第七章 芸術祭 第九話
文字数 2,992文字
三日間踊り通しで、いよいよ芸術祭当日を迎えた。芸術祭は建国500年にちなんだ演目を上演したあの劇場で行われる。
客席の一階の最前列には審査員である芸術家が並んで座り、その後ろには皇帝や皇后をはじめとする皇族や貴族たちが座る。その他の席は、文化人や劇場専属の歌手や踊り子たち、そして一般の観客が埋め尽くした、
令嬢たちにはそれぞれ数人で一部屋の楽屋が割り当てられた。彼女たちはきらびやかな衣装にを包み、演奏のウォーミングアップをしたり、絵画を見せあって、虚しい褒め合いをしたりして出番を待っていた。
七人で合作となったリゼットたちは全員で一つの楽屋を割り振られた。早速今朝完成した衣装に袖を通してみる。上半身はサテンを使ったレオタードになっていて、胸から腰まで一直線にリボンの編み上げの装飾がある。スカートはお尻が隠れるくらいの長さでふわふわした柔らかい布が重ねられている。ジゼルの衣装が青色だったので、他の六人の衣装も、色味や質感が異なっているが青系で統一されていた。
「わたくしはピアノを弾くだけなのに、この衣装を着なくていはいけませんの?」
かぼちゃパンツをはいて、膝でリボンを縛って止める靴下を穿いているが、それでも足が丸見えという感覚はなくならないようで、サビーナは赤面していた。
「お客様の前に出るんだから、統一感があったほうがいいの。スカートついてるんだからマシよ」
宝川ではハイレグレオタードに網タイツなんて衣装もあるのだから。
リゼットはノエルと手分けして全員の髪をバレリーナのようにひっつめのお団子にした。ロケットではヘッドドレスと一体化したかつらをかぶることが多いが、そこまで準備できなかったので、シンプルな髪型にした。前髪を上げると不細工になるとか、整髪料でガチガチで窮屈だと文句を言われたが全て無視した。
ヘッドドレスは大きな皿のような円盤に適当にギャザーしたリボンを丸く這わせて花のように装飾してあった、その後ろに噴水のように羽飾りがついている。固定するためのリボンを顔の横に来るように結ぶ。
化粧は舞台に上がるので普段よりも濃いめにした。全員セルフでやってもらったが、流石は社交界で妍を競う令嬢たち、化粧の技術はすばらしく、見事にメイクアップされた。
彼女たちが準備している間にも、他の令嬢たちは次々と演奏や絵画を披露していた。審査員たちはそれぞれ出来栄えに応じて、笑顔を見せたり顔をしかめたり、隣の審査員と小声で意見を交わしながら手元の紙に評価を書きつけていた。
そして満を持してメリザンドが登場した。他の令嬢たちが赤や黄色と華やかな色合いのドレスを身にまとう中、彼女は真っ黒なドレスで登場した。髪も結い上げずさらりと流したままで、金髪の隙間から覗く黒曜石のイヤリングだけが光を放っていた。全く飾り立てていない装いだったが、それがかえってメリザンドの美しさを際立たせ、それでいてどこか仄暗さを醸し出し、一瞬で観客を釘付けにした。
メリザンドは片手に詩を書き留めた紙を持ち、舞台の真ん中にあるハープの横に立った。両目で皇后の隣にいるルシアンを射貫くように見つめる。ルシアンはどきりとして身じろぎした。メリザンドはすっと息を吸うと、詩を語り始めた、
どうぞお忘れになって 風に散り川を流れる花弁のように わたしはあなたの手を取ることができない
どうぞお忘れになって 波にさらわれる貝殻のように わたしはなたを抱きしめることはできない
あの春の日 ともにそよ風に揺られ あの夏の日 ともに日差しに目を細めた
それは朝日とともに目覚めるように 何も特別でないのだから
あなたはお忘れになれるのね 痛みも悲しみもなく
美しい風景を愛でるでもなく、瑞々しい感動を謳うでもなく、その詩にこもっているのは哀切と暗い情念だった。令嬢が作るにはあまりにも暗い、しかし真に迫った詩で、気付けば誰もが引き付けられ、集中して耳を傾けていた。
わたしはあなたの言葉であり 歩みであり 笑いであり 眠りであった
あなたはお忘れになっても 苦しみも哀しみもない
わたしは忘れ去られましょう 痛みも苦しみ哀しみが この身を引き裂こうとも
あなたが望むなら 遠い霧の向こうへ消えてゆきましょう
あなたの言葉と歩みと笑い そして眠りとともに 生命とともに
それであなたが涙を流しても 全ては遅すぎるのです
ルシアンの背には一筋の汗が流れた。歌うように詩を口ずさむメリザンドの瞳は、ずっとルシアンを貫いていた。この詩はルシアンへの恨みと慕情だった。幼いころから側にいた自分を捨てるのは、当たり前の生命活動を捨てること、即ち生を捨てることと同じだと訴えているのだ。
詩が終わるころには劇場は静まり返り、彼女の死の世界に支配されていた。
メリザンドが立ち上がって一礼すると、割れんばかりの拍手が彼女を包んだ。
「素晴らしい。作者の感情が心に流れ込むような見事な詩だった」
「心に迫って来るものがありました。感動しない者はいないでしょう」
審査員たちの言葉はお世辞ではない。完全に彼女の感情に芸場が支配されている。
(めっちゃ出にくいんですど!)
次はリゼットたちだった。しかも急遽合作にした影響で一番最後になってしまった。メリザンドの鬼気迫る詩の後で能天気なラインダンスなんて、客席がしらけきってしまうのではないか。
「いいえ、もうやるしかないのよ。むしろトリに相応しく盛り上げるわ。行くわよみんな!」
メリザンドが退場した舞台に、サビーナが登場してピアノの前に座る。観客は彼女の露出の多い衣装、特に足に釘付けになっていた。その視線を無視してサビーナはピアノを弾き始める。
「遥か時のかなた 紡ぎ続けた夢 果てなく広がり 世界は虹に染まる 七色の光絶やさず 歌い続け 踊り続け 新たな地平を目指し」
パメラが歌いながら上手から登場する。ゆっくりとしたメロディーが徐々にアップテンポになる。歌が終わる前に、上手からリアーヌ、ローズ、キトリィが、下手からブランシュ、リゼットが、腰に手を当て、しっかりと腿を上げて足踏みしながら登場し、ピアノの前に一列に並ぶ。
曲が転調して明るくなると、パメラはリゼットとブランシュの間に入る。それと同時にキトリィが上手の端から飛び出すように出てきて、下手側へ向かって側転やバック転、Y字バランスなどを披露する。この間、後ろに並んだメンバーは左右で入れ替わったり、ちょっと足を前に出したり、上体を傾けたりと、簡単な動作をきっちり揃えておこなう。
キトリィが下手に着くと、入れ替わるようにリゼットが躍り出る、ジゼルのバリエーションの要素をこの曲に合うように編成した。片足立ちでもう片方の足を持ち上げてつま先をくるくる回しながら移動したり、小さく回転しながら舞台を移動する。
キトリィとリゼットにはパラパラと拍手が起こった。観客はあっけにとられながらも乗ってきているようだった。リゼットは列の真ん中に入ると、右手をブランシュと、左手をリアーヌとつないで、いよいよ足上げに入った。
全員、足の痛みも疲労もないかのような笑顔で、音楽に合わせて足を上げる。客席からは、少しずつ手拍子がおこった。見ると端っこの方にいたシモンとノエルが先導してくれていた。足上げが終わるころには、多くの観客が手拍子を送ってくれた。
客席の一階の最前列には審査員である芸術家が並んで座り、その後ろには皇帝や皇后をはじめとする皇族や貴族たちが座る。その他の席は、文化人や劇場専属の歌手や踊り子たち、そして一般の観客が埋め尽くした、
令嬢たちにはそれぞれ数人で一部屋の楽屋が割り当てられた。彼女たちはきらびやかな衣装にを包み、演奏のウォーミングアップをしたり、絵画を見せあって、虚しい褒め合いをしたりして出番を待っていた。
七人で合作となったリゼットたちは全員で一つの楽屋を割り振られた。早速今朝完成した衣装に袖を通してみる。上半身はサテンを使ったレオタードになっていて、胸から腰まで一直線にリボンの編み上げの装飾がある。スカートはお尻が隠れるくらいの長さでふわふわした柔らかい布が重ねられている。ジゼルの衣装が青色だったので、他の六人の衣装も、色味や質感が異なっているが青系で統一されていた。
「わたくしはピアノを弾くだけなのに、この衣装を着なくていはいけませんの?」
かぼちゃパンツをはいて、膝でリボンを縛って止める靴下を穿いているが、それでも足が丸見えという感覚はなくならないようで、サビーナは赤面していた。
「お客様の前に出るんだから、統一感があったほうがいいの。スカートついてるんだからマシよ」
宝川ではハイレグレオタードに網タイツなんて衣装もあるのだから。
リゼットはノエルと手分けして全員の髪をバレリーナのようにひっつめのお団子にした。ロケットではヘッドドレスと一体化したかつらをかぶることが多いが、そこまで準備できなかったので、シンプルな髪型にした。前髪を上げると不細工になるとか、整髪料でガチガチで窮屈だと文句を言われたが全て無視した。
ヘッドドレスは大きな皿のような円盤に適当にギャザーしたリボンを丸く這わせて花のように装飾してあった、その後ろに噴水のように羽飾りがついている。固定するためのリボンを顔の横に来るように結ぶ。
化粧は舞台に上がるので普段よりも濃いめにした。全員セルフでやってもらったが、流石は社交界で妍を競う令嬢たち、化粧の技術はすばらしく、見事にメイクアップされた。
彼女たちが準備している間にも、他の令嬢たちは次々と演奏や絵画を披露していた。審査員たちはそれぞれ出来栄えに応じて、笑顔を見せたり顔をしかめたり、隣の審査員と小声で意見を交わしながら手元の紙に評価を書きつけていた。
そして満を持してメリザンドが登場した。他の令嬢たちが赤や黄色と華やかな色合いのドレスを身にまとう中、彼女は真っ黒なドレスで登場した。髪も結い上げずさらりと流したままで、金髪の隙間から覗く黒曜石のイヤリングだけが光を放っていた。全く飾り立てていない装いだったが、それがかえってメリザンドの美しさを際立たせ、それでいてどこか仄暗さを醸し出し、一瞬で観客を釘付けにした。
メリザンドは片手に詩を書き留めた紙を持ち、舞台の真ん中にあるハープの横に立った。両目で皇后の隣にいるルシアンを射貫くように見つめる。ルシアンはどきりとして身じろぎした。メリザンドはすっと息を吸うと、詩を語り始めた、
どうぞお忘れになって 風に散り川を流れる花弁のように わたしはあなたの手を取ることができない
どうぞお忘れになって 波にさらわれる貝殻のように わたしはなたを抱きしめることはできない
あの春の日 ともにそよ風に揺られ あの夏の日 ともに日差しに目を細めた
それは朝日とともに目覚めるように 何も特別でないのだから
あなたはお忘れになれるのね 痛みも悲しみもなく
美しい風景を愛でるでもなく、瑞々しい感動を謳うでもなく、その詩にこもっているのは哀切と暗い情念だった。令嬢が作るにはあまりにも暗い、しかし真に迫った詩で、気付けば誰もが引き付けられ、集中して耳を傾けていた。
わたしはあなたの言葉であり 歩みであり 笑いであり 眠りであった
あなたはお忘れになっても 苦しみも哀しみもない
わたしは忘れ去られましょう 痛みも苦しみ哀しみが この身を引き裂こうとも
あなたが望むなら 遠い霧の向こうへ消えてゆきましょう
あなたの言葉と歩みと笑い そして眠りとともに 生命とともに
それであなたが涙を流しても 全ては遅すぎるのです
ルシアンの背には一筋の汗が流れた。歌うように詩を口ずさむメリザンドの瞳は、ずっとルシアンを貫いていた。この詩はルシアンへの恨みと慕情だった。幼いころから側にいた自分を捨てるのは、当たり前の生命活動を捨てること、即ち生を捨てることと同じだと訴えているのだ。
詩が終わるころには劇場は静まり返り、彼女の死の世界に支配されていた。
メリザンドが立ち上がって一礼すると、割れんばかりの拍手が彼女を包んだ。
「素晴らしい。作者の感情が心に流れ込むような見事な詩だった」
「心に迫って来るものがありました。感動しない者はいないでしょう」
審査員たちの言葉はお世辞ではない。完全に彼女の感情に芸場が支配されている。
(めっちゃ出にくいんですど!)
次はリゼットたちだった。しかも急遽合作にした影響で一番最後になってしまった。メリザンドの鬼気迫る詩の後で能天気なラインダンスなんて、客席がしらけきってしまうのではないか。
「いいえ、もうやるしかないのよ。むしろトリに相応しく盛り上げるわ。行くわよみんな!」
メリザンドが退場した舞台に、サビーナが登場してピアノの前に座る。観客は彼女の露出の多い衣装、特に足に釘付けになっていた。その視線を無視してサビーナはピアノを弾き始める。
「遥か時のかなた 紡ぎ続けた夢 果てなく広がり 世界は虹に染まる 七色の光絶やさず 歌い続け 踊り続け 新たな地平を目指し」
パメラが歌いながら上手から登場する。ゆっくりとしたメロディーが徐々にアップテンポになる。歌が終わる前に、上手からリアーヌ、ローズ、キトリィが、下手からブランシュ、リゼットが、腰に手を当て、しっかりと腿を上げて足踏みしながら登場し、ピアノの前に一列に並ぶ。
曲が転調して明るくなると、パメラはリゼットとブランシュの間に入る。それと同時にキトリィが上手の端から飛び出すように出てきて、下手側へ向かって側転やバック転、Y字バランスなどを披露する。この間、後ろに並んだメンバーは左右で入れ替わったり、ちょっと足を前に出したり、上体を傾けたりと、簡単な動作をきっちり揃えておこなう。
キトリィが下手に着くと、入れ替わるようにリゼットが躍り出る、ジゼルのバリエーションの要素をこの曲に合うように編成した。片足立ちでもう片方の足を持ち上げてつま先をくるくる回しながら移動したり、小さく回転しながら舞台を移動する。
キトリィとリゼットにはパラパラと拍手が起こった。観客はあっけにとられながらも乗ってきているようだった。リゼットは列の真ん中に入ると、右手をブランシュと、左手をリアーヌとつないで、いよいよ足上げに入った。
全員、足の痛みも疲労もないかのような笑顔で、音楽に合わせて足を上げる。客席からは、少しずつ手拍子がおこった。見ると端っこの方にいたシモンとノエルが先導してくれていた。足上げが終わるころには、多くの観客が手拍子を送ってくれた。