第五章 仮面舞踏会 第一話
文字数 2,960文字
夕日が差し込む部屋の中で、セブランは腹を抱えて大笑いしていた。
「あの時のお前の顔といったら傑作だったぞ」
ルシアンはテーブルに肘をつき両手を組んで、その後ろに顔を隠すようにしている。空になったカップに紅茶を注ぐユーグも、口元がゆがむのを必死にこらえていた。
ルシアンとキトリィの間に縁談など存在しなかった。
「皇太子妃選びに参加する目的は、第五王女様が格式高いトレゾールの宮廷で礼儀作法を学ぶこと。国内ではどうしても気が緩んでしまいますので、環境を変えて、王女に相応しい淑女のふるまいを身に着けるのです。
国王陛下は王女様をとてもかわいがっておいでですので、まだ結婚はお考えではありません。まぁ、審査の結果王女様が選ばれたというなら、それは改めて考えるとのことですが、その、王女様はこの通り非常にお若く、えー、学ぶべきことが多うございますので、国一番の淑女と認められるかどうかは、これは未知数と言いますか」
大使は婉曲に言っているが、つまりはキトリィは甘やかされて育ち礼儀作法も何もかもなっていないので、皇太子妃選びに参加させて教育するということだった。国内だと国王がつい甘やかしてしまい、教育ができないようだ。
婚姻が決まっているから王女がやってきたというのは、まったくの早とちりだったのだ。それなのに、公衆の面前であんな宣言をしてしまったから、ルシアンの恥ずかしさといったらない。
「笑うな、お前たちだって勘違いしていたではないか」
「そうですね。リヴェール国王からの親書にも、王女様が未熟だからと書いてあったのでしょうが、それをはっきり言ってしまえば、友好国の王女様を侮辱したことになりかねず、皇帝陛下も皇后陛下も、詳しくお話にならなかった。それでてっきり正式な婚姻の申し出なのだと」
「それにしても、あんなふうに宣言することはあるまいに」
「う、うるさい。王女とのことは早とちだったが、なんにせよ皇太子妃はわたしが自らの意思で選ぶのだと、朝廷の者たちや令嬢たちにわからせることができただろう」
「わかった。もう笑わんよ。その様子だと、あの方とのことも決着がついたようだな」
ちらりと目線をくれると、ユーグが笑顔で頷いていたので、己の直感は当たったようだと、セブランも安心した。
二人の生暖かい視線がこそばゆくて、ルシアンは二人を部屋から追い出した。セブランはその足で控えの間へ向かった。
そこには、散策のあとずっと残っていたリアーヌがいた。
「どうやらルシアンは過去の恋にけりをつけたようだ。安心しなさい。これまで通り妃選びに参加していればいい」
「でも、殿下はご自身のお心に従って選ぶおつもりとか。メールヴァン家の縁者という強味も、意味を失くしてしまうのでは」
リアーヌは不安を口にした。
「大丈夫、君はとても魅力的だ。それにルシアンも、まさか全てをすっかり無視してしまうなんてことはしないだろうからね」
セブランは笑みを浮かべてリアーヌの腰に手を添えて王宮を後にした。
同じころ、リゼットたちはブランシュの屋敷に集まってお喋りしていた。
「まさか正式な婚姻はないなんて、思いもしなかったわ」
「そうね。私もてっきり王女様が皇太子妃に決まってしまったのだとばかり」
早とちりをしていたのはルシアンだけではなかった。皇太子妃候補のほとんど、それだけではなく社交界の全ての人が勘違いしていた。
「でも皇太子殿下って、なんというか、素直で愛すべきところがおありなのね。あんなに顔を真っ赤にするなんて」
外見の麗しさも相まって、別世界の存在のように思えていたが、人間らしいところを垣間見られて、リゼットは少し安心した。同じ世界の住人であるなら、何とか友好を深めることもできよう。
「でも、驚いたわ。リゼットは王女様とすっかり仲良くなってしまったのね」
あのあと、散策は予定通り行われたが、キトリィはリゼットにべったりで、最後まで一緒に花を見て回ることになった。
「王女様が懐くのはわかります。リゼット様はお優しくて、お姉さまみたいに感じられるんですもの。最初の審査の時に、わたくしひどい格好をしていたのですけど、それを直してくださったのです。他の候補の事なんて放っておけばいいのに」
「パメラ、そのことは……」
パメラが出会ったときのことをブランシュたちに話して聞かせたため、リゼットが針と糸をもって仕立屋よろしくドレスを直したことも、美容師よろしくヘアセットしたことも、知られてしまった。
しかし、ブランシュとサビーナは驚きこそすれ、馬鹿にすることはなかった。
「わたくしのチョーカーもあなたが手ずからアレンジしてくださったのね! もともとおばあ様との思い出の品でしたけど、あなたが心を込めて作ってくれたことで、もっと大切なものになったわ。ドレスのデザインもしているなんて素晴らしいわ」
「デザインといっても、本当に素人のお絵かきなのよ。仕立屋のおかげで形になっているけれど……」
「わたくしもあなたのデザインしたドレスを着たい。だってとってもお洒落なんですもの。ねぇ、仕立屋にお願いすることはできるかしら? サビーナもどう?」
「リゼットのドレスは素敵だけれど、わたくしにはちょっと」
「大丈夫! リゼットならあなたに合わせてドレスを作ってくださいますわ。ねぇ、皆で劇場の新演目の初日に、それを着て行きませんこと?」
ここのところ古典の再演ばかりだった劇場に、遂に新作がかかるらしい。散策でもあちこちで話題になっていた。
「わたくし王女様から、ご一緒しないかと誘われているの」
アンリエットが言うには、芸術文化に触れて教養を身につけるのも、立派な淑女になるために必要だとか。
「同じ席で見られなくても、みんなで一緒に出掛けましょうよ。ね、パメラも一緒に」
「え、ええ……」
パメラが言い淀んだ理由がリゼットにはピンときた。チケット代が出せないのだろう。リゼットのチケット代は王女が持ってくれるので心配はなかったが、一応後で確認したら、払える金額ではなかった。いわゆるボックス席だから尚更なのだろうが。
確かパメラは昼食会で、歌がいい演目が好きだと言っていた。新作の音楽は有名な戯曲作曲家が担っているとか。きっと観たいはずだ。
「よろしければ王女様にもう一人ご一緒させてほしいとお願いするわ」
「本当に? ご迷惑でなければ、お願いしたいですわ」
「それじゃあ決まりですわね。 明日早速仕立屋にお邪魔しましょう!」
ブランシュはすっかりその気になっていた。余計な仕事を増やしてカミーユは文句を言うのではないかと思ったが、意外にもすんなりと承諾してくれたばかりか、翌日張り切って友人たちの採寸をし、他の注文を後回しにしてまでリゼットたちのドレス作りにとりかかった。
「あの後もアクセサリーの手直しの依頼が来て、結構な儲けになっているんですよ。きっとアクセサリーだけじゃなくて、ドレスも社交界でウケるはず。だから皆さんに身に着けて社交界の集まりで宣伝してもらうんです。これで俺の店も繁盛間違いなし」
リゼットのちょっとしたセンスの良さに商機を見出したのだった。
何はともあれ、カミーユのおかげでリゼットは衣服に困ることはなくなった。王女もパメラの同行を快く聞き入れてくれた。
「あの時のお前の顔といったら傑作だったぞ」
ルシアンはテーブルに肘をつき両手を組んで、その後ろに顔を隠すようにしている。空になったカップに紅茶を注ぐユーグも、口元がゆがむのを必死にこらえていた。
ルシアンとキトリィの間に縁談など存在しなかった。
「皇太子妃選びに参加する目的は、第五王女様が格式高いトレゾールの宮廷で礼儀作法を学ぶこと。国内ではどうしても気が緩んでしまいますので、環境を変えて、王女に相応しい淑女のふるまいを身に着けるのです。
国王陛下は王女様をとてもかわいがっておいでですので、まだ結婚はお考えではありません。まぁ、審査の結果王女様が選ばれたというなら、それは改めて考えるとのことですが、その、王女様はこの通り非常にお若く、えー、学ぶべきことが多うございますので、国一番の淑女と認められるかどうかは、これは未知数と言いますか」
大使は婉曲に言っているが、つまりはキトリィは甘やかされて育ち礼儀作法も何もかもなっていないので、皇太子妃選びに参加させて教育するということだった。国内だと国王がつい甘やかしてしまい、教育ができないようだ。
婚姻が決まっているから王女がやってきたというのは、まったくの早とちりだったのだ。それなのに、公衆の面前であんな宣言をしてしまったから、ルシアンの恥ずかしさといったらない。
「笑うな、お前たちだって勘違いしていたではないか」
「そうですね。リヴェール国王からの親書にも、王女様が未熟だからと書いてあったのでしょうが、それをはっきり言ってしまえば、友好国の王女様を侮辱したことになりかねず、皇帝陛下も皇后陛下も、詳しくお話にならなかった。それでてっきり正式な婚姻の申し出なのだと」
「それにしても、あんなふうに宣言することはあるまいに」
「う、うるさい。王女とのことは早とちだったが、なんにせよ皇太子妃はわたしが自らの意思で選ぶのだと、朝廷の者たちや令嬢たちにわからせることができただろう」
「わかった。もう笑わんよ。その様子だと、あの方とのことも決着がついたようだな」
ちらりと目線をくれると、ユーグが笑顔で頷いていたので、己の直感は当たったようだと、セブランも安心した。
二人の生暖かい視線がこそばゆくて、ルシアンは二人を部屋から追い出した。セブランはその足で控えの間へ向かった。
そこには、散策のあとずっと残っていたリアーヌがいた。
「どうやらルシアンは過去の恋にけりをつけたようだ。安心しなさい。これまで通り妃選びに参加していればいい」
「でも、殿下はご自身のお心に従って選ぶおつもりとか。メールヴァン家の縁者という強味も、意味を失くしてしまうのでは」
リアーヌは不安を口にした。
「大丈夫、君はとても魅力的だ。それにルシアンも、まさか全てをすっかり無視してしまうなんてことはしないだろうからね」
セブランは笑みを浮かべてリアーヌの腰に手を添えて王宮を後にした。
同じころ、リゼットたちはブランシュの屋敷に集まってお喋りしていた。
「まさか正式な婚姻はないなんて、思いもしなかったわ」
「そうね。私もてっきり王女様が皇太子妃に決まってしまったのだとばかり」
早とちりをしていたのはルシアンだけではなかった。皇太子妃候補のほとんど、それだけではなく社交界の全ての人が勘違いしていた。
「でも皇太子殿下って、なんというか、素直で愛すべきところがおありなのね。あんなに顔を真っ赤にするなんて」
外見の麗しさも相まって、別世界の存在のように思えていたが、人間らしいところを垣間見られて、リゼットは少し安心した。同じ世界の住人であるなら、何とか友好を深めることもできよう。
「でも、驚いたわ。リゼットは王女様とすっかり仲良くなってしまったのね」
あのあと、散策は予定通り行われたが、キトリィはリゼットにべったりで、最後まで一緒に花を見て回ることになった。
「王女様が懐くのはわかります。リゼット様はお優しくて、お姉さまみたいに感じられるんですもの。最初の審査の時に、わたくしひどい格好をしていたのですけど、それを直してくださったのです。他の候補の事なんて放っておけばいいのに」
「パメラ、そのことは……」
パメラが出会ったときのことをブランシュたちに話して聞かせたため、リゼットが針と糸をもって仕立屋よろしくドレスを直したことも、美容師よろしくヘアセットしたことも、知られてしまった。
しかし、ブランシュとサビーナは驚きこそすれ、馬鹿にすることはなかった。
「わたくしのチョーカーもあなたが手ずからアレンジしてくださったのね! もともとおばあ様との思い出の品でしたけど、あなたが心を込めて作ってくれたことで、もっと大切なものになったわ。ドレスのデザインもしているなんて素晴らしいわ」
「デザインといっても、本当に素人のお絵かきなのよ。仕立屋のおかげで形になっているけれど……」
「わたくしもあなたのデザインしたドレスを着たい。だってとってもお洒落なんですもの。ねぇ、仕立屋にお願いすることはできるかしら? サビーナもどう?」
「リゼットのドレスは素敵だけれど、わたくしにはちょっと」
「大丈夫! リゼットならあなたに合わせてドレスを作ってくださいますわ。ねぇ、皆で劇場の新演目の初日に、それを着て行きませんこと?」
ここのところ古典の再演ばかりだった劇場に、遂に新作がかかるらしい。散策でもあちこちで話題になっていた。
「わたくし王女様から、ご一緒しないかと誘われているの」
アンリエットが言うには、芸術文化に触れて教養を身につけるのも、立派な淑女になるために必要だとか。
「同じ席で見られなくても、みんなで一緒に出掛けましょうよ。ね、パメラも一緒に」
「え、ええ……」
パメラが言い淀んだ理由がリゼットにはピンときた。チケット代が出せないのだろう。リゼットのチケット代は王女が持ってくれるので心配はなかったが、一応後で確認したら、払える金額ではなかった。いわゆるボックス席だから尚更なのだろうが。
確かパメラは昼食会で、歌がいい演目が好きだと言っていた。新作の音楽は有名な戯曲作曲家が担っているとか。きっと観たいはずだ。
「よろしければ王女様にもう一人ご一緒させてほしいとお願いするわ」
「本当に? ご迷惑でなければ、お願いしたいですわ」
「それじゃあ決まりですわね。 明日早速仕立屋にお邪魔しましょう!」
ブランシュはすっかりその気になっていた。余計な仕事を増やしてカミーユは文句を言うのではないかと思ったが、意外にもすんなりと承諾してくれたばかりか、翌日張り切って友人たちの採寸をし、他の注文を後回しにしてまでリゼットたちのドレス作りにとりかかった。
「あの後もアクセサリーの手直しの依頼が来て、結構な儲けになっているんですよ。きっとアクセサリーだけじゃなくて、ドレスも社交界でウケるはず。だから皆さんに身に着けて社交界の集まりで宣伝してもらうんです。これで俺の店も繁盛間違いなし」
リゼットのちょっとしたセンスの良さに商機を見出したのだった。
何はともあれ、カミーユのおかげでリゼットは衣服に困ることはなくなった。王女もパメラの同行を快く聞き入れてくれた。