第九章 エストカピタールにて 第五話
文字数 2,971文字
ポーラック公爵は、屋敷を出たり入ったりして奔走する娘に一言釘を刺した。
「夢中になるのはいいが、あまり調子よく引き受けるものではないぞ。我が家とて財が湧いて出るわけではないからな。長旅に必要なのは馬車や荷車だけではない。道中の安全も重要だ。計画通り多くの客が一斉に移動するとなれば、盗賊たちの格好の餌食になってしまうぞ。もし客が襲われたらどうするつもりだ。それを防ぐためには護衛を雇う必要があるが、それだけの規模の客の護衛となると、大人数になる。お前の好きにできる金でどこまでできる。
それに、先に断っておくがわたしは皇帝陛下に従ってポルトシュパルへ行く。主だった貴族は、家長はポルトシュパルへ、女子供は物見遊山でエストカピタールへと決めているところもある。皇帝陛下の威光の前では、そう多くの者が集まらないぞ」
道中の護衛については全く頭になかったブランシュは、一度部屋に戻って割り振る予算を見直すことになった。
「娘が頑張っているのだから、協力してやっても良いではないか。まったく、冷たい父親じゃ」
「いいえおじい様、わたくしはまだまだ甘かったとわかりましたわ。護衛を雇うことを考えると、馬車も荷車もこんなに用意できません。でも馬車を減らしたら、最低限呼びこまなくては赤字になる人数を下回ってしまいます。
それにお父様の言う通り、皇太子殿下がこちらに来てくれても、貴族たちの半分はやはり来てくれませんのよ。市民の客も入れますけれど、当てにしているのはお金持ちの貴族。より多くの方々をこちらに誘わなければならないけど、宣伝だけでは解決しませんわ」
ブランシュは机に頬杖をついた。しかし、ここで投げ出すような彼女ではない。
「とにかく、何とか方法を考えるだけですわ。おじい様、見ていてくださいな。絶対に成功させて見せますから」
翌日から護衛を引き受けてくれる人員を募るため、ブランシュは少々治安の悪い地域で、ごろつきに仕事を斡旋する酒場を回った。もちろんポーッラク卿が屈強な護衛をつけたので、危ない目には遭わなかったが、何も知らない箱入り令嬢と舐められて、まったく人を集められなかった。
予定より滞在が長引きそうなので、一度エストカピタールに手紙を送って事情を説明した。
「もしかしたらリゼット嬢たちが、何か良い方法を思いつくかもしれん。ちょっと休憩してもいいんじゃないかの」
そういってポーラック卿が差し出したのは、キトリィからの昼食の誘いだった。きっと彼女もリゼットのことが気になっているのだろう。ブランシュは気分を変えてみたら解決策を思いつくやもと、誘いを受けることにした。
キトリィは案の定、エストカピタールでのリゼットの演目がどうなるのかと、食事もそっちのけで矢継ぎ早に質問してきた。ブランシュが現状まだいくつか問題点があると話すと、アンリエットと意味ありげに顔を見合わせて笑った。
「皇帝陛下のご威光のせいで、お客を集められないとのことですが、実は少しでもお力になりたいと、王女様が一つ手を打ったのです」
と、アンリエットから手渡されたのは、一通の手紙だった。文末のサインはリヴェール国王のものだった。
「トレゾールのエストカピタールにて行われる興行、『ラディアント トレゾール』を我が国とトレゾールの友好記念興行と認定する……。わたくしたちの演目を友好事業の一つとお認めになったと?」
「ええ。こうなると友好国の顔を立てるためにも、皇帝陛下も『ラディアント トレゾール』を無視できなくなりますわ。ご自身で赴くか、名代として名門貴族の方を派遣するはずです。それも一人ではなく。それにリヴェールも避暑の習慣がありますから、リヴェールからも貴族や芸術家を招く手はずになっておりますの。移動に時間がかかりますので、到着は避暑の終わり頃になってしまいますが。
王女様の姉君はプリュネ国に嫁ぎ女王となっておられます。女王陛下からも同様の認定をいただいておりますから、プリュネからもお客がやってきますわ」
それもこれも、キトリィがエストカピタールに行きたがったために打った手だった。
「わたしは王女だから、皇帝陛下についていかないとダメと言われたの。でも友好事業なら、わたしが行かないなんてことはできなくなるでしょう。だからお父様とお姉様に手紙を書いたのよ。もちろん、めいっぱい淑女らしいお上品な文章にしたのよ。そうしたら、お父様もわたしがこっちで頑張っているって喜んで、絶対に認めてくれると思ったの」
リヴェール国王は末娘を溺愛しているので、ただでも彼女の頼みを聞き入れただろうが、さらに娘の成長を手紙で見せつけられたら、もう一も二もなく許したに違いない。父親ばかりではなく、姉まで妹可愛さに友好事業の認可を出してしまうのだから、キトリィがあんまり子供っぽいのも納得というものだ。
とはいえ、これで集客力は大きく上がった。ただ、客が増えても護衛の問題は解決しない。むしろ人が増えれば、馬車も足りなくなってしまう。護衛にかける費用のために馬車を減らしたら、客がいてもエストカピタールまで運べない。馬車を増やしても護衛がいない。
しかし、ブランシュの煩悶は程なくして解決した。手紙を見たルシアンが、近衛隊や彼の権限で動かせるその他の部隊にエストカピタールへ向かう人々の護送を命じたのだ。
友好国の王室との友好事業となったからには、リヴェールの代表として赴くキトリィに護衛をつけなければいけないし、皇帝の名代として送り込む貴族たちも、ただ派遣すればいいというものではない。彼ら以外については、用心護送の訓練という建前にした。
もちろん避暑のシーズンに働く隊士たちには『ラディアント トレゾール』を良い席で観劇できるよう取り計らっている。若者が多いので、みな皇太子からの命令が届くと、喜び勇んで訓練に参加した。
「なんということでしょう。訓練なんて詭弁でリゼット嬢に便宜を図るなんて。キトリィ王女もあの娘にほだされてしまって。リヴェールとの友好関係に傷をつけられないから、反対もできない。こんなことになるなんて」
何とか皇帝自らエストカピタールへ行くのは阻止できたが、名代としてポーラック公爵やソンルミエール公爵まで行ってしまうことになった。皇太子妃候補もほとんどは皇太子の元へ行く。ポルトシュパルは閑古鳥が鳴いている。皇后は地団太踏んで悔しがったが、何をしてもリゼット優勢の流れは変えられなかった。
「本当に感謝していますわ。何から何までお助けいただいて。でも殿下に頼りっぱなしになって、申し訳なく思っています」
リハーサルをルシアンに見学させた後、リゼットは夕暮れのエストカピタールを二人で散策した。
「いいや。演目を楽しみにしていたから、そのために協力しただけだ。それに、母のやり方に対抗したい。権力を使って立場の弱い者を困らせるのは正しい行いではない。
だから、これはわたしがあなたを贔屓してやっていることではないのだ。わたしの力で助けてやろうとか、そういう傲慢な気持ちはない」
「まぁ、殿下。私が前に言ったことを、気にしてくださっているのですか」
「それはそうだ。あの話はとても心に響いたからな」
ゆったりと歩調を合わせて二人の歩みは、夕暮れが星空になるまで続いた。
「夢中になるのはいいが、あまり調子よく引き受けるものではないぞ。我が家とて財が湧いて出るわけではないからな。長旅に必要なのは馬車や荷車だけではない。道中の安全も重要だ。計画通り多くの客が一斉に移動するとなれば、盗賊たちの格好の餌食になってしまうぞ。もし客が襲われたらどうするつもりだ。それを防ぐためには護衛を雇う必要があるが、それだけの規模の客の護衛となると、大人数になる。お前の好きにできる金でどこまでできる。
それに、先に断っておくがわたしは皇帝陛下に従ってポルトシュパルへ行く。主だった貴族は、家長はポルトシュパルへ、女子供は物見遊山でエストカピタールへと決めているところもある。皇帝陛下の威光の前では、そう多くの者が集まらないぞ」
道中の護衛については全く頭になかったブランシュは、一度部屋に戻って割り振る予算を見直すことになった。
「娘が頑張っているのだから、協力してやっても良いではないか。まったく、冷たい父親じゃ」
「いいえおじい様、わたくしはまだまだ甘かったとわかりましたわ。護衛を雇うことを考えると、馬車も荷車もこんなに用意できません。でも馬車を減らしたら、最低限呼びこまなくては赤字になる人数を下回ってしまいます。
それにお父様の言う通り、皇太子殿下がこちらに来てくれても、貴族たちの半分はやはり来てくれませんのよ。市民の客も入れますけれど、当てにしているのはお金持ちの貴族。より多くの方々をこちらに誘わなければならないけど、宣伝だけでは解決しませんわ」
ブランシュは机に頬杖をついた。しかし、ここで投げ出すような彼女ではない。
「とにかく、何とか方法を考えるだけですわ。おじい様、見ていてくださいな。絶対に成功させて見せますから」
翌日から護衛を引き受けてくれる人員を募るため、ブランシュは少々治安の悪い地域で、ごろつきに仕事を斡旋する酒場を回った。もちろんポーッラク卿が屈強な護衛をつけたので、危ない目には遭わなかったが、何も知らない箱入り令嬢と舐められて、まったく人を集められなかった。
予定より滞在が長引きそうなので、一度エストカピタールに手紙を送って事情を説明した。
「もしかしたらリゼット嬢たちが、何か良い方法を思いつくかもしれん。ちょっと休憩してもいいんじゃないかの」
そういってポーラック卿が差し出したのは、キトリィからの昼食の誘いだった。きっと彼女もリゼットのことが気になっているのだろう。ブランシュは気分を変えてみたら解決策を思いつくやもと、誘いを受けることにした。
キトリィは案の定、エストカピタールでのリゼットの演目がどうなるのかと、食事もそっちのけで矢継ぎ早に質問してきた。ブランシュが現状まだいくつか問題点があると話すと、アンリエットと意味ありげに顔を見合わせて笑った。
「皇帝陛下のご威光のせいで、お客を集められないとのことですが、実は少しでもお力になりたいと、王女様が一つ手を打ったのです」
と、アンリエットから手渡されたのは、一通の手紙だった。文末のサインはリヴェール国王のものだった。
「トレゾールのエストカピタールにて行われる興行、『ラディアント トレゾール』を我が国とトレゾールの友好記念興行と認定する……。わたくしたちの演目を友好事業の一つとお認めになったと?」
「ええ。こうなると友好国の顔を立てるためにも、皇帝陛下も『ラディアント トレゾール』を無視できなくなりますわ。ご自身で赴くか、名代として名門貴族の方を派遣するはずです。それも一人ではなく。それにリヴェールも避暑の習慣がありますから、リヴェールからも貴族や芸術家を招く手はずになっておりますの。移動に時間がかかりますので、到着は避暑の終わり頃になってしまいますが。
王女様の姉君はプリュネ国に嫁ぎ女王となっておられます。女王陛下からも同様の認定をいただいておりますから、プリュネからもお客がやってきますわ」
それもこれも、キトリィがエストカピタールに行きたがったために打った手だった。
「わたしは王女だから、皇帝陛下についていかないとダメと言われたの。でも友好事業なら、わたしが行かないなんてことはできなくなるでしょう。だからお父様とお姉様に手紙を書いたのよ。もちろん、めいっぱい淑女らしいお上品な文章にしたのよ。そうしたら、お父様もわたしがこっちで頑張っているって喜んで、絶対に認めてくれると思ったの」
リヴェール国王は末娘を溺愛しているので、ただでも彼女の頼みを聞き入れただろうが、さらに娘の成長を手紙で見せつけられたら、もう一も二もなく許したに違いない。父親ばかりではなく、姉まで妹可愛さに友好事業の認可を出してしまうのだから、キトリィがあんまり子供っぽいのも納得というものだ。
とはいえ、これで集客力は大きく上がった。ただ、客が増えても護衛の問題は解決しない。むしろ人が増えれば、馬車も足りなくなってしまう。護衛にかける費用のために馬車を減らしたら、客がいてもエストカピタールまで運べない。馬車を増やしても護衛がいない。
しかし、ブランシュの煩悶は程なくして解決した。手紙を見たルシアンが、近衛隊や彼の権限で動かせるその他の部隊にエストカピタールへ向かう人々の護送を命じたのだ。
友好国の王室との友好事業となったからには、リヴェールの代表として赴くキトリィに護衛をつけなければいけないし、皇帝の名代として送り込む貴族たちも、ただ派遣すればいいというものではない。彼ら以外については、用心護送の訓練という建前にした。
もちろん避暑のシーズンに働く隊士たちには『ラディアント トレゾール』を良い席で観劇できるよう取り計らっている。若者が多いので、みな皇太子からの命令が届くと、喜び勇んで訓練に参加した。
「なんということでしょう。訓練なんて詭弁でリゼット嬢に便宜を図るなんて。キトリィ王女もあの娘にほだされてしまって。リヴェールとの友好関係に傷をつけられないから、反対もできない。こんなことになるなんて」
何とか皇帝自らエストカピタールへ行くのは阻止できたが、名代としてポーラック公爵やソンルミエール公爵まで行ってしまうことになった。皇太子妃候補もほとんどは皇太子の元へ行く。ポルトシュパルは閑古鳥が鳴いている。皇后は地団太踏んで悔しがったが、何をしてもリゼット優勢の流れは変えられなかった。
「本当に感謝していますわ。何から何までお助けいただいて。でも殿下に頼りっぱなしになって、申し訳なく思っています」
リハーサルをルシアンに見学させた後、リゼットは夕暮れのエストカピタールを二人で散策した。
「いいや。演目を楽しみにしていたから、そのために協力しただけだ。それに、母のやり方に対抗したい。権力を使って立場の弱い者を困らせるのは正しい行いではない。
だから、これはわたしがあなたを贔屓してやっていることではないのだ。わたしの力で助けてやろうとか、そういう傲慢な気持ちはない」
「まぁ、殿下。私が前に言ったことを、気にしてくださっているのですか」
「それはそうだ。あの話はとても心に響いたからな」
ゆったりと歩調を合わせて二人の歩みは、夕暮れが星空になるまで続いた。