第十一章 番狂わせのからくり 第一話
文字数 2,991文字
誰もがぽかんと呆けて、それから皇太子と従者、そして、屈んだままで、これまたぽかんとしているリゼットを交互に見つめた。
ルシアンは手を差し伸べてはくれなかった。つまり振られたのだ。それだけはわかった。むしろそれ以外は何もわからなかった。そしてこのしらけきった空間に、その事実だけがはっきりと示されているのが、リゼットを悲嘆へと追い立てた。
彼女は涙を流し、こらえきれない嗚咽を漏らし、輪っかが揺れるのもお構いなしに、鏡の間から飛び出していった。それを機に鏡の間は大騒ぎとなった。シモンとブランシュたちは慌ててリゼットを追いかけて出てゆき、困惑しきりの皇帝の隣で皇后は卒倒、取り巻きが扇で仰いでも目を覚まさない。メリザンドはじめ最終候補だった令嬢たちは無暗に周りの人間に説明を求め、家の者たちに宥められていた。他の人々は思いつく限りの疑問とあふれ出るあらゆる感情を口から放出し、鏡の間は蜂の群れが飛び交っているようだった。
ルシアンは周りが見えていないのか、笑顔でユーグが手をつかむのを待っていた。ところが目の前のユーグはひどく困惑し、傷ついた顔をして、目に一杯涙をためて首を振っている。
ここで初めてルシアンは眉を寄せて怪訝な顔をした。そして唇だけを動かして、どうした、と訊ねた。
(訊きたいのはこっちだ! どうして。リゼット嬢を最後のダンスに誘うはずだったのに、どうしてこんなことに。こんなことをされたら、わたしは……)
ユーグはいたたまれなくなり、遂に鏡の間から逃げ出した。
「待ってくれ、なぜ逃げるんだ」
ルシアンが追いかけようとすると、その肩を強くつかまれた。
「どこへ行く気だ。こんな騒ぎを起こしておいて」
「セブラン、わたしは本当の恋人を最後のダンスに誘っただけだ。あいつだってそれはわかっていたはずなのに」
「わけがわからん。とにかく一度戻るぞ。どうせ舞踏会はお開きだ」
大騒ぎの鏡の間では、皇帝夫妻も息子をどうにかすることができないようだったので、見かねたセブランが強引に彼を引っ張っていった。
ユーグは誰もいない中庭に飛び出した。見事な満月を見上げると、頬を涙が伝い落ちた。
先ほどの出来事はきっと何かの間違いだ。ルシアンはリゼットを誘うつもりだったのだ。それを、どこか抜けているあの主は、何かとんでもない勘違いをして、間違ってこちらへ来てしまっただけなのだ。そう信じたい。でなければ、ここまで恋心を殺してきた意味がないではないか。
だが、もし間違いでないとしたら、そう夢想するとこの上ない喜びに包まれる。あの手を躊躇なくとることができたらどんなに良かったか。
だがそれは所詮夢物語。自分はあの手を取ってはいけない人間だ。その残酷な現実を思い知るたびに胸が引き裂かれるように痛む。あんな行動をしてそれをより鮮明にさせたルシアンを恨んだ。
別室に引っ張ってこられたルシアンは、目を覚ました皇后と頭を抱えている皇帝の前でセブランの尋問を受けていた。
「リゼット嬢はわたしに本当の恋人とはどういう存在かを教えてくれた。色々条件はあるのだが、共にいて気兼ねする必要がなく、いつもわたしのことを思ってくれて、わたしのために命を懸けるような人だというのだ。わたしにとってその条件に最も当てはまるのはユーグだった。
それに気が付いたのはエストカピタールでだ。最初はわたしも葛藤した。相手は男だし、それに従者だからな。だが恋心は、愛は身分も性別も超えると、リゼット嬢が教えてくれた。それでわたしはユーグとの絆を確かめ、やはりあいつが本当の恋人だと確信が持てたので、今日最後のダンスに誘ったのだ」
ルシアンは何もおかしなことではないといわんばかりに、順序立てて説明した。彼の頭の中では最初から最後まで全ての辻褄があっているのだが、彼以外の人間から見たら、全く突拍子のない言動だった。
「ユーグとの絆をというが、どうやって確かめた? あいつは嫌がって逃げたように見えたが」
「あいつはわたしを庇って怪我をしたんだ。リゼット嬢が言っていたように、命を懸けてくれた」
「それは従者だからだろう」
「本人から、従者だからという以上の気持ちがあると言われたんだ。最後のダンスも、本人が誘ってくれと言ったから、それが丁度いいと思ったんだ。舞踏会が始まる前も、晴れの日だからもっと着飾れと言ったら、今日は本当の恋人と結ばれるのだからと、着替えてきたのだぞ。どうして私の手を取らなかったのか、私が知りたい」
「……本当の恋人と結ばれる日、と言ったというが、誰と誰がと具体的に言ったのか?」
「いいや」
セブランは盛大に溜息をついた。
「ユーグはお前とリゼットが嬢が結ばれるという意味で言ったのではないか? 最後のダンスに誘えというのも、リゼットを嬢を、ではないのか?」
「そんなはずはない。それに最後のダンスについては、銅像お披露目の日にリゼット嬢にも話した。わたしの最後のダンスを見てほしいと。わたしとユーグを結び付けたのはリゼット嬢と言っても過言ではない。これまでさんざん相談にのってくれたしな。恩人が晴れの日にいないというのはおかしいから、失格になってはならないと思って、あの日はハラハラしていたのだが」
セブランは親友の両肩に手を置いて、一度黙らせた。
「いいか、リゼット嬢は十中八九、お前に最後のダンスに誘われたと思っていたはずだぞ。これまでさんざん思わせぶりなことをしてきて、その言い方をされたら無理もない。
お前はエストカピタール以降は、リゼット嬢にユーグとの恋愛相談をしているつもりだったというんだな。それであんなに親密にしていたと」
ルシアンは頷いた。セブランはまったく馬鹿馬鹿しい行き違いが生まれていたとわかって、あきれ果てて言葉もなかったが、皇帝夫妻のために、何とかまとめて説明した。
「つまり、皇太子殿下はユーグを本当の恋人と思い定めて、相思相愛だと思い込んでいた。そしてリゼット嬢に恋愛相談をしていた。だからリゼット嬢に目をかけているように見えた。ユーグは殿下がリゼット嬢と一緒になることを望んでいた。そしてリゼット嬢は殿下がユーグを好いているとも、恋愛相談をされているとも知らず、殿下に好かれていると思っていた。我々は、まったくリゼット嬢と同じように考えていた。こういうことです」
と言われても、すんなり納得できる者などいないだろう。皇帝も、うむとか、ふむとか、歯切れ悪く繰り返しているだけだった。
「そのからくりは、まぁおいおい整理するとして、肝心なのは最初のところです。ルシアン、あなた、お、男が好きなのですか」
皇后の声はひっくり返っていた。
「どうやらそのようです。ですが考えてみれば納得できます。わたしはこれまで色恋とは無縁で、アンリエットに憧れた以外には、社交界の令嬢にまったく興味を持てませんでした。メリザンドにも特別な感情はなかったですし」
「な、なんということじゃ。皇太子が男色家とは」
「なりません。ありえないことです。すぐにお医者様を呼んで。何か悪い物でも食べたに違いない」
ルシアンは抗議する間もなく使用人たちに囲まれて自室へ連行され、医者の治療を受けた。当然彼の彼の心身に異常はなかった。だが息子が男色家だと認めたくない皇帝夫妻は、病気療養と称してルシアンを部屋に閉じ込めてしまった。
ルシアンは手を差し伸べてはくれなかった。つまり振られたのだ。それだけはわかった。むしろそれ以外は何もわからなかった。そしてこのしらけきった空間に、その事実だけがはっきりと示されているのが、リゼットを悲嘆へと追い立てた。
彼女は涙を流し、こらえきれない嗚咽を漏らし、輪っかが揺れるのもお構いなしに、鏡の間から飛び出していった。それを機に鏡の間は大騒ぎとなった。シモンとブランシュたちは慌ててリゼットを追いかけて出てゆき、困惑しきりの皇帝の隣で皇后は卒倒、取り巻きが扇で仰いでも目を覚まさない。メリザンドはじめ最終候補だった令嬢たちは無暗に周りの人間に説明を求め、家の者たちに宥められていた。他の人々は思いつく限りの疑問とあふれ出るあらゆる感情を口から放出し、鏡の間は蜂の群れが飛び交っているようだった。
ルシアンは周りが見えていないのか、笑顔でユーグが手をつかむのを待っていた。ところが目の前のユーグはひどく困惑し、傷ついた顔をして、目に一杯涙をためて首を振っている。
ここで初めてルシアンは眉を寄せて怪訝な顔をした。そして唇だけを動かして、どうした、と訊ねた。
(訊きたいのはこっちだ! どうして。リゼット嬢を最後のダンスに誘うはずだったのに、どうしてこんなことに。こんなことをされたら、わたしは……)
ユーグはいたたまれなくなり、遂に鏡の間から逃げ出した。
「待ってくれ、なぜ逃げるんだ」
ルシアンが追いかけようとすると、その肩を強くつかまれた。
「どこへ行く気だ。こんな騒ぎを起こしておいて」
「セブラン、わたしは本当の恋人を最後のダンスに誘っただけだ。あいつだってそれはわかっていたはずなのに」
「わけがわからん。とにかく一度戻るぞ。どうせ舞踏会はお開きだ」
大騒ぎの鏡の間では、皇帝夫妻も息子をどうにかすることができないようだったので、見かねたセブランが強引に彼を引っ張っていった。
ユーグは誰もいない中庭に飛び出した。見事な満月を見上げると、頬を涙が伝い落ちた。
先ほどの出来事はきっと何かの間違いだ。ルシアンはリゼットを誘うつもりだったのだ。それを、どこか抜けているあの主は、何かとんでもない勘違いをして、間違ってこちらへ来てしまっただけなのだ。そう信じたい。でなければ、ここまで恋心を殺してきた意味がないではないか。
だが、もし間違いでないとしたら、そう夢想するとこの上ない喜びに包まれる。あの手を躊躇なくとることができたらどんなに良かったか。
だがそれは所詮夢物語。自分はあの手を取ってはいけない人間だ。その残酷な現実を思い知るたびに胸が引き裂かれるように痛む。あんな行動をしてそれをより鮮明にさせたルシアンを恨んだ。
別室に引っ張ってこられたルシアンは、目を覚ました皇后と頭を抱えている皇帝の前でセブランの尋問を受けていた。
「リゼット嬢はわたしに本当の恋人とはどういう存在かを教えてくれた。色々条件はあるのだが、共にいて気兼ねする必要がなく、いつもわたしのことを思ってくれて、わたしのために命を懸けるような人だというのだ。わたしにとってその条件に最も当てはまるのはユーグだった。
それに気が付いたのはエストカピタールでだ。最初はわたしも葛藤した。相手は男だし、それに従者だからな。だが恋心は、愛は身分も性別も超えると、リゼット嬢が教えてくれた。それでわたしはユーグとの絆を確かめ、やはりあいつが本当の恋人だと確信が持てたので、今日最後のダンスに誘ったのだ」
ルシアンは何もおかしなことではないといわんばかりに、順序立てて説明した。彼の頭の中では最初から最後まで全ての辻褄があっているのだが、彼以外の人間から見たら、全く突拍子のない言動だった。
「ユーグとの絆をというが、どうやって確かめた? あいつは嫌がって逃げたように見えたが」
「あいつはわたしを庇って怪我をしたんだ。リゼット嬢が言っていたように、命を懸けてくれた」
「それは従者だからだろう」
「本人から、従者だからという以上の気持ちがあると言われたんだ。最後のダンスも、本人が誘ってくれと言ったから、それが丁度いいと思ったんだ。舞踏会が始まる前も、晴れの日だからもっと着飾れと言ったら、今日は本当の恋人と結ばれるのだからと、着替えてきたのだぞ。どうして私の手を取らなかったのか、私が知りたい」
「……本当の恋人と結ばれる日、と言ったというが、誰と誰がと具体的に言ったのか?」
「いいや」
セブランは盛大に溜息をついた。
「ユーグはお前とリゼットが嬢が結ばれるという意味で言ったのではないか? 最後のダンスに誘えというのも、リゼットを嬢を、ではないのか?」
「そんなはずはない。それに最後のダンスについては、銅像お披露目の日にリゼット嬢にも話した。わたしの最後のダンスを見てほしいと。わたしとユーグを結び付けたのはリゼット嬢と言っても過言ではない。これまでさんざん相談にのってくれたしな。恩人が晴れの日にいないというのはおかしいから、失格になってはならないと思って、あの日はハラハラしていたのだが」
セブランは親友の両肩に手を置いて、一度黙らせた。
「いいか、リゼット嬢は十中八九、お前に最後のダンスに誘われたと思っていたはずだぞ。これまでさんざん思わせぶりなことをしてきて、その言い方をされたら無理もない。
お前はエストカピタール以降は、リゼット嬢にユーグとの恋愛相談をしているつもりだったというんだな。それであんなに親密にしていたと」
ルシアンは頷いた。セブランはまったく馬鹿馬鹿しい行き違いが生まれていたとわかって、あきれ果てて言葉もなかったが、皇帝夫妻のために、何とかまとめて説明した。
「つまり、皇太子殿下はユーグを本当の恋人と思い定めて、相思相愛だと思い込んでいた。そしてリゼット嬢に恋愛相談をしていた。だからリゼット嬢に目をかけているように見えた。ユーグは殿下がリゼット嬢と一緒になることを望んでいた。そしてリゼット嬢は殿下がユーグを好いているとも、恋愛相談をされているとも知らず、殿下に好かれていると思っていた。我々は、まったくリゼット嬢と同じように考えていた。こういうことです」
と言われても、すんなり納得できる者などいないだろう。皇帝も、うむとか、ふむとか、歯切れ悪く繰り返しているだけだった。
「そのからくりは、まぁおいおい整理するとして、肝心なのは最初のところです。ルシアン、あなた、お、男が好きなのですか」
皇后の声はひっくり返っていた。
「どうやらそのようです。ですが考えてみれば納得できます。わたしはこれまで色恋とは無縁で、アンリエットに憧れた以外には、社交界の令嬢にまったく興味を持てませんでした。メリザンドにも特別な感情はなかったですし」
「な、なんということじゃ。皇太子が男色家とは」
「なりません。ありえないことです。すぐにお医者様を呼んで。何か悪い物でも食べたに違いない」
ルシアンは抗議する間もなく使用人たちに囲まれて自室へ連行され、医者の治療を受けた。当然彼の彼の心身に異常はなかった。だが息子が男色家だと認めたくない皇帝夫妻は、病気療養と称してルシアンを部屋に閉じ込めてしまった。