわ! わたくしたちも手伝うもの」
と言ってくれるのは頼もしいが、ブランシュの手元にあるものは形がぐにゃぐにゃして仮面の体を成していなかった。壊滅的に不器用である。
(こりゃ、徹夜だわ)
しかし、元々細かい作業は得意だ。ここは腕の見せ所と、まずは自分の仮面に取り掛かる。
ユーグは店を出て、まっすぐに王宮へと戻った。先ほどの仮面はユーグが身に着けるのではない。皇太子がつけるのだ。
事の発端は昨夜、就寝前にルシアンから、令嬢たちの間で皇太子がトルコ石のサルタンの仮面を着用するという噂が広がっていると相談された。
「わたしは元々アメシストを埋め込み藤の花を模してある仮面をつける予定だった。建国記念の行事でもあるので、国石と国花があしらわれたものが妥当だからな。噂はまったく的外れだから問題ないのだが、どうしてそんな噂が流れたのか気になっている。
そもそもサルタンの仮面はあまり好きではなくて使っていなかったから、令嬢たちが存在を知っているとは思えない。私がどんな仮面を持っているか知っている何者かが、わざとこの噂を流して、多くの令嬢たちを欺いているのではと思うのだ」
ユーグは息をのんだ。これが謀略だとは微塵も考えていなかったが、言われてみれば怪しい。
では噂を流したのは誰か。ルシアンの推理が正しければ、ルシアンと親しく、他の令嬢を欺き特定の令嬢に便宜を図ろうとする人間だ。
「わたしはセブランを疑っている。先日、舞踏会について話した時に、私がどの仮面をかぶるか教えたから」
「でもセブラン様は、ご令嬢たちを見極めるための殿下の計画に、協力してくださることになったではありませんか。リアーヌ嬢のために、殿下を裏切るはずがありません」
「疑いたくはないが、家のこととなると、あいつも友情を捨てねばならぬ場合もある」
ルシアンはベッドに腰掛けて絨毯を見つめていた。親友さえも疑わなければいけないとは、その立場ゆえの苦悩にユーグは深く同情した。
「何にせよ、その策略に乗せられてはいけない。令嬢たちを見極める例の計画が台無しになるからな。そこでお前に頼みがある。どこかで仮面をもう一つ作ってきてほしい。こっそりと、誰にも知られないように。当日はそれをつける。セブランには気まぐれで計画を変更した振ふりをするんだ」
「それで、セブラン様の反応を見て、確かめると?」
「……あくまで謀略を回避するためだ。セブランを試したいのではない。試して潔白だったらわたしが辛い。もし潔白でなければより辛い。だから真実は追及したくないのだ。頼む。最近は母上もわたしの動向を気にしていて迂闊に動けない」
ユーグは深く頷いた。こうして、人に知られずに仮面を作れそうな工房をと思い、カミーユの店へ行ったのだった。
(もともと仮面は作っていないと聞いていたのに、リゼット嬢を始めキトリィ王女様の仮面まで請け負っていたとは。しかも店に入る前にすれ違ったのはメリザンド様の馬車だった。人に知られないようにと思っていたのに。受け取りに来るとき鉢合わせしないよう注意しなくては)
同時に、セブランと三人で協力して行う計画の準備もある。加えて、皇太子の着用する衣服も準備しなければならないし、使用人として会場の準備にも携わる。仮面舞踏会まで、彼も大忙しだった。
「あ、あの、これはその、仮面にどのような装飾をつけるか、見本を見ながら決めていたところですの」
流石に社交界一の淑女であるメリザンドに、工房の職人の真似事をしています、素人が工作した仮面をつけけます、とは言えない。
「そう……。珍しい作りですわね。針金を巡らして形作ってありますわ」
「そうなのです。店主が考案した新しい仮面ですのよ。せっかくですから、斬新なものを身に着けたいと思って、店主もこんどの舞踏会でこの仮面を発表するというか、そういう心づもりですの」
「なかなか美しいですわ。やはり最近社交界で流行の店だけありますわね。わたくしも同じ物をお願いできないかしら」
言い訳を疑われなかったことにはほっとしたが、仮面をオーダーされたのには驚き、戸惑った。
「申し訳ありませんが、このとおり小さな店ですから、店主もわたくしたち五人分を作成するので精一杯でして……」
「いいえ! もう一人くらいなら何とかなります。先ほど申し上げたように、これはいわば試作品なのですが、社交界の花であるメリザンド様に身に着けていただければ、これほど光栄なことはございません。さぁ、こちらでご要望を伺いましょう」
断ろうとした途中でカミーユが割り込んできた。商売としては受けた方が利が大きいのは確かだが、作るのはリゼットである。それを目線で訴えても、カミーユはすっぱりと無視して、帳面を持ってきて、メリザンドの要望を書き取り始めた。不自然にならないよう、リゼットも側でそれを聞いていた。
「ところで、メリザンド様は何のお花ですの? 赤い仮面にするということは、赤いお色の花なのでしょうけど」
「あら、候補者同士がそれを明かしてしまったらいけませんわ」
(作る時、参考にしたかった……)
メリザンドは希望をあらかた話すと、よろしくと言い残して店を後にした。
「どうしよう、メリザンド様の仮面も作らなくちゃいけないなんて。自分の仮面も完成していないし、他の皆のも手伝わなくちゃいけないのに」
「いっそ手抜きの粗悪品を掴ませてやればいいだろう」
シモンは二階で耳をそばだてていたらしい。降りてきて投げやりにそんなことを言った。
「できるわけないじゃない。メリザンド様に恥をかかせるなんて。それにそんなことしたこの店の評判にもかかわるわ」
「流石はお人好しのリゼット様だ。それじゃあ、わたしの仮面もよろしく頼むぞ。今回の舞踏会は親族も参加できるから、上手くいくように付き添ってやる」
「ええ!」
そこでまた店の扉が開いた。
「あれ、あの時の可愛い従者さん」
現れたのは、散策で知り合った皇太子つきの従者ユーグ。
「実は、この店に仮面をお願いしたくて……」
「まさか、皇太子殿下の?」
「いいえ。わたしのです。仮面舞踏会は日ごろ忠勤な使用人も参加できるのです。この度は皇帝皇后両陛下並びに皇太子殿下のご厚意で、参加を許されました。それで近頃評判のこの店に頼もうかと。きっとわたしでも手が届く価格かとも思ったのですが」
仮面の評判が皇太子の耳に入るかもしれないと、カミーユは大喜びでその話も受けてしまった。リゼットは余計に三つも仮面を作る羽目になった。
「こだわりは特にないのです。使用人の身ですから、あまり華美になりすぎないようにしていただけたらと」
幸いユーグの仮面はさほど苦労せずに作れそうだ。
「そう? あなたには可愛いのが似合うと思うけれど」
「可愛い? とんでもない! くれぐれもご令嬢方がお好みになるような色やデザインはおやめください。男らしくて、でもごつすぎないように上品で、格式高く、とにかくかっこいいのにしてください」
「……こだわりは無いんじゃなかったかしら」
可愛いと言われたのが心外だったらしい。ユーグはぷりぷりと怒って、注文を済ませるとすぐに店を出て行ってしまった。
そんなユーグの様子を微笑ましく見送ると、リゼットは大きく伸びをした。これから忙しくなる。
「大丈夫ですわ! わたくしたちも手伝うもの」
と言ってくれるのは頼もしいが、ブランシュの手元にあるものは形がぐにゃぐにゃして仮面の体を成していなかった。壊滅的に不器用である。
(こりゃ、徹夜だわ)
しかし、元々細かい作業は得意だ。ここは腕の見せ所と、まずは自分の仮面に取り掛かる。
ユーグは店を出て、まっすぐに王宮へと戻った。先ほどの仮面はユーグが身に着けるのではない。皇太子がつけるのだ。
事の発端は昨夜、就寝前にルシアンから、令嬢たちの間で皇太子がトルコ石のサルタンの仮面を着用するという噂が広がっていると相談された。
「わたしは元々アメシストを埋め込み藤の花を模してある仮面をつける予定だった。建国記念の行事でもあるので、国石と国花があしらわれたものが妥当だからな。噂はまったく的外れだから問題ないのだが、どうしてそんな噂が流れたのか気になっている。
そもそもサルタンの仮面はあまり好きではなくて使っていなかったから、令嬢たちが存在を知っているとは思えない。私がどんな仮面を持っているか知っている何者かが、わざとこの噂を流して、多くの令嬢たちを欺いているのではと思うのだ」
ユーグは息をのんだ。これが謀略だとは微塵も考えていなかったが、言われてみれば怪しい。
では噂を流したのは誰か。ルシアンの推理が正しければ、ルシアンと親しく、他の令嬢を欺き特定の令嬢に便宜を図ろうとする人間だ。
「わたしはセブランを疑っている。先日、舞踏会について話した時に、私がどの仮面をかぶるか教えたから」
「でもセブラン様は、ご令嬢たちを見極めるための殿下の計画に、協力してくださることになったではありませんか。リアーヌ嬢のために、殿下を裏切るはずがありません」
「疑いたくはないが、家のこととなると、あいつも友情を捨てねばならぬ場合もある」
ルシアンはベッドに腰掛けて絨毯を見つめていた。親友さえも疑わなければいけないとは、その立場ゆえの苦悩にユーグは深く同情した。
「何にせよ、その策略に乗せられてはいけない。令嬢たちを見極める例の計画が台無しになるからな。そこでお前に頼みがある。どこかで仮面をもう一つ作ってきてほしい。こっそりと、誰にも知られないように。当日はそれをつける。セブランには気まぐれで計画を変更した振ふりをするんだ」
「それで、セブラン様の反応を見て、確かめると?」
「……あくまで謀略を回避するためだ。セブランを試したいのではない。試して潔白だったらわたしが辛い。もし潔白でなければより辛い。だから真実は追及したくないのだ。頼む。最近は母上もわたしの動向を気にしていて迂闊に動けない」
ユーグは深く頷いた。こうして、人に知られずに仮面を作れそうな工房をと思い、カミーユの店へ行ったのだった。
(もともと仮面は作っていないと聞いていたのに、リゼット嬢を始めキトリィ王女様の仮面まで請け負っていたとは。しかも店に入る前にすれ違ったのはメリザンド様の馬車だった。人に知られないようにと思っていたのに。受け取りに来るとき鉢合わせしないよう注意しなくては)
同時に、セブランと三人で協力して行う計画の準備もある。加えて、皇太子の着用する衣服も準備しなければならないし、使用人として会場の準備にも携わる。仮面舞踏会まで、彼も大忙しだった。