第三章 皇太子妃候補たち 第二話
文字数 2,975文字
うららかな春のある日、トレゾール帝国の首都エスカリエは、祝いの雰囲気に包まれていた。祝砲が鳴らされ、大通りには出店が出て、公園には大道芸の一座がやってきて、ジャグリングを披露している。
首都の中央にある、純白と紫で彩られた上品なヴィオレ宮殿の前には、美麗な馬車がひっきりなしにやってきていた。馬車からは着飾った若い娘たちが次々と降り立ち、花がほころび始めた庭園を通って宮殿へと吸い込まれていく。
今日は建国500年の年の始まりを祝う日で、祝日と定められていた。そして、建国記念の催しの一つである皇太子妃選びの最初の審査の日でもあった。国中から集まった令嬢たちが、指定された宮殿の広間へと歩を進める。色とりどりのドレスを着て、髪を結いあげ、薄く化粧した彼女たちの姿は、春に咲き誇る花のようであった。
そこへ、古びた馬車が王宮へと近付いてきた。まわりの装飾が去れた美しい馬車と比べて、ずいぶん質素だ。王宮の前に止まると、中からピンク色のドレスを着た令嬢と、濃い紫の礼服を着た若者が現れた。リゼットとシモンである。
「この馬車、浮いてるわよね。恥ずかしい」
「これしかないんだから仕方ないだろう。馬車は審査対象ではないから平気だ」
リゼットのドレスは様変わりしていた。袖のふくらみが抑えられて、幅の太いドレープのリボンも取り払われ、たっぷりしたフリルのレースも控えめになっている。
昨夜は大慌てだった。いざ皇太子選びに参加するとなったのに、着てゆくドレスがないのだから。
シモンはカミーユの店にある出来あいのドレスを買い求めようとした。しかしカミーユは、都の大貴族の女性相手の商売をしているので、どのドレスも高価で、シモンの手持ちでは買えなかった。ノエルは半額で貸してもらえないかと食い下がったが、そこは大切な商品である。万が一汚されでもしたらたまらないと、カミーユは首を縦に振らなかった。
万事休す。シモンは頭を抱えてソファに座り込んだ。流行おくれのドレスを着て行ったら、大層やぼったい田舎者に見えるだろう。審査を行う王宮に出入りする貴婦人や皇后付きの侍女たちから見れば、それだけで皇太子妃に相応しくないと断じられてしまう。
(ああ、意気揚々と故郷を出たというのに、ドレス一着が用意できなかったために、わたしの野望は潰え、明るい未来が閉ざされるとは)
シモンはすっかり諦めて嘆き始めた。だが、リゼットは違った。一人果敢に立ち上がり、何とかすると言ってのけたのだ。
「とにかく、このドレスを明日までに何とかしないといけないのよね。このデザイン画を参考にして、アレンジするしかないわ。カミーユさん、お裁縫道具を貸してくださる? それからデザイン画をもっと見せてほしいんだけど。アレンジのヒントにしたいし、髪型とかメイクとかも、流行に合わせないといけないから」
「それは構いませんけど、まさかお嬢様が裁縫をするつもりで? 針と糸を持って、繕い物をしたことがおありですか?」
カミーユは驚きを通り越して、ぎょっとして訊ねた。
「お洋服は作ったことないけど、もうやるしかないわよ。手先は器用だし、稽古スカートにレースをつけたことはあるから、何とかなると思う」
自信はなかった。だが、皇太子妃の座を射止めるためにここへ来たのに、最初の段階で失格になるわけにはいかない。リゼットは貸してもらった針と糸を使って、ドレスを改造し始めた。
カミーユのデザイン画を参考に、まず、野暮ったいと言われた濃いピンクのドレープしたリボンと、大ぶりなレースを取ってしまう。
それから大きく膨らんだ袖の布を、タックを寄せるように縫ってボリュームを押さえた。そして取ったレースを細く切って、縫い目に沿わせた。レースはドレープを取ったスカートの針目を誤魔化すのにも使った。たっぷり寄っていたギャザーを解いて、平たいレースブレードのようにすれば、流行のドレスに使われているのと大差ない。濃いピンクの布も細く切って縫い合わせ、胸元の部分の上から下まで等間隔に、V字型に縫い付けた。
ボタン付けやほつれ直しどころではない大掛かりな作業だった。リゼットはノエルに手伝ってもらいながら、徹夜で作業し、古ぼけたドレスをなんとかして流行のドレスに近づけた。
淡いピンクに繊細なレースが細くシーチングされて、そういう模様の布のように見える。胸元と手首にある濃いピンクの色がアクセントになっていて、袖はほんの少しボリュームがある程度に抑えられ、適度に華やかさを演出している。
やっと終わったと思ったのも束の間、リゼットはさらに、残った生地を使って衣服と揃いの髪飾りまで作り始めた。細長い生地にぐし縫いをして、糸を引っ張りギャザーを寄せ、クルクルと巻くと、小さな薔薇の花のような形になる。これをいくつか作ってヘアピンに縫い留めた。
早速完成したドレスをノエルに着せてもらう。
「次は髪をやらなきゃね。えーっと、コテは……ないわよね」
リゼットの髪はもともとゆるくウェーブしているが、前世ではヘアアレンジ前にヘアアイロンで髪を巻くのは必須だったので、巻かないと心もとない。
何かヘアアイロンに代わるものは無いか。探し回って見つけたのは一階の暖炉の火かき棒だった。ちょうどカミーユが火を起こして朝食の準備をしていたので、先にぼろ布で拭いてから、火のそばで温めさせてもらった。余り熱しすぎては髪が焦げてしまうので、適度な温度を見極めて引き上げる。そして髪を一房取って、火かき棒に巻き付けた。いつも使っていた電気のヘアアイロンとは勝手が違うので、火傷しないように慎重に手を動かす。いつものように上手く巻けなかったが、毛先だけでも丸まっていたほうがアレンジしやすい。
ノエルと相談して、シモンのデザイン画に書かれた女性の絵から出来そうで綺麗な髪型を選び、実際に真似てみた。後頭部の髪を編みこんで、そのまま毛先まで三つ編みし、小さく平たい土台のお団子を作る。残った毛束を少しずつ取って、ひねりながら土台に集めてシニョンにする。ひねった部分は少しほぐしてボリュームを出す。最後にバランスを見ながら、作ったヘアピンを散らすように飾れば完成だ。
アクセサリーはそこまで華美でなくてもいいので、持ってきた中から真珠のイヤリングと、これまた残った布で作ったチョーカーをつけた。
「これで何とか様になったんじゃないかしら」
全てが終わったころには、もう午前十時を回っていた。
「徹夜でドレスを改良して、その上アクセサリーやヘアセットまでこなすなんて。いやぁ、随分と根性のあるお嬢様ですね。普通の貴族のご令嬢なら、おろおろするだけで終わっていたでしょうに」
カミーユは心底感心して言った。
一晩の急ごしらえにしては、十分な出来栄えである。しかも髪飾りやチョーカーも含めて、妙にセンスがいい。元は農民だから、針仕事くらいはできるのかもしれないが、見た目の良さも考慮されているところは、ただの繕い物と一蹴できない。普通の貴族のご令嬢よろしく何もできなかったシモンは、リゼットの妙な才能に舌を巻いた。
「とにかく、これで外見はどうにか整った。もう時間がない。宮殿へ向かうぞ」
なにもできなかったシモンも一張羅ともいえる礼服を着てリゼットを連れて宮殿へ出発した。
首都の中央にある、純白と紫で彩られた上品なヴィオレ宮殿の前には、美麗な馬車がひっきりなしにやってきていた。馬車からは着飾った若い娘たちが次々と降り立ち、花がほころび始めた庭園を通って宮殿へと吸い込まれていく。
今日は建国500年の年の始まりを祝う日で、祝日と定められていた。そして、建国記念の催しの一つである皇太子妃選びの最初の審査の日でもあった。国中から集まった令嬢たちが、指定された宮殿の広間へと歩を進める。色とりどりのドレスを着て、髪を結いあげ、薄く化粧した彼女たちの姿は、春に咲き誇る花のようであった。
そこへ、古びた馬車が王宮へと近付いてきた。まわりの装飾が去れた美しい馬車と比べて、ずいぶん質素だ。王宮の前に止まると、中からピンク色のドレスを着た令嬢と、濃い紫の礼服を着た若者が現れた。リゼットとシモンである。
「この馬車、浮いてるわよね。恥ずかしい」
「これしかないんだから仕方ないだろう。馬車は審査対象ではないから平気だ」
リゼットのドレスは様変わりしていた。袖のふくらみが抑えられて、幅の太いドレープのリボンも取り払われ、たっぷりしたフリルのレースも控えめになっている。
昨夜は大慌てだった。いざ皇太子選びに参加するとなったのに、着てゆくドレスがないのだから。
シモンはカミーユの店にある出来あいのドレスを買い求めようとした。しかしカミーユは、都の大貴族の女性相手の商売をしているので、どのドレスも高価で、シモンの手持ちでは買えなかった。ノエルは半額で貸してもらえないかと食い下がったが、そこは大切な商品である。万が一汚されでもしたらたまらないと、カミーユは首を縦に振らなかった。
万事休す。シモンは頭を抱えてソファに座り込んだ。流行おくれのドレスを着て行ったら、大層やぼったい田舎者に見えるだろう。審査を行う王宮に出入りする貴婦人や皇后付きの侍女たちから見れば、それだけで皇太子妃に相応しくないと断じられてしまう。
(ああ、意気揚々と故郷を出たというのに、ドレス一着が用意できなかったために、わたしの野望は潰え、明るい未来が閉ざされるとは)
シモンはすっかり諦めて嘆き始めた。だが、リゼットは違った。一人果敢に立ち上がり、何とかすると言ってのけたのだ。
「とにかく、このドレスを明日までに何とかしないといけないのよね。このデザイン画を参考にして、アレンジするしかないわ。カミーユさん、お裁縫道具を貸してくださる? それからデザイン画をもっと見せてほしいんだけど。アレンジのヒントにしたいし、髪型とかメイクとかも、流行に合わせないといけないから」
「それは構いませんけど、まさかお嬢様が裁縫をするつもりで? 針と糸を持って、繕い物をしたことがおありですか?」
カミーユは驚きを通り越して、ぎょっとして訊ねた。
「お洋服は作ったことないけど、もうやるしかないわよ。手先は器用だし、稽古スカートにレースをつけたことはあるから、何とかなると思う」
自信はなかった。だが、皇太子妃の座を射止めるためにここへ来たのに、最初の段階で失格になるわけにはいかない。リゼットは貸してもらった針と糸を使って、ドレスを改造し始めた。
カミーユのデザイン画を参考に、まず、野暮ったいと言われた濃いピンクのドレープしたリボンと、大ぶりなレースを取ってしまう。
それから大きく膨らんだ袖の布を、タックを寄せるように縫ってボリュームを押さえた。そして取ったレースを細く切って、縫い目に沿わせた。レースはドレープを取ったスカートの針目を誤魔化すのにも使った。たっぷり寄っていたギャザーを解いて、平たいレースブレードのようにすれば、流行のドレスに使われているのと大差ない。濃いピンクの布も細く切って縫い合わせ、胸元の部分の上から下まで等間隔に、V字型に縫い付けた。
ボタン付けやほつれ直しどころではない大掛かりな作業だった。リゼットはノエルに手伝ってもらいながら、徹夜で作業し、古ぼけたドレスをなんとかして流行のドレスに近づけた。
淡いピンクに繊細なレースが細くシーチングされて、そういう模様の布のように見える。胸元と手首にある濃いピンクの色がアクセントになっていて、袖はほんの少しボリュームがある程度に抑えられ、適度に華やかさを演出している。
やっと終わったと思ったのも束の間、リゼットはさらに、残った生地を使って衣服と揃いの髪飾りまで作り始めた。細長い生地にぐし縫いをして、糸を引っ張りギャザーを寄せ、クルクルと巻くと、小さな薔薇の花のような形になる。これをいくつか作ってヘアピンに縫い留めた。
早速完成したドレスをノエルに着せてもらう。
「次は髪をやらなきゃね。えーっと、コテは……ないわよね」
リゼットの髪はもともとゆるくウェーブしているが、前世ではヘアアレンジ前にヘアアイロンで髪を巻くのは必須だったので、巻かないと心もとない。
何かヘアアイロンに代わるものは無いか。探し回って見つけたのは一階の暖炉の火かき棒だった。ちょうどカミーユが火を起こして朝食の準備をしていたので、先にぼろ布で拭いてから、火のそばで温めさせてもらった。余り熱しすぎては髪が焦げてしまうので、適度な温度を見極めて引き上げる。そして髪を一房取って、火かき棒に巻き付けた。いつも使っていた電気のヘアアイロンとは勝手が違うので、火傷しないように慎重に手を動かす。いつものように上手く巻けなかったが、毛先だけでも丸まっていたほうがアレンジしやすい。
ノエルと相談して、シモンのデザイン画に書かれた女性の絵から出来そうで綺麗な髪型を選び、実際に真似てみた。後頭部の髪を編みこんで、そのまま毛先まで三つ編みし、小さく平たい土台のお団子を作る。残った毛束を少しずつ取って、ひねりながら土台に集めてシニョンにする。ひねった部分は少しほぐしてボリュームを出す。最後にバランスを見ながら、作ったヘアピンを散らすように飾れば完成だ。
アクセサリーはそこまで華美でなくてもいいので、持ってきた中から真珠のイヤリングと、これまた残った布で作ったチョーカーをつけた。
「これで何とか様になったんじゃないかしら」
全てが終わったころには、もう午前十時を回っていた。
「徹夜でドレスを改良して、その上アクセサリーやヘアセットまでこなすなんて。いやぁ、随分と根性のあるお嬢様ですね。普通の貴族のご令嬢なら、おろおろするだけで終わっていたでしょうに」
カミーユは心底感心して言った。
一晩の急ごしらえにしては、十分な出来栄えである。しかも髪飾りやチョーカーも含めて、妙にセンスがいい。元は農民だから、針仕事くらいはできるのかもしれないが、見た目の良さも考慮されているところは、ただの繕い物と一蹴できない。普通の貴族のご令嬢よろしく何もできなかったシモンは、リゼットの妙な才能に舌を巻いた。
「とにかく、これで外見はどうにか整った。もう時間がない。宮殿へ向かうぞ」
なにもできなかったシモンも一張羅ともいえる礼服を着てリゼットを連れて宮殿へ出発した。