第十一章 番狂わせのからくり 第二話
文字数 2,983文字
社交界のみならず、今や首都エスカリエの人々は、最後の妃選びの番狂わせに興味津々だった。皇太子は男色家なのか、その従者とは何者か、皇太子妃は結局どうなるのか。詮索して想像して、あることないことを言い合った。新聞にも毎日この事件の続報を伝える欄ができ、ちょっとしたことでも大仰に書きたてた。
その日は皇太子に盛大に振られた哀れなリゼット・ド・レーブジャルダン子爵令嬢について書いてあった。彼女は泣いて鏡の間を飛び出した後、兄や友人たちに慰められながら王宮を後にし、逗留先のポーラック公爵家で毎日泣き明かし、食事も喉を通らないほど。元々ほっそりしていたのが更に痩せて、昨日までの社交界の花が見る影もない。とのことだった。人々は彼女に同情した。
この記事は半分は正しく、半分は間違っていた。舞踏会のあと、泣いてポーラック邸へ戻ったのと、気が塞いでずっと部屋にこもっているのは事実だったが、食事はそれなりに食べていたし、そこまでやつれてはいない。
今日も娘の可哀そうな友達を元気づけようと、ポーラック卿が卵サンドを作らせて、リゼットの部屋に運ばせたので、それをしっかり食べていた。
「本当に殿下はひどいわ! よりにもよって舞踏会の最後にリゼットの前を素通りするなんて。断るにしても、散々期待させておいて、あんなやり方ってないわ。リゼットは傷ついたうえに恥をかいたのよ」
ブランシュはずっとぷりぷり怒っていて、リゼットと一緒になって卵サンドを頬張った。
「これまでずっとお優しかったのに、どうして最後になってあんなことを? いくら考えても理由がわかりませんわ」
「人を馬鹿にするにもほどがあるわ。わたくしたちでも腹が立ちますもの。他の候補たちも、これまで妃選びに参加していた令嬢たちも、その家族も、殿下に怒っているのよ。誰も選ぶ気がないのに妃選びをしたのかって」
リゼットは深く溜息をついた。パメラの言う通り、あの日のあの瞬間まで、ルシアンはずっとリゼットに愛を伝えてくれていた。何度も恥ずかしくなるような告白をされたし、リゼットの愛の言葉も受け入れてくれた。愛は身分を超えると、公園で言ってくれたことは今でも忘れない。だというのに、彼は自分を選ばなかった。通り過ぎる前に見せた笑顔は、騙された馬鹿な娘を嘲笑っていたのだろうか。だとしたらいっそすっきりするが、そうは見えなかったから、なおも胸が痛む。
「ぬか喜びさせられた形だけれど、でも殿下ははっきりとリゼットを愛していると言ったことはなかったのよね。わたくしたちも勝手に盛り上がってリゼットをその気にさせてしまったわ」
「サビーナ、どこからどう見たって殿下はリゼットに恋していたわよ。あれで好きじゃないなんて言うなら、もうわたくし何も信じられないわ」
サビーナの言う通り、はっきりとリゼットを愛していると言われたかというと自信がない。やはりこちらの勝手な思い込みだったのだろうか。
(わたしはやっぱりこの世界でもその他大勢なのね。努力が報われたと思ったのに、今は惨めに卵サンドをやけ食いしてるなんて。やっぱり皇太子妃なんて、ヒロインなんて、分不相応だったのよ。いっそのこと最初から目指さなければ、こんな悲しい思いをしなくてすんだのに)
結局は前世と同じかと思うと、とてもつもない徒労感に襲われる。それに失恋の傷心が加わり、また涙が溢れてきて、リゼットはソファのクッションに顔をうずめた。ブランシュたちはその背中を撫でて慰めた。
「めそめそするな。馬鹿にされて腹が立つのはわたしも同じだ。それだけじゃない。皇太子妃選びに参加した貴族たちはみんな皇太子に思うところがあるんだ。こうなったらとことん抗議してやる」
シモンの場合、馬鹿にされたことよりも、皇太子妃の妹という自分の前途をお膳立てする存在が手に入らなかったことに怒っていた。とはいえ皇太子への憤りは他の令嬢の家族と共通しているので、彼らと結託し、皇太子をびっぱり出して、リゼットを皇太子妃に認めさせようと考えていた。
そんな折、ノエルがセブランの来訪を告げた。リゼットに会いに来たのだという。セブランが皇太子の親友であることは周知の事実だから、シモンは追い返そうとしたが、近頃皇帝夫妻に軟禁されている皇太子に唯一会えるのがセブランだというし、わざわざ来たのは何か伝えたいことがあるからに違いないと、会ってみることにした。ただし、シモンやブランシュたちも同席したうえでだ。
「皇太子殿下はあのあとずっと公に姿を現さず、被害者のリゼットに謝罪も言い訳もないのですもの。唯一殿下にお会いできるあなたなら、なにかしらリゼットに聞かせられるお話を持ってきたのでしょうね。わたくしたちも友として、聞かせていただきますわ」
「構わないよ。わたしもあの番狂わせの顛末は、まずリゼット嬢が知るべきだと思ったから、こうしてお邪魔したんだ。ただ、みんなが納得できるかどうかは保証しかねるが」
セブランは出された紅茶を一口飲むと、皇太子とリゼットとユーグの間の行き違いについて説明した。部屋にいる誰もが、セブランの言葉が終わるころにはぽかんと口を開けていた。
「つまり、皇太子殿下はリゼット様の事を好きだったのではなくて、良き相談相手だと思っていたと。同性同士で身分の壁もある難しい恋愛を打ち明けても、受け入れて励ましてくれたと、ずっと勘違いしていらしたということですの?」
「パメラ嬢のおっしゃる通りだ。散々思わせぶりなことをして捨てるなんてひどい男だとお思いだろうし、彼を許せないのは当然だが、彼の中ではとにかくあなたは信頼できる相談役となっていて、最後のダンスに誘わなくても、なにもおかしいことはなかった」
「それにしたって思わせぶり過ぎますわよ。本当に悪意はなかったんですの?」
「お疑いはごもっとも。だが殿下は思い込みが激しいところがあって、たまに頓珍漢な思考をするんだ」
それはキトリィがやって来た時に一度目にしているので、皆なんとなく理解できた。
「結局わたくしの思い違いだったということですのね。ただの相談役が最後のダンスを踊れると思い上がっていたなんて、滑稽すぎて笑えますわ、自分のことでも」
リゼットの自嘲が非難に聞こえたのだろう。セブランは沈痛な面持ちでそれを受け止めた。
「わたしとてあなたと同じ勘違いをしていたよ。だから殿下には、次からは誰が、誰と、何をするのか、はっきり具体的に話すようにと、きつく戒めておいた」
セブランも友人だというだけで、皇太子の思考回路を説明し、当事者の代わりに非難の目を向けられるのだから難儀な立場である。
「でも、それではこれからどうなるのです? 妃選びはどう決着をつけるおつもりなのかしら」
「もちろんユーグは平民でしかも男だから、二人が結ばれるということはない。だいたい、ユーグの奴もリゼット嬢と殿下が結ばれることを願っていたんだから、殿下の恋も勘違いで終わるはずだった。だが殿下はユーグを諦めたとしても、気持ちがないのに他の令嬢と一緒にはなれないと言い張っているんだ。それで今、皇帝夫妻が息子を正気に戻そうと、あれこれ手を尽くしているところなんだ」
「では、両陛下は殿下のユーグへの恋も、わたくしを相談役と思っていることも、どちらも殿下の思い込みだとお考えなの?」
その日は皇太子に盛大に振られた哀れなリゼット・ド・レーブジャルダン子爵令嬢について書いてあった。彼女は泣いて鏡の間を飛び出した後、兄や友人たちに慰められながら王宮を後にし、逗留先のポーラック公爵家で毎日泣き明かし、食事も喉を通らないほど。元々ほっそりしていたのが更に痩せて、昨日までの社交界の花が見る影もない。とのことだった。人々は彼女に同情した。
この記事は半分は正しく、半分は間違っていた。舞踏会のあと、泣いてポーラック邸へ戻ったのと、気が塞いでずっと部屋にこもっているのは事実だったが、食事はそれなりに食べていたし、そこまでやつれてはいない。
今日も娘の可哀そうな友達を元気づけようと、ポーラック卿が卵サンドを作らせて、リゼットの部屋に運ばせたので、それをしっかり食べていた。
「本当に殿下はひどいわ! よりにもよって舞踏会の最後にリゼットの前を素通りするなんて。断るにしても、散々期待させておいて、あんなやり方ってないわ。リゼットは傷ついたうえに恥をかいたのよ」
ブランシュはずっとぷりぷり怒っていて、リゼットと一緒になって卵サンドを頬張った。
「これまでずっとお優しかったのに、どうして最後になってあんなことを? いくら考えても理由がわかりませんわ」
「人を馬鹿にするにもほどがあるわ。わたくしたちでも腹が立ちますもの。他の候補たちも、これまで妃選びに参加していた令嬢たちも、その家族も、殿下に怒っているのよ。誰も選ぶ気がないのに妃選びをしたのかって」
リゼットは深く溜息をついた。パメラの言う通り、あの日のあの瞬間まで、ルシアンはずっとリゼットに愛を伝えてくれていた。何度も恥ずかしくなるような告白をされたし、リゼットの愛の言葉も受け入れてくれた。愛は身分を超えると、公園で言ってくれたことは今でも忘れない。だというのに、彼は自分を選ばなかった。通り過ぎる前に見せた笑顔は、騙された馬鹿な娘を嘲笑っていたのだろうか。だとしたらいっそすっきりするが、そうは見えなかったから、なおも胸が痛む。
「ぬか喜びさせられた形だけれど、でも殿下ははっきりとリゼットを愛していると言ったことはなかったのよね。わたくしたちも勝手に盛り上がってリゼットをその気にさせてしまったわ」
「サビーナ、どこからどう見たって殿下はリゼットに恋していたわよ。あれで好きじゃないなんて言うなら、もうわたくし何も信じられないわ」
サビーナの言う通り、はっきりとリゼットを愛していると言われたかというと自信がない。やはりこちらの勝手な思い込みだったのだろうか。
(わたしはやっぱりこの世界でもその他大勢なのね。努力が報われたと思ったのに、今は惨めに卵サンドをやけ食いしてるなんて。やっぱり皇太子妃なんて、ヒロインなんて、分不相応だったのよ。いっそのこと最初から目指さなければ、こんな悲しい思いをしなくてすんだのに)
結局は前世と同じかと思うと、とてもつもない徒労感に襲われる。それに失恋の傷心が加わり、また涙が溢れてきて、リゼットはソファのクッションに顔をうずめた。ブランシュたちはその背中を撫でて慰めた。
「めそめそするな。馬鹿にされて腹が立つのはわたしも同じだ。それだけじゃない。皇太子妃選びに参加した貴族たちはみんな皇太子に思うところがあるんだ。こうなったらとことん抗議してやる」
シモンの場合、馬鹿にされたことよりも、皇太子妃の妹という自分の前途をお膳立てする存在が手に入らなかったことに怒っていた。とはいえ皇太子への憤りは他の令嬢の家族と共通しているので、彼らと結託し、皇太子をびっぱり出して、リゼットを皇太子妃に認めさせようと考えていた。
そんな折、ノエルがセブランの来訪を告げた。リゼットに会いに来たのだという。セブランが皇太子の親友であることは周知の事実だから、シモンは追い返そうとしたが、近頃皇帝夫妻に軟禁されている皇太子に唯一会えるのがセブランだというし、わざわざ来たのは何か伝えたいことがあるからに違いないと、会ってみることにした。ただし、シモンやブランシュたちも同席したうえでだ。
「皇太子殿下はあのあとずっと公に姿を現さず、被害者のリゼットに謝罪も言い訳もないのですもの。唯一殿下にお会いできるあなたなら、なにかしらリゼットに聞かせられるお話を持ってきたのでしょうね。わたくしたちも友として、聞かせていただきますわ」
「構わないよ。わたしもあの番狂わせの顛末は、まずリゼット嬢が知るべきだと思ったから、こうしてお邪魔したんだ。ただ、みんなが納得できるかどうかは保証しかねるが」
セブランは出された紅茶を一口飲むと、皇太子とリゼットとユーグの間の行き違いについて説明した。部屋にいる誰もが、セブランの言葉が終わるころにはぽかんと口を開けていた。
「つまり、皇太子殿下はリゼット様の事を好きだったのではなくて、良き相談相手だと思っていたと。同性同士で身分の壁もある難しい恋愛を打ち明けても、受け入れて励ましてくれたと、ずっと勘違いしていらしたということですの?」
「パメラ嬢のおっしゃる通りだ。散々思わせぶりなことをして捨てるなんてひどい男だとお思いだろうし、彼を許せないのは当然だが、彼の中ではとにかくあなたは信頼できる相談役となっていて、最後のダンスに誘わなくても、なにもおかしいことはなかった」
「それにしたって思わせぶり過ぎますわよ。本当に悪意はなかったんですの?」
「お疑いはごもっとも。だが殿下は思い込みが激しいところがあって、たまに頓珍漢な思考をするんだ」
それはキトリィがやって来た時に一度目にしているので、皆なんとなく理解できた。
「結局わたくしの思い違いだったということですのね。ただの相談役が最後のダンスを踊れると思い上がっていたなんて、滑稽すぎて笑えますわ、自分のことでも」
リゼットの自嘲が非難に聞こえたのだろう。セブランは沈痛な面持ちでそれを受け止めた。
「わたしとてあなたと同じ勘違いをしていたよ。だから殿下には、次からは誰が、誰と、何をするのか、はっきり具体的に話すようにと、きつく戒めておいた」
セブランも友人だというだけで、皇太子の思考回路を説明し、当事者の代わりに非難の目を向けられるのだから難儀な立場である。
「でも、それではこれからどうなるのです? 妃選びはどう決着をつけるおつもりなのかしら」
「もちろんユーグは平民でしかも男だから、二人が結ばれるということはない。だいたい、ユーグの奴もリゼット嬢と殿下が結ばれることを願っていたんだから、殿下の恋も勘違いで終わるはずだった。だが殿下はユーグを諦めたとしても、気持ちがないのに他の令嬢と一緒にはなれないと言い張っているんだ。それで今、皇帝夫妻が息子を正気に戻そうと、あれこれ手を尽くしているところなんだ」
「では、両陛下は殿下のユーグへの恋も、わたくしを相談役と思っていることも、どちらも殿下の思い込みだとお考えなの?」