第四章 思わぬライバル 第一話
文字数 2,994文字
翌日、セブランは皇太子の居室を訪れて、昨日の舞踏会出の出来事を報告をした。
「それで、お前の見立てでは、リアーヌ嬢のヘアピンが取れたのは、偶然ではなかったと」
「そうだ。夜会で髪を解くのは、戯曲の中で三人の男と関係を持ち弄んだ毒婦の行動。だから社交界の淑女たるもの、髪をきちんとセットしなければならない。いつ頃から言われ始めたか知らないが、本当に偶然解けてしまっただけでも、みっともない、娼婦みたいだと蔑む習慣は、まったく行き過ぎているがね。
だが、犯人はそうやってリアーヌを辱めて、さらには誰かにヘアピンを奪った罪を着せる気だったのだだろう」
親友の推理の通りだとしたら、全く醜悪な争いだ。ルシアンは椅子の背に身を預けて目をつぶった。真犯人はわからずじまいで夜会はお開きになった。ということは、そういう醜い闘争を繰り広げた者が、次に残るかもしれないということだ。このまま誰の仕業かわからないままなら、万が一その娘が最後まで残ってしまう可能性もある。
「その件で気になることが。最後に酔っぱらって転んだリゼット嬢ですが、実はその直前に会場に戻ってきたばかりだったのです。一体どこでお酒を飲んでいたのか。それに、リゼット嬢が戻る前に、あのテーブルに近付いた令嬢がいました。たしかパメラ嬢とかいう、夜会が始まった直後、リゼット嬢と一緒にいた方です」
ユーグはティーカップに紅茶を注ぎながら報告した。
「リゼット嬢はリアーヌ様の髪を直したのに、一緒に戻ってきませんでしたし、もしやあの方の仕業では。例えば、パメラ嬢に頼んで、あらかじめヘアピンをワイングラスに入れてもらい、その後、酔っぱらったふりをしてテーブルクロスを引っ張る。それでさも偶然のように見せかけたとか」
「ユーグ、あの令嬢はわたしと踊っていたんだぞ。それにリアーヌの髪を直してやっている間、ずっとヘアピンを隠していたと? 酔っぱらっていたのは本当のようだったし」
「もしかしたら、そのリゼット嬢は、誰かを庇おうとしたのではないか? リゼット嬢が控えの間にいる時に真犯人を見つけた。そしてその人物を庇うために、一芝居打ったとか」
ルシアンの推理に則ると、リゼットがいない間に退出した人間のなかに真犯人がいることになる。
「リゼット嬢が庇うとすればパメラ嬢でしょうか? でもあの方はダンスの時にずいぶん遠くにいました。ブランシュ嬢とサビーナ嬢も一度控室へ戻っていましたが、お二人ともワルツは踊らず歓談していました。そういえば、メリザンド様も一度退出なさって、その後リアーヌ様と戻られましたが……」
考えれば考えるほど、疑惑は膨らみ、謎は深まる。
「止めよう。これだけ考えてもわからないということは、偶然として決着をつけるしかない。父上もそう判断したのだろう」
「それにしても、もし誰かを庇ったのだとしたら、リゼット嬢はとっても、こう、お優しいというかなんというか……。酔っぱらった姿を社交界の皆様に見せて、淑女としての品格を疑われていましたよ」
「次に呼ばれないかもしれないな。昼食会は君も満を持して出席するのだろう。ちょっと見所のある娘だったから、君にも見せてあげたかったよ」
セブランはちょっと肩をすくめて、紅茶を一口飲んだ。
酔っ払いのふりをしたことは、リゼットも深く後悔していた。
「あのままサビーナを告発していればよかったんだ。なにが別の方法だ。他人のためにわざわざあんな芝居を打つなんて。わたしにまで台詞を言わせて」
「だってサビーナは明らかに濡れ衣だったじゃない。そのまま見過ごすなんて、寝覚めが悪いわよ。お兄様は舞踏会の間ずっと人を陥れることばっかり考えてたわね。最後の台詞だって、わたしが腕をつねらなかったら、誰かに疑いが向くようなことを言うつもりだったでしょ」
「シモン様はお嬢様のために対立候補を減らそうとしているのですよ。文句を言わず感謝すべきです」
ノエルまでリゼットを責めた。理不尽だと思えないから余計堪える。別に酔っ払いの演技をしなくても、他にやりようがあったはずだ。シモンのように頭が働けば、サビーナを救って自分も傷つかない方法を考えられただろうに。
次の昼食会は五日後に開催される。招待状は二日前までに、つまり今日から三日間のうちに届く。届かない見込みが薄いのに一応期待しながら三日も過ごすのは、リゼットにとっては酷だった。
その日の夕方、一通の手紙が届いた。すわ、王宮からかと思ったが違った。舞踏会でカードゲームに誘ってきたブランシュという令嬢からだった。あの時友人のサビーナを助けてくれたお礼に、自宅に招待したいという。昨晩も帰る前に懇ろに礼を言われたのに。
手紙の最後にブランシュ・ド・ポーラックと署名してある。ポーラック公爵家と言えば、その始祖は皇族の傍系であり、押しも押さぬ大貴族だと、シモンの座学で習っていた。まさか彼女の家だったとは。どうりで豪華な装いだったわけだ。
「皇太子妃はもう絶望的だが、大貴族と繋がりができれば、まぁ儲けものだ。しっかり恩を売ってこい」
と、シモンは早々に切り替えて、印象が良くなるよう着飾らせろとノエル命じた。しかし、持ってきたドレスはあと二着しかないし、どちらも少し派手すぎる気がした。妥協して、最初の審査で来ていたドレスを身に着けることにした。
まったく同じでは芸がないので、アクセサリーを変えることにした。残り少ない子爵夫人のアクセサリーの中から、この前飾りを取ってしまったブレスレットをシンプルなネックレスにつけてアレンジした。ブレスレットは少し赤身のある金色で、ネックレスは明るい黄色に近い金色だった。微妙な色の違いがシンプルな鎖だけの組み合わせに華やかさを加えていた。
翌日、少ない朝食を食べて着替えをしていると、立派な馬車が店の前にいると、カミーユが知らせてきた。慌てて出て行くと、小奇麗な御者が、ポーラック家の迎えだと恭しく迎えてくれた。鬣 の立派な二頭の白馬が繋がれた馬車は、白くて、ところどころに白鳥を模した金色の彫刻が飾られている。さながらおとぎ話のプリンセスが乗るものだ。座席は紺のビロード張りで、ふかふかの座り心地。走り出しても振動は最小限で、これならいくら乗っても酔わないだろう。
馬車は途中、宿屋の前で停車した。道行く人々は突然現れた豪華な馬車に驚いている。少しすると、宿の中からパメラが出てくる。例のけばけばした母親が、こんなドレスじゃ馬鹿にされるとか、舐められないように立ち居振る舞いに気をつけろとか、やかましく言い含めながら、パメラを馬車に押し込んだ。扉を閉めるとパメラはやっと一息ついたようだった。彼女も最初の審査でリゼットが直してやったドレスを着ていた。
「こんな素敵な馬車に乗るのは初めて。緊張するわね」
「そうですわね」
乗り心地は最高なのに、到着するまでずっと落ち着かなかった。
窓から見える景色は、小ぶりな家が所狭しと並んでいるものから、大きな邸宅が整然と続くものに変わっていった。馬車はひときわ大きな屋敷の門をくぐり、噴水のある前庭を通って、門の前で止まった。
扉が開いて外に出ると、王宮と見まごう白い壁が目の前に迫ってきた。白とブルーグレーで統一された衣服の男たちが、馬車と揃いの白鳥の彫刻が施された大きな扉を開き、二人を中へ招き入れる。
「それで、お前の見立てでは、リアーヌ嬢のヘアピンが取れたのは、偶然ではなかったと」
「そうだ。夜会で髪を解くのは、戯曲の中で三人の男と関係を持ち弄んだ毒婦の行動。だから社交界の淑女たるもの、髪をきちんとセットしなければならない。いつ頃から言われ始めたか知らないが、本当に偶然解けてしまっただけでも、みっともない、娼婦みたいだと蔑む習慣は、まったく行き過ぎているがね。
だが、犯人はそうやってリアーヌを辱めて、さらには誰かにヘアピンを奪った罪を着せる気だったのだだろう」
親友の推理の通りだとしたら、全く醜悪な争いだ。ルシアンは椅子の背に身を預けて目をつぶった。真犯人はわからずじまいで夜会はお開きになった。ということは、そういう醜い闘争を繰り広げた者が、次に残るかもしれないということだ。このまま誰の仕業かわからないままなら、万が一その娘が最後まで残ってしまう可能性もある。
「その件で気になることが。最後に酔っぱらって転んだリゼット嬢ですが、実はその直前に会場に戻ってきたばかりだったのです。一体どこでお酒を飲んでいたのか。それに、リゼット嬢が戻る前に、あのテーブルに近付いた令嬢がいました。たしかパメラ嬢とかいう、夜会が始まった直後、リゼット嬢と一緒にいた方です」
ユーグはティーカップに紅茶を注ぎながら報告した。
「リゼット嬢はリアーヌ様の髪を直したのに、一緒に戻ってきませんでしたし、もしやあの方の仕業では。例えば、パメラ嬢に頼んで、あらかじめヘアピンをワイングラスに入れてもらい、その後、酔っぱらったふりをしてテーブルクロスを引っ張る。それでさも偶然のように見せかけたとか」
「ユーグ、あの令嬢はわたしと踊っていたんだぞ。それにリアーヌの髪を直してやっている間、ずっとヘアピンを隠していたと? 酔っぱらっていたのは本当のようだったし」
「もしかしたら、そのリゼット嬢は、誰かを庇おうとしたのではないか? リゼット嬢が控えの間にいる時に真犯人を見つけた。そしてその人物を庇うために、一芝居打ったとか」
ルシアンの推理に則ると、リゼットがいない間に退出した人間のなかに真犯人がいることになる。
「リゼット嬢が庇うとすればパメラ嬢でしょうか? でもあの方はダンスの時にずいぶん遠くにいました。ブランシュ嬢とサビーナ嬢も一度控室へ戻っていましたが、お二人ともワルツは踊らず歓談していました。そういえば、メリザンド様も一度退出なさって、その後リアーヌ様と戻られましたが……」
考えれば考えるほど、疑惑は膨らみ、謎は深まる。
「止めよう。これだけ考えてもわからないということは、偶然として決着をつけるしかない。父上もそう判断したのだろう」
「それにしても、もし誰かを庇ったのだとしたら、リゼット嬢はとっても、こう、お優しいというかなんというか……。酔っぱらった姿を社交界の皆様に見せて、淑女としての品格を疑われていましたよ」
「次に呼ばれないかもしれないな。昼食会は君も満を持して出席するのだろう。ちょっと見所のある娘だったから、君にも見せてあげたかったよ」
セブランはちょっと肩をすくめて、紅茶を一口飲んだ。
酔っ払いのふりをしたことは、リゼットも深く後悔していた。
「あのままサビーナを告発していればよかったんだ。なにが別の方法だ。他人のためにわざわざあんな芝居を打つなんて。わたしにまで台詞を言わせて」
「だってサビーナは明らかに濡れ衣だったじゃない。そのまま見過ごすなんて、寝覚めが悪いわよ。お兄様は舞踏会の間ずっと人を陥れることばっかり考えてたわね。最後の台詞だって、わたしが腕をつねらなかったら、誰かに疑いが向くようなことを言うつもりだったでしょ」
「シモン様はお嬢様のために対立候補を減らそうとしているのですよ。文句を言わず感謝すべきです」
ノエルまでリゼットを責めた。理不尽だと思えないから余計堪える。別に酔っ払いの演技をしなくても、他にやりようがあったはずだ。シモンのように頭が働けば、サビーナを救って自分も傷つかない方法を考えられただろうに。
次の昼食会は五日後に開催される。招待状は二日前までに、つまり今日から三日間のうちに届く。届かない見込みが薄いのに一応期待しながら三日も過ごすのは、リゼットにとっては酷だった。
その日の夕方、一通の手紙が届いた。すわ、王宮からかと思ったが違った。舞踏会でカードゲームに誘ってきたブランシュという令嬢からだった。あの時友人のサビーナを助けてくれたお礼に、自宅に招待したいという。昨晩も帰る前に懇ろに礼を言われたのに。
手紙の最後にブランシュ・ド・ポーラックと署名してある。ポーラック公爵家と言えば、その始祖は皇族の傍系であり、押しも押さぬ大貴族だと、シモンの座学で習っていた。まさか彼女の家だったとは。どうりで豪華な装いだったわけだ。
「皇太子妃はもう絶望的だが、大貴族と繋がりができれば、まぁ儲けものだ。しっかり恩を売ってこい」
と、シモンは早々に切り替えて、印象が良くなるよう着飾らせろとノエル命じた。しかし、持ってきたドレスはあと二着しかないし、どちらも少し派手すぎる気がした。妥協して、最初の審査で来ていたドレスを身に着けることにした。
まったく同じでは芸がないので、アクセサリーを変えることにした。残り少ない子爵夫人のアクセサリーの中から、この前飾りを取ってしまったブレスレットをシンプルなネックレスにつけてアレンジした。ブレスレットは少し赤身のある金色で、ネックレスは明るい黄色に近い金色だった。微妙な色の違いがシンプルな鎖だけの組み合わせに華やかさを加えていた。
翌日、少ない朝食を食べて着替えをしていると、立派な馬車が店の前にいると、カミーユが知らせてきた。慌てて出て行くと、小奇麗な御者が、ポーラック家の迎えだと恭しく迎えてくれた。
馬車は途中、宿屋の前で停車した。道行く人々は突然現れた豪華な馬車に驚いている。少しすると、宿の中からパメラが出てくる。例のけばけばした母親が、こんなドレスじゃ馬鹿にされるとか、舐められないように立ち居振る舞いに気をつけろとか、やかましく言い含めながら、パメラを馬車に押し込んだ。扉を閉めるとパメラはやっと一息ついたようだった。彼女も最初の審査でリゼットが直してやったドレスを着ていた。
「こんな素敵な馬車に乗るのは初めて。緊張するわね」
「そうですわね」
乗り心地は最高なのに、到着するまでずっと落ち着かなかった。
窓から見える景色は、小ぶりな家が所狭しと並んでいるものから、大きな邸宅が整然と続くものに変わっていった。馬車はひときわ大きな屋敷の門をくぐり、噴水のある前庭を通って、門の前で止まった。
扉が開いて外に出ると、王宮と見まごう白い壁が目の前に迫ってきた。白とブルーグレーで統一された衣服の男たちが、馬車と揃いの白鳥の彫刻が施された大きな扉を開き、二人を中へ招き入れる。