第五章 仮面舞踏会 第七話
文字数 3,007文字
都の人々があらゆる準備を整えて、満を持して仮面舞踏会の夜が来た。リアーヌは、今日は一人で王宮へ向かう。少し大人っぽい深い黄色のドレスに身を包み、手にはドレスと同じ色の布を張り、宝石をちりばめた仮面が握られている。
王宮に到着すると、皇太子妃候補たちは庭園へ通された。宮殿の使用人に指名を名乗ると、割り振られた生花を差し出される。リアーヌ黄色いパンジーだった。
「ここから仮面をつけて、右手の生垣の方から広間の入口へお回りください」
使用人の案内の通りに進み、建物の中に入り、広間と控えの間を抜けて鏡の間へ入る。既に多くの人が集まって、互いに誰ともわからない中で歓談していた。
「あの方の仮面、とっても素敵ね」
令嬢や貴婦人が自分を見てささやく。リアーヌは自尊心を満たして悠々と広間を歩く。だが、途中でその賞賛が、自らへ向けられたものだけではないと気が付いた。そしてその時、目の覚めるようなピンクのドレスを着た令嬢と目が合った。バラの花を仮面に挿した彼女の顔がこちらを向いたとき、リアーヌは思わず片手を口に当てた。
彼女の仮面は自分のものと全く同じ意匠だったのだ。色こそドレスに合わせているが、使っている生地の質も宝石も全く同じ。もう一つの賞賛は彼女に向けられたものだったのだ。
「……もしかして、ローズ様ですの?」
「あら、仮面舞踏会でそのような詮索は無粋ですわよ。それにしても奇遇ですわね。あなたの仮面、わたくしのとそっくり。わたくしセンスもないですし、これを作らせた宝飾店は、ちょっと背伸びをして使ってみたのですけれど、同じ仮面の方がいうるということは、流行の素敵な仮面をオーダーできたということですわよね。安心しましたわ。
ああ、でももしかしたら、わたくしと同じく、あなたもあまりセンスがなくて、同じようになってしまっただけかもしれませんものね」
ローズはコロコロと笑った。あの後店に戻り、リアーヌの仮面の色違いにしろと注文を差し替えたのだ。顔が見えない仮面舞踏会では、当然仮面の美しさを競う。渾身の仮面が他人とまったく同じであったなど、屈辱的で腹立たしいことである。
(今更悔しがったって後の祭りよ。店でいきがって余計なことを言わなければ、こんな目に遭わずに済んだのにね。
メリザンドのほうも、職人を買収して仮面を壊すよう命じておいたから、新しい仮面をつけてこられないはず。いい気味だわ。二人とも、わたくしを侮った報いよ)
ローズはいつになく気分良く男性貴族の会話の誘いを受けた。
リアーヌは仮面の下に怒りの表情を隠し、気持ちを鎮めようとした。
(せいぜいいい気になっていなさい。ローズも噂を信じて皇太子殿下はサルタンの仮面をつけると思っているはず。本当は藤の花の仮面だと知っているのはわたくしだけ。セブランお兄様に感謝しなければ)
嘘を信じてサルタンの仮面に群がる令嬢たちとローズの姿を想像し、ようやく溜飲が下がったリアーヌだった。
一方、メリザンドは庭園に入る前にある人と会っていた。黒いベロアのフードを被った女性は馬車の前で深紅のドレスに身を包んだメリザンドに囁いた。
「よいですか、皇太子は今日は藤の花の仮面をつけています。他の令嬢を出し抜いて、息子を捕まえなさい。普段は幼馴染ゆえの照れくささがあっても、仮面をつけていれば少しは気持ちがほぐれて、子供の頃のように会話できるでしょうからね」
フードの人物は皇后だった。彼女は皇太子付きのメイドに命じて彼を探らせ、どうにか今日の仮面を突き止めたのだった。
「ありがとうございます。殿下がサルタンの仮面をつけるという噂があって好都合ですわ。必ず殿下のお心をわたくしに向けさせてみせます」
皇后はこっそりとメリザンドの馬車を離れ、使用人に連れられ別の通路から王宮内へ戻った。メリザンドの手にはリゼットが作った仮面がある。赤いサテンやベルベットの枠に、金や銀のパーツと黒曜石が散りばめられ妖艶な美しさを演出している。仮面に指した真っ赤なカーネーションも良く映えた。ローズは高級店で作らせたと思い込んで職人を買収したが、それはまったく的見当違いで、空振りに終わっていた。
ユーグは仕事を抜けて皇太子の部屋へ入った。
部屋にはセブランとルシアンが、仮面舞踏会に相応しい華美な衣装を着て待っていた。
「お前の衣装はこれだ。もうすぐ定刻になる、早く着替えろ」
「ところで、身長を誤魔化す方法は?」
「もちろん準備したさ」
とセブランが手にしたのは、手のひらほどの長さのハイヒールで、さらに底が厚くなっているブーツだった。
「中のかかとの部分はさらに高くなっているんだ、外からはわからないがな。ズボンの裾が長くなっているから、ぱっと見ただけでは厚底で身長を誤魔化しているとはわかるまい」
「お前は元々背が高いほうだが、わたしと比べると流石に小さいからな。転ばないようにするんだぞ」
ユーグは素早くキャビネットの影に隠れて使用人の上着とズボンを用意された深緑の衣装に着替えた。
ルシアンは机の上の三つの帽子をのうち一つを手に取った。頭の後ろから首周りを覆い隠すように布が垂れている。
「これで髪の色や顔の形が隠せる」
「声はどうします?」
「それはこっちだ」
セブランは窓辺のキャビネットの上に置かれた三つのカップのうち一つを持ちあげた。
「ハーブで作ったちょっとした物さ。これを飲めば風邪をひいたみたいに声が枯れる」
ユーグはカップに顔を近付けて匂いを嗅ぎ、顔をしかめた。
「そして仮面だ。サルタンの仮面にも、藤の花の仮面にも、ユーグが用意した仮面にも、目の穴に灰色の紗を張った。少し見えづらくなるが、瞳の色を隠せる」
「完璧だな。では手はず通り」
セブランはトルコ石のサルタンの仮面に手を伸ばした。ルシアンは藤の花の仮面に手を伸ばしかけて止めた。
「それにしてもユーグの仮面は面白いな。作りも斬新だが、その、なんというか、可愛らしい感じで」
エメラルドグリーンで土台の上に、金の細いブレードが巻き付き、様々な緑色のハギレを葉のような形にして張りつけられ、柔らかなグラデーションになっていた。右目の穴の下に沿って、真珠や丸い金のパーツがぶら下がっており、左側の仮面の端からも同じ飾りが垂れている。それがどこか愛嬌のある印象を醸し出している。
「かっこよくしてくれとオーダーしたのですけれど」
つける人間に合わせて凝ってしまうのが、リゼットが前世から引きずっている娘役魂だった。
「……いや、なかなか良いではないか。そうだユーグ、わたしとお前の仮面を交換しないか」
気まぐれを装ってルシアンが提案する。
「えっ? 予定を変えるのか」
「ああ。この仮面、思いの外気に入った。今日の計画は、二人にわたしの身代わりをしてもらって、令嬢たちに正体を悟られないようにし、わたしが彼女たちの人となりを見極めるというものだ。仮面を変えても問題ないだろう。むしろ、私の正体を隠すのにうってつけだ」
「そうだな。君が気まぐれでそういうことを言うのは珍しかったから。そうと決まれば、二人は衣装を交換しなければ。仮面と色が合わない。早くしないと時間がないぞ」
セブランに急かされて二人は急いで互いの衣服を交換した。そして三人一緒に、ハーブで作ったちょっとした物を飲み干し、鏡の間へ向かった。
同じころ、リゼットたちも鏡の間へと急いでいた。
王宮に到着すると、皇太子妃候補たちは庭園へ通された。宮殿の使用人に指名を名乗ると、割り振られた生花を差し出される。リアーヌ黄色いパンジーだった。
「ここから仮面をつけて、右手の生垣の方から広間の入口へお回りください」
使用人の案内の通りに進み、建物の中に入り、広間と控えの間を抜けて鏡の間へ入る。既に多くの人が集まって、互いに誰ともわからない中で歓談していた。
「あの方の仮面、とっても素敵ね」
令嬢や貴婦人が自分を見てささやく。リアーヌは自尊心を満たして悠々と広間を歩く。だが、途中でその賞賛が、自らへ向けられたものだけではないと気が付いた。そしてその時、目の覚めるようなピンクのドレスを着た令嬢と目が合った。バラの花を仮面に挿した彼女の顔がこちらを向いたとき、リアーヌは思わず片手を口に当てた。
彼女の仮面は自分のものと全く同じ意匠だったのだ。色こそドレスに合わせているが、使っている生地の質も宝石も全く同じ。もう一つの賞賛は彼女に向けられたものだったのだ。
「……もしかして、ローズ様ですの?」
「あら、仮面舞踏会でそのような詮索は無粋ですわよ。それにしても奇遇ですわね。あなたの仮面、わたくしのとそっくり。わたくしセンスもないですし、これを作らせた宝飾店は、ちょっと背伸びをして使ってみたのですけれど、同じ仮面の方がいうるということは、流行の素敵な仮面をオーダーできたということですわよね。安心しましたわ。
ああ、でももしかしたら、わたくしと同じく、あなたもあまりセンスがなくて、同じようになってしまっただけかもしれませんものね」
ローズはコロコロと笑った。あの後店に戻り、リアーヌの仮面の色違いにしろと注文を差し替えたのだ。顔が見えない仮面舞踏会では、当然仮面の美しさを競う。渾身の仮面が他人とまったく同じであったなど、屈辱的で腹立たしいことである。
(今更悔しがったって後の祭りよ。店でいきがって余計なことを言わなければ、こんな目に遭わずに済んだのにね。
メリザンドのほうも、職人を買収して仮面を壊すよう命じておいたから、新しい仮面をつけてこられないはず。いい気味だわ。二人とも、わたくしを侮った報いよ)
ローズはいつになく気分良く男性貴族の会話の誘いを受けた。
リアーヌは仮面の下に怒りの表情を隠し、気持ちを鎮めようとした。
(せいぜいいい気になっていなさい。ローズも噂を信じて皇太子殿下はサルタンの仮面をつけると思っているはず。本当は藤の花の仮面だと知っているのはわたくしだけ。セブランお兄様に感謝しなければ)
嘘を信じてサルタンの仮面に群がる令嬢たちとローズの姿を想像し、ようやく溜飲が下がったリアーヌだった。
一方、メリザンドは庭園に入る前にある人と会っていた。黒いベロアのフードを被った女性は馬車の前で深紅のドレスに身を包んだメリザンドに囁いた。
「よいですか、皇太子は今日は藤の花の仮面をつけています。他の令嬢を出し抜いて、息子を捕まえなさい。普段は幼馴染ゆえの照れくささがあっても、仮面をつけていれば少しは気持ちがほぐれて、子供の頃のように会話できるでしょうからね」
フードの人物は皇后だった。彼女は皇太子付きのメイドに命じて彼を探らせ、どうにか今日の仮面を突き止めたのだった。
「ありがとうございます。殿下がサルタンの仮面をつけるという噂があって好都合ですわ。必ず殿下のお心をわたくしに向けさせてみせます」
皇后はこっそりとメリザンドの馬車を離れ、使用人に連れられ別の通路から王宮内へ戻った。メリザンドの手にはリゼットが作った仮面がある。赤いサテンやベルベットの枠に、金や銀のパーツと黒曜石が散りばめられ妖艶な美しさを演出している。仮面に指した真っ赤なカーネーションも良く映えた。ローズは高級店で作らせたと思い込んで職人を買収したが、それはまったく的見当違いで、空振りに終わっていた。
ユーグは仕事を抜けて皇太子の部屋へ入った。
部屋にはセブランとルシアンが、仮面舞踏会に相応しい華美な衣装を着て待っていた。
「お前の衣装はこれだ。もうすぐ定刻になる、早く着替えろ」
「ところで、身長を誤魔化す方法は?」
「もちろん準備したさ」
とセブランが手にしたのは、手のひらほどの長さのハイヒールで、さらに底が厚くなっているブーツだった。
「中のかかとの部分はさらに高くなっているんだ、外からはわからないがな。ズボンの裾が長くなっているから、ぱっと見ただけでは厚底で身長を誤魔化しているとはわかるまい」
「お前は元々背が高いほうだが、わたしと比べると流石に小さいからな。転ばないようにするんだぞ」
ユーグは素早くキャビネットの影に隠れて使用人の上着とズボンを用意された深緑の衣装に着替えた。
ルシアンは机の上の三つの帽子をのうち一つを手に取った。頭の後ろから首周りを覆い隠すように布が垂れている。
「これで髪の色や顔の形が隠せる」
「声はどうします?」
「それはこっちだ」
セブランは窓辺のキャビネットの上に置かれた三つのカップのうち一つを持ちあげた。
「ハーブで作ったちょっとした物さ。これを飲めば風邪をひいたみたいに声が枯れる」
ユーグはカップに顔を近付けて匂いを嗅ぎ、顔をしかめた。
「そして仮面だ。サルタンの仮面にも、藤の花の仮面にも、ユーグが用意した仮面にも、目の穴に灰色の紗を張った。少し見えづらくなるが、瞳の色を隠せる」
「完璧だな。では手はず通り」
セブランはトルコ石のサルタンの仮面に手を伸ばした。ルシアンは藤の花の仮面に手を伸ばしかけて止めた。
「それにしてもユーグの仮面は面白いな。作りも斬新だが、その、なんというか、可愛らしい感じで」
エメラルドグリーンで土台の上に、金の細いブレードが巻き付き、様々な緑色のハギレを葉のような形にして張りつけられ、柔らかなグラデーションになっていた。右目の穴の下に沿って、真珠や丸い金のパーツがぶら下がっており、左側の仮面の端からも同じ飾りが垂れている。それがどこか愛嬌のある印象を醸し出している。
「かっこよくしてくれとオーダーしたのですけれど」
つける人間に合わせて凝ってしまうのが、リゼットが前世から引きずっている娘役魂だった。
「……いや、なかなか良いではないか。そうだユーグ、わたしとお前の仮面を交換しないか」
気まぐれを装ってルシアンが提案する。
「えっ? 予定を変えるのか」
「ああ。この仮面、思いの外気に入った。今日の計画は、二人にわたしの身代わりをしてもらって、令嬢たちに正体を悟られないようにし、わたしが彼女たちの人となりを見極めるというものだ。仮面を変えても問題ないだろう。むしろ、私の正体を隠すのにうってつけだ」
「そうだな。君が気まぐれでそういうことを言うのは珍しかったから。そうと決まれば、二人は衣装を交換しなければ。仮面と色が合わない。早くしないと時間がないぞ」
セブランに急かされて二人は急いで互いの衣服を交換した。そして三人一緒に、ハーブで作ったちょっとした物を飲み干し、鏡の間へ向かった。
同じころ、リゼットたちも鏡の間へと急いでいた。