第九章 エストカピタールにて 第四話
文字数 2,988文字
大荒れの社交界などどこ吹く風で、ルシアンはいつも通りに公務をこなし、日曜日の出発に向けてユーグに荷造りをさせていた。
ユーグはトランクに必要な荷物を詰めながら、主だった貴族たちがどちらへ向かうか、聞きかじった情報を知らせた。
「セブラン様はお父上と一緒に皇帝陛下に帯同するそうです。今回は家門のために動くようです。でもリアーヌ嬢はメールヴァン夫人と一緒にエストカピタールへ。ポーラック公爵はご夫妻揃ってポルトシュバルだそうです。ポーラック卿はブランシュ嬢についているので、自然、エストカピタールですが。メリザンド様はポルトシュバルとか」
名門の家柄では、皇帝と皇太子どちらとも良好なつながりを持ちたいために、家族で二か所に分かれると決めた家が多い。特に皇太子妃候補のいる家は、夫人と娘をエストカピタールへ行かせるのがほとんどだ。
「ですが、社交界を真っ二つに分けたようで、思ったよりも集客の助けにはなりませんよ」
「お前は何もかもお見通しだな」
「それはもう。何年お仕えしているとお思いですか。ですが心配です。これではまるで皇后陛下と殿下、どちらのもとに人が集まるか、対決のようになってしまって。お二人の間に溝ができないか……」
ルシアンはふと暗い顔をした。
「そうなっても仕方がないと思っている。リゼット嬢を失格にするために、遅刻厳禁として、急に茶会を催し、道中足止めするとは。いくら母でもそのような卑劣な行為は許しがたい」
「盗賊が皇后陛下のお指図とは思えません。無暗に疑うのはよろしくないと」
「お前は公正な審査を謳っていながらリゼット嬢を陥れんとする母の不正を見逃すというのか」
ルシアンの剣幕に、ユーグは思わず手に持っていたルシアンのシャツを握りしめた。反射的に謝罪の言葉が飛び出す。ルシアンはそこではっとして、頭に血が上った自分を恥ずかしく思った。
「すまない。わたしのことを案じてくれたのだよな」
「いいえ。わたくしこそ従者の身で出過ぎたことを」
「いいんだ。お前の前では気を張らずに過ごせるし、こうやって自分自身の好ましくない面を曝け出して、甘えることもできる。これからも出すぎるくらいでいてほしい」
そこでルシアンはふと何か思い出したように顔を挙げた。
「そういえばリゼット嬢が、本当の恋人というのは、気が合って、気を使う必要がなくて、一緒にいると心が暖かくなる人だと言っていたな。ちょうどお前みたいな存在なのかもしれない」
ユーグはトランクに詰める上着を落しそうになった。
「残念だったな。女だったら皇太子妃になれたぞ」
「ご、ご冗談を。そうだ。出発の日のことを、近衛隊長に伝えなくては」
急いで最後の衣服をトランクに詰めて、ユーグは急いで部屋を出て行った。冗談なのに真に受けて赤くなっているのを、からかいがいのある可愛い奴と、ルシアンは笑って見送った。
後ろ手に閉めた扉を背に、ユーグはずるずるとしゃがみ込んだ。ルシアンが妙な冗談でおもちゃにしてくるのはよくあることだったが、今回のは特に効いた。胸に手を当てて、早鐘のように鳴る心臓の音を少しでも早く鎮めようとする。
(でも、殿下はリゼット嬢とそんな話をしたんだな)
茶会の時の二人の姿が脳裏によみがえる。冠を戴き、礼服に身を包んだルシアンの隣に、皇后に相応しい装いをしたリゼットが寄り添い、国民の祝福を受ける姿が想像できるくらい似合いだった。
(この妃選びを勝ち抜くのはきっとリゼット嬢だろうな。彼女なら、他のご令嬢と違って、裏表がなくて、心が広くて、ちょっと騒がしいところがあるけれど、立ち居振る舞いも申し分ない。安心して殿下をお任せできる。でも……)
どうしても胸に切なさがこみ上げてくる。ルシアンが部屋にこもっているのを良いことに、ユーグは気持ちが落ち着くまでしゃがみ込んだままでいた。
茶会の日の夜にエスカリエへたどり着いたパメラとシモンも、日曜の出発前までには疲れも取れ、元気になっていた。
「こうなったからには、『ラディアント トレゾール』を満員御礼にして、皇后に勝つしかないな。幸い皇太子殿下のおかげで、皇太子妃候補とその保護者を客として確保できた。もっと多くの人間をエストカピタールに集めるんだ」
リゼットはシモンに言われるまでルシアンの狙いに気が付いていなかった。前世ではあれほどチケットさばきに苦労したのに、それを忘れさせるほど、劇的な救出劇からの旅への誘いは、彼女の恋心を燃やしたのだった。
「二か所で妃選びをなんて、まるでわたくしと演目のために無理をなさったようで、申し訳ないですわ」
現れたルシアンにリゼットは懇ろに礼を言った。
「気にするな。あなただけが不利になっているのを放っておけなかっただけだ」
近衛隊も揃い、カミーユの仮縫いが済んだ衣装もすっかり荷車に積み込まれたので、一行は出発した。行きはあれほど忙しなく恐ろしかった道中も、帰りは急ぐ必要もなく、楽しく会話しながら愉快に進んだ。リゼットとルシアンは道中でも仲睦まじく、どこからどう見ても、旅行を楽しむ恋人同士だった。
エストカピタールに到着すると、ブランシュたちはルシアンが一緒にいることに大層驚き、しかしリゼットのためにここへ来たのだと知ると、しきりににやにやして冷やかした。
リゼット不在の間に劇場と話が付いたという。レビューショーである『ラディアント トレゾール』の前にエストカピタールの劇場が準備していた芝居を上演する。国立劇場の団員は芝居の大人数の場面に、エストカピタールの団員はレビューショーの大人数の場面にそれぞれ参加し、互いに技巧を交流するということになった。二本立てとは、なんだか本物の宝川歌劇の演目のようになった。
そうと決まってから、演出家たちはリゼットから教わったレビューショーの風格を忘れず、しかし自分たちの美意識も取り入れて稽古を続けていた。ラインダンスはサビーナが伴奏しながら指導していた。リゼットより厳しかったが、なぜかぐっと完成度が上がっていた。
「殿下がせっかく都の人を呼び寄せてくれたのだから、彼らが劇場に足を運びやすい仕組みを作って、取りこぼすことなく客席に座らせなくてはいけない。そのために、エストカピタールまでの足と、宿と食事を合わせたチケットを売るんだ。ブランシュ、領主の力を使って、宿屋街や食堂、それに荷運び屋に働きかけろ」
シモンは宿泊ツアーのようなチケットの売り方を思いついた。劇場の支配人から座席表をふんだくり、席種と公演数を照らし合わせて、総枚数と値段を決めた。移動費と宿泊費が合わさったとしても少々高かった。皇太子妃候補は多少高くても買わざるを得ないのだから、わざと高額にしたのだ。
「なんだか足許をみているみたいで、気が引けるけど……」
「興行は儲けが第一なんだ。商売でお人好しは厳禁だぞ」
宿屋や食堂に話をつけるのはわりと簡単にできた。ただ足については、エストカピタール側だけではなく、出発点となる首都エスカリエでも業者を募る必要がある。ブランシュは一度エスカリエへ戻った。
その際、シモンの提案で団員のうち数人を連れて行った。彼らは道端でチラシを配りながら『ラディアント トレゾール』の主題歌に合わせてちょっとした芸を見せて、都の人間に上演禁止となった演目が見られるぞ、と大いに吹聴した。
ユーグはトランクに必要な荷物を詰めながら、主だった貴族たちがどちらへ向かうか、聞きかじった情報を知らせた。
「セブラン様はお父上と一緒に皇帝陛下に帯同するそうです。今回は家門のために動くようです。でもリアーヌ嬢はメールヴァン夫人と一緒にエストカピタールへ。ポーラック公爵はご夫妻揃ってポルトシュバルだそうです。ポーラック卿はブランシュ嬢についているので、自然、エストカピタールですが。メリザンド様はポルトシュバルとか」
名門の家柄では、皇帝と皇太子どちらとも良好なつながりを持ちたいために、家族で二か所に分かれると決めた家が多い。特に皇太子妃候補のいる家は、夫人と娘をエストカピタールへ行かせるのがほとんどだ。
「ですが、社交界を真っ二つに分けたようで、思ったよりも集客の助けにはなりませんよ」
「お前は何もかもお見通しだな」
「それはもう。何年お仕えしているとお思いですか。ですが心配です。これではまるで皇后陛下と殿下、どちらのもとに人が集まるか、対決のようになってしまって。お二人の間に溝ができないか……」
ルシアンはふと暗い顔をした。
「そうなっても仕方がないと思っている。リゼット嬢を失格にするために、遅刻厳禁として、急に茶会を催し、道中足止めするとは。いくら母でもそのような卑劣な行為は許しがたい」
「盗賊が皇后陛下のお指図とは思えません。無暗に疑うのはよろしくないと」
「お前は公正な審査を謳っていながらリゼット嬢を陥れんとする母の不正を見逃すというのか」
ルシアンの剣幕に、ユーグは思わず手に持っていたルシアンのシャツを握りしめた。反射的に謝罪の言葉が飛び出す。ルシアンはそこではっとして、頭に血が上った自分を恥ずかしく思った。
「すまない。わたしのことを案じてくれたのだよな」
「いいえ。わたくしこそ従者の身で出過ぎたことを」
「いいんだ。お前の前では気を張らずに過ごせるし、こうやって自分自身の好ましくない面を曝け出して、甘えることもできる。これからも出すぎるくらいでいてほしい」
そこでルシアンはふと何か思い出したように顔を挙げた。
「そういえばリゼット嬢が、本当の恋人というのは、気が合って、気を使う必要がなくて、一緒にいると心が暖かくなる人だと言っていたな。ちょうどお前みたいな存在なのかもしれない」
ユーグはトランクに詰める上着を落しそうになった。
「残念だったな。女だったら皇太子妃になれたぞ」
「ご、ご冗談を。そうだ。出発の日のことを、近衛隊長に伝えなくては」
急いで最後の衣服をトランクに詰めて、ユーグは急いで部屋を出て行った。冗談なのに真に受けて赤くなっているのを、からかいがいのある可愛い奴と、ルシアンは笑って見送った。
後ろ手に閉めた扉を背に、ユーグはずるずるとしゃがみ込んだ。ルシアンが妙な冗談でおもちゃにしてくるのはよくあることだったが、今回のは特に効いた。胸に手を当てて、早鐘のように鳴る心臓の音を少しでも早く鎮めようとする。
(でも、殿下はリゼット嬢とそんな話をしたんだな)
茶会の時の二人の姿が脳裏によみがえる。冠を戴き、礼服に身を包んだルシアンの隣に、皇后に相応しい装いをしたリゼットが寄り添い、国民の祝福を受ける姿が想像できるくらい似合いだった。
(この妃選びを勝ち抜くのはきっとリゼット嬢だろうな。彼女なら、他のご令嬢と違って、裏表がなくて、心が広くて、ちょっと騒がしいところがあるけれど、立ち居振る舞いも申し分ない。安心して殿下をお任せできる。でも……)
どうしても胸に切なさがこみ上げてくる。ルシアンが部屋にこもっているのを良いことに、ユーグは気持ちが落ち着くまでしゃがみ込んだままでいた。
茶会の日の夜にエスカリエへたどり着いたパメラとシモンも、日曜の出発前までには疲れも取れ、元気になっていた。
「こうなったからには、『ラディアント トレゾール』を満員御礼にして、皇后に勝つしかないな。幸い皇太子殿下のおかげで、皇太子妃候補とその保護者を客として確保できた。もっと多くの人間をエストカピタールに集めるんだ」
リゼットはシモンに言われるまでルシアンの狙いに気が付いていなかった。前世ではあれほどチケットさばきに苦労したのに、それを忘れさせるほど、劇的な救出劇からの旅への誘いは、彼女の恋心を燃やしたのだった。
「二か所で妃選びをなんて、まるでわたくしと演目のために無理をなさったようで、申し訳ないですわ」
現れたルシアンにリゼットは懇ろに礼を言った。
「気にするな。あなただけが不利になっているのを放っておけなかっただけだ」
近衛隊も揃い、カミーユの仮縫いが済んだ衣装もすっかり荷車に積み込まれたので、一行は出発した。行きはあれほど忙しなく恐ろしかった道中も、帰りは急ぐ必要もなく、楽しく会話しながら愉快に進んだ。リゼットとルシアンは道中でも仲睦まじく、どこからどう見ても、旅行を楽しむ恋人同士だった。
エストカピタールに到着すると、ブランシュたちはルシアンが一緒にいることに大層驚き、しかしリゼットのためにここへ来たのだと知ると、しきりににやにやして冷やかした。
リゼット不在の間に劇場と話が付いたという。レビューショーである『ラディアント トレゾール』の前にエストカピタールの劇場が準備していた芝居を上演する。国立劇場の団員は芝居の大人数の場面に、エストカピタールの団員はレビューショーの大人数の場面にそれぞれ参加し、互いに技巧を交流するということになった。二本立てとは、なんだか本物の宝川歌劇の演目のようになった。
そうと決まってから、演出家たちはリゼットから教わったレビューショーの風格を忘れず、しかし自分たちの美意識も取り入れて稽古を続けていた。ラインダンスはサビーナが伴奏しながら指導していた。リゼットより厳しかったが、なぜかぐっと完成度が上がっていた。
「殿下がせっかく都の人を呼び寄せてくれたのだから、彼らが劇場に足を運びやすい仕組みを作って、取りこぼすことなく客席に座らせなくてはいけない。そのために、エストカピタールまでの足と、宿と食事を合わせたチケットを売るんだ。ブランシュ、領主の力を使って、宿屋街や食堂、それに荷運び屋に働きかけろ」
シモンは宿泊ツアーのようなチケットの売り方を思いついた。劇場の支配人から座席表をふんだくり、席種と公演数を照らし合わせて、総枚数と値段を決めた。移動費と宿泊費が合わさったとしても少々高かった。皇太子妃候補は多少高くても買わざるを得ないのだから、わざと高額にしたのだ。
「なんだか足許をみているみたいで、気が引けるけど……」
「興行は儲けが第一なんだ。商売でお人好しは厳禁だぞ」
宿屋や食堂に話をつけるのはわりと簡単にできた。ただ足については、エストカピタール側だけではなく、出発点となる首都エスカリエでも業者を募る必要がある。ブランシュは一度エスカリエへ戻った。
その際、シモンの提案で団員のうち数人を連れて行った。彼らは道端でチラシを配りながら『ラディアント トレゾール』の主題歌に合わせてちょっとした芸を見せて、都の人間に上演禁止となった演目が見られるぞ、と大いに吹聴した。