第十章 最後のダンス 第二話
文字数 3,004文字
『ラディアント トレゾール』は大評判を呼び毎日満員御礼だった。当初は避暑のシーズン中の上演と決めていたのだが、もう少し公演期間を伸ばすことにした。
「あと一ヶ月は伸ばしても客入りが見込めるな。この結果をみたら、皇后も国立劇場での上演禁止を解かざるを得ないだろう。そうなったら、そっくり同じ演目を上演するんだ。その客足を見て、いけそうなら地方巡業をするのもいいだろう。同じ公演が売れるだけ儲けも大きい。台本も音楽も衣装もセットも全て使いまわしで、制作に金がかかっていないからな」
シモンはロングラン公演の
レレーブジャルダン子爵夫妻は数日間エストカピタールに滞在し、ポーラック卿から大金を受け取ると、領地へ戻ることになった。道中困っている人を見かけても、絶対に金を渡すなとシモンに釘を刺されていた。
「では、リゼットもシモンも、都で頑張るんだぞ。とくにリゼットは、ここまで残っているなら、これからの審査も悔いを残さぬようにやりきりなさい」
「側についていてあげられないけれど、応援しているわ」
夫妻は馬車が見えなくなるまで、ずっと二人に手を振っていた。
さて、避暑も後半になると、令嬢たちは『ラディアント トレゾール』の感想を書き始めた。リゼットは制作に携わっていたので、演出上の工夫や実際に上演しての所感や改善点をまとめればよいとルシアンから言われていた。
避暑を終えて都へ戻る時も、ルシアンはリゼットたちと一緒だった。避暑地でも帰りの道中でも二人は非常に仲睦まじかった。
「殿下はもうリゼット様にお心を決めているんじゃないか? 帰ったらウエディングドレスのデザインでもするか」
やる気満々で腕まくりをするカミーユの肩をノエルは軽く叩いた。
「もう、兄さんったら気が早いわよ。でも、あの親密な感じは、期待してしまうわよね。シモン様も仕官先が見つかったし、お屋敷の借金はチャラになって、その上お嬢様が皇太子妃になったら、もういうことなしよ」
誰がどう見ても、皇太子はリゼットを妃に望んでいるように見えた。
一方、ポルトシュパルでは寂しく音楽会が開かれた。皇太子不在に加えて、『ラディアント トレゾール』がリヴェールとの友好事業に認定されたために、多くの貴族がエストカピタールへ行ってしまったのだ。
「エストカピタールの演目は大評判だと聞いておるぞ。エスカリエでは国立劇場で上演してほしいと、市民の訴えが大きくなっておるとか。お前も意地を張るのをやめて、上演を許可してやるがいい」
皇帝までがそんなことを言う。皇后は体が屈辱に震えるのを何とか抑え込んでいた。
「忌々しい。ルシアンにキトリィ王女までリゼットの味方になって、わたくしをコケにして。避暑が終わったらみていらっしゃい。いつまでも良い調子でいられると思ったら大間違いなのだから」
側にメリザンドだけを侍らせて、皇后は怒りを露わにした。
「陛下、どうかお気持ちをお鎮めください。リゼットの幸運が長く続くわけがありませんわ。審査は残すところあと三回。残りの審査でぼろを出さないとはかぎりませんし、何より皇后陛下が何としても反対となれば、皇太子殿下も無理を通しはしませんわ」
「メリザンド。わたくしにとって頼りになるのはそなただけです」
ポルトシュパルを選んだ皇太子妃候補はメリザンドただ一人だった。そのお陰で彼女は皇后からの信頼をより篤くした。エストカピタールはリゼットの一人勝ちだから、そこへ行っても得る物がなかったと考えると、ポルトシュパルを選んだのは正解だった。そういうわけで、彼女もうっすら聞こえるリゼットの成功を忌々しく思いこそすれ、まだ余裕をもっていた。
セブランはエストカピタールに派遣された父親に代わってポルトシュパルに残っていた。皇后がリゼットに対して立腹しているのを目の当たりにして、これはエスカリエへ戻っても、親友とその恋人にはまだまだ試練が待ち受けていると、彼らの前途を案じた。同時に自らの家門を盛り立てるために、どうするべきかも強かに考えていた。彼は都へ戻るとすぐに父親と相談し、リアーヌを呼び出した。
「え? 皇太子妃の座を諦める?」
叔父に呼び出されたリアーヌは、その言葉の訳が分からずおうむ返しした。
「エストカピタールでは、皇太子殿下はリゼット嬢をひどくお気に入りだったとか。一方で皇后陛下はポルトシュパルでメリザンド嬢への信頼を強くした様子。思うに、両者とも、最早心変わりする余地はないだろう。そうなれば、最後はリゼット嬢とメリザンド嬢の一騎打ちだ。我が家として、無理をおしてそこに割り込むつもりはない」
「では、わたくしに辞退しろというのですか。もしくは故意に失格になれと?」
「それではだめだ。お前の名に傷がついてしまうからね。辞退するのもメールヴァン家の名折れになる。これが建国500年記念行事であることも忘れてはいけない」
父親から続きを引き取ったセブランが言い聞かせるように話した。
「皇太子妃選びは最後の舞踏会まで参加しなさい。皇太子殿下も皇后陛下も、我が家の家名を気にかけて、君を失格にしないだろう。最終候補まで残ったとなれば箔が付く」
「では、勝ち目も勝つ気もないのに、虚しく審査を受け続けろというのですか」
「今となっては、これが我が一族とあなたのためになる一番の方法なのよ。皇太子妃選びの最終候補となれば、良家のご子息から引く手あまたよ。皇太子妃には及ばないかもしれないけれど、良縁を世話してあげますからね」
メールヴァン夫人はリアーヌの腕を撫でながら言った。
(ではわたくしのこれまでは一体なんだったの。名門メールヴァン家の後ろ盾があるからと、皇太子妃候補に名乗りを挙げたのに、途中からろくすっぽ力添えもしてくれなくなって、最後は勝ち目がないから手を引けなんて、めちゃくちゃだわ。どんな良縁だって、未来の皇后の座と比べたら何の魅力もない。所詮遠縁の田舎娘と、わたくしを馬鹿にしているんだわ)
リアーヌはメールヴァン夫人の手を払いのけ、走って部屋から出て行った。メールヴァン家の三人は敢て追いかけることはせず、そっとしておいた。
こうなったら皇太子妃選びをぶち壊しにしてしまうか、リゼットやメリザンドを失格にしてやらなければ腹立ちは収まらない。そこで一計を案じたリアーヌは、翌日しおらしい顔をして、叔父夫婦と従兄弟に昨日の無礼を謝り、メールヴァン家のために叔父に従うと言った。メールヴァン一家は、彼女が辛いところを堪えてくれたのだと、常より優しく接した。
それを良いことに、リアーヌはセブランがルシアンに会いに王宮へ行のについてきたいと強請った。セブランも今回だけは特別と、同行を許した。
リアーヌは二人の会話を邪魔せずに、しかし気まずくならないように適度に相槌を打ったり言葉を挟んだりしていた。そして機会を見つけてこう尋ねた。
「ところで、皆さんの感想はもう揃っておいでですの?」
「ああ。もうほとんど集まっている。避暑の休み明けで執務が溜まっているから、少しずつしか読み進めていないのだが」
ルシアンの紫の目が自室の机の上の封筒の束を見た。大きさや質の揃わないこの封筒たちこそが、令嬢たちが提出した感想だった。リアーヌはそれをしっかり目に焼き付けた。
「あと一ヶ月は伸ばしても客入りが見込めるな。この結果をみたら、皇后も国立劇場での上演禁止を解かざるを得ないだろう。そうなったら、そっくり同じ演目を上演するんだ。その客足を見て、いけそうなら地方巡業をするのもいいだろう。同じ公演が売れるだけ儲けも大きい。台本も音楽も衣装もセットも全て使いまわしで、制作に金がかかっていないからな」
シモンはロングラン公演の
おいしさ
を劇場の人々に説いた。チケットの割引といい、彼には先見の明があるようだった。レレーブジャルダン子爵夫妻は数日間エストカピタールに滞在し、ポーラック卿から大金を受け取ると、領地へ戻ることになった。道中困っている人を見かけても、絶対に金を渡すなとシモンに釘を刺されていた。
「では、リゼットもシモンも、都で頑張るんだぞ。とくにリゼットは、ここまで残っているなら、これからの審査も悔いを残さぬようにやりきりなさい」
「側についていてあげられないけれど、応援しているわ」
夫妻は馬車が見えなくなるまで、ずっと二人に手を振っていた。
さて、避暑も後半になると、令嬢たちは『ラディアント トレゾール』の感想を書き始めた。リゼットは制作に携わっていたので、演出上の工夫や実際に上演しての所感や改善点をまとめればよいとルシアンから言われていた。
避暑を終えて都へ戻る時も、ルシアンはリゼットたちと一緒だった。避暑地でも帰りの道中でも二人は非常に仲睦まじかった。
「殿下はもうリゼット様にお心を決めているんじゃないか? 帰ったらウエディングドレスのデザインでもするか」
やる気満々で腕まくりをするカミーユの肩をノエルは軽く叩いた。
「もう、兄さんったら気が早いわよ。でも、あの親密な感じは、期待してしまうわよね。シモン様も仕官先が見つかったし、お屋敷の借金はチャラになって、その上お嬢様が皇太子妃になったら、もういうことなしよ」
誰がどう見ても、皇太子はリゼットを妃に望んでいるように見えた。
一方、ポルトシュパルでは寂しく音楽会が開かれた。皇太子不在に加えて、『ラディアント トレゾール』がリヴェールとの友好事業に認定されたために、多くの貴族がエストカピタールへ行ってしまったのだ。
「エストカピタールの演目は大評判だと聞いておるぞ。エスカリエでは国立劇場で上演してほしいと、市民の訴えが大きくなっておるとか。お前も意地を張るのをやめて、上演を許可してやるがいい」
皇帝までがそんなことを言う。皇后は体が屈辱に震えるのを何とか抑え込んでいた。
「忌々しい。ルシアンにキトリィ王女までリゼットの味方になって、わたくしをコケにして。避暑が終わったらみていらっしゃい。いつまでも良い調子でいられると思ったら大間違いなのだから」
側にメリザンドだけを侍らせて、皇后は怒りを露わにした。
「陛下、どうかお気持ちをお鎮めください。リゼットの幸運が長く続くわけがありませんわ。審査は残すところあと三回。残りの審査でぼろを出さないとはかぎりませんし、何より皇后陛下が何としても反対となれば、皇太子殿下も無理を通しはしませんわ」
「メリザンド。わたくしにとって頼りになるのはそなただけです」
ポルトシュパルを選んだ皇太子妃候補はメリザンドただ一人だった。そのお陰で彼女は皇后からの信頼をより篤くした。エストカピタールはリゼットの一人勝ちだから、そこへ行っても得る物がなかったと考えると、ポルトシュパルを選んだのは正解だった。そういうわけで、彼女もうっすら聞こえるリゼットの成功を忌々しく思いこそすれ、まだ余裕をもっていた。
セブランはエストカピタールに派遣された父親に代わってポルトシュパルに残っていた。皇后がリゼットに対して立腹しているのを目の当たりにして、これはエスカリエへ戻っても、親友とその恋人にはまだまだ試練が待ち受けていると、彼らの前途を案じた。同時に自らの家門を盛り立てるために、どうするべきかも強かに考えていた。彼は都へ戻るとすぐに父親と相談し、リアーヌを呼び出した。
「え? 皇太子妃の座を諦める?」
叔父に呼び出されたリアーヌは、その言葉の訳が分からずおうむ返しした。
「エストカピタールでは、皇太子殿下はリゼット嬢をひどくお気に入りだったとか。一方で皇后陛下はポルトシュパルでメリザンド嬢への信頼を強くした様子。思うに、両者とも、最早心変わりする余地はないだろう。そうなれば、最後はリゼット嬢とメリザンド嬢の一騎打ちだ。我が家として、無理をおしてそこに割り込むつもりはない」
「では、わたくしに辞退しろというのですか。もしくは故意に失格になれと?」
「それではだめだ。お前の名に傷がついてしまうからね。辞退するのもメールヴァン家の名折れになる。これが建国500年記念行事であることも忘れてはいけない」
父親から続きを引き取ったセブランが言い聞かせるように話した。
「皇太子妃選びは最後の舞踏会まで参加しなさい。皇太子殿下も皇后陛下も、我が家の家名を気にかけて、君を失格にしないだろう。最終候補まで残ったとなれば箔が付く」
「では、勝ち目も勝つ気もないのに、虚しく審査を受け続けろというのですか」
「今となっては、これが我が一族とあなたのためになる一番の方法なのよ。皇太子妃選びの最終候補となれば、良家のご子息から引く手あまたよ。皇太子妃には及ばないかもしれないけれど、良縁を世話してあげますからね」
メールヴァン夫人はリアーヌの腕を撫でながら言った。
(ではわたくしのこれまでは一体なんだったの。名門メールヴァン家の後ろ盾があるからと、皇太子妃候補に名乗りを挙げたのに、途中からろくすっぽ力添えもしてくれなくなって、最後は勝ち目がないから手を引けなんて、めちゃくちゃだわ。どんな良縁だって、未来の皇后の座と比べたら何の魅力もない。所詮遠縁の田舎娘と、わたくしを馬鹿にしているんだわ)
リアーヌはメールヴァン夫人の手を払いのけ、走って部屋から出て行った。メールヴァン家の三人は敢て追いかけることはせず、そっとしておいた。
こうなったら皇太子妃選びをぶち壊しにしてしまうか、リゼットやメリザンドを失格にしてやらなければ腹立ちは収まらない。そこで一計を案じたリアーヌは、翌日しおらしい顔をして、叔父夫婦と従兄弟に昨日の無礼を謝り、メールヴァン家のために叔父に従うと言った。メールヴァン一家は、彼女が辛いところを堪えてくれたのだと、常より優しく接した。
それを良いことに、リアーヌはセブランがルシアンに会いに王宮へ行のについてきたいと強請った。セブランも今回だけは特別と、同行を許した。
リアーヌは二人の会話を邪魔せずに、しかし気まずくならないように適度に相槌を打ったり言葉を挟んだりしていた。そして機会を見つけてこう尋ねた。
「ところで、皆さんの感想はもう揃っておいでですの?」
「ああ。もうほとんど集まっている。避暑の休み明けで執務が溜まっているから、少しずつしか読み進めていないのだが」
ルシアンの紫の目が自室の机の上の封筒の束を見た。大きさや質の揃わないこの封筒たちこそが、令嬢たちが提出した感想だった。リアーヌはそれをしっかり目に焼き付けた。