第七章 芸術祭 第二話
文字数 2,962文字
芸術祭の招待状はその翌日に各人へ届いた。リゼットも白い封筒を受け取った。
何を披露するか、リゼットは友人たちに訊ねた。
ブランシュはバイオリンを弾くという。
「これは練習用だから、使い古して見栄えが悪いのだけれど、我が家にはもう二本ありまして、そのうちでも名器と呼ばれる方を本番で弾くことにしたわ」
流石は金持ち貴族である。ひけらかしているわけではなく、あくまで事実を言っているだけだ。
キトリィはリヴェールの伝統楽器を奏でるという。練習している大使館へ行くと、持ち上げられないくらい太く長い笛が広い部屋に置いてあった。吹き口は細くなっていて、胴の所には可愛らしい花模様が絵付けされている。
「これはベルクホルンですわ。もともとリヴェールの山岳地方で使われていた楽器ですが、独特な音色とこの大きさはリヴェールだけに見られるものなので、いつしか国を代表する楽器となり、国の行事などで演奏されるのです」
アンリエットが説明する傍らで、キトリィは大きく息を吸い込んでホルンを鳴らした、ブォーという、深い音が響く。
「わたしはリヴェール代表だから、リヴェールの楽器を演奏するの」
ホルンから口を話して誇らしげに語る。
「王女様はあの裁判の後から、リヴェールの王族だという自負を強くしたようですわ。ようやく少し成長なさったようですわね。リゼット様のおかげですわ」
「そうでしょうか?」
そもそもあの裁判を起こしたのはメリザンドなのだから、彼女のおかげというのが正しいかもしれないが、王女の成長を微笑ましく見つめるアンリエットにそれを言うのうは無粋だ。
サビーナはピアノを披露すると言って、難曲を軽々と弾きこなしていた。歌舞校でもピアノの授業があるが、歌舞校に入るまでピアノを習っていなかった夢園 さゆり、もといリゼットは、足許にも及ばない腕前だった。
「まぁ、小さいころから習っているから。それにピアノを弾く人は多いはずよ。目立つためには、別のものがいいかもしれないわね。わたしにはこれしかないけど」
なんにせよ、ピアノで勝負しても絶対に勝てない。
(なにか別の芸術を考えなくちゃ。そりゃあ準備期間はあるけれど、周りはみんな小さいころから習ってきたことを披露するんだから、付け焼刃じゃだめよね)
前世は宝川歌劇の女優だから、芝居、歌、ダンスはどれも人に見せられるレベルだ。というか毎日客に見せていた。その中で一番自信があるのは、ダンス、四歳から続けているバレエだった。
この前劇場で見たように、この世界のもバレエは存在するのだから、芸術祭で披露するに支障はないだろう。
(だったら、中学生の頃コンクールで踊ったジゼルの一幕のバリエーションにしよう。まだ振り付けを覚えているから。それに、この世界のバレエは飛んだり跳ねたり回ったり派手な要素がなかった。わたしが前世で習ったバレエは、いわばこの世界のバレエの進化系よね。だったらきっと好評価が得られるに違いないわ。
衣装もロマンチックチュチュだから、この時代の人にも受け入れられる気がする。平たいチュチュだったら、足とおしりが丸見えで、破廉恥だって言われかねないわ。カミーユに衣装を頼むにしても、作りやすそうだし)
なにより、ここまでのリゼットは、演技とはいえ夜会で酔っ払い、散策で王女と追いかけっこをし、仮面舞踏会で皇太子に砕けた態度で話しかけ、まったく淑やかな振る舞いをしていない。
だからこそ、ここで淑女らしい一面を見せつけるべきだ。奇をてらって宝川歌劇のショーダンスを披露する手もあるが、バレエの方が優雅で上品で、皇太子妃候補として相応しい。さらにジゼルは病弱だが踊るのが好きで純真な村娘という設定だから、その踊りは楚々として可愛らしくて、これまでの印象を払拭するのにもってこいだ。
(それに、皇太子殿下にも、見直してほしいというか、可愛く見られたいというか……)
ルシアンからは、なんだか面白い奴と思われている節さえある。そうではなくて、自分の貴族令嬢然としたところを、それこそ宝川娘役らしい、愛らしく、品よく、淑やかな姿を見せたい。
となれば、早速振り付けのおさらいをしなくては、リゼットはペチコート姿でストレッチを始めた。
これまでもストレッチとダンスの基礎練習を続けていたが、がっつりバレエを踊るとなると、長いスカートは邪魔だった。そのためずっとペチコート一枚でいたのだが、ノエルに窘められてしまった。芸術祭のためと説明すると、ノエルは理解してくれたが、いわば下着姿のままは良くないと、肩にショールをかけて、腰に長い布を巻きつけてきた。なんだか、バレエのレッスン用のスカートのようで、あり合わせなのに却って具合が良かった。
ストレッチが終わったら、ソファの背に手を置いてバーレッスンをした。ただし、物置が狭いので、足を思いっきり延ばすと、壁や布切れの山にぶつかり山が崩れる。落ちた側からノエルが片付けるが、とても追いつかない。フロアで振り付けを思い出そうとするも、そもそも踊れるほどの場所がなかった。
「ちょっと、何をどたどたしてるんですか、埃が落ちてきますからやめてください」
文句を言いに二階に上がってきたカミーユは、下着に布を巻きつけただけのリゼットの格好を見てぎょっとしていた。
「ちょうどよかった。芸術祭に向けて、衣装の相談をさせてちょうだい」
リゼットは構わずに工房に降りて行って、いつも使っている紙にペンでジゼルの衣装のイメージを描いた。
「スカートはひざ下丈で薄い生地を重ねてふわっとさせるの。袖はこんな感じの小さなパフスリーブね。上はドレスみたいな感じで構わないんだけれど、あんまり派手な装飾はしないでね。一応これは村娘の役だから」
「おい待て、こんなにスカートが短いが、足はどうするんだ、まさか素足とは言わないだろうな」
横からデザイン画を覗き込んだシモンは顔をしかめた。脹脛から下が見えているだけでも、あまりいい顔をされないらしい。
「生足なわけないじゃない。タイツがないから、いつも穿いてるみたいなみたいな靴下よ。スカートの中だって、ちゃんとかぼちゃパンツなんですからね。丸見えじゃないから」
「ふぅん。どうやら今回は割とまともらしいな。お前はこれまでなにかと奇抜な発想をしてきたから、今回もそういう思い付きを発揮するのかと思った。まぁ、そもそもバレエなんて踊るのは他にいないだろうし、そういう意味では奇抜かもしれないが」
「手紙には舞踊って文字もあったわよ。それに他にやる人がいないなら、目立てていいじゃない」
可憐で上品な令嬢らしさを見せつけるために、奇をてらったことはしないと決めたのだが、そもそもバレエを踊ること自体が少々淑女らしくないらしい。少々焦るが、それでも芸術の範囲内だと自分にも言い聞かせた。
「それでね、カミーユには衣装より重要なものを頼みたいの。トウシューズっていうんだけどね」
リゼットはまた紙にペンを走らせて説明した。この世界のバレエではトウシューズは使われていない。ジゼルのバリエーションはトウシューズでなくても踊れるが、芸術祭はいわばコンクールみたいなものだから、やはり穿いて踊りたい。それにこれもまた新しいバレエの要素として、きっと評価されるはずだ。
何を披露するか、リゼットは友人たちに訊ねた。
ブランシュはバイオリンを弾くという。
「これは練習用だから、使い古して見栄えが悪いのだけれど、我が家にはもう二本ありまして、そのうちでも名器と呼ばれる方を本番で弾くことにしたわ」
流石は金持ち貴族である。ひけらかしているわけではなく、あくまで事実を言っているだけだ。
キトリィはリヴェールの伝統楽器を奏でるという。練習している大使館へ行くと、持ち上げられないくらい太く長い笛が広い部屋に置いてあった。吹き口は細くなっていて、胴の所には可愛らしい花模様が絵付けされている。
「これはベルクホルンですわ。もともとリヴェールの山岳地方で使われていた楽器ですが、独特な音色とこの大きさはリヴェールだけに見られるものなので、いつしか国を代表する楽器となり、国の行事などで演奏されるのです」
アンリエットが説明する傍らで、キトリィは大きく息を吸い込んでホルンを鳴らした、ブォーという、深い音が響く。
「わたしはリヴェール代表だから、リヴェールの楽器を演奏するの」
ホルンから口を話して誇らしげに語る。
「王女様はあの裁判の後から、リヴェールの王族だという自負を強くしたようですわ。ようやく少し成長なさったようですわね。リゼット様のおかげですわ」
「そうでしょうか?」
そもそもあの裁判を起こしたのはメリザンドなのだから、彼女のおかげというのが正しいかもしれないが、王女の成長を微笑ましく見つめるアンリエットにそれを言うのうは無粋だ。
サビーナはピアノを披露すると言って、難曲を軽々と弾きこなしていた。歌舞校でもピアノの授業があるが、歌舞校に入るまでピアノを習っていなかった
「まぁ、小さいころから習っているから。それにピアノを弾く人は多いはずよ。目立つためには、別のものがいいかもしれないわね。わたしにはこれしかないけど」
なんにせよ、ピアノで勝負しても絶対に勝てない。
(なにか別の芸術を考えなくちゃ。そりゃあ準備期間はあるけれど、周りはみんな小さいころから習ってきたことを披露するんだから、付け焼刃じゃだめよね)
前世は宝川歌劇の女優だから、芝居、歌、ダンスはどれも人に見せられるレベルだ。というか毎日客に見せていた。その中で一番自信があるのは、ダンス、四歳から続けているバレエだった。
この前劇場で見たように、この世界のもバレエは存在するのだから、芸術祭で披露するに支障はないだろう。
(だったら、中学生の頃コンクールで踊ったジゼルの一幕のバリエーションにしよう。まだ振り付けを覚えているから。それに、この世界のバレエは飛んだり跳ねたり回ったり派手な要素がなかった。わたしが前世で習ったバレエは、いわばこの世界のバレエの進化系よね。だったらきっと好評価が得られるに違いないわ。
衣装もロマンチックチュチュだから、この時代の人にも受け入れられる気がする。平たいチュチュだったら、足とおしりが丸見えで、破廉恥だって言われかねないわ。カミーユに衣装を頼むにしても、作りやすそうだし)
なにより、ここまでのリゼットは、演技とはいえ夜会で酔っ払い、散策で王女と追いかけっこをし、仮面舞踏会で皇太子に砕けた態度で話しかけ、まったく淑やかな振る舞いをしていない。
だからこそ、ここで淑女らしい一面を見せつけるべきだ。奇をてらって宝川歌劇のショーダンスを披露する手もあるが、バレエの方が優雅で上品で、皇太子妃候補として相応しい。さらにジゼルは病弱だが踊るのが好きで純真な村娘という設定だから、その踊りは楚々として可愛らしくて、これまでの印象を払拭するのにもってこいだ。
(それに、皇太子殿下にも、見直してほしいというか、可愛く見られたいというか……)
ルシアンからは、なんだか面白い奴と思われている節さえある。そうではなくて、自分の貴族令嬢然としたところを、それこそ宝川娘役らしい、愛らしく、品よく、淑やかな姿を見せたい。
となれば、早速振り付けのおさらいをしなくては、リゼットはペチコート姿でストレッチを始めた。
これまでもストレッチとダンスの基礎練習を続けていたが、がっつりバレエを踊るとなると、長いスカートは邪魔だった。そのためずっとペチコート一枚でいたのだが、ノエルに窘められてしまった。芸術祭のためと説明すると、ノエルは理解してくれたが、いわば下着姿のままは良くないと、肩にショールをかけて、腰に長い布を巻きつけてきた。なんだか、バレエのレッスン用のスカートのようで、あり合わせなのに却って具合が良かった。
ストレッチが終わったら、ソファの背に手を置いてバーレッスンをした。ただし、物置が狭いので、足を思いっきり延ばすと、壁や布切れの山にぶつかり山が崩れる。落ちた側からノエルが片付けるが、とても追いつかない。フロアで振り付けを思い出そうとするも、そもそも踊れるほどの場所がなかった。
「ちょっと、何をどたどたしてるんですか、埃が落ちてきますからやめてください」
文句を言いに二階に上がってきたカミーユは、下着に布を巻きつけただけのリゼットの格好を見てぎょっとしていた。
「ちょうどよかった。芸術祭に向けて、衣装の相談をさせてちょうだい」
リゼットは構わずに工房に降りて行って、いつも使っている紙にペンでジゼルの衣装のイメージを描いた。
「スカートはひざ下丈で薄い生地を重ねてふわっとさせるの。袖はこんな感じの小さなパフスリーブね。上はドレスみたいな感じで構わないんだけれど、あんまり派手な装飾はしないでね。一応これは村娘の役だから」
「おい待て、こんなにスカートが短いが、足はどうするんだ、まさか素足とは言わないだろうな」
横からデザイン画を覗き込んだシモンは顔をしかめた。脹脛から下が見えているだけでも、あまりいい顔をされないらしい。
「生足なわけないじゃない。タイツがないから、いつも穿いてるみたいなみたいな靴下よ。スカートの中だって、ちゃんとかぼちゃパンツなんですからね。丸見えじゃないから」
「ふぅん。どうやら今回は割とまともらしいな。お前はこれまでなにかと奇抜な発想をしてきたから、今回もそういう思い付きを発揮するのかと思った。まぁ、そもそもバレエなんて踊るのは他にいないだろうし、そういう意味では奇抜かもしれないが」
「手紙には舞踊って文字もあったわよ。それに他にやる人がいないなら、目立てていいじゃない」
可憐で上品な令嬢らしさを見せつけるために、奇をてらったことはしないと決めたのだが、そもそもバレエを踊ること自体が少々淑女らしくないらしい。少々焦るが、それでも芸術の範囲内だと自分にも言い聞かせた。
「それでね、カミーユには衣装より重要なものを頼みたいの。トウシューズっていうんだけどね」
リゼットはまた紙にペンを走らせて説明した。この世界のバレエではトウシューズは使われていない。ジゼルのバリエーションはトウシューズでなくても踊れるが、芸術祭はいわばコンクールみたいなものだから、やはり穿いて踊りたい。それにこれもまた新しいバレエの要素として、きっと評価されるはずだ。