第十一章 番狂わせのからくり 第三話
文字数 2,966文字
リゼットの質問にセブランはちょっと意外な顔をして答えた。
「それはそうだ。男が男を愛するなんておかしいからね」
「大丈夫よリゼット、殿下があなたの言葉を勝手に勘違いして、従者が本当の恋人なんだと勘違いしただけなのだから、あなたに責任はないわ」
リゼットが気になったのはそこではない。もし皇太子が本当に男性が好きだというなら、それは説得で解決できる問題ではない。性的嗜好は生まれつきのもので、自分の意思では選べないし、ましてや他人が変えることもできない。ただ、それは性的マイノリティに寛容になった前世の常識であり、昔のヨーロッパのようなこの世界では、異端と蔑まれるのが普通なのだろう。そして病気や一時の気の迷いで、いずれ異性愛者に戻れるとさえ考えられているのだった。
しかしルシアンはリゼットの言葉に触発されたと語っている。ならば本当に強い思い込みで暴走しているとも考えられる。そもそも、彼の初恋はアンリエットなのだから、異性愛者で間違いはないだろう。
(思い込みがなくなれば、やっぱり本当の恋人はわたしだと言ってくれるのではないかしら)
リゼットの胸に希望が生まれた。
話は進む。
「殿下の目を覚まさせなくてはいけない。そこで、リゼット嬢にお力添えを願いたいんだ。もともとあなたの言葉を曲介して始まったことなのだから、あなたが話せば案外すんなりいくかもしれない」
彼がここへ来た真の目的はこれだったのだろう。
「ひどく傷つけておいて、こうなったのはリゼットのせいだと言わんばかりで、そのうえ説得に協力しろですって。虫が良すぎますわ」
友人たちは腹を立てた。セブランは返す言葉もなかった。実際皇后はルシアンがおかしくなったのはリゼットのせいだと、度々彼女への恨み言を口にしていた。
「まぁ、協力してさしあげないこともありませんが、ならば殿下が正常に戻ったら、リゼットを皇太子妃にしていただきます。妃選びでの実績に加えて、殿下をお救いしたことになるのですからな」
シモンは抜け目なく皇太子妃の座をもぎ取ろうとした。
「シモン様、リゼットは今殿下の顔を見るのもつらいはず。殿下に会いに行って、まして説得するなど、気が進まないに決まっていますわ。なによりやるかやらないかはリゼットが決めることです」
サビーナはがめついシモンをたしなめた。流石にシモンもリゼットの顔色を窺って黙った。しかしリゼットはさほど悩まずに決断した。
「いいですわ。殿下にお会いします」
「本当にいいの? 無理をしているんではなくて?」
「いいえ。もし殿下がわたくしの言葉を勘違いして受け取ったというなら不本意だわ。もう一度正しい意味でご理解していただきたいの。それで初めてわたくしの気持ちが伝わるというものだわ」
セブランはほっとしたようで、懇ろに礼を言った。
「妹がお人好しで幸運でしたな。普通は簡単にお受けできることではないですよ。そのことはよく覚えておいて、皇帝陛下と皇后陛下によろしくお伝えください」
シモンはセブランが去る時に釘を刺した。
ルシアンは自室に閉じ込められて、連日、色々な医師の診断を受けて、薬やツボ押しや針治療、それに怪しげな呪術まで、あらゆる治療を施された。どれもこれもルシアンの性的嗜好を正常に、つまり異性愛者に戻すためだという。
「もうやめろ! こんなわけのわからないことをしても意味はない。父上と母上に伝えろ、ユーグと添い遂げるというわたしの誓いは決して折れないと」
医者を部屋の外へ押し出し、ふと、そのユーグの姿を見ていないと気が付き、世話をしに来た使用人に訊ねた。
「ユーグはあの舞踏会の翌日姿を消したのです。部屋を見にいったらもぬけの殻でして。辞職願も出さずにどこへ行ってしまったのか」
あんな事件があったから当然と言えば当然だ、という感想は心の中に留めて、使用人は丁寧に礼をして部屋を後にした。
ユーグが行方知れずになった。ルシアンは気が気でなかった。今すぐ探しに行きたいところだが、扉の前にも、窓の外にも近衛兵がぴったり張り付いて逃げ出す隙がない。
こうなったら、唯一面会を許されているセブランに頼んで探してもらおうと考えていると、今日もそのセブランが訪れた。ただし、一人ではなかった。
「リゼット嬢! 君がなぜ……」
と言いかけてルシアンは口をつぐんだ。リゼットは自分に恋心を抱いていて、こちらがアドバイスだと思っていたことは全てルシアンへ向けた愛の言葉だったと聞かされた。そうであれば、図らずもではあるが、彼女を深く傷つけてしまったのだ。彼女の思いつめたような暗い表情が、それを痛いほど伝えている。
「すまなかった。わたしは君の好意を誤解して、その誤解を解くこともせず、ずっと君を騙してしまっていた。一連のわたしの行動は、君を虐めているようなものだった。
君が芸術祭で言った通り、令嬢たちにも同じ人として対等であることを心掛け、選ぶ立場だからと偉そうにして、無暗に振り回してはいけないと戒めていたが、結果として、さんざん君を振り回してしまった」
ルシアンは心から謝罪した。それを見て、ひとまずは良しと、セブランは部屋の外へ出た。リゼットは二人きりになったので、遠慮なく感情をさらけ出した。
「振り回したではなく、弄んだ、ですわよ。わたくしは一人で浮かれて踊っていただけ。それを大勢の人に見られていたんです。笑いものにされたのは舞踏会の最後だけではありません。これまでの全てが、殿下にお心をかけられ浮かれた、田舎娘のおかしな行いになってしまったのですわ。
たとえ他の人が笑わなかったとしても、わたくしの心がわたくしを嘲笑うのです。分不相応に愚かな希望を抱いて舞い上がっていたのかと、誰よりもわたくし自身が滑稽で馬鹿馬鹿しいと笑っているのです。その辛さが殿下にお分かりになりまして」
リゼットが皇太子の前で怒りと哀しみを露わにするのは初めてだった。ルシアンは項垂れて言葉もなかった。
「殿下に謝罪させるなど、いつもなら、畏れ多いことだと恐縮してしまったはず。でもそんな気持ちはほんのちょっとしかありません。それくらい傷ついているんですわ」
前世では吐き出せなかった心のもやもやをすべて吐き出してしまったようで、ようやくリゼットはすっきりした。すると生来のお人好しがそうさせるのか、一方的に責めてルシアンが可哀そうだという感情が沸き上がってきた。そこで恨み言はそれくらいにして、本題に入ることにした。
「でも、殿下はこうして謝罪してくださいました。その真心は十分伝わりましたわ。それで、あらためて確かめたいのですが、殿下は今、ユーグを本当の恋人だと思ったのは勘違いだったと理解なさったのですわよね。男性を愛する人間だというのも、思い込みでしたのよね。
そうであるなら、では殿下の探している本当の恋人は誰か、ということになります。それは、本当に厚かましくて傲慢だとお思いになるかもしれませんが、願わくばわたくしであってほしいです。少なくともわたくしにとっては、殿下が本当の恋人ですわ」
思い込みが解けたなら、きっと選んでくれるはずだと、リゼットは微かな希望に縋った。ルシアンは眉を寄せて葛藤の末答えを絞り出した。
「……いいや。わたしの本当の恋人はあなたではない」
「それはそうだ。男が男を愛するなんておかしいからね」
「大丈夫よリゼット、殿下があなたの言葉を勝手に勘違いして、従者が本当の恋人なんだと勘違いしただけなのだから、あなたに責任はないわ」
リゼットが気になったのはそこではない。もし皇太子が本当に男性が好きだというなら、それは説得で解決できる問題ではない。性的嗜好は生まれつきのもので、自分の意思では選べないし、ましてや他人が変えることもできない。ただ、それは性的マイノリティに寛容になった前世の常識であり、昔のヨーロッパのようなこの世界では、異端と蔑まれるのが普通なのだろう。そして病気や一時の気の迷いで、いずれ異性愛者に戻れるとさえ考えられているのだった。
しかしルシアンはリゼットの言葉に触発されたと語っている。ならば本当に強い思い込みで暴走しているとも考えられる。そもそも、彼の初恋はアンリエットなのだから、異性愛者で間違いはないだろう。
(思い込みがなくなれば、やっぱり本当の恋人はわたしだと言ってくれるのではないかしら)
リゼットの胸に希望が生まれた。
話は進む。
「殿下の目を覚まさせなくてはいけない。そこで、リゼット嬢にお力添えを願いたいんだ。もともとあなたの言葉を曲介して始まったことなのだから、あなたが話せば案外すんなりいくかもしれない」
彼がここへ来た真の目的はこれだったのだろう。
「ひどく傷つけておいて、こうなったのはリゼットのせいだと言わんばかりで、そのうえ説得に協力しろですって。虫が良すぎますわ」
友人たちは腹を立てた。セブランは返す言葉もなかった。実際皇后はルシアンがおかしくなったのはリゼットのせいだと、度々彼女への恨み言を口にしていた。
「まぁ、協力してさしあげないこともありませんが、ならば殿下が正常に戻ったら、リゼットを皇太子妃にしていただきます。妃選びでの実績に加えて、殿下をお救いしたことになるのですからな」
シモンは抜け目なく皇太子妃の座をもぎ取ろうとした。
「シモン様、リゼットは今殿下の顔を見るのもつらいはず。殿下に会いに行って、まして説得するなど、気が進まないに決まっていますわ。なによりやるかやらないかはリゼットが決めることです」
サビーナはがめついシモンをたしなめた。流石にシモンもリゼットの顔色を窺って黙った。しかしリゼットはさほど悩まずに決断した。
「いいですわ。殿下にお会いします」
「本当にいいの? 無理をしているんではなくて?」
「いいえ。もし殿下がわたくしの言葉を勘違いして受け取ったというなら不本意だわ。もう一度正しい意味でご理解していただきたいの。それで初めてわたくしの気持ちが伝わるというものだわ」
セブランはほっとしたようで、懇ろに礼を言った。
「妹がお人好しで幸運でしたな。普通は簡単にお受けできることではないですよ。そのことはよく覚えておいて、皇帝陛下と皇后陛下によろしくお伝えください」
シモンはセブランが去る時に釘を刺した。
ルシアンは自室に閉じ込められて、連日、色々な医師の診断を受けて、薬やツボ押しや針治療、それに怪しげな呪術まで、あらゆる治療を施された。どれもこれもルシアンの性的嗜好を正常に、つまり異性愛者に戻すためだという。
「もうやめろ! こんなわけのわからないことをしても意味はない。父上と母上に伝えろ、ユーグと添い遂げるというわたしの誓いは決して折れないと」
医者を部屋の外へ押し出し、ふと、そのユーグの姿を見ていないと気が付き、世話をしに来た使用人に訊ねた。
「ユーグはあの舞踏会の翌日姿を消したのです。部屋を見にいったらもぬけの殻でして。辞職願も出さずにどこへ行ってしまったのか」
あんな事件があったから当然と言えば当然だ、という感想は心の中に留めて、使用人は丁寧に礼をして部屋を後にした。
ユーグが行方知れずになった。ルシアンは気が気でなかった。今すぐ探しに行きたいところだが、扉の前にも、窓の外にも近衛兵がぴったり張り付いて逃げ出す隙がない。
こうなったら、唯一面会を許されているセブランに頼んで探してもらおうと考えていると、今日もそのセブランが訪れた。ただし、一人ではなかった。
「リゼット嬢! 君がなぜ……」
と言いかけてルシアンは口をつぐんだ。リゼットは自分に恋心を抱いていて、こちらがアドバイスだと思っていたことは全てルシアンへ向けた愛の言葉だったと聞かされた。そうであれば、図らずもではあるが、彼女を深く傷つけてしまったのだ。彼女の思いつめたような暗い表情が、それを痛いほど伝えている。
「すまなかった。わたしは君の好意を誤解して、その誤解を解くこともせず、ずっと君を騙してしまっていた。一連のわたしの行動は、君を虐めているようなものだった。
君が芸術祭で言った通り、令嬢たちにも同じ人として対等であることを心掛け、選ぶ立場だからと偉そうにして、無暗に振り回してはいけないと戒めていたが、結果として、さんざん君を振り回してしまった」
ルシアンは心から謝罪した。それを見て、ひとまずは良しと、セブランは部屋の外へ出た。リゼットは二人きりになったので、遠慮なく感情をさらけ出した。
「振り回したではなく、弄んだ、ですわよ。わたくしは一人で浮かれて踊っていただけ。それを大勢の人に見られていたんです。笑いものにされたのは舞踏会の最後だけではありません。これまでの全てが、殿下にお心をかけられ浮かれた、田舎娘のおかしな行いになってしまったのですわ。
たとえ他の人が笑わなかったとしても、わたくしの心がわたくしを嘲笑うのです。分不相応に愚かな希望を抱いて舞い上がっていたのかと、誰よりもわたくし自身が滑稽で馬鹿馬鹿しいと笑っているのです。その辛さが殿下にお分かりになりまして」
リゼットが皇太子の前で怒りと哀しみを露わにするのは初めてだった。ルシアンは項垂れて言葉もなかった。
「殿下に謝罪させるなど、いつもなら、畏れ多いことだと恐縮してしまったはず。でもそんな気持ちはほんのちょっとしかありません。それくらい傷ついているんですわ」
前世では吐き出せなかった心のもやもやをすべて吐き出してしまったようで、ようやくリゼットはすっきりした。すると生来のお人好しがそうさせるのか、一方的に責めてルシアンが可哀そうだという感情が沸き上がってきた。そこで恨み言はそれくらいにして、本題に入ることにした。
「でも、殿下はこうして謝罪してくださいました。その真心は十分伝わりましたわ。それで、あらためて確かめたいのですが、殿下は今、ユーグを本当の恋人だと思ったのは勘違いだったと理解なさったのですわよね。男性を愛する人間だというのも、思い込みでしたのよね。
そうであるなら、では殿下の探している本当の恋人は誰か、ということになります。それは、本当に厚かましくて傲慢だとお思いになるかもしれませんが、願わくばわたくしであってほしいです。少なくともわたくしにとっては、殿下が本当の恋人ですわ」
思い込みが解けたなら、きっと選んでくれるはずだと、リゼットは微かな希望に縋った。ルシアンは眉を寄せて葛藤の末答えを絞り出した。
「……いいや。わたしの本当の恋人はあなたではない」