第六章 裁判 第六話
文字数 2,968文字
ルシアンは、リゼットの口調がだいぶ砕けていたので少し戸惑ったが、リゼットはそのまま続けた。
「立場を理由に離れるのではなく、互いの立場を理解したうえで、歩み寄って支え合って、仲良くし続ける道はないのかしら。生きていれば自分も周りも変わる、いつまでも同じではいられない。だから変化を受け入れてゆくべきなのよ。いつまでも昔のままでいようとするのは一見過去の友情を守っているようで、そのじつ友情を断ち切ることになる。本当は断ち切りたくないのに」
その他大勢の娘役として生きるのに疲れて、親友の彼女に対してさえ、劣等感を抱き関係を断ちかけた。だが、それが自分にとって望ましくなかったと、今ならわかる。
「……あ、申し訳ありません。その、わたくしにも、友人がいたのです。大切な友人でした。でも色々と立場が変わって、疎遠になってしまって、そのことを後悔していますの。だから殿下には後悔してほしくなかったのです。セブラン様は大切なご友人なのでしょう? ならば、殿下とセブラン様の立場をお互いに理解しあって、お友達として関係を続ければよろしいのです」
慌てて言葉づかいを直して、そっとルシアンの顔を窺う。ルシアンは最初こそきょとんとしていたが、リセットの言葉の意味をじっくりと吟味して、それから小さく頷いた。
「そうだな。あいつが友情を利用したのが嫌だったが、わたしが皇太子であることをやめられないように、あいつもメールヴァン家の跡取りであることをやめられない。皇太子妃選びがなくとも、いずれ立場と友情が交わる瞬間が来たはずだ。
わたしにとってはセブランは大切な親友だ。あなたのご友人と同じように。だからあなたの言う通り、セブランと向き合って、友人として歩んでゆけるように努力してみよう」
ルシアンのまっすぐな瞳は、取り乱したことに狼狽するリゼットを優しくとらえた。
「リゼット嬢の言葉は不思議と心になじむ。そしてわたしに重大な示唆をもたらしてくれる。ありがとう、また話せる日を楽しみにしている」
ルシアンはそう言って立ち上がる。リゼットはまだ落ち着かなかったが、入ってきたときと比べると、彼の表情が少し明るいのにほっとした。
「訴訟については、わたしにも何かできないか考えてみる。きっと疑いは晴れるはずだから、あまり気落ちしないように」
「お心づかい、感謝いたします」
深くしゃがんで礼をするリゼットを残して、セブランはフードをかぶり直して部屋から出た。
「心配してわざわざ会いに来たのに、あんな言葉遣いで偉そうにセブラン様のとのことを説教するなんて」
ユーグはリゼットの態度に不満があったようだ。
「セブランの話を出したのはわたしだ。リゼット嬢に非はない」
ユーグは納得できず口の中でぶつぶつ言っていたが、ルシアンは穏やかな表情で馬車に乗り込み塔を後にした。
リゼットはその馬車の影を窓から眺めていた。
(わたしったら、えりちゃんを思い出して、あるまじき言葉遣いで話してしまったわ。でも殿下はまた受け止めてくださったわね。それに、わざわざ来てくださったのは、わたくしを心配して下さったからなのよね)
その思いやりに心が温まるようだった。
シモンたちの申請で、メリザンドの仮面が法院に提出された。メリザンドはご丁寧に医者を連れてやってきて、仮面に塗られた毒物について説明させた。
「もう乾いてしまっていますが、症状から見るに、ラナンキュラスの葉を押しつぶした汁によるかぶれでした。ラナンキュラスはどこにでも自生しておりますから、入手は容易です」
「逆に言えばリゼットでなくとも手に入れられるということだ」
「あら、わたくしが自らの顔にラナンキュラスの葉をすりつけたとでも言いたげですわね。どこにでもある草だから、それを手掛かりにリゼット様の無実を証明するなんて、無謀ではないかしら」
メリザンドはシモンに一瞥をくれて法院を去った。
メリザンドの言うとおりで、毒の正体がわかっても、リゼットの濡れ衣を晴らす方法が見つからない。
「もういっそ、カミーユに全ての罪をなすりつけてしまえ」
「兄にですか? でも、シモン様のためなら……」
「だめよノエル、お兄さんを大切にして。シモンお兄様も、誰かのせいにするとかじゃなくて、もっと別の方法を考えてよ」
「考えているさ! だが思いつかないんだ」
普段は嬉々として謀略を巡らせているシモンは何の役にも立たなかった。それは彼だけではなく、ブランシュたちも同じだったが。
「ねぇ、メリザンド様はどこにでもある植物だとおっしゃったけど、都の通りはどこも整備されていますから、雑草があまりないところもあります。わたくしたちでカミーユの店の周辺と、メリザンド様のお屋敷の周辺にラナンキュラスがあるか調べましょう。もしカミーユの店の周辺になかったら、潔白を主張できるのではなくて」
「そんな気の遠くなるような事をするのか。もし店の近くにあったらどうする」
シモンはブランシュの提案に難色を示した。
「でも、やらないよりはましでしょう。それにとにかく、こうまでして無実の証拠を集めていると周りの人々に知っていただけたら、一方的にリゼットを悪者としている人たちの目も変わるかもしれませんわ」
他になにも思いつかないので、ブランシュの提案を採ることになった。ブランシュは家に戻って使用人たちにカミーユの店の周辺の地図と、メリザンドの屋敷の周辺の地図を何枚も書き写させて、シモンたちに配った。ラナンキュラスを見つけたら、どこにあったのか地図上に印をつけるのだ。
キトリィもアンリエットも協力してくれるという。彼女たちにはメリザンドの屋敷の周辺を頼み、ブランシュとシモンはカミーユの店の周辺を見て回ることにした。まずは西側を回ってみる。残念ながら、玄関先の植え込みとか、石畳の隙間とか、あちこちにラナンキュラスはあった。
「やはりこのやり方ではだめだ。こんなにあちこちに見つかっていては、骨折り損のくたびれ儲けだ」
「投げ出してはいけませんわ。まだ西側の、しかもちょっと遠い所ではないですの」
こうやって、地道にラナンキュラスの分布を地図に書き足していった。
日が翳るまでラナンキュラス探しをしていたキトリィはまだまだ体力があるようで、楽し気に迎賓館へ戻ってきた。
「お花探しは面白かったわ。それでリゼットさんの助けになるんだもの。明日も頑張りましょう」
どうも彼女は多く花を見つけるゲームか何かと、いつの間にか間違ったほうへ考えているようだった。そこへルシアンが通りかかった。
キトリィがリゼットのためにラナンキュラスを探していると聞くと、彼女に力添えしてくれる人がいると安心した反面、自分は結局何もできていないと、無力さを感じた。
「ところで、ラナンキュラスとはどういう植物でしょうか? 見たことがないのですが」
「はい、これがそうよ」
キトリィは戯れに摘んできた花を差し出した。その手のところどころに赤い発疹ができていた。
「どうやら茎や葉の汁がかぶれを引き起こすようですわ。王女様、後で手を洗って薬を塗りませんと」
アンリエットが優しくキトリィの手を包む。その様子を見て、ルシアンははっとした。
「これだ」
驚くアンリエットに、ルシアンは早口に、裁判の日に法廷へ行くと言った。
「立場を理由に離れるのではなく、互いの立場を理解したうえで、歩み寄って支え合って、仲良くし続ける道はないのかしら。生きていれば自分も周りも変わる、いつまでも同じではいられない。だから変化を受け入れてゆくべきなのよ。いつまでも昔のままでいようとするのは一見過去の友情を守っているようで、そのじつ友情を断ち切ることになる。本当は断ち切りたくないのに」
その他大勢の娘役として生きるのに疲れて、親友の彼女に対してさえ、劣等感を抱き関係を断ちかけた。だが、それが自分にとって望ましくなかったと、今ならわかる。
「……あ、申し訳ありません。その、わたくしにも、友人がいたのです。大切な友人でした。でも色々と立場が変わって、疎遠になってしまって、そのことを後悔していますの。だから殿下には後悔してほしくなかったのです。セブラン様は大切なご友人なのでしょう? ならば、殿下とセブラン様の立場をお互いに理解しあって、お友達として関係を続ければよろしいのです」
慌てて言葉づかいを直して、そっとルシアンの顔を窺う。ルシアンは最初こそきょとんとしていたが、リセットの言葉の意味をじっくりと吟味して、それから小さく頷いた。
「そうだな。あいつが友情を利用したのが嫌だったが、わたしが皇太子であることをやめられないように、あいつもメールヴァン家の跡取りであることをやめられない。皇太子妃選びがなくとも、いずれ立場と友情が交わる瞬間が来たはずだ。
わたしにとってはセブランは大切な親友だ。あなたのご友人と同じように。だからあなたの言う通り、セブランと向き合って、友人として歩んでゆけるように努力してみよう」
ルシアンのまっすぐな瞳は、取り乱したことに狼狽するリゼットを優しくとらえた。
「リゼット嬢の言葉は不思議と心になじむ。そしてわたしに重大な示唆をもたらしてくれる。ありがとう、また話せる日を楽しみにしている」
ルシアンはそう言って立ち上がる。リゼットはまだ落ち着かなかったが、入ってきたときと比べると、彼の表情が少し明るいのにほっとした。
「訴訟については、わたしにも何かできないか考えてみる。きっと疑いは晴れるはずだから、あまり気落ちしないように」
「お心づかい、感謝いたします」
深くしゃがんで礼をするリゼットを残して、セブランはフードをかぶり直して部屋から出た。
「心配してわざわざ会いに来たのに、あんな言葉遣いで偉そうにセブラン様のとのことを説教するなんて」
ユーグはリゼットの態度に不満があったようだ。
「セブランの話を出したのはわたしだ。リゼット嬢に非はない」
ユーグは納得できず口の中でぶつぶつ言っていたが、ルシアンは穏やかな表情で馬車に乗り込み塔を後にした。
リゼットはその馬車の影を窓から眺めていた。
(わたしったら、えりちゃんを思い出して、あるまじき言葉遣いで話してしまったわ。でも殿下はまた受け止めてくださったわね。それに、わざわざ来てくださったのは、わたくしを心配して下さったからなのよね)
その思いやりに心が温まるようだった。
シモンたちの申請で、メリザンドの仮面が法院に提出された。メリザンドはご丁寧に医者を連れてやってきて、仮面に塗られた毒物について説明させた。
「もう乾いてしまっていますが、症状から見るに、ラナンキュラスの葉を押しつぶした汁によるかぶれでした。ラナンキュラスはどこにでも自生しておりますから、入手は容易です」
「逆に言えばリゼットでなくとも手に入れられるということだ」
「あら、わたくしが自らの顔にラナンキュラスの葉をすりつけたとでも言いたげですわね。どこにでもある草だから、それを手掛かりにリゼット様の無実を証明するなんて、無謀ではないかしら」
メリザンドはシモンに一瞥をくれて法院を去った。
メリザンドの言うとおりで、毒の正体がわかっても、リゼットの濡れ衣を晴らす方法が見つからない。
「もういっそ、カミーユに全ての罪をなすりつけてしまえ」
「兄にですか? でも、シモン様のためなら……」
「だめよノエル、お兄さんを大切にして。シモンお兄様も、誰かのせいにするとかじゃなくて、もっと別の方法を考えてよ」
「考えているさ! だが思いつかないんだ」
普段は嬉々として謀略を巡らせているシモンは何の役にも立たなかった。それは彼だけではなく、ブランシュたちも同じだったが。
「ねぇ、メリザンド様はどこにでもある植物だとおっしゃったけど、都の通りはどこも整備されていますから、雑草があまりないところもあります。わたくしたちでカミーユの店の周辺と、メリザンド様のお屋敷の周辺にラナンキュラスがあるか調べましょう。もしカミーユの店の周辺になかったら、潔白を主張できるのではなくて」
「そんな気の遠くなるような事をするのか。もし店の近くにあったらどうする」
シモンはブランシュの提案に難色を示した。
「でも、やらないよりはましでしょう。それにとにかく、こうまでして無実の証拠を集めていると周りの人々に知っていただけたら、一方的にリゼットを悪者としている人たちの目も変わるかもしれませんわ」
他になにも思いつかないので、ブランシュの提案を採ることになった。ブランシュは家に戻って使用人たちにカミーユの店の周辺の地図と、メリザンドの屋敷の周辺の地図を何枚も書き写させて、シモンたちに配った。ラナンキュラスを見つけたら、どこにあったのか地図上に印をつけるのだ。
キトリィもアンリエットも協力してくれるという。彼女たちにはメリザンドの屋敷の周辺を頼み、ブランシュとシモンはカミーユの店の周辺を見て回ることにした。まずは西側を回ってみる。残念ながら、玄関先の植え込みとか、石畳の隙間とか、あちこちにラナンキュラスはあった。
「やはりこのやり方ではだめだ。こんなにあちこちに見つかっていては、骨折り損のくたびれ儲けだ」
「投げ出してはいけませんわ。まだ西側の、しかもちょっと遠い所ではないですの」
こうやって、地道にラナンキュラスの分布を地図に書き足していった。
日が翳るまでラナンキュラス探しをしていたキトリィはまだまだ体力があるようで、楽し気に迎賓館へ戻ってきた。
「お花探しは面白かったわ。それでリゼットさんの助けになるんだもの。明日も頑張りましょう」
どうも彼女は多く花を見つけるゲームか何かと、いつの間にか間違ったほうへ考えているようだった。そこへルシアンが通りかかった。
キトリィがリゼットのためにラナンキュラスを探していると聞くと、彼女に力添えしてくれる人がいると安心した反面、自分は結局何もできていないと、無力さを感じた。
「ところで、ラナンキュラスとはどういう植物でしょうか? 見たことがないのですが」
「はい、これがそうよ」
キトリィは戯れに摘んできた花を差し出した。その手のところどころに赤い発疹ができていた。
「どうやら茎や葉の汁がかぶれを引き起こすようですわ。王女様、後で手を洗って薬を塗りませんと」
アンリエットが優しくキトリィの手を包む。その様子を見て、ルシアンははっとした。
「これだ」
驚くアンリエットに、ルシアンは早口に、裁判の日に法廷へ行くと言った。