第四章 思わぬライバル 第二話
文字数 2,955文字
王宮の控えの間より少し狭いくらいの広間が広がり、大理石の床を赤いじゅうたんが正面の階段と繋がって川のように伸びている。その左右に下僕やメイドが数人並んで、客を迎えていた。
「お二人とも、ようこそいらっしゃいませ!」
二人が圧倒されていると、ブランシュが両腕を広げながら、絨毯の上をまっすぐ歩いてくる。大きくウェーブした赤毛をざっくり三つ編みにして左肩に垂らしている。紺色にクリーム色とワインレッドの縞模様のドレスを着ていて、襟元には繊細なレースの漬け襟をしている。
ブランシュのテンションについていけないのか、その数歩後ろにサビーナがいた。チョコレートブラウンにスモーキーなパープルの紗のリボンをアクセントにしたドレスを身にまとい、艶やかな直毛をハーフアップにして、ラフな雰囲気だった。
「夜会の時は本当にありがとうございました。リゼット様のおかげで、私たち疑われなくて済みましたわ。ほら、サビーナもお礼を言いなさいな」
礼なら散々馬車の前で言われたのだが。サビーナもそう思っているのか、少し不満そうな顔をしていたが、渋々といった様子で口を開いた。
「あなたのおかげで難を逃れましたわ。ありがとうございます」
「とんでもない。もうそのことはいいんですのよ」
「そうです。わたしなんか、リゼット様にくっついていただけで、何もしていませんのに」
「あら、そんなことありませんわ。ピンをワイングラスに入れる役は、とっても重要でしたもの」
ブランシュは二人を促して歩き始めた。使用人たちはそれに合わせて整然とそれぞれの持ち場へ戻っていく。
「ブランシュ様も、最後の台詞、とってもお上手でしたわ。あれがあったから、深く詮索されずに誤魔化せました」
あの日の芝居は、脚本、配役、全てリゼットによるものだった。大人しいパメラに台詞は無理だろうから、こっそりワイングラスにピンを入れる役。声が大きくて、社交の場に慣れているのが見て取れたので、ブランシュには夜会がお開きになるよう促す台詞。陥れられたサビーナは下手に動くとまずいので何もさせず、一番疑われる要素のないリゼット自らが酔っぱらって机の上のグラスを倒す役。ちなみにシモンには、偶然ピンがグラスの中に入ったのだと、だめ押しする台詞を、それぞれ割り振った。我ながら強引で陳腐な筋書きだったと思うが、何とかうまくいった。
「……でも、酔っぱらった演技は少々やりすぎでしたわ。こちらまで恥ずかしくなりました」
「サビーナったら。ごめんなさいね、ようは、自分のために酔っ払いの演技をして、リゼット様に悪い評判が立ったんじゃないかって、心配しているんですのよ」
「そんなことは……。サビーナ様は悪くないですから」
二階に移動すると、先回りしていたメイドが扉を開けた。そこは見事なサンルームで、丸いローテーブルと揃いのソファが、ガラス張りの半円にぴったりと収まるように配置されていた。眼下には花の咲き乱れる庭が広がり、目線を上げると、近隣の邸宅の屋根に切り取られた透き通る青空が見える。
四人がソファに腰掛けると、メイドがすぐに紅茶を持ってきた。
「まぁ、このお茶、美味しゅうございますわ」
レーブジャルダン家で飲んでいた物と比べたら、風味が格段に違う。もちろん前世で飲んでいたティーバックの紅茶とも。
「南の国から輸入された茶葉で、その国の花の香りが付いていますの」
二口めを飲んだ時に、ふと、ティーカップが目に留まった。繊細な淡いピンクの花柄で、淵に金が施されている。見るからに高級食器だ。
「このティーセットは王室御用達の窯のものですわ。模様が可愛らしいからって、おじい様がわたくし用に買ってくださいましたの」
万が一手が滑って割りでもしたら大変だ。リゼットは笑顔をこわばらせてそっとティーカップを置いた。自然と対面にいるパメラと目があう。同じくこわばっていた。
「リゼット様はショックを受けているリアーヌ様の髪を直して、慰めて差し上げていたでしょう。思いやりのある振る舞いでしたから、酔っ払ったことなんて帳消しになりますわ。セブラン様も見ていましたしね」
「セブラン様は皇太子殿下のお友達なのですよね」
「ええ。だからみんなセブラン様に群がっているんですわ。お友達から推薦されたら、皇太子殿下も良い印象を持つでしょう。それに、万が一皇太子妃になれなくても、セブラン様の心をつかめば、メールヴァン公爵夫人になれるのですから」
サビーナがどこか冷めた口調で答えた。とするとローズもその思惑を持っているのだろう。もちろん平素から、セブランの色男っぷりに骨抜きになっている女性は多いだろうが。
「そういう意味では、やっぱりリアーヌ様が最右翼かしら」
「そうね。メールヴァン家は遠縁とはいえ血族から皇太子妃を出したいと思っている。セブラン様に群がっている方たちは滑稽ですわね。
でも、最右翼というなら、やはりメリザンド様ですわ。皇太子殿下の幼馴染ですし、皇帝陛下の覚えもめでたい。特に皇后陛下はメリザンド様を強くご希望なのです。教養、品格、美しさ、どれをとっても当代一の淑女だと。まぁ、お小さいころからそうやって仕込まれてきたのですから、当り前ですわね。
最後に決めるのは皇太子殿下ですけれど、それまでのところは、皇后陛下のご意見が尊重されますわ。どうせメリザンド様は最後まで残ります。あとは家柄とか、殿方の政治的な駆け引きで決まるんですのよ」
出来レースというわけだ。それでサビーナはどこか冷めているのだった。
(どの世界でも同じね。だいたい、国一番の淑女なんて曖昧極まれりだもの。酔っぱらうのは論外だとしても、髪がほどけるのは偶然でもだめなんて。選ぶ人は、気に入らなければ難癖をつければいいし、気に入ったなら屁理屈をこねればいいのよ。何を努力したって報われないわよね)
真面目にレッスンに勤しみ、美容に金と労力をかけて、清楚で可憐なファッションに身を包み、舞台用のかつらやアクセサリーを丹精込めて作り、舞台上でもプライベートでも、夢の世界の陽性であろうと、儚く健気なカスミソウであろうとしても、形のある報いはなかった。この世界でも前世と同じことを繰り返す馬鹿馬鹿しさはリゼットも嫌というほど感じていた。
「それでも、何とかやっていくしかないですわね。それ以外に道はないですし、家のためにも……」
「その意気ですわ。まだ招待状が届くまで時間がありますもの。前向きに、明るく、朗らかにしているのが一番ですわ」
ブランシュは陰気を吹き飛ばすように明るく笑った。
「わたくし、リゼット様とパメラ様、それにサビーナが最後まで残るよう祈っていますわ。三人とも、それぞれ素敵なんですもの。ああ、わたくしは別にいいのです。本気で選ばれようとは思っておりませんもの。第一、許嫁がおりますし」
「えっ? 許嫁がいるのに皇太子妃選びに参加しているのですか?」
「ええ、今隣国のリヴェールに遊学中ですわ。お父様もおじい様も、皇帝陛下への忠誠を示すためとか、国を挙げた行事にポーラック家の娘が参加しないのはおかしいとか、煩く言うものですから、参加しているのです。まぁ、賑やかしですわね」
(記念受験かよ!)
リゼットは何とかソファから滑り落ちるの堪えた。
「お二人とも、ようこそいらっしゃいませ!」
二人が圧倒されていると、ブランシュが両腕を広げながら、絨毯の上をまっすぐ歩いてくる。大きくウェーブした赤毛をざっくり三つ編みにして左肩に垂らしている。紺色にクリーム色とワインレッドの縞模様のドレスを着ていて、襟元には繊細なレースの漬け襟をしている。
ブランシュのテンションについていけないのか、その数歩後ろにサビーナがいた。チョコレートブラウンにスモーキーなパープルの紗のリボンをアクセントにしたドレスを身にまとい、艶やかな直毛をハーフアップにして、ラフな雰囲気だった。
「夜会の時は本当にありがとうございました。リゼット様のおかげで、私たち疑われなくて済みましたわ。ほら、サビーナもお礼を言いなさいな」
礼なら散々馬車の前で言われたのだが。サビーナもそう思っているのか、少し不満そうな顔をしていたが、渋々といった様子で口を開いた。
「あなたのおかげで難を逃れましたわ。ありがとうございます」
「とんでもない。もうそのことはいいんですのよ」
「そうです。わたしなんか、リゼット様にくっついていただけで、何もしていませんのに」
「あら、そんなことありませんわ。ピンをワイングラスに入れる役は、とっても重要でしたもの」
ブランシュは二人を促して歩き始めた。使用人たちはそれに合わせて整然とそれぞれの持ち場へ戻っていく。
「ブランシュ様も、最後の台詞、とってもお上手でしたわ。あれがあったから、深く詮索されずに誤魔化せました」
あの日の芝居は、脚本、配役、全てリゼットによるものだった。大人しいパメラに台詞は無理だろうから、こっそりワイングラスにピンを入れる役。声が大きくて、社交の場に慣れているのが見て取れたので、ブランシュには夜会がお開きになるよう促す台詞。陥れられたサビーナは下手に動くとまずいので何もさせず、一番疑われる要素のないリゼット自らが酔っぱらって机の上のグラスを倒す役。ちなみにシモンには、偶然ピンがグラスの中に入ったのだと、だめ押しする台詞を、それぞれ割り振った。我ながら強引で陳腐な筋書きだったと思うが、何とかうまくいった。
「……でも、酔っぱらった演技は少々やりすぎでしたわ。こちらまで恥ずかしくなりました」
「サビーナったら。ごめんなさいね、ようは、自分のために酔っ払いの演技をして、リゼット様に悪い評判が立ったんじゃないかって、心配しているんですのよ」
「そんなことは……。サビーナ様は悪くないですから」
二階に移動すると、先回りしていたメイドが扉を開けた。そこは見事なサンルームで、丸いローテーブルと揃いのソファが、ガラス張りの半円にぴったりと収まるように配置されていた。眼下には花の咲き乱れる庭が広がり、目線を上げると、近隣の邸宅の屋根に切り取られた透き通る青空が見える。
四人がソファに腰掛けると、メイドがすぐに紅茶を持ってきた。
「まぁ、このお茶、美味しゅうございますわ」
レーブジャルダン家で飲んでいた物と比べたら、風味が格段に違う。もちろん前世で飲んでいたティーバックの紅茶とも。
「南の国から輸入された茶葉で、その国の花の香りが付いていますの」
二口めを飲んだ時に、ふと、ティーカップが目に留まった。繊細な淡いピンクの花柄で、淵に金が施されている。見るからに高級食器だ。
「このティーセットは王室御用達の窯のものですわ。模様が可愛らしいからって、おじい様がわたくし用に買ってくださいましたの」
万が一手が滑って割りでもしたら大変だ。リゼットは笑顔をこわばらせてそっとティーカップを置いた。自然と対面にいるパメラと目があう。同じくこわばっていた。
「リゼット様はショックを受けているリアーヌ様の髪を直して、慰めて差し上げていたでしょう。思いやりのある振る舞いでしたから、酔っ払ったことなんて帳消しになりますわ。セブラン様も見ていましたしね」
「セブラン様は皇太子殿下のお友達なのですよね」
「ええ。だからみんなセブラン様に群がっているんですわ。お友達から推薦されたら、皇太子殿下も良い印象を持つでしょう。それに、万が一皇太子妃になれなくても、セブラン様の心をつかめば、メールヴァン公爵夫人になれるのですから」
サビーナがどこか冷めた口調で答えた。とするとローズもその思惑を持っているのだろう。もちろん平素から、セブランの色男っぷりに骨抜きになっている女性は多いだろうが。
「そういう意味では、やっぱりリアーヌ様が最右翼かしら」
「そうね。メールヴァン家は遠縁とはいえ血族から皇太子妃を出したいと思っている。セブラン様に群がっている方たちは滑稽ですわね。
でも、最右翼というなら、やはりメリザンド様ですわ。皇太子殿下の幼馴染ですし、皇帝陛下の覚えもめでたい。特に皇后陛下はメリザンド様を強くご希望なのです。教養、品格、美しさ、どれをとっても当代一の淑女だと。まぁ、お小さいころからそうやって仕込まれてきたのですから、当り前ですわね。
最後に決めるのは皇太子殿下ですけれど、それまでのところは、皇后陛下のご意見が尊重されますわ。どうせメリザンド様は最後まで残ります。あとは家柄とか、殿方の政治的な駆け引きで決まるんですのよ」
出来レースというわけだ。それでサビーナはどこか冷めているのだった。
(どの世界でも同じね。だいたい、国一番の淑女なんて曖昧極まれりだもの。酔っぱらうのは論外だとしても、髪がほどけるのは偶然でもだめなんて。選ぶ人は、気に入らなければ難癖をつければいいし、気に入ったなら屁理屈をこねればいいのよ。何を努力したって報われないわよね)
真面目にレッスンに勤しみ、美容に金と労力をかけて、清楚で可憐なファッションに身を包み、舞台用のかつらやアクセサリーを丹精込めて作り、舞台上でもプライベートでも、夢の世界の陽性であろうと、儚く健気なカスミソウであろうとしても、形のある報いはなかった。この世界でも前世と同じことを繰り返す馬鹿馬鹿しさはリゼットも嫌というほど感じていた。
「それでも、何とかやっていくしかないですわね。それ以外に道はないですし、家のためにも……」
「その意気ですわ。まだ招待状が届くまで時間がありますもの。前向きに、明るく、朗らかにしているのが一番ですわ」
ブランシュは陰気を吹き飛ばすように明るく笑った。
「わたくし、リゼット様とパメラ様、それにサビーナが最後まで残るよう祈っていますわ。三人とも、それぞれ素敵なんですもの。ああ、わたくしは別にいいのです。本気で選ばれようとは思っておりませんもの。第一、許嫁がおりますし」
「えっ? 許嫁がいるのに皇太子妃選びに参加しているのですか?」
「ええ、今隣国のリヴェールに遊学中ですわ。お父様もおじい様も、皇帝陛下への忠誠を示すためとか、国を挙げた行事にポーラック家の娘が参加しないのはおかしいとか、煩く言うものですから、参加しているのです。まぁ、賑やかしですわね」
(記念受験かよ!)
リゼットは何とかソファから滑り落ちるの堪えた。