第五章 仮面舞踏会 第二話
文字数 2,990文字
演目は、敵国の侵攻を防いで協定を結び、その後およそ200年間の安定をもたらしたとされる第十代国主の一代記だ。建国500年に便乗しての上演である。そのため皇室の面々も劇場へ足を運ぶ。
「つまり事実上、皇太子妃選びの行事の一つと化しているわけだ」
「良かったわ。王女様のおかげで皇太子殿下もご観劇になる初日に行けるんですもの。お兄様もラッキーね。ブランシュのおじい様が余計に席を押さえていたから、チケットを回してもらえて」
「お前たちと違ってボックス席ではないがな」
シモンは不機嫌に足を組み、仕立屋の物置の小さな窓の方へ顔を向けていた。散策のあとから、彼はなんとなく不機嫌だった。
「機嫌を直してよ。ポーラック卿だって良席ばっかり揃えられるわけじゃないんだから」
「別に、席が気に入らないわけじゃない」
「じゃあなに? もしかして王女様を罠にかける計画が失敗したから怒ってるの? でも今となってはそんな小細工必要なかったってわかったじゃない」
「どうだかな。リヴェール側が本気でなかったとしても、トレゾール側が政略結婚に魅力を感じたら、あっさり縁談成立かもしれんぞ。
腹が立つのはお前にだ、リゼット。王女を捕まえろと言ったのに、なぜ仲良くなるんだ。どうせお前の事だから、手懐けて罠にはめて失格にさせるつもりでもないんだろう」
「当たり前でしょう。それに、王女様と仲良くなれたから、今日の観劇も叶ったのよ」
「それに腹が立つんだ。皇太子妃選びなんて陰険な潰し合いだろう。だからこそわたしが策略を巡らして敵を排除しようとしているのに、お前のせいですべて台無しだ。だというのに脱落せずここまで上手くいっている。それが無性に腹立たしい。何も考えず、お人好しで敵を手助けする馬鹿なのに、なんでお前のやり方が功を奏するのか」
イライラと立ち上がってまくしたてる兄にリゼットは呆れた。
「人を陥れて良い思いをしようとするのが、そもそも間違いなのよ。腹が立つなら、これからはお兄様も私のやり方を見習ったら?」
「誰が! いいか、お前の生ぬるいやり方では、絶対に皇太子妃になれないからな」
シモンは怒って部屋の隅の方へ行ってしまった。といっても狭いので、リゼットとの物理的な距離はそれほど開いていない。
「シモン様、お心を折ってはいけません。お嬢様のここまでの幸運は、全てシモン様のお力があってこそです。最初にお嬢様に教育を施したのはシモン様ですし、そもそも皇太子妃選びにお嬢様を参加させたのも、シモン様のお考えではありませんか。お嬢様お一人だったら、ここまで残れたはずがありません」
ノエルがシモンの側で熱心に慰め励ました。ポーラック卿がチケットを二枚くれたので、彼女も観劇することになっている。
「はいはい。気の合うお二人は一緒にゆっくり観劇なさいな」
と口では言っているが、一応ノエルの気持を汲んで二人きりにしてやるつもりだ。ノエルがシモンに思いを寄せていることを知った時は、思わずノエルの身を案じてしまったが、シモンの方は彼女に特別な感情を持っていないようで、利用されているということはなさそうだった。片思いなら応援してやりたい。例えなぜ好意を持てるのか理解できなかったとしても。
ノエルはリゼットの意図を多少わかっているようで、ちょっと申し訳なさそうな、嬉しそうな顔をしていた、いつもの黒いメイド服を脱いで、ちょっと可愛い服を着ている。
リゼットはもちろんカミーユが作ってくれたドレスを着て夕日が沈む少し前に劇場へと向かった。
開演前のロビーは着飾った貴族たちで溢れかえり、さながら宮殿の鏡の間のようだった。皇后は数人の貴婦人や令嬢に囲まれながら、ロビーをゆったりと闊歩していた。
「それにしても、近頃ご令嬢たちのアクセサリーの流行が変わりましたね。ほら、あの娘もその娘も、なんだか似た雰囲気の首飾りをしています」
皇后の問いに取り巻きの婦人が答える。
「なんでも、レーブジャルダン子爵家のリゼット嬢があのようなアクセサリーを身に着けていて、気に入ったポーラック公爵家のブランシュ嬢が、リゼット嬢と同じ仕立屋に頼んで、それからご令嬢たちの間で流行しているとか」
「仕立屋がアクセサリーを?」
「ええ、古くなったアクセサリーなどを、リボンや布切れと組み合わせて、斬新で素敵なデザインに作り替えてしまうそうです。新しく設えるとか、修理するだけとかでは得られない面白みがあると、そんなところでございましょう」
夫人たちはあくまで若い娘たちのおしゃれ心を微笑ましく見ているようだったが、皇后は僅かに眉を寄せた。
「わたくしはどうもあまり好きになれませんのよ、リゼット嬢のことが。田舎から出てきたわりには、礼儀作法や言葉遣いなどは整っていて、ちょっと目を引くのは事実ですけれど、淑やかさに欠けるというかなんというか……」
皇后にしてみれば、リゼットは夜会で酔っ払って倒れ、散策で走り回っていた令嬢という印象しかない。好きになれないのも無理からぬことだった。
「メリザンド、あなたはどう思いますか?」
「詳しく存じ上げないのでなんとも……。でも都では見かけないような、ちょっと個性的な方のようですわね」
メリザンドが如才なく答えたところで、リゼットたちが劇場へ入ってきた。
敢て光沢の少ない布地で、腰回りに丸いペプラムが付いているぶん、その下のスカートはフリルやレースをつけず、すっきりとしたシルエットなっている。胸元から腰までサテンのリボンをくるくると曲線を描いて這わせ、ビジューや、布やレース糸で作った小さなモチーフをちりばめている。リゼットは赤、ブランシュは黄色、パメラは青、サビーナは緑と、それぞれ色違いで、袖のふくらみやペプラムの長さ、襟ぐりなどの細部が一人一人違う。観劇に相応しい適度な華やかさで、それでいて若い令嬢らしい可愛らしさもあった。
「まぁ、ブランシュ様、とっても素敵なお召し物ですこと」
数人の令嬢や貴婦人たちが寄ってきた。ブランシュは鷹揚に笑顔を振りまきながら、しっかりカミーユの仕立屋で作ったと宣伝していた。四人でお揃いのようなデザインになっていることもあってか、予想以上に人々の注目を集めている。
「まったく。目立つなら一人だけ目立てばいいものを」
その後ろから入ってきたシモンはノエルを連れて。リゼットたちの周りにできた人の塊を避けて、さっさとロビーの奥、客席へ続く大きな階段へと向かった。
階段の端、大きな鳥の彫刻の柱の下でポーラック卿が待っていた。一階席のチケットを手渡しされる。
礼を言って早速着席しようと思ったシモンだったが、ポーラック卿が何やらじっと顔を見つめてくる。
「わたしの顔に何かついていますか?」
「いや、そういうわけではない。君はどこかで会ったことはないかね?」
「わたしはクルベットノンの田舎貴族ですから、これまでの人生でお目にかかったことなど無いかと」
「聞くところによると、都の大学で学んだそうじゃないかね。もしやその時に」
「都にいたとしても田舎の貧乏子爵令息には変わりはありませんからな。今日はチケットの手配を感謝いたします。それでは」
自嘲気味に言ってシモンはさっさと客席へ入ってしまった。
「クルベットノンか……、それも引っかかるのぉ」
ポーラック卿はしばらくそこに佇んで首をひねっていた。
「つまり事実上、皇太子妃選びの行事の一つと化しているわけだ」
「良かったわ。王女様のおかげで皇太子殿下もご観劇になる初日に行けるんですもの。お兄様もラッキーね。ブランシュのおじい様が余計に席を押さえていたから、チケットを回してもらえて」
「お前たちと違ってボックス席ではないがな」
シモンは不機嫌に足を組み、仕立屋の物置の小さな窓の方へ顔を向けていた。散策のあとから、彼はなんとなく不機嫌だった。
「機嫌を直してよ。ポーラック卿だって良席ばっかり揃えられるわけじゃないんだから」
「別に、席が気に入らないわけじゃない」
「じゃあなに? もしかして王女様を罠にかける計画が失敗したから怒ってるの? でも今となってはそんな小細工必要なかったってわかったじゃない」
「どうだかな。リヴェール側が本気でなかったとしても、トレゾール側が政略結婚に魅力を感じたら、あっさり縁談成立かもしれんぞ。
腹が立つのはお前にだ、リゼット。王女を捕まえろと言ったのに、なぜ仲良くなるんだ。どうせお前の事だから、手懐けて罠にはめて失格にさせるつもりでもないんだろう」
「当たり前でしょう。それに、王女様と仲良くなれたから、今日の観劇も叶ったのよ」
「それに腹が立つんだ。皇太子妃選びなんて陰険な潰し合いだろう。だからこそわたしが策略を巡らして敵を排除しようとしているのに、お前のせいですべて台無しだ。だというのに脱落せずここまで上手くいっている。それが無性に腹立たしい。何も考えず、お人好しで敵を手助けする馬鹿なのに、なんでお前のやり方が功を奏するのか」
イライラと立ち上がってまくしたてる兄にリゼットは呆れた。
「人を陥れて良い思いをしようとするのが、そもそも間違いなのよ。腹が立つなら、これからはお兄様も私のやり方を見習ったら?」
「誰が! いいか、お前の生ぬるいやり方では、絶対に皇太子妃になれないからな」
シモンは怒って部屋の隅の方へ行ってしまった。といっても狭いので、リゼットとの物理的な距離はそれほど開いていない。
「シモン様、お心を折ってはいけません。お嬢様のここまでの幸運は、全てシモン様のお力があってこそです。最初にお嬢様に教育を施したのはシモン様ですし、そもそも皇太子妃選びにお嬢様を参加させたのも、シモン様のお考えではありませんか。お嬢様お一人だったら、ここまで残れたはずがありません」
ノエルがシモンの側で熱心に慰め励ました。ポーラック卿がチケットを二枚くれたので、彼女も観劇することになっている。
「はいはい。気の合うお二人は一緒にゆっくり観劇なさいな」
と口では言っているが、一応ノエルの気持を汲んで二人きりにしてやるつもりだ。ノエルがシモンに思いを寄せていることを知った時は、思わずノエルの身を案じてしまったが、シモンの方は彼女に特別な感情を持っていないようで、利用されているということはなさそうだった。片思いなら応援してやりたい。例えなぜ好意を持てるのか理解できなかったとしても。
ノエルはリゼットの意図を多少わかっているようで、ちょっと申し訳なさそうな、嬉しそうな顔をしていた、いつもの黒いメイド服を脱いで、ちょっと可愛い服を着ている。
リゼットはもちろんカミーユが作ってくれたドレスを着て夕日が沈む少し前に劇場へと向かった。
開演前のロビーは着飾った貴族たちで溢れかえり、さながら宮殿の鏡の間のようだった。皇后は数人の貴婦人や令嬢に囲まれながら、ロビーをゆったりと闊歩していた。
「それにしても、近頃ご令嬢たちのアクセサリーの流行が変わりましたね。ほら、あの娘もその娘も、なんだか似た雰囲気の首飾りをしています」
皇后の問いに取り巻きの婦人が答える。
「なんでも、レーブジャルダン子爵家のリゼット嬢があのようなアクセサリーを身に着けていて、気に入ったポーラック公爵家のブランシュ嬢が、リゼット嬢と同じ仕立屋に頼んで、それからご令嬢たちの間で流行しているとか」
「仕立屋がアクセサリーを?」
「ええ、古くなったアクセサリーなどを、リボンや布切れと組み合わせて、斬新で素敵なデザインに作り替えてしまうそうです。新しく設えるとか、修理するだけとかでは得られない面白みがあると、そんなところでございましょう」
夫人たちはあくまで若い娘たちのおしゃれ心を微笑ましく見ているようだったが、皇后は僅かに眉を寄せた。
「わたくしはどうもあまり好きになれませんのよ、リゼット嬢のことが。田舎から出てきたわりには、礼儀作法や言葉遣いなどは整っていて、ちょっと目を引くのは事実ですけれど、淑やかさに欠けるというかなんというか……」
皇后にしてみれば、リゼットは夜会で酔っ払って倒れ、散策で走り回っていた令嬢という印象しかない。好きになれないのも無理からぬことだった。
「メリザンド、あなたはどう思いますか?」
「詳しく存じ上げないのでなんとも……。でも都では見かけないような、ちょっと個性的な方のようですわね」
メリザンドが如才なく答えたところで、リゼットたちが劇場へ入ってきた。
敢て光沢の少ない布地で、腰回りに丸いペプラムが付いているぶん、その下のスカートはフリルやレースをつけず、すっきりとしたシルエットなっている。胸元から腰までサテンのリボンをくるくると曲線を描いて這わせ、ビジューや、布やレース糸で作った小さなモチーフをちりばめている。リゼットは赤、ブランシュは黄色、パメラは青、サビーナは緑と、それぞれ色違いで、袖のふくらみやペプラムの長さ、襟ぐりなどの細部が一人一人違う。観劇に相応しい適度な華やかさで、それでいて若い令嬢らしい可愛らしさもあった。
「まぁ、ブランシュ様、とっても素敵なお召し物ですこと」
数人の令嬢や貴婦人たちが寄ってきた。ブランシュは鷹揚に笑顔を振りまきながら、しっかりカミーユの仕立屋で作ったと宣伝していた。四人でお揃いのようなデザインになっていることもあってか、予想以上に人々の注目を集めている。
「まったく。目立つなら一人だけ目立てばいいものを」
その後ろから入ってきたシモンはノエルを連れて。リゼットたちの周りにできた人の塊を避けて、さっさとロビーの奥、客席へ続く大きな階段へと向かった。
階段の端、大きな鳥の彫刻の柱の下でポーラック卿が待っていた。一階席のチケットを手渡しされる。
礼を言って早速着席しようと思ったシモンだったが、ポーラック卿が何やらじっと顔を見つめてくる。
「わたしの顔に何かついていますか?」
「いや、そういうわけではない。君はどこかで会ったことはないかね?」
「わたしはクルベットノンの田舎貴族ですから、これまでの人生でお目にかかったことなど無いかと」
「聞くところによると、都の大学で学んだそうじゃないかね。もしやその時に」
「都にいたとしても田舎の貧乏子爵令息には変わりはありませんからな。今日はチケットの手配を感謝いたします。それでは」
自嘲気味に言ってシモンはさっさと客席へ入ってしまった。
「クルベットノンか……、それも引っかかるのぉ」
ポーラック卿はしばらくそこに佇んで首をひねっていた。