第十一章 番狂わせのからくり 第四話
文字数 3,013文字
リゼットの希望の光はあえなく消え去った。
「それは、本当に? あれほど親しくさせていただいていたのに、わたくしではないとおっしゃるのですか。 では誰です? 殿下の本当の恋人とは、一体どなたです?」
無礼を承知で問い詰めた。
「これ以上誠実さを欠いてはあなたを侮ることになる。だからはっきりと答えよう。やはりわたしの本当の恋人はユーグだ。わたしが色々と誤解していたことが理解できてもなお、わたしの心を占めるのはあいつだったのだ」
「では、殿下は男を、同性を愛していらっしゃるのですか? だって、殿下はアンリエット様に恋していらっしゃったのですよね」
「それは、確かに憧れを抱いていた。ただ、アンリエットにそれは恋でも愛でもないと否定されてしまった。だから、あれも勘違いであったのかもしれない。そもそもわたしは普段から年頃の令嬢たちと距離を置いていた。皇太子としてスキャンダルを防ぐためであり、相手に余計な期待を抱かせないためにしていると信じていた。だが、いまとなってはそれは女性を愛せないことの表れだったのではないかと」
「では、最初から薄々気が付いていたのに、妃選びを行ったのですか? どうせ誰も選ぶ気がないのに」
「それは違う。妃選びをする時は、まさか女性を愛せないとは思っていなかった。全て今から思えばということだし、それに確たる自信はなにもない。わたしもよくわからないんだ。自分自身がわからないんだ」
ルシアンの語尾は弱弱しく消えた。ずっと異性愛者として生きてきて、今回の事でやっと同性愛者だと気が付いたのだとしたら、混乱するのも無理はないかもしれない。リゼットはルシアンに同情しかけたが、自我がそれを止めた。
「殿下が男を愛する人だったとして、でもユーグさんは違いますわ。殿下があると思った愛情は、あの人の従者としての忠誠でしたのよ」
「そんなことはない。それについては誤解ではないと、信じている」
「では、お確かめになればよろしいのでは? ユーグさんを呼んでは?」
「あいつは……いないそうだ。舞踏会の翌日出て行ったと」
「なら答えは出ているではありませんか」
リゼットはルシアンを追い詰めるように言い放った。
「逃げたのは、殿下のお気持ちに答えられないからでしょう。つまり、彼の本当の恋人は殿下ではないのです。殿下の恋は実らなかったのですよ」
ルシアンの紫の瞳が悲しみに潤んだ。しかし彼はまだユーグから愛されているはずだと言い張った。
リゼットには失恋を認めたくないから意地になっているとしか思えなかった。傷心の彼を虐めるようなことをしていいのかと、良心が痛んだ。かといて、彼を慰めることはできなかった。リゼットの失恋の痛みはほかならぬ彼がもたらしたものだからだ。
「殿下は本当の恋人を諦めるしかないのです。そして、諦めた上で、決めなくてはいけないのです。生涯の伴侶を、未来の皇后たる皇太子妃を」
「そんな……。愛してもいない女性と結婚するなどできない」
「でも、それが叶わない我儘だということは、ご自身が良くおわかりでありませんこと? 常々皇太子としての責任を強く心がけていらっしゃるのですから。
殿下が誰かを選ばなければならないのなら、どういう人がふさわしいか、よくお考えになってください。本当に夫婦となるつもりがないのに、リヴェールの王女様やら、名門貴族のご息女やらを娶って、穏便に終わるわけがありません」
リゼットは緊張して嫌な汗をかきながら、慎重に、しかしはっきりと伝えた。ルシアンはその言外の意味を悟った。
「それはつまり、君と婚姻しろということか? そんなことは……。確かに君のことは才能に溢れ寛容で心優しく、尊敬に値する得難い友人だと思っている。だからこそ、愛していないのに結婚するなどできない。それでは君を不幸にしてしまう」
「殿下、わたくしなら、殿下がこの先どなたか意中の人を見つけても、文句は言いませんわ。本当の夫婦になれなかったとしても、我慢します。だからわたくしを選んでください。ここまでのわたくしの努力と献身と寛容に、どうか見返りを下さい」
いつの間にかリゼットは必至に言い募っていた。彼女が伝えたかったのは、見返りがほしい、この一言だった。
こちらの世界に来てからの努力は前世の比ではなかった。それが報われそるぞという時に、急にはしごを外されたのだ。必死にどこかにつかまろうとするするのは当たり前だった。
(前世では、チャンスのひとかけらだって与えられなかった。努力を強いられても、見返りをもらえない立場だった。その横で、わたしと何も変わらない他の娘役が、新公ヒロイン、別箱ヒロイン、ソロの歌、ダンス、名前のある役、台詞、チャンスを沢山貰っていた。ものにできていようがいまいが、キラキラの衣装を着て前で踊っていたわ。
この世界ではわたしにもチャンスが与えられた。必死に頑張って、わたしはものにした。なら誰に遠慮することはない。堂々と上りつめるべきだわ。それがわたしの望みだったじゃない)
その他大勢の娘役だった頃に抱いていた鬱屈を、この世界でまた抱くなどまっぴらごめんだ。リゼットは皇太子妃となることが、己の求めていた見返りだと、ここへきてひどく執着していた。
ルシアンは自らの失恋の心の揺らぎを抑え込み、リゼットの肩に手を置いて、そっと言い聞かせた。
「君がいいと言っても、わたしは承知しない。仮面夫婦でいいから地位が欲しいなんて、君らしくない。失恋の痛みに耐えかねて、現実から目を背けて、皇太子妃になることに意地になっているようだ」
「殿下に言われたくありませんわ」
「そうかもしれない。だが、混乱して冷静さを欠いている君の言葉を聞き入れるわけにはいかない。それに先ほども言った通り、わたしは君を大切だと思っているからこそ、愛していないのに一緒になるつもりはない。いつか新たに君を愛する人が現れて、君もその新しい人を愛するようになって、本当に幸せになることを祈っているんだ」
これこそがルシアンの優しさと誠実さなのだが、失恋してもなお、この暖かい真心を向けられるのは辛い。リゼットは肩にあるルシアンの手を払い落とした。
「もう結構です。この期に及んでそうやって優しく振る舞われるのも、わたくしを弄ぶことになると、お気づきになりませんの? いいですわ。わたくしはもうここへ顔は出しません。このあと殿下がどうなろうと、知ったことではありませんわ。どのみち殿下は愛する人とは結ばれず、一生お飾りの妃をにおいて生きてゆくしかないのです。尊敬もできないような令嬢を押し付けられて泣いても、もう手遅れですわよ」
最後は涙声になって、リゼットは別れの挨拶もせずに部屋を出た。首尾を尋ねるセブランを無視して、リゼットはわき目も降らずに外の馬車までずんずん歩いた。
ノエルはリゼットの容子を見て、結果は芳しくなかったのだと悟った。リゼットは涙を拭いて、馬車の中でノエルにルシアンとの会話の内容を話して聞かせた。
「それはお嬢様らしくありませんわ。なにより、愛し合う二人がいるのに無理やり割って入るような……」
「愛し合う二人? ユーグは殿下のお気持ちを拒絶して逃げたのよ」
「そんなことはありえませんわ。だってあの人は殿下の事を慕っていたのに!」
ノエルはそこまで言ってはっと口をつぐんだ。時すでに遅し、リゼットは丸い目を見開いて、続きを促した。
「それは、本当に? あれほど親しくさせていただいていたのに、わたくしではないとおっしゃるのですか。 では誰です? 殿下の本当の恋人とは、一体どなたです?」
無礼を承知で問い詰めた。
「これ以上誠実さを欠いてはあなたを侮ることになる。だからはっきりと答えよう。やはりわたしの本当の恋人はユーグだ。わたしが色々と誤解していたことが理解できてもなお、わたしの心を占めるのはあいつだったのだ」
「では、殿下は男を、同性を愛していらっしゃるのですか? だって、殿下はアンリエット様に恋していらっしゃったのですよね」
「それは、確かに憧れを抱いていた。ただ、アンリエットにそれは恋でも愛でもないと否定されてしまった。だから、あれも勘違いであったのかもしれない。そもそもわたしは普段から年頃の令嬢たちと距離を置いていた。皇太子としてスキャンダルを防ぐためであり、相手に余計な期待を抱かせないためにしていると信じていた。だが、いまとなってはそれは女性を愛せないことの表れだったのではないかと」
「では、最初から薄々気が付いていたのに、妃選びを行ったのですか? どうせ誰も選ぶ気がないのに」
「それは違う。妃選びをする時は、まさか女性を愛せないとは思っていなかった。全て今から思えばということだし、それに確たる自信はなにもない。わたしもよくわからないんだ。自分自身がわからないんだ」
ルシアンの語尾は弱弱しく消えた。ずっと異性愛者として生きてきて、今回の事でやっと同性愛者だと気が付いたのだとしたら、混乱するのも無理はないかもしれない。リゼットはルシアンに同情しかけたが、自我がそれを止めた。
「殿下が男を愛する人だったとして、でもユーグさんは違いますわ。殿下があると思った愛情は、あの人の従者としての忠誠でしたのよ」
「そんなことはない。それについては誤解ではないと、信じている」
「では、お確かめになればよろしいのでは? ユーグさんを呼んでは?」
「あいつは……いないそうだ。舞踏会の翌日出て行ったと」
「なら答えは出ているではありませんか」
リゼットはルシアンを追い詰めるように言い放った。
「逃げたのは、殿下のお気持ちに答えられないからでしょう。つまり、彼の本当の恋人は殿下ではないのです。殿下の恋は実らなかったのですよ」
ルシアンの紫の瞳が悲しみに潤んだ。しかし彼はまだユーグから愛されているはずだと言い張った。
リゼットには失恋を認めたくないから意地になっているとしか思えなかった。傷心の彼を虐めるようなことをしていいのかと、良心が痛んだ。かといて、彼を慰めることはできなかった。リゼットの失恋の痛みはほかならぬ彼がもたらしたものだからだ。
「殿下は本当の恋人を諦めるしかないのです。そして、諦めた上で、決めなくてはいけないのです。生涯の伴侶を、未来の皇后たる皇太子妃を」
「そんな……。愛してもいない女性と結婚するなどできない」
「でも、それが叶わない我儘だということは、ご自身が良くおわかりでありませんこと? 常々皇太子としての責任を強く心がけていらっしゃるのですから。
殿下が誰かを選ばなければならないのなら、どういう人がふさわしいか、よくお考えになってください。本当に夫婦となるつもりがないのに、リヴェールの王女様やら、名門貴族のご息女やらを娶って、穏便に終わるわけがありません」
リゼットは緊張して嫌な汗をかきながら、慎重に、しかしはっきりと伝えた。ルシアンはその言外の意味を悟った。
「それはつまり、君と婚姻しろということか? そんなことは……。確かに君のことは才能に溢れ寛容で心優しく、尊敬に値する得難い友人だと思っている。だからこそ、愛していないのに結婚するなどできない。それでは君を不幸にしてしまう」
「殿下、わたくしなら、殿下がこの先どなたか意中の人を見つけても、文句は言いませんわ。本当の夫婦になれなかったとしても、我慢します。だからわたくしを選んでください。ここまでのわたくしの努力と献身と寛容に、どうか見返りを下さい」
いつの間にかリゼットは必至に言い募っていた。彼女が伝えたかったのは、見返りがほしい、この一言だった。
こちらの世界に来てからの努力は前世の比ではなかった。それが報われそるぞという時に、急にはしごを外されたのだ。必死にどこかにつかまろうとするするのは当たり前だった。
(前世では、チャンスのひとかけらだって与えられなかった。努力を強いられても、見返りをもらえない立場だった。その横で、わたしと何も変わらない他の娘役が、新公ヒロイン、別箱ヒロイン、ソロの歌、ダンス、名前のある役、台詞、チャンスを沢山貰っていた。ものにできていようがいまいが、キラキラの衣装を着て前で踊っていたわ。
この世界ではわたしにもチャンスが与えられた。必死に頑張って、わたしはものにした。なら誰に遠慮することはない。堂々と上りつめるべきだわ。それがわたしの望みだったじゃない)
その他大勢の娘役だった頃に抱いていた鬱屈を、この世界でまた抱くなどまっぴらごめんだ。リゼットは皇太子妃となることが、己の求めていた見返りだと、ここへきてひどく執着していた。
ルシアンは自らの失恋の心の揺らぎを抑え込み、リゼットの肩に手を置いて、そっと言い聞かせた。
「君がいいと言っても、わたしは承知しない。仮面夫婦でいいから地位が欲しいなんて、君らしくない。失恋の痛みに耐えかねて、現実から目を背けて、皇太子妃になることに意地になっているようだ」
「殿下に言われたくありませんわ」
「そうかもしれない。だが、混乱して冷静さを欠いている君の言葉を聞き入れるわけにはいかない。それに先ほども言った通り、わたしは君を大切だと思っているからこそ、愛していないのに一緒になるつもりはない。いつか新たに君を愛する人が現れて、君もその新しい人を愛するようになって、本当に幸せになることを祈っているんだ」
これこそがルシアンの優しさと誠実さなのだが、失恋してもなお、この暖かい真心を向けられるのは辛い。リゼットは肩にあるルシアンの手を払い落とした。
「もう結構です。この期に及んでそうやって優しく振る舞われるのも、わたくしを弄ぶことになると、お気づきになりませんの? いいですわ。わたくしはもうここへ顔は出しません。このあと殿下がどうなろうと、知ったことではありませんわ。どのみち殿下は愛する人とは結ばれず、一生お飾りの妃をにおいて生きてゆくしかないのです。尊敬もできないような令嬢を押し付けられて泣いても、もう手遅れですわよ」
最後は涙声になって、リゼットは別れの挨拶もせずに部屋を出た。首尾を尋ねるセブランを無視して、リゼットはわき目も降らずに外の馬車までずんずん歩いた。
ノエルはリゼットの容子を見て、結果は芳しくなかったのだと悟った。リゼットは涙を拭いて、馬車の中でノエルにルシアンとの会話の内容を話して聞かせた。
「それはお嬢様らしくありませんわ。なにより、愛し合う二人がいるのに無理やり割って入るような……」
「愛し合う二人? ユーグは殿下のお気持ちを拒絶して逃げたのよ」
「そんなことはありえませんわ。だってあの人は殿下の事を慕っていたのに!」
ノエルはそこまで言ってはっと口をつぐんだ。時すでに遅し、リゼットは丸い目を見開いて、続きを促した。