第十章 最後のダンス 第九話
文字数 2,983文字
数日後、秋の澄んだ空に美しい月が浮かび上がる夜、遂に最後の皇太子妃選びの舞踏会が始まろうとしていた。
カミーユが張り切って作ってくれた薄い藤色のドレスを着て、リゼットは馬車に乗り込んだ。ドレスの胸元や袖口、ドレープを止めたところには、レースの小さな丸い花が群れるように銀糸で縫いつけられている。シンプルだが、明るい色合いとドレープでボリュームを出したスカートの形が目を引く。全てがリゼットにピタリと似合っていた。
髪型はハーフアップにして、肩に垂れた毛束は全て縦に巻いた。まとめた髪には真珠をちりばめたネットをかぶせて、白い羽飾りをつけている。イヤリングは小粒な真珠が垂れさがったもので、ドレスの小花とよく合っていた。ネックレスはブランシュに貸してもらった。六角形のアメジストが中央に光り、銀鎖が優雅に垂れ下がっているデザインで、こちらも誂えたようにドレスとよく合っていた。
馬車の中では、ブランシュとサビーナ、そしてパメラとずっとおしゃべりに興じていた。
「リゼットの藤色のドレスは、皇太子殿下の瞳の色に似ているでしょう。きっと隣に立ったらとっても絵になるわよ」
「ネックレスのアメシストもそうですわ。なによりリゼット様によくお似合いで、いつにもまして輝いて見えますわ」
「アメシストは国石だし、殿下の瞳もアメシストのよう。それが似合うっていうことは、もしかしたら神様は最初からリゼットを殿下に娶せるつもりだったのかもしれないわね」
彼女たちは遂に今夜友人が皇太子妃に選ばれると浮かれていた。リゼットは謙遜しつつも、その熱に当てられて、早く最後のダンスにならないかと、まだ始まってもいないのに、じれったく思っていた。
王宮に到着し、鏡の間に入ると、貴族たちがかわるがわるリゼットに挨拶しに来た。面識のある者もあればない者もいた。誰もが未来の皇太子妃とお近づきになりたいのだ。
皇太子妃候補として最後まで残ったのはメリザンド、リアーヌ、キトリィ、リゼット、公爵家の娘がもう一人の5人だった。リゼット以外は、皇后の意向や国内外の権力に最大限忖度した結果の人選となっていた。気楽な傍観者からするとあまり面白くない面子だ。
メリザンドはこれまで自分を将来の皇太子妃と崇め媚びへつらってきた者たちが、リゼットに群がる様にはらわたが煮えくり返った。だが彼女は国一の淑女の仮面を崩さずに、あくまで優雅に微笑みながらフロアを回っていた。
皇后は取り巻きにメリザンドを呼ばせて、二人だけにしろと命じた。
銅像のお披露目式のあと、皇后は連日連夜ルシアンを説得し、何とかリゼットだけはやめさせようと試みたが、ついぞ息子を翻意させられなかった。
「わたしはわたしの心のままに本当の恋人を皆の前で明かします。愛は身分も性別も超えるほど強いものです。母上が何を言おうと、わたしの決意は揺るぎません」
元々頑固で思い込んだら一直線なところがあるルシアンは、この時もまっすぐに瞳を輝かせて、母親の思惑を跳ね飛ばした。
「もうどうしようもないわ。息子はあの平民上がりの娘を選ぶつもりなのよ。どこでどう育て間違ったのかしら。本当に、あなたに申し訳なくて」
溜息をつく皇后をメリザンドは慰めた。
「お気持ちを落とさずに。皇太子妃に選ばれてから、正式に婚約発表となるまで、まだ二ヶ月ほどございます。その間にリゼットが何をしでかすかわからないではありませんか。だって元は農民ですもの、いつまで猫を被っていられるか」
彼女はまだあきらめていなかった。婚約発表まで粗探しし、粗がなければでっち上げればいい。婚約発表を過ぎたとしたら結婚式まで着け狙う。結婚式を挙げてしまったら、離縁させてでも皇太子妃の座を奪うつもりだ。それほど皇太子妃の座への執着は深い。
皇后にとってみれば、息子に離縁という不名誉を追わせたくなかったが、リゼットのしぶとさを考えると、最後は離縁もやむなしと覚悟し、とりあえず今日の結果を受け入れようと腹をくくった。
そのルシアンは白に金糸や銀糸で豪華に刺繍が施された礼装用の軍服に身を包んでいた。ユーグはいつも通り白い宮廷の使用人の衣装を着て、彼の身支度を手伝っていた。
「まて、お前はそのままの格好で行くのか? 今日は晴れの日なのに、もう少し華やかに装え」
珍しくルシアンが服装に注文を付けてきた。
「晴れの日……、そうですね。今日こそ長年見つからなかった本当の恋人と結ばれるのですから。わたしも、ちょっとめかしこんでおかなくては」
ユーグは一度部屋に戻って、ちょっと洒落たレースのスカーフを首に巻いた。それから上着も別のものに取り換えた。使用人として逸脱していないが、いつもよりは華やかに見える。
(殿下とリゼット様の門出を見守るのだから、おざなりな恰好ではいけないな。いいか、お二人の姿を見て泣いてしまったら、長くお仕えした殿下の幸せそうな姿を見て感動した、と言いつくろうんだ。絶対にこの胸の思いを知られてはならない)
鏡に映る自分を叱咤して、涙に潤む目を乱暴に拭った。
音楽隊の華やかな音色に合わせて、着飾った人々がシャンデリアの灯りの下で踊る。リゼットはシモンと一緒にフロアをくるくると回っていた。
「本当に夢のようだわ。わたしが皇太子妃なんて」
「そうだな、お前みたいな田舎娘が、よくここまで上り詰めたものだ。最初にお前を妃選びに参加させようと思ったときは、こうも上手くゆくなんて予想していなかった。家の借金は帳消しで、仕官先も見つかった、おまけに妹は未来の皇后。わたしにの前途は開けた」
「お兄様ったら、わたくしはお兄様だからって依怙贔屓はしませんから、そこはちゃんとわきまえてくださいな」
リゼットは踊りながらちらっと皇帝の側に立つルシアンを見た。今日は彼は誰とも踊っていない。その表情には緊張が見て取れた。最後のダンスのをの時を、彼も待っているのだ。
時間はゆっくりと、しかし確実に過ぎて行った。そしてとうとう運命の時がきた。
「次の曲が、本日最後のダンスとなります」
使用人の声が響くと、鏡の間は一瞬で緊張感と興奮に包まれた。リゼットたち皇太子妃候補は、皇后に連れられフロアの一角に一列に並んだ。爵位を考慮して、端からキトリィ、メリザンド、リアーヌ、もう一人の候補、最後にリゼットである。
ルシアンは皇后に促され、静まり返ったフロアの中をつかつかと歩いて令嬢たちの前に進んだ。彼が立ち止まって手を差し伸べた人が皇太子妃となる。
ルシアンはキトリィの前を通り過ぎ、メリザンドの前を通り過ぎ、リアーヌの前も通り過ぎた。リゼットは高揚して思わず目を閉じた。皇太子の靴音が隣の令嬢の前を通り過ぎて、一歩一歩近づいてくる。そしてリゼットの目の前で止まった。
リゼットは優雅に片足を折ってお辞儀をして、皇太子の手を取ろうと顔を挙げた。しかし、白い手袋をした手はこちらへ伸びていない。リゼットがなおも待っていると、ルシアンは微笑んでからくるりとリゼットに背を向けて、フロアの端の方ヘ行ってしまった。
あっけにとられる人々など気にもかけずに、ルシアンが立ち止ったのは、壁際で控えていた従者の前だった。
「ユーグ、わたしと最後のダンスを踊ってくれ」
ユーグは大きな目を零れ落ちんばかりにに見開いて、ルシアンを凝視した。
カミーユが張り切って作ってくれた薄い藤色のドレスを着て、リゼットは馬車に乗り込んだ。ドレスの胸元や袖口、ドレープを止めたところには、レースの小さな丸い花が群れるように銀糸で縫いつけられている。シンプルだが、明るい色合いとドレープでボリュームを出したスカートの形が目を引く。全てがリゼットにピタリと似合っていた。
髪型はハーフアップにして、肩に垂れた毛束は全て縦に巻いた。まとめた髪には真珠をちりばめたネットをかぶせて、白い羽飾りをつけている。イヤリングは小粒な真珠が垂れさがったもので、ドレスの小花とよく合っていた。ネックレスはブランシュに貸してもらった。六角形のアメジストが中央に光り、銀鎖が優雅に垂れ下がっているデザインで、こちらも誂えたようにドレスとよく合っていた。
馬車の中では、ブランシュとサビーナ、そしてパメラとずっとおしゃべりに興じていた。
「リゼットの藤色のドレスは、皇太子殿下の瞳の色に似ているでしょう。きっと隣に立ったらとっても絵になるわよ」
「ネックレスのアメシストもそうですわ。なによりリゼット様によくお似合いで、いつにもまして輝いて見えますわ」
「アメシストは国石だし、殿下の瞳もアメシストのよう。それが似合うっていうことは、もしかしたら神様は最初からリゼットを殿下に娶せるつもりだったのかもしれないわね」
彼女たちは遂に今夜友人が皇太子妃に選ばれると浮かれていた。リゼットは謙遜しつつも、その熱に当てられて、早く最後のダンスにならないかと、まだ始まってもいないのに、じれったく思っていた。
王宮に到着し、鏡の間に入ると、貴族たちがかわるがわるリゼットに挨拶しに来た。面識のある者もあればない者もいた。誰もが未来の皇太子妃とお近づきになりたいのだ。
皇太子妃候補として最後まで残ったのはメリザンド、リアーヌ、キトリィ、リゼット、公爵家の娘がもう一人の5人だった。リゼット以外は、皇后の意向や国内外の権力に最大限忖度した結果の人選となっていた。気楽な傍観者からするとあまり面白くない面子だ。
メリザンドはこれまで自分を将来の皇太子妃と崇め媚びへつらってきた者たちが、リゼットに群がる様にはらわたが煮えくり返った。だが彼女は国一の淑女の仮面を崩さずに、あくまで優雅に微笑みながらフロアを回っていた。
皇后は取り巻きにメリザンドを呼ばせて、二人だけにしろと命じた。
銅像のお披露目式のあと、皇后は連日連夜ルシアンを説得し、何とかリゼットだけはやめさせようと試みたが、ついぞ息子を翻意させられなかった。
「わたしはわたしの心のままに本当の恋人を皆の前で明かします。愛は身分も性別も超えるほど強いものです。母上が何を言おうと、わたしの決意は揺るぎません」
元々頑固で思い込んだら一直線なところがあるルシアンは、この時もまっすぐに瞳を輝かせて、母親の思惑を跳ね飛ばした。
「もうどうしようもないわ。息子はあの平民上がりの娘を選ぶつもりなのよ。どこでどう育て間違ったのかしら。本当に、あなたに申し訳なくて」
溜息をつく皇后をメリザンドは慰めた。
「お気持ちを落とさずに。皇太子妃に選ばれてから、正式に婚約発表となるまで、まだ二ヶ月ほどございます。その間にリゼットが何をしでかすかわからないではありませんか。だって元は農民ですもの、いつまで猫を被っていられるか」
彼女はまだあきらめていなかった。婚約発表まで粗探しし、粗がなければでっち上げればいい。婚約発表を過ぎたとしたら結婚式まで着け狙う。結婚式を挙げてしまったら、離縁させてでも皇太子妃の座を奪うつもりだ。それほど皇太子妃の座への執着は深い。
皇后にとってみれば、息子に離縁という不名誉を追わせたくなかったが、リゼットのしぶとさを考えると、最後は離縁もやむなしと覚悟し、とりあえず今日の結果を受け入れようと腹をくくった。
そのルシアンは白に金糸や銀糸で豪華に刺繍が施された礼装用の軍服に身を包んでいた。ユーグはいつも通り白い宮廷の使用人の衣装を着て、彼の身支度を手伝っていた。
「まて、お前はそのままの格好で行くのか? 今日は晴れの日なのに、もう少し華やかに装え」
珍しくルシアンが服装に注文を付けてきた。
「晴れの日……、そうですね。今日こそ長年見つからなかった本当の恋人と結ばれるのですから。わたしも、ちょっとめかしこんでおかなくては」
ユーグは一度部屋に戻って、ちょっと洒落たレースのスカーフを首に巻いた。それから上着も別のものに取り換えた。使用人として逸脱していないが、いつもよりは華やかに見える。
(殿下とリゼット様の門出を見守るのだから、おざなりな恰好ではいけないな。いいか、お二人の姿を見て泣いてしまったら、長くお仕えした殿下の幸せそうな姿を見て感動した、と言いつくろうんだ。絶対にこの胸の思いを知られてはならない)
鏡に映る自分を叱咤して、涙に潤む目を乱暴に拭った。
音楽隊の華やかな音色に合わせて、着飾った人々がシャンデリアの灯りの下で踊る。リゼットはシモンと一緒にフロアをくるくると回っていた。
「本当に夢のようだわ。わたしが皇太子妃なんて」
「そうだな、お前みたいな田舎娘が、よくここまで上り詰めたものだ。最初にお前を妃選びに参加させようと思ったときは、こうも上手くゆくなんて予想していなかった。家の借金は帳消しで、仕官先も見つかった、おまけに妹は未来の皇后。わたしにの前途は開けた」
「お兄様ったら、わたくしはお兄様だからって依怙贔屓はしませんから、そこはちゃんとわきまえてくださいな」
リゼットは踊りながらちらっと皇帝の側に立つルシアンを見た。今日は彼は誰とも踊っていない。その表情には緊張が見て取れた。最後のダンスのをの時を、彼も待っているのだ。
時間はゆっくりと、しかし確実に過ぎて行った。そしてとうとう運命の時がきた。
「次の曲が、本日最後のダンスとなります」
使用人の声が響くと、鏡の間は一瞬で緊張感と興奮に包まれた。リゼットたち皇太子妃候補は、皇后に連れられフロアの一角に一列に並んだ。爵位を考慮して、端からキトリィ、メリザンド、リアーヌ、もう一人の候補、最後にリゼットである。
ルシアンは皇后に促され、静まり返ったフロアの中をつかつかと歩いて令嬢たちの前に進んだ。彼が立ち止まって手を差し伸べた人が皇太子妃となる。
ルシアンはキトリィの前を通り過ぎ、メリザンドの前を通り過ぎ、リアーヌの前も通り過ぎた。リゼットは高揚して思わず目を閉じた。皇太子の靴音が隣の令嬢の前を通り過ぎて、一歩一歩近づいてくる。そしてリゼットの目の前で止まった。
リゼットは優雅に片足を折ってお辞儀をして、皇太子の手を取ろうと顔を挙げた。しかし、白い手袋をした手はこちらへ伸びていない。リゼットがなおも待っていると、ルシアンは微笑んでからくるりとリゼットに背を向けて、フロアの端の方ヘ行ってしまった。
あっけにとられる人々など気にもかけずに、ルシアンが立ち止ったのは、壁際で控えていた従者の前だった。
「ユーグ、わたしと最後のダンスを踊ってくれ」
ユーグは大きな目を零れ落ちんばかりにに見開いて、ルシアンを凝視した。