第九章 エストカピタールにて 第一話
文字数 2,999文字
夜道を馬車は首都エスカリエめがけて飛ぶように走った。それでも間に合うかどうかわからない。馬車の中の一同は揺れに耐えながら、真っ暗な窓の外にうっすら見える景色が後ろへと流れてゆくのを見つめるしかなかった。
「とにかく、間に合うことに賭けるしかないんだ。お前は寝ておけ。茶会でひどい顔をしていたのでは台無しだからな」
「こんな状況で眠れると思う? それに急いでいるから馬車がかなり揺れるし」
「つべこべ言わずに寝るんだ」
シモンは無理やりリゼットの頭を隣の自分の膝の上に引き倒した。いわゆる膝枕だ。ノエルが見たら羨ましがられるだろうが、生憎馬車の揺れがシモンの太腿にも伝わるので、あまり頭が安定せず、寝心地がいいとは言えなかった。
「いくら大きな街道だとはいっても、夜道は危険だ。盗賊が出るかもしれないからな」
「と、盗賊! 襲われたらどう切り抜けましょう」
「急いで出たから金目の物はないし、リゼット一人逃げおおせた所で、徒歩では七月二日にはとても間にあわないだろう。その時点で終りだ」
「出くわさないことを祈るしかありませんわね」
シモンとパメラのやり取りが子守唄になって、無理やり目をつぶったリゼットは徐々に眠りの世界へ入っていった。
明け方、バタバタという音で目を覚ました。空は既に白んでいたが、大粒の雨が馬車の屋根や扉に当たって大きな音を立てている。だんだんと雨は強くなり、風も雷も加わって嵐になった。
馬車の足は自然と鈍った。だが、御者は懸命に馬車を走らせた。ブランシュがポーラック家の者をつけてくれたおかげだ。現地の雇われ者だったら、もう馬車を止めてしまっていただろう。にもかかわらずシモンはイライラして文句を言うので、リゼットはその脇腹を小突いて黙らせた。パメラは両手を膝の上で組んで、嵐が収まるよう神に祈っていた。
ちょうど正午ごろ、街道筋にある宿場町に到着すると雨は弱まっていた。ここで馬を交換する。僅かな時間でシモンはパンとソーセージを手にいれた。急いで頬張っていると馬車が走り出した。
たっぷりまぐさを食んで待機していた馬は元気いっぱいで、小雨が心地よいと言わんばかりに軽快に走った。食べ物を食べたせいでリゼットは少し気分が悪くなったが、遠くの景色を見たり、またシモンに膝枕してもらったりして、なんとか乗り切った。その間、シモンは地図とにらめっこしていた。
「嵐には遭ったが、夜通し駆けたおかげで早めに宿場町を通過できたな。雨も止んできたことだし、更に急いで通常二日目の夜に通過する宿場町に明日の午前中に到着していれば、三日後の早朝には首都に到着できるはずだ」
馬車は更に速度を上げた。通り過ぎる馬車や荷馬車の主たちは、何事かと奇異な目を疾走る馬車に向けた。途中道のぬかるみに車輪が取られたが、三人で力を合わせて馬車を持ち上げ、また走り出した。
「ちょっと服が汚れちゃったわね」
「エスカリエに着いたら仕立屋に寄って出来合いのドレスを借りましょう」
リゼットとパメラはハンカチで互いの衣服の泥汚れをぬぐった。
しかし泥だらけになった甲斐もあり、翌日のまだ陽も出ていない早朝に、二つ目の宿場町に到着した。また馬を変えて馬車は走った。これで間に合いそうだと、三人はいくらか安心した。夜が明けると今日は晴天で、太陽が街道のぬかるみを乾かすように照り付けた。
明るくなると同時に周りに馬車や荷馬車が増えてきた。首都に近付いている証拠だ。リゼットが馬車の外を見ていると、突然、道の両脇の木々が動きを止めた。
「なぜ止まるんだ」
シモンが扉を開けて御者をどやしに行ったが、それより先に馬車が進まない理由が目に入った。なんと、左右の森林から大きな木が何本も倒れて道をふさいでいたのだ。他の荷馬車も立往生している。
「きっと昨日の嵐で倒れたんでさぁ。参ったね、急いで都へ行かにゃならんのに」
荷馬車を御していた農夫がシモンと御者に向かって言った。リゼットたちも外に出て、その惨状を目の当たりにし、茫然とした。
「どうしよう。せっかく順調にいっていたのに。嵐ではこういうことも起きうるって考えてもいなかったわ」
するとシモンは鼻を鳴らして、倒れた木を指さした。
「何が嵐のせいだ。よく見ろ、この滑らかな断面を。どの木も根元から同じくらいの高さから倒れている。左右から交差するように倒れているのも不自然だ。風はある程度同じ方向に吹くだろう。きっと何者かが途中まで斧で傷つけて。ちょっとした風でも倒れるようにしたんだ」
これも皇后の妨害なのだろうか。しかし今は恨みや嘆きに浸っている時ではない。人々が力を合わせて木をどけようとしているが、ずいぶん時間がかかりそうだ。申し訳ないがリゼットたちは回り道して首都へ向かうことにした。時間を無駄にした上に、往来の少ない小さな道を行くので、馬車も思うように速度が出せない。
「くそっ! じれったくてかなわん」
シモンは苛立ち、しかしどうすることもできずに足を組みかえたり、腕を組んだりしていた。リゼットもハラハラしながら窓の外の景色を眺めていた。
すると、馬車が急に止まって大きく揺れた。
「今度はなんだ!」
シモンが御者を怒鳴ると、御者から怯えきった悲鳴が聞こえた。
「旦那様、盗賊でございます!」
リゼットは思わずパメラと抱き合って震え上がった。
皇后が避暑地での妃選びの前に、急遽茶会を開くと言い出したのは、都の社交界にも驚きをもたらした。
(時間きっかりに到着しなければ失格ですって。なるほど、国立劇場の封鎖は茶会とセットになった策略ということね。これなら皇后がリゼットを失格にする大義名分ができる。メリザンドは周到だわ)
ローズは招待状からこの謀略の真相を知った。だからといってリゼットを助けようなどとは思わない。むしろメリザンドの謀略に便乗するべきとすら考えていた。
(だって皇太子殿下が熱を上げているのはリゼットだけだもの。彼女を排除すれば、残りはお心をかけてもらっていない人ばかり、却って平等になるわ。メリザンドだって袖にされているのだから、ここでうまく立ち回れば殿下のお心を掴める)
ローズはすぐさま家人を呼び出して、何やら耳打ちした。彼は頷いて屋敷を出ると、ごろつきのたまり場へ行って金で人を集め、宿場町と都をつなぐいくつかの道に分かれて埋伏するよう言いつけた。
同じようにリアーヌも手を打っていた。
(芸術祭では助けられたけれど、結局名を挙げたのはリゼットただ一人だったのだから、わたくしたちはむしろ利用されたとも言えるわ。いずれにせよ妃選びで最も強大な敵は彼女よ。なんとかして失格にしてやるわ)
都では空模様から近々嵐が来ると言われていた。リアーヌは家の人間に秘密裏に金を握らせ、人を集めるように言った。彼らはひっそりと都から宿場町の間の街道へ行って、木に切り倒す直前まで斧を置いれた。そして予想通りやってきた嵐によって、何本もの倒木ができたのだった。
メリザンドは、この二人の動きを全て知っていた。
(やはり二人ともこの機に乗じて動いてくれたわね。二人のおかげでこちらの手間が省けて良いわ。今頃リゼットは倒木に行く手を阻まれて、迂回した道で盗賊に遭って、都へたどり着けなくなっているはずだわ)
夕日が差し込む部屋で明日の茶会のドレスを選びながら、メリザンドは怪しく微笑んだ。
「とにかく、間に合うことに賭けるしかないんだ。お前は寝ておけ。茶会でひどい顔をしていたのでは台無しだからな」
「こんな状況で眠れると思う? それに急いでいるから馬車がかなり揺れるし」
「つべこべ言わずに寝るんだ」
シモンは無理やりリゼットの頭を隣の自分の膝の上に引き倒した。いわゆる膝枕だ。ノエルが見たら羨ましがられるだろうが、生憎馬車の揺れがシモンの太腿にも伝わるので、あまり頭が安定せず、寝心地がいいとは言えなかった。
「いくら大きな街道だとはいっても、夜道は危険だ。盗賊が出るかもしれないからな」
「と、盗賊! 襲われたらどう切り抜けましょう」
「急いで出たから金目の物はないし、リゼット一人逃げおおせた所で、徒歩では七月二日にはとても間にあわないだろう。その時点で終りだ」
「出くわさないことを祈るしかありませんわね」
シモンとパメラのやり取りが子守唄になって、無理やり目をつぶったリゼットは徐々に眠りの世界へ入っていった。
明け方、バタバタという音で目を覚ました。空は既に白んでいたが、大粒の雨が馬車の屋根や扉に当たって大きな音を立てている。だんだんと雨は強くなり、風も雷も加わって嵐になった。
馬車の足は自然と鈍った。だが、御者は懸命に馬車を走らせた。ブランシュがポーラック家の者をつけてくれたおかげだ。現地の雇われ者だったら、もう馬車を止めてしまっていただろう。にもかかわらずシモンはイライラして文句を言うので、リゼットはその脇腹を小突いて黙らせた。パメラは両手を膝の上で組んで、嵐が収まるよう神に祈っていた。
ちょうど正午ごろ、街道筋にある宿場町に到着すると雨は弱まっていた。ここで馬を交換する。僅かな時間でシモンはパンとソーセージを手にいれた。急いで頬張っていると馬車が走り出した。
たっぷりまぐさを食んで待機していた馬は元気いっぱいで、小雨が心地よいと言わんばかりに軽快に走った。食べ物を食べたせいでリゼットは少し気分が悪くなったが、遠くの景色を見たり、またシモンに膝枕してもらったりして、なんとか乗り切った。その間、シモンは地図とにらめっこしていた。
「嵐には遭ったが、夜通し駆けたおかげで早めに宿場町を通過できたな。雨も止んできたことだし、更に急いで通常二日目の夜に通過する宿場町に明日の午前中に到着していれば、三日後の早朝には首都に到着できるはずだ」
馬車は更に速度を上げた。通り過ぎる馬車や荷馬車の主たちは、何事かと奇異な目を疾走る馬車に向けた。途中道のぬかるみに車輪が取られたが、三人で力を合わせて馬車を持ち上げ、また走り出した。
「ちょっと服が汚れちゃったわね」
「エスカリエに着いたら仕立屋に寄って出来合いのドレスを借りましょう」
リゼットとパメラはハンカチで互いの衣服の泥汚れをぬぐった。
しかし泥だらけになった甲斐もあり、翌日のまだ陽も出ていない早朝に、二つ目の宿場町に到着した。また馬を変えて馬車は走った。これで間に合いそうだと、三人はいくらか安心した。夜が明けると今日は晴天で、太陽が街道のぬかるみを乾かすように照り付けた。
明るくなると同時に周りに馬車や荷馬車が増えてきた。首都に近付いている証拠だ。リゼットが馬車の外を見ていると、突然、道の両脇の木々が動きを止めた。
「なぜ止まるんだ」
シモンが扉を開けて御者をどやしに行ったが、それより先に馬車が進まない理由が目に入った。なんと、左右の森林から大きな木が何本も倒れて道をふさいでいたのだ。他の荷馬車も立往生している。
「きっと昨日の嵐で倒れたんでさぁ。参ったね、急いで都へ行かにゃならんのに」
荷馬車を御していた農夫がシモンと御者に向かって言った。リゼットたちも外に出て、その惨状を目の当たりにし、茫然とした。
「どうしよう。せっかく順調にいっていたのに。嵐ではこういうことも起きうるって考えてもいなかったわ」
するとシモンは鼻を鳴らして、倒れた木を指さした。
「何が嵐のせいだ。よく見ろ、この滑らかな断面を。どの木も根元から同じくらいの高さから倒れている。左右から交差するように倒れているのも不自然だ。風はある程度同じ方向に吹くだろう。きっと何者かが途中まで斧で傷つけて。ちょっとした風でも倒れるようにしたんだ」
これも皇后の妨害なのだろうか。しかし今は恨みや嘆きに浸っている時ではない。人々が力を合わせて木をどけようとしているが、ずいぶん時間がかかりそうだ。申し訳ないがリゼットたちは回り道して首都へ向かうことにした。時間を無駄にした上に、往来の少ない小さな道を行くので、馬車も思うように速度が出せない。
「くそっ! じれったくてかなわん」
シモンは苛立ち、しかしどうすることもできずに足を組みかえたり、腕を組んだりしていた。リゼットもハラハラしながら窓の外の景色を眺めていた。
すると、馬車が急に止まって大きく揺れた。
「今度はなんだ!」
シモンが御者を怒鳴ると、御者から怯えきった悲鳴が聞こえた。
「旦那様、盗賊でございます!」
リゼットは思わずパメラと抱き合って震え上がった。
皇后が避暑地での妃選びの前に、急遽茶会を開くと言い出したのは、都の社交界にも驚きをもたらした。
(時間きっかりに到着しなければ失格ですって。なるほど、国立劇場の封鎖は茶会とセットになった策略ということね。これなら皇后がリゼットを失格にする大義名分ができる。メリザンドは周到だわ)
ローズは招待状からこの謀略の真相を知った。だからといってリゼットを助けようなどとは思わない。むしろメリザンドの謀略に便乗するべきとすら考えていた。
(だって皇太子殿下が熱を上げているのはリゼットだけだもの。彼女を排除すれば、残りはお心をかけてもらっていない人ばかり、却って平等になるわ。メリザンドだって袖にされているのだから、ここでうまく立ち回れば殿下のお心を掴める)
ローズはすぐさま家人を呼び出して、何やら耳打ちした。彼は頷いて屋敷を出ると、ごろつきのたまり場へ行って金で人を集め、宿場町と都をつなぐいくつかの道に分かれて埋伏するよう言いつけた。
同じようにリアーヌも手を打っていた。
(芸術祭では助けられたけれど、結局名を挙げたのはリゼットただ一人だったのだから、わたくしたちはむしろ利用されたとも言えるわ。いずれにせよ妃選びで最も強大な敵は彼女よ。なんとかして失格にしてやるわ)
都では空模様から近々嵐が来ると言われていた。リアーヌは家の人間に秘密裏に金を握らせ、人を集めるように言った。彼らはひっそりと都から宿場町の間の街道へ行って、木に切り倒す直前まで斧を置いれた。そして予想通りやってきた嵐によって、何本もの倒木ができたのだった。
メリザンドは、この二人の動きを全て知っていた。
(やはり二人ともこの機に乗じて動いてくれたわね。二人のおかげでこちらの手間が省けて良いわ。今頃リゼットは倒木に行く手を阻まれて、迂回した道で盗賊に遭って、都へたどり着けなくなっているはずだわ)
夕日が差し込む部屋で明日の茶会のドレスを選びながら、メリザンドは怪しく微笑んだ。