第十二章 ざわめく社交界 第七話
文字数 2,930文字
奇病にかかったことになっている皇太子ルシアンはもちろん欠席。皇族も貴族も屋外へ出てゆくのだから、監視の目はだいぶ緩む。ソフィを王宮についれていくのでも、ルシアンが王宮の外に出るのでもやりやすい。これを逃すと、本当にすべてが解決した後まで機会はないかもしれない。リゼットはぜひとも二人を合わせたいと友人たちに相談した。
「危ないかもしれないけれど、ソフィの名誉回復のためには、多くの人に真実を明かす場が必要になるわ。それは当然王宮の舞踏会とかそういう場面になるでしょうけれど、わたくしたちが自由にできない。皇帝陛下と皇后陛下にこの事を申し上げて、場を作ってくれるよう頼むのは、殿下以外には務まらないでしょう。その場が想いが通じ合ってから初対面でもあるっていうのは、殿下も冷静さを欠いてしまうでしょうから、一度ソフィと対面して、本人の口から事情を聞き、二人で添い遂げるのだという決意を新たにしてもらうことは大事かもしれないわね。
それに、殿下がまた何か斜め上の思い込みをしている可能性もあるから、そうなっていないことを確かめるためにも、ソフィはもちろんリゼットも、殿下と会って話した方がいいかもしれないわ」
こういうことに関しては慎重なサビーナから許可をもらって、リゼットは具体的にどうするかを相談し、天体観測会の日に決行することにした。ソフィにそのことを伝えると、真っ先に誰かに見つかりはしないかと心配したが、頬をバラ色に染め、喜色を隠せていなかった。そういう彼女の様子がとても可愛らしくて、リゼットは大いに張り切って、こっそりと計画を進めた。
そして天体観測会の当日、リゼットはメイドの服を着て、ブランシュたちの馬車に同乗した。丘にはわざと時間ギリギリに到着するように遅く出発したので、道で他の馬車に出会うことも少ない。
馬車は夜道をまっすぐ丘には向かわずに、一度王宮へ寄った。裏門王宮の門では、セブランが待っていた。リゼットはセブランと一緒に王宮の中へっていった。馬車はそれを見届けて、天体観測会の会場へ向かった。
リゼットはセブランに連れられて、王宮の使用人たちが出入りする場所へ入って行った。そして洗濯物を集めた部屋をへ入った。
「すまないが、洗濯籠をかしてくれないか。殿下が治療の後で取り乱されて、薬を寝具にこぼしてしまったのだ」
「わたしが運ぶわ」
セブランの嘘を信じた使用人は、車輪のついた大きな洗濯籠を押してよこした。リゼットは皇太子付きのメイドの振りをして、洗濯籠を受け取ると、二人でルシアンの部屋へ向かう。
天体観測会へ出かけた皇族たちと一緒に、お付きの者や警備の兵士も王宮を出てしまっていたので、建物の中は常より静かだった。しかし部屋の扉の前には相変わらず近衛兵が二人立っていた。
兵士はセブランの姿が目に入ると、敬礼して中へ通した。もちろん、リゼットの正体もばれなかった。リゼットは内心でガッツポーズをきめていた。
二人が部屋に入って、扉が閉まる音がすると、ルシアンは寝台からむくりと起き上がった。
「リゼット嬢、セブラン、わたしのためにここまでしてくれて、感謝する」
「お礼はいいから、とにかく急ぎましょう。遅くなるとみんな戻ってきてしまいますわ」
リゼットはルシアンを急かした。ルシアンはすぐにベッドから降りてマントを羽織ると、セブランの助けを借りて、洗濯籠の中に入り込み、膝を抱えて座った。その上に寝具をかぶせ、姿を完全に隠す。そしてリゼットは洗濯籠を押し、セブランと一緒に何食わぬ顔で部屋を出る。
もし中身が寝具だけだったらリゼットでも難なく押せるが、成人男性一人分の重さとなると、どうしても腕力が足りない。誰の目もないところででは、セブランも一緒に押してくれて、どうにか門のところまで運び出すことができた。
ルシアンを籠から出すと、三人でセブランの馬車に乗り込み、カミーユの家へ向かった。
馬車は目立たぬように速度を落として走った。闇に紛れて、洋品店と生地の問屋が乱立する通りを抜け、民家と民家の間に小さな店がぽつりぽつりと並ぶ路地へ入って行く。そして糸巻の看板の下がった建物の前で止まった。
ルシアンはマントのフードを目深にかぶって、リゼットが開けた扉の中へ滑りこむように入った。リゼットもセブランもそれに続く。
もとは工房であった一階の部屋には明かりがともっていて、ドレスを着たソフィがカミーユと一緒に待っていた。ソフィとルシアンは互いに目が合うと、吸い寄せられるように抱き合った。
「殿下、お会いしたかった」
「ユーグ、いやソフィ、わたしもずっとお前に焦がれていた。おまえこそが、私が見つけた本当の恋人だ」
二人はしばし抱き合って愛を囁き合った。居合わせた三人は目のやり場に困って各々部屋の隅にたまったほこりや、床の木目を見つめてやり過ごした。しかしロマンティックだったのはそこまでで、体を離してからルシアンは大まじめにこんなことを言った。
「もう一度言うが、わたしはお前、つまりソフィのことを愛している。勘違いではなく、本当に心からそう思っている。そしてお前も、わたしを愛してくれているのだな。それで相違ないな」
「えっ? ああ、はい、そうですが……」
「よかった。どうだセブラン、それにリゼット嬢、それから仕立屋殿。わたしたち二人の間に行き違いは発生していないな。わたしの言葉もソフィの言葉も曖昧ではないな」
自らの思い込みで事態を複雑にしてしまった張本人だから、確認せずにはいられなかったようだ。リゼットたちは思わず噴き出した。
それを潮に、五人は工房の椅子に腰かけて、改めて現在の状況と今後のこと話し合った。
「真実を明かす場を設けるのは簡単だ。わたしがすっかり治ったと言って、快癒の祝いの集まりを開いてもらうよう父上と母上に申し出ればいい。今のお二人のご様子を見ると、大喜びして盛大に祝おうとするだろう」
そこで、社交界の人々に全てを明かせば、晴れてソフィは貴族の令嬢に戻り、皇太子妃になれる。それまでルシアンは病人のふりをして、何か動きがあればパメラを通して知らせることになった。
「でも、それでわたしの名誉を回復できる保証はないのです。もしフルーレトワール家の潔白を証明できなければ、わたしは……」
「ソフィ、希望を失ってはいけない。もしシモン殿が成果を挙げられなかったとしても、わたしがなんとしてもお前の名誉を回復する。それに、もし名誉を回復できなかったとしても、わたしはお前を見捨てはしない。妃として側に置く。誰が反対しようと構わない。もう離れたくない」
「殿下……」
ルシアンは項垂れるソフィの肩をしっかりと抱いた。またしても、甘い雰囲気が部屋に充満しかけたが、それを霧散させるように、扉が忙しなくノックされた。
ルシアンとソフィは急いで戸棚の影に隠れた。リゼットは布がかけてあるトルソーをその前に持ってきて二人を隠した。それが済むと、カミーユが応対に出ようと扉の鍵を開けた。すると扉は乱暴に開けられ、訪問者はカミーユを突き飛ばす勢いで部屋へ押し入った。なんて乱暴な人間だと眉をしかめてみてみると、なんと訪問者はローズであった。
「危ないかもしれないけれど、ソフィの名誉回復のためには、多くの人に真実を明かす場が必要になるわ。それは当然王宮の舞踏会とかそういう場面になるでしょうけれど、わたくしたちが自由にできない。皇帝陛下と皇后陛下にこの事を申し上げて、場を作ってくれるよう頼むのは、殿下以外には務まらないでしょう。その場が想いが通じ合ってから初対面でもあるっていうのは、殿下も冷静さを欠いてしまうでしょうから、一度ソフィと対面して、本人の口から事情を聞き、二人で添い遂げるのだという決意を新たにしてもらうことは大事かもしれないわね。
それに、殿下がまた何か斜め上の思い込みをしている可能性もあるから、そうなっていないことを確かめるためにも、ソフィはもちろんリゼットも、殿下と会って話した方がいいかもしれないわ」
こういうことに関しては慎重なサビーナから許可をもらって、リゼットは具体的にどうするかを相談し、天体観測会の日に決行することにした。ソフィにそのことを伝えると、真っ先に誰かに見つかりはしないかと心配したが、頬をバラ色に染め、喜色を隠せていなかった。そういう彼女の様子がとても可愛らしくて、リゼットは大いに張り切って、こっそりと計画を進めた。
そして天体観測会の当日、リゼットはメイドの服を着て、ブランシュたちの馬車に同乗した。丘にはわざと時間ギリギリに到着するように遅く出発したので、道で他の馬車に出会うことも少ない。
馬車は夜道をまっすぐ丘には向かわずに、一度王宮へ寄った。裏門王宮の門では、セブランが待っていた。リゼットはセブランと一緒に王宮の中へっていった。馬車はそれを見届けて、天体観測会の会場へ向かった。
リゼットはセブランに連れられて、王宮の使用人たちが出入りする場所へ入って行った。そして洗濯物を集めた部屋をへ入った。
「すまないが、洗濯籠をかしてくれないか。殿下が治療の後で取り乱されて、薬を寝具にこぼしてしまったのだ」
「わたしが運ぶわ」
セブランの嘘を信じた使用人は、車輪のついた大きな洗濯籠を押してよこした。リゼットは皇太子付きのメイドの振りをして、洗濯籠を受け取ると、二人でルシアンの部屋へ向かう。
天体観測会へ出かけた皇族たちと一緒に、お付きの者や警備の兵士も王宮を出てしまっていたので、建物の中は常より静かだった。しかし部屋の扉の前には相変わらず近衛兵が二人立っていた。
兵士はセブランの姿が目に入ると、敬礼して中へ通した。もちろん、リゼットの正体もばれなかった。リゼットは内心でガッツポーズをきめていた。
二人が部屋に入って、扉が閉まる音がすると、ルシアンは寝台からむくりと起き上がった。
「リゼット嬢、セブラン、わたしのためにここまでしてくれて、感謝する」
「お礼はいいから、とにかく急ぎましょう。遅くなるとみんな戻ってきてしまいますわ」
リゼットはルシアンを急かした。ルシアンはすぐにベッドから降りてマントを羽織ると、セブランの助けを借りて、洗濯籠の中に入り込み、膝を抱えて座った。その上に寝具をかぶせ、姿を完全に隠す。そしてリゼットは洗濯籠を押し、セブランと一緒に何食わぬ顔で部屋を出る。
もし中身が寝具だけだったらリゼットでも難なく押せるが、成人男性一人分の重さとなると、どうしても腕力が足りない。誰の目もないところででは、セブランも一緒に押してくれて、どうにか門のところまで運び出すことができた。
ルシアンを籠から出すと、三人でセブランの馬車に乗り込み、カミーユの家へ向かった。
馬車は目立たぬように速度を落として走った。闇に紛れて、洋品店と生地の問屋が乱立する通りを抜け、民家と民家の間に小さな店がぽつりぽつりと並ぶ路地へ入って行く。そして糸巻の看板の下がった建物の前で止まった。
ルシアンはマントのフードを目深にかぶって、リゼットが開けた扉の中へ滑りこむように入った。リゼットもセブランもそれに続く。
もとは工房であった一階の部屋には明かりがともっていて、ドレスを着たソフィがカミーユと一緒に待っていた。ソフィとルシアンは互いに目が合うと、吸い寄せられるように抱き合った。
「殿下、お会いしたかった」
「ユーグ、いやソフィ、わたしもずっとお前に焦がれていた。おまえこそが、私が見つけた本当の恋人だ」
二人はしばし抱き合って愛を囁き合った。居合わせた三人は目のやり場に困って各々部屋の隅にたまったほこりや、床の木目を見つめてやり過ごした。しかしロマンティックだったのはそこまでで、体を離してからルシアンは大まじめにこんなことを言った。
「もう一度言うが、わたしはお前、つまりソフィのことを愛している。勘違いではなく、本当に心からそう思っている。そしてお前も、わたしを愛してくれているのだな。それで相違ないな」
「えっ? ああ、はい、そうですが……」
「よかった。どうだセブラン、それにリゼット嬢、それから仕立屋殿。わたしたち二人の間に行き違いは発生していないな。わたしの言葉もソフィの言葉も曖昧ではないな」
自らの思い込みで事態を複雑にしてしまった張本人だから、確認せずにはいられなかったようだ。リゼットたちは思わず噴き出した。
それを潮に、五人は工房の椅子に腰かけて、改めて現在の状況と今後のこと話し合った。
「真実を明かす場を設けるのは簡単だ。わたしがすっかり治ったと言って、快癒の祝いの集まりを開いてもらうよう父上と母上に申し出ればいい。今のお二人のご様子を見ると、大喜びして盛大に祝おうとするだろう」
そこで、社交界の人々に全てを明かせば、晴れてソフィは貴族の令嬢に戻り、皇太子妃になれる。それまでルシアンは病人のふりをして、何か動きがあればパメラを通して知らせることになった。
「でも、それでわたしの名誉を回復できる保証はないのです。もしフルーレトワール家の潔白を証明できなければ、わたしは……」
「ソフィ、希望を失ってはいけない。もしシモン殿が成果を挙げられなかったとしても、わたしがなんとしてもお前の名誉を回復する。それに、もし名誉を回復できなかったとしても、わたしはお前を見捨てはしない。妃として側に置く。誰が反対しようと構わない。もう離れたくない」
「殿下……」
ルシアンは項垂れるソフィの肩をしっかりと抱いた。またしても、甘い雰囲気が部屋に充満しかけたが、それを霧散させるように、扉が忙しなくノックされた。
ルシアンとソフィは急いで戸棚の影に隠れた。リゼットは布がかけてあるトルソーをその前に持ってきて二人を隠した。それが済むと、カミーユが応対に出ようと扉の鍵を開けた。すると扉は乱暴に開けられ、訪問者はカミーユを突き飛ばす勢いで部屋へ押し入った。なんて乱暴な人間だと眉をしかめてみてみると、なんと訪問者はローズであった。