第八章 恋心 第八話
文字数 3,018文字
リゼットは残りのコインで紅茶をもらった。カップとティーポットと、キトリィの景品のクッキーが乗ったお盆を持っていると、シモンが山盛りのサクランボをもって、少し奥まったところの空いたテーブルに手招きした。
「よし。サクランボも手にいれられたし、今回は珍しく上手くいったな。後はお前次第だ。頑張れよ」
シモンはそさくさと立ち去った。ブランシュたちもリゼットへのお祝いの言葉もそこそこに、離れて行ってしまった。
クラップでリゼットに負けらローズとリアーヌは何の景品もなく、そればかりかリゼットの兄であるシモンにサクランボを取られて、意気消沈していた。そこへセブランが女性たちを引き連れてやってきた。
「こちらで景品を持ち寄って皆で戴くことになったんだよ。お二人もどうだい?」
顔をしかめているリアーヌにセブランは小声で言った。
「もしわたしがサクランボを手にいれていたら、彼と同じことをしたよ。だが、賭けは時の運だから、仕方がないさ。
何も得られなかった者同士だよ。せめて楽しく過ごして、悔しい思いを忘れようじゃないか。リアーヌ、わたしはターキッシュディライトをもらったよ。こんなにどっさりあるんだ。食べないかい?」
「……いただきたいわ」
「ローズ嬢も、是非ご一緒しよう」
セブランは彼女の手を取って大きなテーブルの方へ移動した。
なんだか自分の周りに人がいなくなってしまったようで、リゼットは所在無く、椅子に座らずにぶらぶらしていた。そこへルシアンが卵サンドを手にやってきた。
「え、殿下、それはわたしのために?」
「ああ、空腹だったのでは? そう思って頑張ってみたが」
「空腹だったわけではなくて、好物なんです。でも、お腹が減ってきたところですわ」
ルシアンがテーブルに皿を置いて掛けたので、リゼットも隣に座る。
「あの、サクランボをどうぞ。兄が取ってくれたんです。本当は自分で取りたかったんですけれど、今日はついていなかったようで、お茶しかとれませんでした。でもサクランボは殿下の好物ですから召し上がってほしくて」
「そうか。ありがとう」
ルシアンはサクランボを一粒口に入れた。赤く熟れきった大粒のサクランボ。リゼットも勧められて一つ食べた。濃厚な甘さの中に爽やかな酸味がある。
「先ほどの言葉は間違っていたな。やはりわたしもあなたに卵サンドを食べてほしかったんだ。
どうしてか。今日はぎこちなくしか話せない。やはり、それは、リゼット嬢のことが、その好きだからなのだろうか?」
おもむろに爆弾発言。リゼットは驚いて椅子からずり落ちそうになった。
「いや、今のは気持ちを告白したのではない。質問だ。セブランやユーグが、わたしがあなたに恋をしているのだとか、好きなのだとかいうのだが、それが本当に恋なのか、よくわからないんだ。
あなたのことは、人として尊敬できるし信頼できるとも思っている。そういう感情を抱く相手というのが、ずっと出会えないと思っていた本当の恋人なのだろうか」
これはもう恋愛相談という名の告白ではないか。そう自惚れてしまいそうだったが、何とか冷静さを保ったリゼットは、あくまで恋愛相談として答えた。
「そうですわね。好きな人の事は、信頼も尊敬もできるでしょうね。それに緊張して上手く話せなくなるものです」
「そうか。考えてみれば、アンリエットに憧れていた時、社交界で会っても、上手く話せなかったな。わたしはアンリエット以外に人を好きになったことがない。だがアンリエットには未熟な思いだったと言われてしまって、今は確かにそうだったと思う。だから本当の恋人とはどういうものなのか、わからないんだ」
本当の恋人なんて、リゼットにもわからない。宝川受験生時代から転生した日に至るまで、忙殺されて恋愛など経験してこなかった。だが、愛だの恋だのばかりのメロドラマはたくさん演じてきた。恋愛している主要な役柄は回ってこなかったが、当然台本は読み込んでいるし、場合によっては原作の小説や映画、ドラマなんかも見ている。恋愛に無知ではない。
「恋人というか、愛する人というのは、殿下がおっしゃったことはもちろん、気が合って、気兼ねする必要がなくて、一緒にいて穏やかな気持ちになって、これから先もずっと一緒にいたいと思える人ですわ。離れて暮らすことが考えられないくらいで、その人のためなら命をかけてもいいくらいです。
ちなみち、わたくしは、まだ命を懸けるほどではないかもしれませんが、殿下といると、緊張もしますが、楽しくて、暖かい気持ちになりますわ」
前世ではごくごく一般的な恋愛論だったが、政略結婚が当たり前のこの国の貴族、まして皇太子にとっては感銘を受けるところが多いようだった。ルシアンはじっと聞いていて、何度もかみしめるようにうなずいていた。
「なるほど。やはりあなたの言葉は示唆に富む。この事についてはもう一度よく考えてみることにする。それにあなたがわたしと話すのを楽しんでくれているというは、嬉しい」
「まぁ、殿下が嬉しいなら、わたくしも嬉しいですわ」
リゼットは胸がどきどきして、恥ずかしいやら嬉しいやらで、胸が騒いでいた。顔は間違いなくサクランボ顔負けに真っ赤だ。
「そういえば、例の劇場の出し物は順調なようだな」
「ええ。引き受けることにしまして、もう稽古は随分進んでおりますのよ」
「そうか、それは楽しみだ」
二人は好物をつまみながら、気が済むまで楽しい会話を続けた。
せっかくイカサマまで行ったのに、メリザンドにサクランボを獲得させられず、さらにルシアンがリゼットに卵サンドを贈るなどという事態になって、皇后は面白くなかった。ソンルミエール公爵も同じ気持ちだったし、サビーナが後からこちらのイカサマを告発しないかと怖れてもいた。
「それはないでしょう。サビーナ嬢はちょっとかっこつけなところがありますから。それに、わたくしたちを糾弾するつもりなら、最初から告発していたはずですわ」
メリザンドは大人しくスコーンを少しずつ口に入れていた。
「あなたは本当にできた人だわ。こんなことになって、一番腹が立つでしょうに、怒りも悔しさも露わにしないのだからす」
皇后は彼女に同情し、また感心もしていた。やはり息子の嫁は彼女のような女性がふさわしい。
「芸術祭でのあなたの詩は見事だったわ。もののわかる人であれば、あなたが優勝でないのがおかしいと思うはず。それくらい高尚で奥深かったわ。芸術とは本来そういうものです。リゼット嬢の踊りはトンチキで騒がしくて派手だっただけ。でも、そういうわかりやすさに惑わされる人が多いこと。芸術家たちも、もう少し審美眼を養ってほしいわ。
今回も、あの娘はクラップで勝負したそうだけど、少しでも多くコインを集めようと、躍起になってサイコロを振っていたようね。そういうところが田舎っぽいというのよ。賭けごとはあくまで遊び、本気になるのは無粋ですからね」
口を開けば次から次へとリゼットへの愚痴が出てくる。
「クラップでの振る舞いがふさわしくなかったと、失格にしてしまったらどうでしょう」
父親のその提案を、メリザンドは止めた。
「確かに品がなかったかもしれませんが、目に余るほどでもございませんでした。明確な理由がなければ、皇后陛下が気に入らないという理由で候補を排除したと噂されてしまいますよ。わたくしに考えがありますの」
メリザンドは妖しく微笑んだ。
「よし。サクランボも手にいれられたし、今回は珍しく上手くいったな。後はお前次第だ。頑張れよ」
シモンはそさくさと立ち去った。ブランシュたちもリゼットへのお祝いの言葉もそこそこに、離れて行ってしまった。
クラップでリゼットに負けらローズとリアーヌは何の景品もなく、そればかりかリゼットの兄であるシモンにサクランボを取られて、意気消沈していた。そこへセブランが女性たちを引き連れてやってきた。
「こちらで景品を持ち寄って皆で戴くことになったんだよ。お二人もどうだい?」
顔をしかめているリアーヌにセブランは小声で言った。
「もしわたしがサクランボを手にいれていたら、彼と同じことをしたよ。だが、賭けは時の運だから、仕方がないさ。
何も得られなかった者同士だよ。せめて楽しく過ごして、悔しい思いを忘れようじゃないか。リアーヌ、わたしはターキッシュディライトをもらったよ。こんなにどっさりあるんだ。食べないかい?」
「……いただきたいわ」
「ローズ嬢も、是非ご一緒しよう」
セブランは彼女の手を取って大きなテーブルの方へ移動した。
なんだか自分の周りに人がいなくなってしまったようで、リゼットは所在無く、椅子に座らずにぶらぶらしていた。そこへルシアンが卵サンドを手にやってきた。
「え、殿下、それはわたしのために?」
「ああ、空腹だったのでは? そう思って頑張ってみたが」
「空腹だったわけではなくて、好物なんです。でも、お腹が減ってきたところですわ」
ルシアンがテーブルに皿を置いて掛けたので、リゼットも隣に座る。
「あの、サクランボをどうぞ。兄が取ってくれたんです。本当は自分で取りたかったんですけれど、今日はついていなかったようで、お茶しかとれませんでした。でもサクランボは殿下の好物ですから召し上がってほしくて」
「そうか。ありがとう」
ルシアンはサクランボを一粒口に入れた。赤く熟れきった大粒のサクランボ。リゼットも勧められて一つ食べた。濃厚な甘さの中に爽やかな酸味がある。
「先ほどの言葉は間違っていたな。やはりわたしもあなたに卵サンドを食べてほしかったんだ。
どうしてか。今日はぎこちなくしか話せない。やはり、それは、リゼット嬢のことが、その好きだからなのだろうか?」
おもむろに爆弾発言。リゼットは驚いて椅子からずり落ちそうになった。
「いや、今のは気持ちを告白したのではない。質問だ。セブランやユーグが、わたしがあなたに恋をしているのだとか、好きなのだとかいうのだが、それが本当に恋なのか、よくわからないんだ。
あなたのことは、人として尊敬できるし信頼できるとも思っている。そういう感情を抱く相手というのが、ずっと出会えないと思っていた本当の恋人なのだろうか」
これはもう恋愛相談という名の告白ではないか。そう自惚れてしまいそうだったが、何とか冷静さを保ったリゼットは、あくまで恋愛相談として答えた。
「そうですわね。好きな人の事は、信頼も尊敬もできるでしょうね。それに緊張して上手く話せなくなるものです」
「そうか。考えてみれば、アンリエットに憧れていた時、社交界で会っても、上手く話せなかったな。わたしはアンリエット以外に人を好きになったことがない。だがアンリエットには未熟な思いだったと言われてしまって、今は確かにそうだったと思う。だから本当の恋人とはどういうものなのか、わからないんだ」
本当の恋人なんて、リゼットにもわからない。宝川受験生時代から転生した日に至るまで、忙殺されて恋愛など経験してこなかった。だが、愛だの恋だのばかりのメロドラマはたくさん演じてきた。恋愛している主要な役柄は回ってこなかったが、当然台本は読み込んでいるし、場合によっては原作の小説や映画、ドラマなんかも見ている。恋愛に無知ではない。
「恋人というか、愛する人というのは、殿下がおっしゃったことはもちろん、気が合って、気兼ねする必要がなくて、一緒にいて穏やかな気持ちになって、これから先もずっと一緒にいたいと思える人ですわ。離れて暮らすことが考えられないくらいで、その人のためなら命をかけてもいいくらいです。
ちなみち、わたくしは、まだ命を懸けるほどではないかもしれませんが、殿下といると、緊張もしますが、楽しくて、暖かい気持ちになりますわ」
前世ではごくごく一般的な恋愛論だったが、政略結婚が当たり前のこの国の貴族、まして皇太子にとっては感銘を受けるところが多いようだった。ルシアンはじっと聞いていて、何度もかみしめるようにうなずいていた。
「なるほど。やはりあなたの言葉は示唆に富む。この事についてはもう一度よく考えてみることにする。それにあなたがわたしと話すのを楽しんでくれているというは、嬉しい」
「まぁ、殿下が嬉しいなら、わたくしも嬉しいですわ」
リゼットは胸がどきどきして、恥ずかしいやら嬉しいやらで、胸が騒いでいた。顔は間違いなくサクランボ顔負けに真っ赤だ。
「そういえば、例の劇場の出し物は順調なようだな」
「ええ。引き受けることにしまして、もう稽古は随分進んでおりますのよ」
「そうか、それは楽しみだ」
二人は好物をつまみながら、気が済むまで楽しい会話を続けた。
せっかくイカサマまで行ったのに、メリザンドにサクランボを獲得させられず、さらにルシアンがリゼットに卵サンドを贈るなどという事態になって、皇后は面白くなかった。ソンルミエール公爵も同じ気持ちだったし、サビーナが後からこちらのイカサマを告発しないかと怖れてもいた。
「それはないでしょう。サビーナ嬢はちょっとかっこつけなところがありますから。それに、わたくしたちを糾弾するつもりなら、最初から告発していたはずですわ」
メリザンドは大人しくスコーンを少しずつ口に入れていた。
「あなたは本当にできた人だわ。こんなことになって、一番腹が立つでしょうに、怒りも悔しさも露わにしないのだからす」
皇后は彼女に同情し、また感心もしていた。やはり息子の嫁は彼女のような女性がふさわしい。
「芸術祭でのあなたの詩は見事だったわ。もののわかる人であれば、あなたが優勝でないのがおかしいと思うはず。それくらい高尚で奥深かったわ。芸術とは本来そういうものです。リゼット嬢の踊りはトンチキで騒がしくて派手だっただけ。でも、そういうわかりやすさに惑わされる人が多いこと。芸術家たちも、もう少し審美眼を養ってほしいわ。
今回も、あの娘はクラップで勝負したそうだけど、少しでも多くコインを集めようと、躍起になってサイコロを振っていたようね。そういうところが田舎っぽいというのよ。賭けごとはあくまで遊び、本気になるのは無粋ですからね」
口を開けば次から次へとリゼットへの愚痴が出てくる。
「クラップでの振る舞いがふさわしくなかったと、失格にしてしまったらどうでしょう」
父親のその提案を、メリザンドは止めた。
「確かに品がなかったかもしれませんが、目に余るほどでもございませんでした。明確な理由がなければ、皇后陛下が気に入らないという理由で候補を排除したと噂されてしまいますよ。わたくしに考えがありますの」
メリザンドは妖しく微笑んだ。