第十章 最後のダンス 第一話
文字数 2,917文字
ダンスが終わると、二人はそっと人気のないテラスに出た。真夏の夜だったが、微かにそよぐ風が涼しく、恋の熱を醒ますにはちょうど良かった。
ルシアンは早速リゼットに本題を切り出した。
「改めてだが、わたしはついに本当の恋人見つけた。それは……」
「おやめになって、そんなに改まって言われると、わたくし恥ずかしくて顔から火が出てしまいますわ。もう先ほどのお言葉で十分伝わっていますから」
「そうか。君は全てお見通しなのだな。いや、だからこそ君を選んだのだが」
リゼットは照れくさくてたまらなかったが、ルシアンが何か真剣な話を始めようとしているので、心を落ち着けることにした。
「わたしの気持ちはもうわかっていると思うが、実はまだ自信が持てない。わたしの恋人は本当に私を愛してくれているのだろうかと」
「まぁ、恋人の気持ちをお疑いですの? あんなに熱烈に想いを伝えているのに」
「熱烈に、やはり君もそう思うか。わたしも、きっと愛してくれていると思っているのだ。だが、わたしの思い込みなのではと怖れてもいる」
リゼットは焦った。手紙まで送って愛を伝え、先ほど愛の告白を受けたというのにルシアンに自分の愛情が伝わっていないというのだ。
(そりゃあ、手紙はお上品にするためにちょっと遠回しに書いたけど、でもまさか物足りないと思われていたなんて)
ならばしっかりと愛を伝えるまでだ。リゼットは一つ呼吸を置いてから言葉を発した。
「殿下、あなたの恋人は、つい最近恋に気が付いた殿下よりも、もっと大きな感情を抱いているのですわ。どうかわたくしを信じてくださいませ。それでも不安だというならば、これから良くご覧になっていてくださいませ。どれだけ殿下を愛しているか、その一挙手一投足で、お分かりいただけるはずです」
「そうか。そうだな。わたしの気が回らないから、見逃してしまっていただけなのかもしれない。まずは相手を細やかに見つめなければな」
「ええ。ただあまり見つめられると、それはそれでちょっと落ち着かないというか」
冷静にと思いつつ顔を赤らめてしまう。恋が成就したと思うとまるでだめだとリゼットはこっそりと首を振った。一方でルシアンは何かを噛みしめるように、一人でうんうんと頷いていた。
「あなたの言葉を聞いて安心した。まずは時間をかけて互いの気持ちを確かめ合うことが大切なのだな」
ルシアンは何かに納得して立ち上がると、リゼットに手を差し伸べた。その手を取って、リゼットは共に夜会の会場へ戻る。
「何よあれ、わたくしたちを差し置いて、まるで恋人みたいに!」
皇太子妃候補の令嬢たちは二人の親密な様子に嫉妬した。しかしもう形勢は覆しがたいと、敢て争おうとせず諦める者もいた。
(みんな気概が足りないわ。ちょっと気に入られた程度のリゼットなんて、その気になればすぐに追いはらえるわよ。わたしは諦めないわ。なんとしても殿下を奪ってみせる)
ローズは勇敢に二人に話しかけた。
「リゼット様ばかりが殿下を独占していてずるいですわ。殿下、次の曲はわたくしと踊ってくださいませんこと」
「しかし……」
ルシアンとしては、本当の恋人を見つけたからには、令嬢たちと必要以上に親密にする気はなかった。
「ローズ様、殿下は病み上がりで、ダンスは控えたいとの思し召しです」
リゼットはルシアンを気遣い、愛情をアピールした。
「まぁ、先ほどはリゼット様と踊っていらしたのに?」
「今夜は一曲と決めていたのですわ」
ローズからしたら、リゼットがライバルを押しのけているとしか思えなかった。
(殿下のお心を掴んで気が大きくなっているのね! 図々しい!)
リゼットがルシアンと会場の隅へ寄ると、リアーヌがニコニコ笑ってやってきた。
「今日の演目は本当に素晴らしかったですわ。わたくしたちが踊ったラインダンスがあんなに華やかになるなんて、リゼット様の演出の賜物ですわ。本当に才能が溢れていらっしゃるわ。わたくしにもその才能の百分の一でもあれば、あるいは殿下に目をかけていただけたかもしれませんのに」
リゼットに真正面から挑むより、媚びて取り入って、そのうえで皇太子と距離を詰め、隙あらば奪ってしまおうという戦略だった。
「ローズ様、演目の感想を提出するのが今回の妃選びの課題ですわ。今お話しになってしまうと、書くことがなくなってしまいますし、殿下も公正に評価できなくなると危惧されるのではないかと。ですから今日は別のお話をした方がいいですわ」
至極真面目なルシアンのことだから、夜会で誰かの感想を先に聞いてしまうのは、審査の公平性を欠くと考えているはずと、これもリゼットなりにルシアンを思いやった結果だった。だがリアーヌにとっては、己の思惑を看破されたように思えた。
(こっちがちょっと下手に出たら図に乗って。あくまでわたくしを殿下に近づけないつもりね)
その後、ルシアンはキトリィと歓談し、そのままブランシュやサビーナ、パメラ、ポーッラク卿と談笑した。また皇帝の名代としてやってきた貴族たちともそれなりに会話を交わして、劇場の人間たちには労いの言葉をかけ、皇太子としての義務を果たした。そうしているうちに夜も更けて、夜会は終わった。
宿屋に戻ったルシアンはすこぶる機嫌がよさそうだった。
(きっと、リゼット様と二人きりでお話になったからだろうな。お二人ときたら、もう婚約が内定しているかのようだった。
リゼット嬢もいつになく輝いていて、他の令嬢たちを圧倒していたな。殿下の愛が彼女を強くしたのだろうな)
切ない気持ちを旨の奥に押し込めて、いつも通りルシアンの就寝の手伝いをする。
「殿下、本日は楽しお過ごしのようでしたね。近頃は沈んでいらしたようですが、お心が晴れたようで、ようございました」
「わかるか? お前はわたしをよく見ているな」
「従者ですから、当然のことですよ」
するとルシアンは後ろで上着を脱がせてくれていたユーグへ体を向けた。
「従者だからというが、本当にそれだけか?」
それだけとはなんだろう。ユーグは主の問いの意図を量りかねたが、つまり主従の立場を超えて、一人の人間としてルシアンをどう見ているかということだろうとあたりをつけた。
「僭越ながら、わたしは長年お仕えしておりますから、主従以上に強い親愛の情がございます。こうやって晴れやかなお顔をしておられるのを見て安堵しました。これからも殿下がお幸せに過ごしてくれることが、わたしの喜びです」
当然、ルシアンのこれからを幸せにするのはリゼットであると想定しての言葉だった。ルシアンは少し硬い表情をしてパッと振り返った。
(一人の人間として、わたしが明るい気持ちでいるのが喜ばしいと、幸せを願っているというのか。やはりリゼット嬢の言ったとおり、控えめにだが、愛を伝えてくれていたのだな)
そのまま顔を合わせているのが気恥ずかしくて、対後ろを向いてしまった。油断すると頬が緩みそうで、口を堅く引き結んだ。
「あの、申し訳ありません。出過ぎたことを申しました」
機嫌を損ねたと勘違いしたユーグの謝罪を適当に聞き流して、後は自分でやるからいいと、せかせかとユーグを部屋から出した。
ルシアンは早速リゼットに本題を切り出した。
「改めてだが、わたしはついに本当の恋人見つけた。それは……」
「おやめになって、そんなに改まって言われると、わたくし恥ずかしくて顔から火が出てしまいますわ。もう先ほどのお言葉で十分伝わっていますから」
「そうか。君は全てお見通しなのだな。いや、だからこそ君を選んだのだが」
リゼットは照れくさくてたまらなかったが、ルシアンが何か真剣な話を始めようとしているので、心を落ち着けることにした。
「わたしの気持ちはもうわかっていると思うが、実はまだ自信が持てない。わたしの恋人は本当に私を愛してくれているのだろうかと」
「まぁ、恋人の気持ちをお疑いですの? あんなに熱烈に想いを伝えているのに」
「熱烈に、やはり君もそう思うか。わたしも、きっと愛してくれていると思っているのだ。だが、わたしの思い込みなのではと怖れてもいる」
リゼットは焦った。手紙まで送って愛を伝え、先ほど愛の告白を受けたというのにルシアンに自分の愛情が伝わっていないというのだ。
(そりゃあ、手紙はお上品にするためにちょっと遠回しに書いたけど、でもまさか物足りないと思われていたなんて)
ならばしっかりと愛を伝えるまでだ。リゼットは一つ呼吸を置いてから言葉を発した。
「殿下、あなたの恋人は、つい最近恋に気が付いた殿下よりも、もっと大きな感情を抱いているのですわ。どうかわたくしを信じてくださいませ。それでも不安だというならば、これから良くご覧になっていてくださいませ。どれだけ殿下を愛しているか、その一挙手一投足で、お分かりいただけるはずです」
「そうか。そうだな。わたしの気が回らないから、見逃してしまっていただけなのかもしれない。まずは相手を細やかに見つめなければな」
「ええ。ただあまり見つめられると、それはそれでちょっと落ち着かないというか」
冷静にと思いつつ顔を赤らめてしまう。恋が成就したと思うとまるでだめだとリゼットはこっそりと首を振った。一方でルシアンは何かを噛みしめるように、一人でうんうんと頷いていた。
「あなたの言葉を聞いて安心した。まずは時間をかけて互いの気持ちを確かめ合うことが大切なのだな」
ルシアンは何かに納得して立ち上がると、リゼットに手を差し伸べた。その手を取って、リゼットは共に夜会の会場へ戻る。
「何よあれ、わたくしたちを差し置いて、まるで恋人みたいに!」
皇太子妃候補の令嬢たちは二人の親密な様子に嫉妬した。しかしもう形勢は覆しがたいと、敢て争おうとせず諦める者もいた。
(みんな気概が足りないわ。ちょっと気に入られた程度のリゼットなんて、その気になればすぐに追いはらえるわよ。わたしは諦めないわ。なんとしても殿下を奪ってみせる)
ローズは勇敢に二人に話しかけた。
「リゼット様ばかりが殿下を独占していてずるいですわ。殿下、次の曲はわたくしと踊ってくださいませんこと」
「しかし……」
ルシアンとしては、本当の恋人を見つけたからには、令嬢たちと必要以上に親密にする気はなかった。
「ローズ様、殿下は病み上がりで、ダンスは控えたいとの思し召しです」
リゼットはルシアンを気遣い、愛情をアピールした。
「まぁ、先ほどはリゼット様と踊っていらしたのに?」
「今夜は一曲と決めていたのですわ」
ローズからしたら、リゼットがライバルを押しのけているとしか思えなかった。
(殿下のお心を掴んで気が大きくなっているのね! 図々しい!)
リゼットがルシアンと会場の隅へ寄ると、リアーヌがニコニコ笑ってやってきた。
「今日の演目は本当に素晴らしかったですわ。わたくしたちが踊ったラインダンスがあんなに華やかになるなんて、リゼット様の演出の賜物ですわ。本当に才能が溢れていらっしゃるわ。わたくしにもその才能の百分の一でもあれば、あるいは殿下に目をかけていただけたかもしれませんのに」
リゼットに真正面から挑むより、媚びて取り入って、そのうえで皇太子と距離を詰め、隙あらば奪ってしまおうという戦略だった。
「ローズ様、演目の感想を提出するのが今回の妃選びの課題ですわ。今お話しになってしまうと、書くことがなくなってしまいますし、殿下も公正に評価できなくなると危惧されるのではないかと。ですから今日は別のお話をした方がいいですわ」
至極真面目なルシアンのことだから、夜会で誰かの感想を先に聞いてしまうのは、審査の公平性を欠くと考えているはずと、これもリゼットなりにルシアンを思いやった結果だった。だがリアーヌにとっては、己の思惑を看破されたように思えた。
(こっちがちょっと下手に出たら図に乗って。あくまでわたくしを殿下に近づけないつもりね)
その後、ルシアンはキトリィと歓談し、そのままブランシュやサビーナ、パメラ、ポーッラク卿と談笑した。また皇帝の名代としてやってきた貴族たちともそれなりに会話を交わして、劇場の人間たちには労いの言葉をかけ、皇太子としての義務を果たした。そうしているうちに夜も更けて、夜会は終わった。
宿屋に戻ったルシアンはすこぶる機嫌がよさそうだった。
(きっと、リゼット様と二人きりでお話になったからだろうな。お二人ときたら、もう婚約が内定しているかのようだった。
リゼット嬢もいつになく輝いていて、他の令嬢たちを圧倒していたな。殿下の愛が彼女を強くしたのだろうな)
切ない気持ちを旨の奥に押し込めて、いつも通りルシアンの就寝の手伝いをする。
「殿下、本日は楽しお過ごしのようでしたね。近頃は沈んでいらしたようですが、お心が晴れたようで、ようございました」
「わかるか? お前はわたしをよく見ているな」
「従者ですから、当然のことですよ」
するとルシアンは後ろで上着を脱がせてくれていたユーグへ体を向けた。
「従者だからというが、本当にそれだけか?」
それだけとはなんだろう。ユーグは主の問いの意図を量りかねたが、つまり主従の立場を超えて、一人の人間としてルシアンをどう見ているかということだろうとあたりをつけた。
「僭越ながら、わたしは長年お仕えしておりますから、主従以上に強い親愛の情がございます。こうやって晴れやかなお顔をしておられるのを見て安堵しました。これからも殿下がお幸せに過ごしてくれることが、わたしの喜びです」
当然、ルシアンのこれからを幸せにするのはリゼットであると想定しての言葉だった。ルシアンは少し硬い表情をしてパッと振り返った。
(一人の人間として、わたしが明るい気持ちでいるのが喜ばしいと、幸せを願っているというのか。やはりリゼット嬢の言ったとおり、控えめにだが、愛を伝えてくれていたのだな)
そのまま顔を合わせているのが気恥ずかしくて、対後ろを向いてしまった。油断すると頬が緩みそうで、口を堅く引き結んだ。
「あの、申し訳ありません。出過ぎたことを申しました」
機嫌を損ねたと勘違いしたユーグの謝罪を適当に聞き流して、後は自分でやるからいいと、せかせかとユーグを部屋から出した。