第九章 エストカピタールにて 第七話
文字数 3,013文字
ユーグは一人で奈落と地上をつなぐ階段に腰掛けていた。
(これで良いんだ。リゼット嬢と一緒になるのが殿下にとって一番なんだ。だけど……)
なんだかまだ煮え切らないルシアンをリゼットとくっつけようと、覚悟を決めて部屋に閉じ込めたにもかかわらず、胸が痛み、自然と涙があふれてくる。
膝に顔をうずめて泣いていると、カンカンと足音が聞こえてくる。慌てて目をこすって顔を上げると、それはノエルだった。
「あら、殿下の従者の。お嬢様をご存じありませんか? 演出家が確認したことがあると探しているのですが。……あら、あなた泣いているの?」
「いいえ、別に泣いていません」
わかりやすい嘘だった。従者が皇太子の行方を知らないというのも嘘だろう。ノエルはこの先に二人がいるのだと、階段を下りて行こうとしが。するとユーグが止めたので、ますます怪しんだ。
「さては、お嬢様は殿下と二人っきりで良い感じになっているということ? それで邪魔が入らないように、ここで見張っていろと殿下にいいつけられたのね」
ユーグは何か言い淀んで、階段の手すりに寄りかかるように座り込んだ。図星なのだろう。そうとなればノエルも邪魔する気はない。ユーグの隣に座り込み、演出家を待ちぼうけさせることにした。それにしても、ユーグの涙がどうも気にかかる。
「あなたもしかして、殿下をお嬢様に取られるのが悲しいの?」
「ち、違います」
「それじゃあそうですって言っているようなものよ。まさか、あなた殿下の事が好きなの? でも、貴族の殿方が綺麗な男の使用人と、っていうのは時々聞くわよね。あなたって美少年だから、さもありなんよ。だからこんなに切なく泣いていたのね」
「勘違いはやめてください、ありえません!」
立ち上がって強く否定したが、ノエルはそう思い込んでしまって、ルシアンには男色の気がないということだけを認識させるのがやっとだった。
「でも少し気持ちがわかるわ。わたしたちは所詮平民だから、どんなにお近くにいても、結ばれることはないのよね。わたしもシモン様に憧れているけれど、きっとシモン様からはただのメイドとしか思われていないのよ」
「……そう、ですね」
「でもいいの。わたしはシモン様のお側でお役に立てるだけで幸せですもの。それにシモン様の素晴らしさと冴えわたる頭脳についていける女性なんていないから、お嫁さんなんて現れないかもしれないし。それなら願ったりかなったりかなって」
ノエルが熱っぽく話していると、遂にしびれを切らした演出家が探しに来た。時間切れだと、ユーグは重い腰を上げて部屋に近付いた。
部屋の中でリゼットは相変わらず恋人らしく過ごす時間を満喫していた。我ながら大仰すぎるかと思われる愛の言葉が飛び出てしまい、恥ずかしがっていたのだが、どういうわけか、ルシアンから返事がなかった。
(あれ、もしかして、引かれた?)
心配になってリゼットがそっとルシアンの顔を覗き込むと、なにか衝撃的な事実を知ってしまったような、少々青ざめた顔をしていた。
「魂で結ばれている、だから、どんな姿であろうと、出会って、恋に落ちて、いずれ結ばれる運命だと」
「ええ、あくまでわたくしが思う、本当の恋人ですけれど」
「だが、もし相手があなたを本当の恋人だと気が付かなかったら、あるいは、気が付いていても色々と事情があって結ばれることがないとしたら、いや、そうじゃない。わたしが言いたいのはつまり、愛しても報われると限らないが、それでも魂で結ばれた相手への愛は変わらないのだろうか」
突然悲壮な問いかけをされ、リゼットは戸惑った。
(どういう意味? もしかして、わたしの愛の深さを試されているのかしら?)
リゼットは固い決意をもって答えた。
「もし殿下がわたくしを選んでくださらなくても、殿下がお幸せならそれでいいと思えるくらい、わたくしの愛は消えませんわ。見返りを求めないのも、愛の姿ですわ」
それを聞くと、ルシアンはますます青白くなって、ふらふらとあるきステンドグラスが描かれた衝立に手をついた。
そこで、扉が開いて、ユーグとノエル、そして演出家がやってきた。リゼットはすぐに演出家に引っ張られて地上へ連れていかれた。
(殿下、どうしたのかしら。まさか、わたしご機嫌を損ねてしまったの?)
舞台を監督していても、先ほどのルシアンの様子が気になって、どこか上の空だった。
一方のルシアンは、部屋を出た時には、いつも通りを装っていたが、宿に戻ると近衛隊士の様子を見ることもなく、窓際の椅子に座り込んで、微動だにしなかった。
「殿下、どうなさいましたか? お顔の色が悪いようですが」
ユーグ声をかけると、ルシアンは油を指していない蝶番のように、ゆっくりと姿勢を直してユーグをまっすぐ見つめた。
「お前は、わたしがリゼット嬢と結ばれたとして、どう思う?」
「はい?」
突拍子もない問いかけに驚いたのではない。彼にただの主以上の感情を抱いているから、その質問に答えるのが辛かったのだ。だがルシアンははぐらかすのを許さず、厳しく追及してくる。
「……リゼット嬢はとてもいい方です。あの方がお妃となられるなら、殿下にとって良いことです。わたしは……祝福しますよ」
「リゼット嬢を妃としたとして、お前はその後どうする?」
「どうって、それは今まで通りです。殿下の従者ですから、お側でお仕えします。わたしは殿下のお役に立てればそれでいいのです」
ノエルが言った通り、ルシアンとは所詮結ばれない運命。ならば側にいられるだけでいい。それで満足するのが分相応で、誰もが幸せになる結末だ。
するとルシアンは額に手をやり、椅子の背にもたれきって天を仰いだ。
「殿下、ご様子がおかしいですよ。お加減が悪いですか?」
暑気あたりだろうか。近付いて介抱しようとすると、身をよじって拒否された。
「……すまないが、一人にしてくれ」
いつになく冷たい声だった。ユーグにその冷たさは堪えたが、命令に従って静かに外へ出た。
それにしても、あんなことを聞いてくるくらいだから、ルシアンはもうリゼットに心を決めているようだった。それがユーグの胸を抉った。
一方のルシアンは、妃選びが始まってからずっと悩んでいた本当の恋人について、今日やっとたどり着いた答えに打ちひしがれていた。
(わたしの本当の恋人はユーグだったのか。あいつといると気を張らなくて済むし、心が暖かくなるし、本当の自分をさらけ出せる。それにあいつはわたしに無償の愛を注いでくれているではないか。本当の恋人の条件はすべて満たしている。
だが、あいつは男で従者だ。同性を愛する者がいると聞いたことがあるが、まさかわたしとユーグがそうだったとは。そんなことは神が許しはしない。例え神が許したとして、皇太子の立場で許されることではない。なんということだろう。わたしはいったいどうしたらいいんだ)
リゼットの愛の言葉は、ユーグこそが本当の恋人だという答えを裏付ける材料になってしまっていた。真面目が過ぎる皇太子は、ずっと恋愛相談をしているつもりでいて、リゼットが自らに恋しているなど、思っていなかったのである。
やっと見つけた本当の恋人。だが性別と身分という二つの壁が立ちふさがっている。見つかればすべて解決すると思っていたのに、却って悩ましい問題に悩むことになり、ルシアンはその日から宿にこもりっきりになってしまった。
(これで良いんだ。リゼット嬢と一緒になるのが殿下にとって一番なんだ。だけど……)
なんだかまだ煮え切らないルシアンをリゼットとくっつけようと、覚悟を決めて部屋に閉じ込めたにもかかわらず、胸が痛み、自然と涙があふれてくる。
膝に顔をうずめて泣いていると、カンカンと足音が聞こえてくる。慌てて目をこすって顔を上げると、それはノエルだった。
「あら、殿下の従者の。お嬢様をご存じありませんか? 演出家が確認したことがあると探しているのですが。……あら、あなた泣いているの?」
「いいえ、別に泣いていません」
わかりやすい嘘だった。従者が皇太子の行方を知らないというのも嘘だろう。ノエルはこの先に二人がいるのだと、階段を下りて行こうとしが。するとユーグが止めたので、ますます怪しんだ。
「さては、お嬢様は殿下と二人っきりで良い感じになっているということ? それで邪魔が入らないように、ここで見張っていろと殿下にいいつけられたのね」
ユーグは何か言い淀んで、階段の手すりに寄りかかるように座り込んだ。図星なのだろう。そうとなればノエルも邪魔する気はない。ユーグの隣に座り込み、演出家を待ちぼうけさせることにした。それにしても、ユーグの涙がどうも気にかかる。
「あなたもしかして、殿下をお嬢様に取られるのが悲しいの?」
「ち、違います」
「それじゃあそうですって言っているようなものよ。まさか、あなた殿下の事が好きなの? でも、貴族の殿方が綺麗な男の使用人と、っていうのは時々聞くわよね。あなたって美少年だから、さもありなんよ。だからこんなに切なく泣いていたのね」
「勘違いはやめてください、ありえません!」
立ち上がって強く否定したが、ノエルはそう思い込んでしまって、ルシアンには男色の気がないということだけを認識させるのがやっとだった。
「でも少し気持ちがわかるわ。わたしたちは所詮平民だから、どんなにお近くにいても、結ばれることはないのよね。わたしもシモン様に憧れているけれど、きっとシモン様からはただのメイドとしか思われていないのよ」
「……そう、ですね」
「でもいいの。わたしはシモン様のお側でお役に立てるだけで幸せですもの。それにシモン様の素晴らしさと冴えわたる頭脳についていける女性なんていないから、お嫁さんなんて現れないかもしれないし。それなら願ったりかなったりかなって」
ノエルが熱っぽく話していると、遂にしびれを切らした演出家が探しに来た。時間切れだと、ユーグは重い腰を上げて部屋に近付いた。
部屋の中でリゼットは相変わらず恋人らしく過ごす時間を満喫していた。我ながら大仰すぎるかと思われる愛の言葉が飛び出てしまい、恥ずかしがっていたのだが、どういうわけか、ルシアンから返事がなかった。
(あれ、もしかして、引かれた?)
心配になってリゼットがそっとルシアンの顔を覗き込むと、なにか衝撃的な事実を知ってしまったような、少々青ざめた顔をしていた。
「魂で結ばれている、だから、どんな姿であろうと、出会って、恋に落ちて、いずれ結ばれる運命だと」
「ええ、あくまでわたくしが思う、本当の恋人ですけれど」
「だが、もし相手があなたを本当の恋人だと気が付かなかったら、あるいは、気が付いていても色々と事情があって結ばれることがないとしたら、いや、そうじゃない。わたしが言いたいのはつまり、愛しても報われると限らないが、それでも魂で結ばれた相手への愛は変わらないのだろうか」
突然悲壮な問いかけをされ、リゼットは戸惑った。
(どういう意味? もしかして、わたしの愛の深さを試されているのかしら?)
リゼットは固い決意をもって答えた。
「もし殿下がわたくしを選んでくださらなくても、殿下がお幸せならそれでいいと思えるくらい、わたくしの愛は消えませんわ。見返りを求めないのも、愛の姿ですわ」
それを聞くと、ルシアンはますます青白くなって、ふらふらとあるきステンドグラスが描かれた衝立に手をついた。
そこで、扉が開いて、ユーグとノエル、そして演出家がやってきた。リゼットはすぐに演出家に引っ張られて地上へ連れていかれた。
(殿下、どうしたのかしら。まさか、わたしご機嫌を損ねてしまったの?)
舞台を監督していても、先ほどのルシアンの様子が気になって、どこか上の空だった。
一方のルシアンは、部屋を出た時には、いつも通りを装っていたが、宿に戻ると近衛隊士の様子を見ることもなく、窓際の椅子に座り込んで、微動だにしなかった。
「殿下、どうなさいましたか? お顔の色が悪いようですが」
ユーグ声をかけると、ルシアンは油を指していない蝶番のように、ゆっくりと姿勢を直してユーグをまっすぐ見つめた。
「お前は、わたしがリゼット嬢と結ばれたとして、どう思う?」
「はい?」
突拍子もない問いかけに驚いたのではない。彼にただの主以上の感情を抱いているから、その質問に答えるのが辛かったのだ。だがルシアンははぐらかすのを許さず、厳しく追及してくる。
「……リゼット嬢はとてもいい方です。あの方がお妃となられるなら、殿下にとって良いことです。わたしは……祝福しますよ」
「リゼット嬢を妃としたとして、お前はその後どうする?」
「どうって、それは今まで通りです。殿下の従者ですから、お側でお仕えします。わたしは殿下のお役に立てればそれでいいのです」
ノエルが言った通り、ルシアンとは所詮結ばれない運命。ならば側にいられるだけでいい。それで満足するのが分相応で、誰もが幸せになる結末だ。
するとルシアンは額に手をやり、椅子の背にもたれきって天を仰いだ。
「殿下、ご様子がおかしいですよ。お加減が悪いですか?」
暑気あたりだろうか。近付いて介抱しようとすると、身をよじって拒否された。
「……すまないが、一人にしてくれ」
いつになく冷たい声だった。ユーグにその冷たさは堪えたが、命令に従って静かに外へ出た。
それにしても、あんなことを聞いてくるくらいだから、ルシアンはもうリゼットに心を決めているようだった。それがユーグの胸を抉った。
一方のルシアンは、妃選びが始まってからずっと悩んでいた本当の恋人について、今日やっとたどり着いた答えに打ちひしがれていた。
(わたしの本当の恋人はユーグだったのか。あいつといると気を張らなくて済むし、心が暖かくなるし、本当の自分をさらけ出せる。それにあいつはわたしに無償の愛を注いでくれているではないか。本当の恋人の条件はすべて満たしている。
だが、あいつは男で従者だ。同性を愛する者がいると聞いたことがあるが、まさかわたしとユーグがそうだったとは。そんなことは神が許しはしない。例え神が許したとして、皇太子の立場で許されることではない。なんということだろう。わたしはいったいどうしたらいいんだ)
リゼットの愛の言葉は、ユーグこそが本当の恋人だという答えを裏付ける材料になってしまっていた。真面目が過ぎる皇太子は、ずっと恋愛相談をしているつもりでいて、リゼットが自らに恋しているなど、思っていなかったのである。
やっと見つけた本当の恋人。だが性別と身分という二つの壁が立ちふさがっている。見つかればすべて解決すると思っていたのに、却って悩ましい問題に悩むことになり、ルシアンはその日から宿にこもりっきりになってしまった。