第四章 思わぬライバル 十一話
文字数 3,008文字
「王女様は先に行ってはいけません。せっかく殿下が王女様と交流を深めておいでだと言って両陛下や他の人々を遠ざけているのに、王女様が出て行ったら嘘がばれる!」
そしてぎゅうぎゅうと、二人をもと来た方へ押し返そうとしてくる。
「ちょ、ちょっと、わたくしたち、これ以上先に進む予定はないから。ここでアンリエット様をお待ちすることにしたの。王女様の他のお付きの方がいらっしゃらないから」
そこで使用人はピタリと動きを止めた。
「あなたはリゼット嬢、いったいなぜ王女様と一緒に?」
まさか、兄が王女に媚薬を飲ませようとしていたことは言えない。
「鬼ごっこをしたのよ」
堪えあぐねていると、キトリィが良いようにに説明してくれた。使用人も納得してくれたようだ。
「わたしは皇太子ルシアン殿下の従者で、ユーグと申します。キトリィ王女殿下、以後お見知りおきを」
「可愛い従者さん。よろしくね!」
丁寧な宮廷式の挨拶に対して、キトリィはかなり軽く答えた。可愛い従者という言葉にがユーグにぴったりで、リゼットは思わず笑った。確かに彼は身長こそリゼットより少し高いが、体つきは細くて、目鼻立ちも柔和だった。笑われたのが嫌だったのか、ユーグはリゼットをじろりと睨んだ。
「それにしても、皇太子様はアンリエット様とお話になりたかったのね。やっぱりそうよね。あのご様子だと、まだ未練がおありだもの」
「そういうことではありません。皇太子殿下はアンリエット様に未練があって、それを断ち切るために会いに来たというわけでは断じてありません」
「ええ? なら、どうしてあなたを使ってわざわざ嘘をついてアンリエット様と二人きりになるのよ」
「そ、それはですね、キトリィ王女様との縁談を考え直してほしいと、アンリエット様を通じてリヴェール国王陛下に……」
「縁談? わたしが? 何の話?」
キトリィは二人の間できょとんと首を傾げた。
アンリエットは東屋のベンチに腰掛けた。ルシアンは立ったままアンリエットに背を向けて、暫く黙って佇んでいた。
「何かお悩みのご様子ですね」
アンリエットから声をかけた。ルシアンは顔だけをわずかに後ろに向けた。
「皇太子妃選びが始まってもう四度目の審査になります。わたしは将来国を背負って立つのに、その重責を少しでも担い手助けしてくれる、聡明で、強く、物事の道理をわきまえた女性を選びたいと思っております。ただ、令嬢たちはわたしを前にすると取り繕ってしまい、本当にふさわしい女性かどうか、見抜くのが極めて困難です。
それに両親にはこの人こそと思い定めた令嬢がいるのです。それから、朝廷の重鎮たちも政治的な思惑をもって娘を送り込んでいる。その上リヴェールまで王女様を。皇太子として、こうした政治的な意図も考慮しなければと思うのですが、皇后に相応しく、政治的にも最適な令嬢はなかないないもの。
両立できないなら、どちらか一方を優先すべきかと思いますが、ではどちらが将来国に資するだろうと考えると、答えは出なくて。そもそも皇后に相応しい女性像も間違っているのではとか、あれこれ迷いも出てきて。
こんなことをあなたに話しても、困らせてしまいますね。でもこういう心の内を打ち明けられる人は、あなた以外にいないのです。情けない話です。皇太子として強くあらねばならないのに、懐かしい人を頼るとは」
「どんな人でも、誰かに頼りたい時はありますわ」
アンリエットの穏やかな声は、まるでこの藤棚を照らす春の光のように、ルシアンの心を温めた。
「まさに、殿下がこのように頼りたいときに、寄りかかれるような女性が相応しいのでしょうね。けれど、それは殿下が考える皇后に相応しい女性でしょうか? 聡明で強く、物事の道理をわきまえた女性が真心をもって陛下に寄り添えますか?」
「寄り添ってくれるはずです。それも含めて、皇后に相応しい女性を選ぶつもりです。ですが……そのような人はいない。そう、いないのです。メリザンドも違う。リアーヌ嬢も違う。母上がお気に召した候補たちも違う。いるわけがないのです。わたしが求める理想の女性、聡明で、強く、それでいて優しく、頼りになる人は。わたしの本当の恋人は、あなただったからです」
ルシアンは振り返ってアンリエットに歩み寄り、跪いて膝の上にそろえられた手を握った。
「あなただけです。わたしがこうして心の内を曝け出せる人は。あなたこそが私の本当の恋人なのです」
迸る思いを吐露するルシアンの手をそっと外して、アンリエットは立ち上がった。そしてゆっくりと東屋を出る。
「わたくしの中で、あなたとの恋はもう終わりました。リヴェールに嫁いで本当の愛を知った今ならわかります。あの時の思いは、恋になる前の種のようなものだったと。わたくしは別の種を夫と芽吹かせ愛の花を育みました」
「わかっています。あなたとわたしは縁がなかったと。しかしわたしのなかにはまだ種が残っている」
「それは、他のどなたかと芽吹かせるものです。
殿下は皇太子というお立場に責任を感じていらっしゃる。だから、未来の皇后に相応しいかどうかとか、政治的なこととか、余計なことを考えてしまうのですね。でも、本当の恋人を探すなら、そのような考えは捨てなければなりません。ご自身の心に素直になって、本当にお側に置きたいと願う人を選ぶのです。
皇太子はあなたです。殿下自身が心から納得できる人こそが、誰よりも皇后に相応しい人。そうではありませんか。皇太子妃選びはいい機会です。ご両親の支配も、朝廷の人々の政治的な思惑も、国際的な力関係も、全て跳ねのけて自らの意志を貫くのです」
アンリエットはそこで振り返って、励ましの笑顔を贈った。
「大丈夫。殿下ならできます。皇太子として自信と誇りをもって、毅然となさいませ」
ルシアンはベンチの前で片膝をつき体をアンリエットの方へ向けた姿勢のままだったが、彼女の微笑みが力を与えたのか、すっくと立ちあがって東屋を出た。
「ありがとうアンリエット。あなたに希望と勇気をもらった。これでやっとわたしも、前へ進めそうだ」
ルシアンは右手を差し出した。敬愛はあっても慕情は一切ない仕草だった。アンリエットはその手に右手を重ね、藤棚を離れた。
木陰で待っていた三人は二人と合流し、庭園の中心部を目指した。進むごとに人が増えていった。そして様々な花が寄せ植えにしてある花壇の前で、皇帝と皇后に会った。
「王女とはよく話せたかね」
「父上、そのことなのですが……」
ルシアンはリヴェール大使をちらりと見てから、一歩進み出て堂々と話し始めた。
「リヴェール国のご厚意に反するようで非常に申し訳ないが、こたびのキトリィ王女様とわたしの縁談は破談とさせていただきたい。こうして皇太子妃選びを開催しているのですから、わたしは自分の意思で、令嬢たちの中から未来の妻を選びます」
ほれぼれするような宣言だった。リゼットも、周りで聞いていた者たちも感心し、思わず拍手しそうになった。だが、皇帝の言葉がそれを止めた。
「そなた何を言っているのだ。リヴェール国王は我が国の建国500年を祝い、皇太子妃選びに王女を参加させたが、縁談を申し込まれてはいないぞ。王女は若く社交界での経験がないゆえ、皇太子妃選びを通じて淑女としての振る舞いを学ぶのだ」
ルシアンは紫の瞳を見開いた。その白皙の顔はだんだんと赤くなっていった。
そしてぎゅうぎゅうと、二人をもと来た方へ押し返そうとしてくる。
「ちょ、ちょっと、わたくしたち、これ以上先に進む予定はないから。ここでアンリエット様をお待ちすることにしたの。王女様の他のお付きの方がいらっしゃらないから」
そこで使用人はピタリと動きを止めた。
「あなたはリゼット嬢、いったいなぜ王女様と一緒に?」
まさか、兄が王女に媚薬を飲ませようとしていたことは言えない。
「鬼ごっこをしたのよ」
堪えあぐねていると、キトリィが良いようにに説明してくれた。使用人も納得してくれたようだ。
「わたしは皇太子ルシアン殿下の従者で、ユーグと申します。キトリィ王女殿下、以後お見知りおきを」
「可愛い従者さん。よろしくね!」
丁寧な宮廷式の挨拶に対して、キトリィはかなり軽く答えた。可愛い従者という言葉にがユーグにぴったりで、リゼットは思わず笑った。確かに彼は身長こそリゼットより少し高いが、体つきは細くて、目鼻立ちも柔和だった。笑われたのが嫌だったのか、ユーグはリゼットをじろりと睨んだ。
「それにしても、皇太子様はアンリエット様とお話になりたかったのね。やっぱりそうよね。あのご様子だと、まだ未練がおありだもの」
「そういうことではありません。皇太子殿下はアンリエット様に未練があって、それを断ち切るために会いに来たというわけでは断じてありません」
「ええ? なら、どうしてあなたを使ってわざわざ嘘をついてアンリエット様と二人きりになるのよ」
「そ、それはですね、キトリィ王女様との縁談を考え直してほしいと、アンリエット様を通じてリヴェール国王陛下に……」
「縁談? わたしが? 何の話?」
キトリィは二人の間できょとんと首を傾げた。
アンリエットは東屋のベンチに腰掛けた。ルシアンは立ったままアンリエットに背を向けて、暫く黙って佇んでいた。
「何かお悩みのご様子ですね」
アンリエットから声をかけた。ルシアンは顔だけをわずかに後ろに向けた。
「皇太子妃選びが始まってもう四度目の審査になります。わたしは将来国を背負って立つのに、その重責を少しでも担い手助けしてくれる、聡明で、強く、物事の道理をわきまえた女性を選びたいと思っております。ただ、令嬢たちはわたしを前にすると取り繕ってしまい、本当にふさわしい女性かどうか、見抜くのが極めて困難です。
それに両親にはこの人こそと思い定めた令嬢がいるのです。それから、朝廷の重鎮たちも政治的な思惑をもって娘を送り込んでいる。その上リヴェールまで王女様を。皇太子として、こうした政治的な意図も考慮しなければと思うのですが、皇后に相応しく、政治的にも最適な令嬢はなかないないもの。
両立できないなら、どちらか一方を優先すべきかと思いますが、ではどちらが将来国に資するだろうと考えると、答えは出なくて。そもそも皇后に相応しい女性像も間違っているのではとか、あれこれ迷いも出てきて。
こんなことをあなたに話しても、困らせてしまいますね。でもこういう心の内を打ち明けられる人は、あなた以外にいないのです。情けない話です。皇太子として強くあらねばならないのに、懐かしい人を頼るとは」
「どんな人でも、誰かに頼りたい時はありますわ」
アンリエットの穏やかな声は、まるでこの藤棚を照らす春の光のように、ルシアンの心を温めた。
「まさに、殿下がこのように頼りたいときに、寄りかかれるような女性が相応しいのでしょうね。けれど、それは殿下が考える皇后に相応しい女性でしょうか? 聡明で強く、物事の道理をわきまえた女性が真心をもって陛下に寄り添えますか?」
「寄り添ってくれるはずです。それも含めて、皇后に相応しい女性を選ぶつもりです。ですが……そのような人はいない。そう、いないのです。メリザンドも違う。リアーヌ嬢も違う。母上がお気に召した候補たちも違う。いるわけがないのです。わたしが求める理想の女性、聡明で、強く、それでいて優しく、頼りになる人は。わたしの本当の恋人は、あなただったからです」
ルシアンは振り返ってアンリエットに歩み寄り、跪いて膝の上にそろえられた手を握った。
「あなただけです。わたしがこうして心の内を曝け出せる人は。あなたこそが私の本当の恋人なのです」
迸る思いを吐露するルシアンの手をそっと外して、アンリエットは立ち上がった。そしてゆっくりと東屋を出る。
「わたくしの中で、あなたとの恋はもう終わりました。リヴェールに嫁いで本当の愛を知った今ならわかります。あの時の思いは、恋になる前の種のようなものだったと。わたくしは別の種を夫と芽吹かせ愛の花を育みました」
「わかっています。あなたとわたしは縁がなかったと。しかしわたしのなかにはまだ種が残っている」
「それは、他のどなたかと芽吹かせるものです。
殿下は皇太子というお立場に責任を感じていらっしゃる。だから、未来の皇后に相応しいかどうかとか、政治的なこととか、余計なことを考えてしまうのですね。でも、本当の恋人を探すなら、そのような考えは捨てなければなりません。ご自身の心に素直になって、本当にお側に置きたいと願う人を選ぶのです。
皇太子はあなたです。殿下自身が心から納得できる人こそが、誰よりも皇后に相応しい人。そうではありませんか。皇太子妃選びはいい機会です。ご両親の支配も、朝廷の人々の政治的な思惑も、国際的な力関係も、全て跳ねのけて自らの意志を貫くのです」
アンリエットはそこで振り返って、励ましの笑顔を贈った。
「大丈夫。殿下ならできます。皇太子として自信と誇りをもって、毅然となさいませ」
ルシアンはベンチの前で片膝をつき体をアンリエットの方へ向けた姿勢のままだったが、彼女の微笑みが力を与えたのか、すっくと立ちあがって東屋を出た。
「ありがとうアンリエット。あなたに希望と勇気をもらった。これでやっとわたしも、前へ進めそうだ」
ルシアンは右手を差し出した。敬愛はあっても慕情は一切ない仕草だった。アンリエットはその手に右手を重ね、藤棚を離れた。
木陰で待っていた三人は二人と合流し、庭園の中心部を目指した。進むごとに人が増えていった。そして様々な花が寄せ植えにしてある花壇の前で、皇帝と皇后に会った。
「王女とはよく話せたかね」
「父上、そのことなのですが……」
ルシアンはリヴェール大使をちらりと見てから、一歩進み出て堂々と話し始めた。
「リヴェール国のご厚意に反するようで非常に申し訳ないが、こたびのキトリィ王女様とわたしの縁談は破談とさせていただきたい。こうして皇太子妃選びを開催しているのですから、わたしは自分の意思で、令嬢たちの中から未来の妻を選びます」
ほれぼれするような宣言だった。リゼットも、周りで聞いていた者たちも感心し、思わず拍手しそうになった。だが、皇帝の言葉がそれを止めた。
「そなた何を言っているのだ。リヴェール国王は我が国の建国500年を祝い、皇太子妃選びに王女を参加させたが、縁談を申し込まれてはいないぞ。王女は若く社交界での経験がないゆえ、皇太子妃選びを通じて淑女としての振る舞いを学ぶのだ」
ルシアンは紫の瞳を見開いた。その白皙の顔はだんだんと赤くなっていった。