第十一章 番狂わせのからくり 第七話
文字数 2,992文字
「やっと見つけたわ。あのあといなくなってしまったから、殿下がとっても心配していたのよ。それにしても、この格好は……」
ユーグは全身若い娘の恰好を、つまり女装している。
「わかったわ! あなたって体は男だけど心は女、つまりトランスジェンダーだったったってことね」
「は、はい?」
もちろんこの世界ではトランスジェンダーなどという概念はない。前世の記憶があるリゼットだけ一人で納得していたが、シモンとノエルにはただの女装趣味に映った。
「こ、これは女装ではありません。それにその、とらんすなんとかとかいうのも、よくわかりませんが、違います」
「トランスジェンダーじゃないの? でも、殿下を愛しているって。ああ、でもトランスジェンダーだからって、必ずしも恋愛対象が同性になるとは限らないって聞いたことあるかも……」
ルシアンにさえ打ち明けていないのに、なぜリゼットが知っているのか。ユーグは横目でノエルを睨んだ。ノエルはちょっと申し訳なさそうな顔をした。
「それより、リゼット嬢がどうしてここへ? お妃選びはどうなったんですか」
「白々しい。そのお妃選びをぶち壊したのはお前だろう。一人だけに逃げ出して田舎でのうのうと鶏の世話か」
「ぶち壊したって。そんなつもりはありませんよ」
ユーグはあのあとの顛末を何一つ知らない。そしてリゼットたちは彼がどうして女の格好をしているのかもわからない。一度落ち着いて話す必要がある。ユーグは観念して三人を家へ案内した。
鶏小屋からさほど遠くないところにある丸太の小さな家がユーグの家だった。中へ入ると奥の小さなベッドに老人が寝ていた。祖父だと紹介されたその人は、顔色が悪く痩せていたが、リゼットとシモンが見るからに高貴な身分であるからか、ベッドから降りて挨拶しようとした。無理は良くないとリゼットは老人を押しとどめた。しかしユーグは老人を助け起こして、暖炉の前に置かれた椅子に座らせた。それから三人に席を勧め、自らは一番小さな椅子に腰かけた。
まず最初に、リゼットが舞踏会の番狂わせのあとのことを語った。ルシアンの本当の恋人はユーグであったと知らされ、彼は喜ぶような悲しむような複雑な表情をしていた。話が終わると今度はユーグが口を開く番だった。
「こうなっては、全てをお話するほかありません。本当は一生胸に秘めて生きてゆくつもりでしたが、リゼット様なら信用できます。
まず最初に、わたしは男ではありません。祖父が病になって、鶏の世話ぐらいしか出来なくなってしまったので、仕事を求めて都へ出ました。男の方が稼ぎがいいですから、男装していたのです」
リゼットは思わず声を上げた。彼が男でないとなると、また状況は大きく変わってしまう。だが、とりあえずはまずユーグの話を最後まで聞くべきだと、続きを促した。
「男装していたのは稼ぎがいいからだけではありません。実はわたしは本当は貴族の娘なのですが、身の上を明かせないのです。この村では安全でしょうが、貴族が沢山いる都では、もしや正体を知られはしないかと、男のふりをしていました」
そこで老人が咳き込みながら声を発した。
「ここからはわしがお話しましょう。今言った通り、この方はソフィ・ド・フルーレトワール侯爵令嬢。わたくしは侯爵家の家令でございます。
フルーレトワール侯爵家はソンルミエール家、メールヴァン家、ポーラック家と並ぶ名家でしたが、反逆の濡れ衣を着せられ、お家断絶となったのです」
「聞いたことがある。フルーレトワール家の領地で、武器弾薬が発見され、敵国と内通していたとされた。侯爵を始め一族は貴族の身分をはく奪され、僻地へ幽閉される途中で、山賊に襲われて皆命を落としたと」
たった13年前の出来事なので、権勢争いを繰り広げる貴族の間ではまだ忘れられていない事件だった。
「そうです。しかし全ては陰謀であり、旦那様は陥れられたのです」
発見された武器弾薬というのは、当時戦争をしていた同盟国へ送るために、皇室から送られたものだった。家令は運送の実務を担ったので、よく覚えているという。
しかし武器弾薬が領地に到着してすぐに、憲兵が領地に踏み込んできて、荷物を暴いて敵国へあてた親書を発見した。
「もちろん、そんな手紙は捏造です。旦那様の奥方は友好国の出身でしたし、まかり間違って敵国と通じることなどありないのです。しかし裁判でもこちらの言い分はことごとく聞き入れられませんでした」
そして一族は庶民に落とされ、監獄へ護送された。家令を始め数人の使用人は、忠誠心から監獄まで彼らに同行した。そして山間の道に入ると、突然山賊が襲い掛かってきた。護送の兵士たちはろくに戦わず逃げ出した。武器を持たない侯爵家の人々は、ただ山賊に蹂躙されるだけだった。家令は必死に主一家を救おうとしたが、当主は真っ先に狙われたようで、馬車の中でこと切れていた。
一族郎党が惨殺される地獄のような光景の中を、幼いソフィが泣きながら迷い歩いていた。小さいから目標にされなかったのか。とにかく幸運に違いなかった。家令は彼女の手を引いて森の中へのがれ、しばらく洞窟に潜伏した後、自身の親戚を頼ってこの村へ身を落ち着けた。
「お嬢様のことは孫娘と偽って育てました。ご主人様をお救い出来なかったせめてもの罪滅ぼしとして、ソフィ様を育てることがわたしの使命と、ここまで生きてきました。ですが近頃は病におかされ、もう長くはないようです。せめてフルーレトワール家の名誉を回復したいですが、それも望めぬかと」
家令は咳がひどくなり、話をやめた。
「家令は命の恩人です。本当の祖父のようにわたしを育ててくれました。だから恩返しがしたくて、薬を買っても食うに困らないくらいには仕送りしたかったのです。それで危険かもしれないと思いながら、宮廷の下働きに応募しました。通ったのはいいですが、掃除や洗濯、給仕という最初の約束と違って、どういうわけか皇太子殿下にお仕えすることになったのです」
それで皇太子と出会い、共に過ごすうちに恋に落ちたということだ。
ユーグが女性で、しかもれっきとした貴族であるなら、これまで皇太子との結婚を阻んでいた障害は全てなくなった。だが大罪人の娘という新たな壁が立ちふさがってしまった。
「わたしの恋は成就することはないのです。殿下もわたしと一緒に居たら不幸になる。だから殿下のお側を離れたのです。リゼット様は素敵な方です。あなたと一緒になれば、殿下もお幸せだと思っていたのです」
「でも、殿下はあなたを心から愛しているわ」
リゼットは椅子から立ち上がり、ユーグの手を取った。
「あなたは殿下の幸せのために身を引いた。それこそが本当の愛よ。気持ちがなくても、これまで頑張ったご褒美に皇太子妃になりたいなんて、欲の皮の突っ張ったわたくしとは大違い。あなたこそ、殿下のお側にいるべき人よ」
「でも、わたしは大罪人の娘です」
「そんなこと関係ないわ。言ったでしょう、愛は身分を超えるのよ。それに濡れ衣だというなら、あなたがその罪に縛られる必要なんてない。
わたしは殿下が好きだった。でもこの恋は実らなかった。悲しいけれど、この恋を悔いなく終わるためにも、最後は殿下とあなたが幸せになるための手助けがしたいのよ」
リゼットの広い心と真心に、ユーグも家令も感涙して止まなかった。
ユーグは全身若い娘の恰好を、つまり女装している。
「わかったわ! あなたって体は男だけど心は女、つまりトランスジェンダーだったったってことね」
「は、はい?」
もちろんこの世界ではトランスジェンダーなどという概念はない。前世の記憶があるリゼットだけ一人で納得していたが、シモンとノエルにはただの女装趣味に映った。
「こ、これは女装ではありません。それにその、とらんすなんとかとかいうのも、よくわかりませんが、違います」
「トランスジェンダーじゃないの? でも、殿下を愛しているって。ああ、でもトランスジェンダーだからって、必ずしも恋愛対象が同性になるとは限らないって聞いたことあるかも……」
ルシアンにさえ打ち明けていないのに、なぜリゼットが知っているのか。ユーグは横目でノエルを睨んだ。ノエルはちょっと申し訳なさそうな顔をした。
「それより、リゼット嬢がどうしてここへ? お妃選びはどうなったんですか」
「白々しい。そのお妃選びをぶち壊したのはお前だろう。一人だけに逃げ出して田舎でのうのうと鶏の世話か」
「ぶち壊したって。そんなつもりはありませんよ」
ユーグはあのあとの顛末を何一つ知らない。そしてリゼットたちは彼がどうして女の格好をしているのかもわからない。一度落ち着いて話す必要がある。ユーグは観念して三人を家へ案内した。
鶏小屋からさほど遠くないところにある丸太の小さな家がユーグの家だった。中へ入ると奥の小さなベッドに老人が寝ていた。祖父だと紹介されたその人は、顔色が悪く痩せていたが、リゼットとシモンが見るからに高貴な身分であるからか、ベッドから降りて挨拶しようとした。無理は良くないとリゼットは老人を押しとどめた。しかしユーグは老人を助け起こして、暖炉の前に置かれた椅子に座らせた。それから三人に席を勧め、自らは一番小さな椅子に腰かけた。
まず最初に、リゼットが舞踏会の番狂わせのあとのことを語った。ルシアンの本当の恋人はユーグであったと知らされ、彼は喜ぶような悲しむような複雑な表情をしていた。話が終わると今度はユーグが口を開く番だった。
「こうなっては、全てをお話するほかありません。本当は一生胸に秘めて生きてゆくつもりでしたが、リゼット様なら信用できます。
まず最初に、わたしは男ではありません。祖父が病になって、鶏の世話ぐらいしか出来なくなってしまったので、仕事を求めて都へ出ました。男の方が稼ぎがいいですから、男装していたのです」
リゼットは思わず声を上げた。彼が男でないとなると、また状況は大きく変わってしまう。だが、とりあえずはまずユーグの話を最後まで聞くべきだと、続きを促した。
「男装していたのは稼ぎがいいからだけではありません。実はわたしは本当は貴族の娘なのですが、身の上を明かせないのです。この村では安全でしょうが、貴族が沢山いる都では、もしや正体を知られはしないかと、男のふりをしていました」
そこで老人が咳き込みながら声を発した。
「ここからはわしがお話しましょう。今言った通り、この方はソフィ・ド・フルーレトワール侯爵令嬢。わたくしは侯爵家の家令でございます。
フルーレトワール侯爵家はソンルミエール家、メールヴァン家、ポーラック家と並ぶ名家でしたが、反逆の濡れ衣を着せられ、お家断絶となったのです」
「聞いたことがある。フルーレトワール家の領地で、武器弾薬が発見され、敵国と内通していたとされた。侯爵を始め一族は貴族の身分をはく奪され、僻地へ幽閉される途中で、山賊に襲われて皆命を落としたと」
たった13年前の出来事なので、権勢争いを繰り広げる貴族の間ではまだ忘れられていない事件だった。
「そうです。しかし全ては陰謀であり、旦那様は陥れられたのです」
発見された武器弾薬というのは、当時戦争をしていた同盟国へ送るために、皇室から送られたものだった。家令は運送の実務を担ったので、よく覚えているという。
しかし武器弾薬が領地に到着してすぐに、憲兵が領地に踏み込んできて、荷物を暴いて敵国へあてた親書を発見した。
「もちろん、そんな手紙は捏造です。旦那様の奥方は友好国の出身でしたし、まかり間違って敵国と通じることなどありないのです。しかし裁判でもこちらの言い分はことごとく聞き入れられませんでした」
そして一族は庶民に落とされ、監獄へ護送された。家令を始め数人の使用人は、忠誠心から監獄まで彼らに同行した。そして山間の道に入ると、突然山賊が襲い掛かってきた。護送の兵士たちはろくに戦わず逃げ出した。武器を持たない侯爵家の人々は、ただ山賊に蹂躙されるだけだった。家令は必死に主一家を救おうとしたが、当主は真っ先に狙われたようで、馬車の中でこと切れていた。
一族郎党が惨殺される地獄のような光景の中を、幼いソフィが泣きながら迷い歩いていた。小さいから目標にされなかったのか。とにかく幸運に違いなかった。家令は彼女の手を引いて森の中へのがれ、しばらく洞窟に潜伏した後、自身の親戚を頼ってこの村へ身を落ち着けた。
「お嬢様のことは孫娘と偽って育てました。ご主人様をお救い出来なかったせめてもの罪滅ぼしとして、ソフィ様を育てることがわたしの使命と、ここまで生きてきました。ですが近頃は病におかされ、もう長くはないようです。せめてフルーレトワール家の名誉を回復したいですが、それも望めぬかと」
家令は咳がひどくなり、話をやめた。
「家令は命の恩人です。本当の祖父のようにわたしを育ててくれました。だから恩返しがしたくて、薬を買っても食うに困らないくらいには仕送りしたかったのです。それで危険かもしれないと思いながら、宮廷の下働きに応募しました。通ったのはいいですが、掃除や洗濯、給仕という最初の約束と違って、どういうわけか皇太子殿下にお仕えすることになったのです」
それで皇太子と出会い、共に過ごすうちに恋に落ちたということだ。
ユーグが女性で、しかもれっきとした貴族であるなら、これまで皇太子との結婚を阻んでいた障害は全てなくなった。だが大罪人の娘という新たな壁が立ちふさがってしまった。
「わたしの恋は成就することはないのです。殿下もわたしと一緒に居たら不幸になる。だから殿下のお側を離れたのです。リゼット様は素敵な方です。あなたと一緒になれば、殿下もお幸せだと思っていたのです」
「でも、殿下はあなたを心から愛しているわ」
リゼットは椅子から立ち上がり、ユーグの手を取った。
「あなたは殿下の幸せのために身を引いた。それこそが本当の愛よ。気持ちがなくても、これまで頑張ったご褒美に皇太子妃になりたいなんて、欲の皮の突っ張ったわたくしとは大違い。あなたこそ、殿下のお側にいるべき人よ」
「でも、わたしは大罪人の娘です」
「そんなこと関係ないわ。言ったでしょう、愛は身分を超えるのよ。それに濡れ衣だというなら、あなたがその罪に縛られる必要なんてない。
わたしは殿下が好きだった。でもこの恋は実らなかった。悲しいけれど、この恋を悔いなく終わるためにも、最後は殿下とあなたが幸せになるための手助けがしたいのよ」
リゼットの広い心と真心に、ユーグも家令も感涙して止まなかった。