第三章 皇太子妃候補たち 第五話
文字数 2,927文字
いきなり皇后が登場して、リゼットはすっかり緊張し、礼のあとに後立ち上がるのが少し遅れた。ドレスを直してやった令嬢も、隣で生唾を飲み込み、小刻みに震えていた。
緊張している二人の前で、いよいよ最初の審査が始まった。前の方にいた令嬢から一人ずつ、皇后の正面に進み出て、片膝を折って身をかがめてお辞儀する。それから氏名を述べる。
(なるほど、わかったわ。パレードの最後に、客席に向かってお辞儀する感じでやればいいのね)
次々と名乗る令嬢たちの動きを凝視し、イメージトレーニングする。
そうしていると、ある令嬢が進み出た。鏡の間の緊張感が増す。
細面で鼻が高く、長い睫毛に縁どられた切れ長の瞳はアイスブルー、形の良い上品な小さな口、細い顎。額を出してゆったりと結い上げられたプラチナブロンドは、鏡の間の装飾と同じように輝いていた。華奢な首には控えめなダイヤのネックレスが光り、深い赤に繊細な白いレースがあしらわれたドレスは、シンプルだが上質で、身にまとう本人の美しさをより引き立てていた。
歩みは羽のように軽やか。白鳥が舞い降りたように身をかがめる。柔らかな微笑みは芳香を放って咲くバラの花の如く。
「ソンルミエール公爵家のメリザンドでございます」
その声はガラスのベルのように透き通っていた。
「メリザンド、そなたもご苦労ですね」
「とんでもございません。ルシアン殿下の妃候補としてここへ立てること、この上なく光栄ですわ」
皇后の言葉に、メリザンドは少しだけ身をかがめて答えた。その姿に令嬢たちの半分は思わずため息をついて、小声で賞賛しあった。
(とびぬけて綺麗な人だわ。他の人たちも一目置いてるみたいだし、皇后さまから声をかけられてるし。最後はああいう人が選ばれるのかな)
風前の灯火だったリゼットの自信は、メリザンドの美しさと気品で吹き消されてしまった。
いつの間にかリゼットの前にはもう四人の令嬢しかいなかった。焦って隣を見ると、ドレスを直してやった令嬢は青い顔で一歩下がった。リゼットを先にさせるつもりだ。
リゼットの心臓は大きく音を立てていた。こんなに緊張するのは、初舞台の初日以来だ。ただ、先ほど自信を完全に喪失したことで、ある種開き直ることができていた。
(とにかく、やるしかない。頭の中で練習した通りに)
自分の番が来ると、リゼットは舞台に立ったつもりで、緊張を優雅な微笑みで隠して、軽い足取りで皇后の前へ進み出た。そして優雅に膝を折ってお辞儀する。立ち上がって両手をへその前で重ね、少し肘を張って姿勢を整える。
「レーブジャルダン子爵家のリゼットでございます」
娘役の発声は、大声を出しているわけではないのに、鏡の間に程よく響いた。やりおおせると、軽く会釈をして皇后の前を辞し、脇へよける。
舞台仕込みの笑顔で押さえているが、終わってからどっと緊張が押し寄せてきた。しかも次はドレスを直してやった令嬢だ。思わず手に汗握ってしまう。
「タンセラン男爵家のパメラでございます」
緊張が顔に出ていたが、彼女も何とかやりおおせた。思わず胸をなでおろすと、こちらへ歩いてくるパメラと目が合って、ひっそりとほほ笑み合った。
こうして全ての令嬢が挨拶を終えると、皇后から再度労いの言葉があった。その後、座っていた貴族の男の一人が、次回の審査の招待状の届け先を使用人たちに教えるようにと指示した。令嬢たちが紙とペンを持った使用人たちを囲んでいる間に、皇后たちは退出していった。
「き、緊張しましたわね」
全てが終わって、リゼットとパメラは自然と一緒に来た道を戻った。
パメラは相槌を打ってから、立ち止まるってまっすぐにリゼットを見た。
「あの、ドレスを直してくださってありがとうございました。本当に助かりましたわ。髪型も直してくださって、こんなに綺麗にしていただいて。何とお礼を言ったらいいか」
「とんでもございません。わたくし、ちょっと手先が器用なものですから。
実は、わたくしも流行のドレスを持っていなくて。たまたま教えてくださる方がいたので、昨日の夜、手直しをしたんですけれど、もしその方の助言が無ければ、わたくしも笑われていたはずです。ですからパメラ様のお姿を見て、とても他人事だと思えなくて、ついでしゃばってしまいましたわ」
「でしゃばりなんてそんな。それに、どうぞパメラとお呼びください。多分リゼット様のほうがお姉さまでしょう?」
「そうかしら、おいくつですの?」
「17歳ですわ」
一歳差だったら、そこまで遠慮することもないだろうと、自分のことも呼び捨てで良いと言ったが、パメラは畏れ多いから無理だという。本人がそういうならと、リゼットは遠慮なく呼び捨てにさせてもらった。話を聞くと、パメラも田舎貴族で、このために都へ出てきたそうだ。同じ身の上だと親近感を抱いたリゼットは、王宮の外に出るまでずっと話し込んでしまった。
門の外は令嬢を迎える付き添いたちでごった返していた。その中に、黒と緑のけばけばしいドレスの小太りの女性がおり、パメラを見つけて近付いてきた。
「パメラ! それで、手ごたえはどうなの?」
恐らくドレスに余計な装飾をしたパメラの母親だろう。母親はリゼットに目もくれず、娘を引っ張って行ってしまった。パメラは何度か名残惜しそうにリゼットを振り返っていた。
「おい。あの娘は何だ?」
馬車で待っていると言ったくせに、待ちきれなかったのか、シモンも門までやってきていた。庭園を抜けながらことの顛末を話した。
「そのままの格好でいさせたら、あの娘は脱落しただろうに。競争相手を増やしてどうする」
「そんなひどいこと言わなくても。それに、友達になれたと思うわ。わたしって知り合いが一人もいないじゃない。この後の審査で何があるかわからないし、協力者がいた方がいいわよ」
「流行おくれのドレスを着てきて、緊張して青い顔をしていたなんて、頼りない協力者だな。しかも男爵令嬢、うちより爵位が下じゃないか。おまけに田舎育ちときたら、都の社交界に顔が利くわけでもなし。全く役に立たない。もっとましな協力者を見つけろ。例えばソンルミエール家の令嬢とか」
「そうだ。ソンルミエール家のメリザンド様って何者なの?」
「そもそもソンルミエール家は帝国貴族の中でも由緒ある家柄だ。それは教えただろう。その家の娘メリザンドは皇女顔負けの環境で育った生粋の貴族。社交界一の淑女と謳われている。幼いころから宮廷に出入りして、皇帝夫妻とも顔見知り、皇太子ルシアンとは幼馴染だそうだ」
「じゃあ、皇太子妃はもうあの人で決まりじゃない!」
「どうやらそうでもないらしい。お前を待っている間に情報収集をしていたが、皇太子ルシアンは最近メリザンドを遠ざけているとか。さらには、社交界で女性たちに言い寄られても、そっけない態度を貫いているようだ。皇太子という立場上、軽率な行動を控えているのだろうが、今の段階で意中の女がいないのなら、勝機はある」
とはいっても、皇后はメリザンドを気に入っている様子だったし、なにより今日集った令嬢たちと自らの間には越えられない壁があるような気がして、リゼットはまったく希望が持てなかった。
緊張している二人の前で、いよいよ最初の審査が始まった。前の方にいた令嬢から一人ずつ、皇后の正面に進み出て、片膝を折って身をかがめてお辞儀する。それから氏名を述べる。
(なるほど、わかったわ。パレードの最後に、客席に向かってお辞儀する感じでやればいいのね)
次々と名乗る令嬢たちの動きを凝視し、イメージトレーニングする。
そうしていると、ある令嬢が進み出た。鏡の間の緊張感が増す。
細面で鼻が高く、長い睫毛に縁どられた切れ長の瞳はアイスブルー、形の良い上品な小さな口、細い顎。額を出してゆったりと結い上げられたプラチナブロンドは、鏡の間の装飾と同じように輝いていた。華奢な首には控えめなダイヤのネックレスが光り、深い赤に繊細な白いレースがあしらわれたドレスは、シンプルだが上質で、身にまとう本人の美しさをより引き立てていた。
歩みは羽のように軽やか。白鳥が舞い降りたように身をかがめる。柔らかな微笑みは芳香を放って咲くバラの花の如く。
「ソンルミエール公爵家のメリザンドでございます」
その声はガラスのベルのように透き通っていた。
「メリザンド、そなたもご苦労ですね」
「とんでもございません。ルシアン殿下の妃候補としてここへ立てること、この上なく光栄ですわ」
皇后の言葉に、メリザンドは少しだけ身をかがめて答えた。その姿に令嬢たちの半分は思わずため息をついて、小声で賞賛しあった。
(とびぬけて綺麗な人だわ。他の人たちも一目置いてるみたいだし、皇后さまから声をかけられてるし。最後はああいう人が選ばれるのかな)
風前の灯火だったリゼットの自信は、メリザンドの美しさと気品で吹き消されてしまった。
いつの間にかリゼットの前にはもう四人の令嬢しかいなかった。焦って隣を見ると、ドレスを直してやった令嬢は青い顔で一歩下がった。リゼットを先にさせるつもりだ。
リゼットの心臓は大きく音を立てていた。こんなに緊張するのは、初舞台の初日以来だ。ただ、先ほど自信を完全に喪失したことで、ある種開き直ることができていた。
(とにかく、やるしかない。頭の中で練習した通りに)
自分の番が来ると、リゼットは舞台に立ったつもりで、緊張を優雅な微笑みで隠して、軽い足取りで皇后の前へ進み出た。そして優雅に膝を折ってお辞儀する。立ち上がって両手をへその前で重ね、少し肘を張って姿勢を整える。
「レーブジャルダン子爵家のリゼットでございます」
娘役の発声は、大声を出しているわけではないのに、鏡の間に程よく響いた。やりおおせると、軽く会釈をして皇后の前を辞し、脇へよける。
舞台仕込みの笑顔で押さえているが、終わってからどっと緊張が押し寄せてきた。しかも次はドレスを直してやった令嬢だ。思わず手に汗握ってしまう。
「タンセラン男爵家のパメラでございます」
緊張が顔に出ていたが、彼女も何とかやりおおせた。思わず胸をなでおろすと、こちらへ歩いてくるパメラと目が合って、ひっそりとほほ笑み合った。
こうして全ての令嬢が挨拶を終えると、皇后から再度労いの言葉があった。その後、座っていた貴族の男の一人が、次回の審査の招待状の届け先を使用人たちに教えるようにと指示した。令嬢たちが紙とペンを持った使用人たちを囲んでいる間に、皇后たちは退出していった。
「き、緊張しましたわね」
全てが終わって、リゼットとパメラは自然と一緒に来た道を戻った。
パメラは相槌を打ってから、立ち止まるってまっすぐにリゼットを見た。
「あの、ドレスを直してくださってありがとうございました。本当に助かりましたわ。髪型も直してくださって、こんなに綺麗にしていただいて。何とお礼を言ったらいいか」
「とんでもございません。わたくし、ちょっと手先が器用なものですから。
実は、わたくしも流行のドレスを持っていなくて。たまたま教えてくださる方がいたので、昨日の夜、手直しをしたんですけれど、もしその方の助言が無ければ、わたくしも笑われていたはずです。ですからパメラ様のお姿を見て、とても他人事だと思えなくて、ついでしゃばってしまいましたわ」
「でしゃばりなんてそんな。それに、どうぞパメラとお呼びください。多分リゼット様のほうがお姉さまでしょう?」
「そうかしら、おいくつですの?」
「17歳ですわ」
一歳差だったら、そこまで遠慮することもないだろうと、自分のことも呼び捨てで良いと言ったが、パメラは畏れ多いから無理だという。本人がそういうならと、リゼットは遠慮なく呼び捨てにさせてもらった。話を聞くと、パメラも田舎貴族で、このために都へ出てきたそうだ。同じ身の上だと親近感を抱いたリゼットは、王宮の外に出るまでずっと話し込んでしまった。
門の外は令嬢を迎える付き添いたちでごった返していた。その中に、黒と緑のけばけばしいドレスの小太りの女性がおり、パメラを見つけて近付いてきた。
「パメラ! それで、手ごたえはどうなの?」
恐らくドレスに余計な装飾をしたパメラの母親だろう。母親はリゼットに目もくれず、娘を引っ張って行ってしまった。パメラは何度か名残惜しそうにリゼットを振り返っていた。
「おい。あの娘は何だ?」
馬車で待っていると言ったくせに、待ちきれなかったのか、シモンも門までやってきていた。庭園を抜けながらことの顛末を話した。
「そのままの格好でいさせたら、あの娘は脱落しただろうに。競争相手を増やしてどうする」
「そんなひどいこと言わなくても。それに、友達になれたと思うわ。わたしって知り合いが一人もいないじゃない。この後の審査で何があるかわからないし、協力者がいた方がいいわよ」
「流行おくれのドレスを着てきて、緊張して青い顔をしていたなんて、頼りない協力者だな。しかも男爵令嬢、うちより爵位が下じゃないか。おまけに田舎育ちときたら、都の社交界に顔が利くわけでもなし。全く役に立たない。もっとましな協力者を見つけろ。例えばソンルミエール家の令嬢とか」
「そうだ。ソンルミエール家のメリザンド様って何者なの?」
「そもそもソンルミエール家は帝国貴族の中でも由緒ある家柄だ。それは教えただろう。その家の娘メリザンドは皇女顔負けの環境で育った生粋の貴族。社交界一の淑女と謳われている。幼いころから宮廷に出入りして、皇帝夫妻とも顔見知り、皇太子ルシアンとは幼馴染だそうだ」
「じゃあ、皇太子妃はもうあの人で決まりじゃない!」
「どうやらそうでもないらしい。お前を待っている間に情報収集をしていたが、皇太子ルシアンは最近メリザンドを遠ざけているとか。さらには、社交界で女性たちに言い寄られても、そっけない態度を貫いているようだ。皇太子という立場上、軽率な行動を控えているのだろうが、今の段階で意中の女がいないのなら、勝機はある」
とはいっても、皇后はメリザンドを気に入っている様子だったし、なにより今日集った令嬢たちと自らの間には越えられない壁があるような気がして、リゼットはまったく希望が持てなかった。