第六章 裁判 第八話
文字数 2,955文字
リゼットは、メリザンドと公爵、そしてルシアンが睨み合う中に勇気を出して割って入った。
「あの、殿下、公爵様がそうおっしゃっていることですし、メリザンド様をそれ以上責めないでくださいませ。メリザンド様が店にいらしたとき、そんな悪いことを考えてるようには、とても見えませんでしたわ。きっと公爵様があとから考えて利用しようとしただけなんですわ。
公爵様も、これはつい、魔が刺したというか、そういうことなのでしょう。ソンルミエール家は名家でメリザンド様は社交界の花、それなのに、殿下がわたくしみたいな田舎貴族の娘に目をかけていたら、腹が立つのは当たり前です。それに、殿下にとっても良いことではないと、そうお考えだったのでは。
仮にわたくしが仮面に細工をしていたとして、一体どんな罪になるのでしょう。皇太子妃候補から外されて、それでお終いだったのではないでしょうか。前科者になるわけではなかったのですし、無実であると証明されたなら、わたくしはそれ以上を望みませんわ」
ルシアンは信じられないというように、目を見開いてリゼットを見た。それはシモンも、ブランシュたちも同じだった。
「それでいいというのか? あなたは濡れ衣を着せられたのだ。しかも卑怯なやり方で。そして自らを陥れた相手を許すというのか?」
「わたくしだって、怒りがないとは言えませんけれど、でもメリザンド様と公爵様のお気持ちもとてもよくわかりますの。名門の公爵家を背負っていらっしゃるお立場は、全部を理解することはできませんけれど、想像することはできます。だから、この裁判はこれで終わりにいたしましょう。メリザンド様を皇太子妃候補から外すとか、そういう罰を与えるのは、どうかおやめください。だって、これは皇太子妃候補の審査の中ではなくて、いわば場外乱闘ですもの」
シモンはあきれ果てて頭を抱えた。彼女の度を越した寛容さはこれまでさんざん経験しているので、きっと考えを変えることはないだろう。ならばせめて、皇太子であるルシアンが断固としてメリザンドを断罪してくれることを願った。
「そうか。あなたはメリザンドと公爵の立場に思いをはせ、理解し、そして受け入れることを選んだのだな。この前話していたように。わかった。この一連の出来事について、全ては云われなき罪で疑われたあなたに権利がある。わたしはあなたの言葉通りにしよう」
ルシアンにもお人好しがうつったようだ。当てが外れたシモンは、脱力して倒れそうになるところを、弁護人席の前の机に手をついて何とか堪え、無遠慮に皇太子を睨んだ。
「それでは、被告人リゼット・ド・レーブジャルダンは無罪とする。これにて、閉廷」
裁判官は木槌を打ち鳴らして、さっさと退出してしまった。リゼットはまだ納得いってないシモンやブランシュたちを連れて法院の外へ出た。
外で待っていたノエルの側に、サビーナとパメラがいた。二人はリゼットが辛い時に力を貸せなかったことを詫びた。もちろん、リゼットが二人を責めることはなかった。ブランシュもキトリィも、何はともあれ無事に済んだことだしと、ようやくリゼットの決断に納得した。
「みんなラナンキュラスの分布を調べてくれたのね。大変だったでしょう。そのおかげでわたくしこうして無実で出てこられたんだわ。ありがとう」
と礼を言うリゼットの後ろで、シモンは腕を組んで険しい表情をしていた。
「違う。助かったのは皇太子殿下のお陰だ。ラナンキュラスの分布地図なんて、役に立つどころか、墓穴を掘っただけだ」
だが自分はその分布地図よりも良い方策を考え付くことはできなかったし、法廷でも全く役に立っていなかった。
「どうせものを言うのは権力だ。皇太子様のお言葉だったから効果があっただけで、仮に他の人間が言ったなら、誰も相手にしなかっただろうさ」
そういうシモンの独り言を聞いていたのはブランシュが心配で傍聴していたポーラック卿だけだった。
「まぁ、そう拗ねるもんじゃない。もし王女様がラナンキュラス探しをしていなかったら、皇太子殿下もすぐに効果が出るものだとは気が付かなかったはずだ。ちょっとしたことかもしれんが、ラナンキュラスの分布地図作りはきっかけを作った。こういうことがあるから、世の中は面白い。だめそうでも、とにかくやってみると、思いの外上手くいったりするもんじゃ」
「……今回は運が良かっただけですよ。大抵は徒労で終わります」
シモンは喜ぶ妹たちの後ろを少し離れてついていった。
ルシアンは人々が法廷を後にするのを追いかけるようにして、法院の廊下へ出た。
「セブラン!」
例によってリアーヌを連れていたセブランは立ち止まってゆっくり振り返った。声でルシアンだとわかっていたから、驚きはしない。リアーヌを先に帰らせて、セブランは親友の皇太子と向き合った。
「まさか君がリゼット嬢を助けるとは」
「卑怯な陰謀を黙って見過ごせなかっただけだ」
「なら、わたしの所業も見過ごせないということかな」
ルシアンは一度唇を引き結んで目を伏せたが、ややあって、首を横に振った。
「いや。お前がわたしの友でなければ知りえない情報を使って、リアーヌ嬢に便宜を図ったことについては不愉快だし、裏切られたようで傷ついた。だが、お前を糾弾しようとは思わない」
意外な返答にセブランはやや目を見開いた。
「全てはメールヴァン家の後継ぎゆえの行動だろう。お前が家の事を優先するように、わたしも皇太子として、国家や皇室を優先することがある。それゆえ一方的にお前を責められない。わたしたちは出会った時から皇太子と名家の跡取りだった。そしてこれからも、その立場は変わることはないだろう。今更家を優先したからと目くじら立てるのは、おかしいだろう」
「それでもわたしを側に置くと? また同じ裏切りをするかもしれないのに?」
「それでも許す」
「メールヴァン家の力が惜しいからか?」
「皇太子の立場としては、それもある。だが、一人の人間としては、単純に友を失いたくないだけだ。お前とはまだ、友人でいたい」
セブランはその寛大さが理解できずに、果たして何と答えて良いやらと逡巡した。ただ、その間じっと見つめてくるルシアンの紫の瞳はまっすぐで、裏に思惑など潜ませてはいなかった。
そもそも彼は昔からこうだった。真面目過ぎて遊びや戯れが苦手、まして謀略など。一度言い出したら聞かない頑固なところもある。
「わかった。わたしもまだお前とは友人でいたい。メールヴァン家の跡取りとしてではなく、ただの男としてだ」
その答えを聞いて、ルシアンは安堵の表情を浮かべた。セブランは思わず笑ってしまった。こちらが許される立場なのに、これでは立場が逆だ。
「仮面の噂を流したこと、謝るよ。悪かった。大勢を騙して、君も傷つけてしまった」
「ほんとうだ。あんなやり方より、素直にリーアヌ嬢がどんなに素晴らしい人か演説された方がましだったぞ」
「わかった。もうしない。リアーヌについても、社交界に慣れていないから、その分は手助けするが、それ以上の事はしない。他の令嬢を陥れることもな。約束する」
「では埋め合わせとして、次からはちゃんと私に協力してもらうぞ」
二人は依然と同じように肩を並べて法院の廊下を歩いていった。
「あの、殿下、公爵様がそうおっしゃっていることですし、メリザンド様をそれ以上責めないでくださいませ。メリザンド様が店にいらしたとき、そんな悪いことを考えてるようには、とても見えませんでしたわ。きっと公爵様があとから考えて利用しようとしただけなんですわ。
公爵様も、これはつい、魔が刺したというか、そういうことなのでしょう。ソンルミエール家は名家でメリザンド様は社交界の花、それなのに、殿下がわたくしみたいな田舎貴族の娘に目をかけていたら、腹が立つのは当たり前です。それに、殿下にとっても良いことではないと、そうお考えだったのでは。
仮にわたくしが仮面に細工をしていたとして、一体どんな罪になるのでしょう。皇太子妃候補から外されて、それでお終いだったのではないでしょうか。前科者になるわけではなかったのですし、無実であると証明されたなら、わたくしはそれ以上を望みませんわ」
ルシアンは信じられないというように、目を見開いてリゼットを見た。それはシモンも、ブランシュたちも同じだった。
「それでいいというのか? あなたは濡れ衣を着せられたのだ。しかも卑怯なやり方で。そして自らを陥れた相手を許すというのか?」
「わたくしだって、怒りがないとは言えませんけれど、でもメリザンド様と公爵様のお気持ちもとてもよくわかりますの。名門の公爵家を背負っていらっしゃるお立場は、全部を理解することはできませんけれど、想像することはできます。だから、この裁判はこれで終わりにいたしましょう。メリザンド様を皇太子妃候補から外すとか、そういう罰を与えるのは、どうかおやめください。だって、これは皇太子妃候補の審査の中ではなくて、いわば場外乱闘ですもの」
シモンはあきれ果てて頭を抱えた。彼女の度を越した寛容さはこれまでさんざん経験しているので、きっと考えを変えることはないだろう。ならばせめて、皇太子であるルシアンが断固としてメリザンドを断罪してくれることを願った。
「そうか。あなたはメリザンドと公爵の立場に思いをはせ、理解し、そして受け入れることを選んだのだな。この前話していたように。わかった。この一連の出来事について、全ては云われなき罪で疑われたあなたに権利がある。わたしはあなたの言葉通りにしよう」
ルシアンにもお人好しがうつったようだ。当てが外れたシモンは、脱力して倒れそうになるところを、弁護人席の前の机に手をついて何とか堪え、無遠慮に皇太子を睨んだ。
「それでは、被告人リゼット・ド・レーブジャルダンは無罪とする。これにて、閉廷」
裁判官は木槌を打ち鳴らして、さっさと退出してしまった。リゼットはまだ納得いってないシモンやブランシュたちを連れて法院の外へ出た。
外で待っていたノエルの側に、サビーナとパメラがいた。二人はリゼットが辛い時に力を貸せなかったことを詫びた。もちろん、リゼットが二人を責めることはなかった。ブランシュもキトリィも、何はともあれ無事に済んだことだしと、ようやくリゼットの決断に納得した。
「みんなラナンキュラスの分布を調べてくれたのね。大変だったでしょう。そのおかげでわたくしこうして無実で出てこられたんだわ。ありがとう」
と礼を言うリゼットの後ろで、シモンは腕を組んで険しい表情をしていた。
「違う。助かったのは皇太子殿下のお陰だ。ラナンキュラスの分布地図なんて、役に立つどころか、墓穴を掘っただけだ」
だが自分はその分布地図よりも良い方策を考え付くことはできなかったし、法廷でも全く役に立っていなかった。
「どうせものを言うのは権力だ。皇太子様のお言葉だったから効果があっただけで、仮に他の人間が言ったなら、誰も相手にしなかっただろうさ」
そういうシモンの独り言を聞いていたのはブランシュが心配で傍聴していたポーラック卿だけだった。
「まぁ、そう拗ねるもんじゃない。もし王女様がラナンキュラス探しをしていなかったら、皇太子殿下もすぐに効果が出るものだとは気が付かなかったはずだ。ちょっとしたことかもしれんが、ラナンキュラスの分布地図作りはきっかけを作った。こういうことがあるから、世の中は面白い。だめそうでも、とにかくやってみると、思いの外上手くいったりするもんじゃ」
「……今回は運が良かっただけですよ。大抵は徒労で終わります」
シモンは喜ぶ妹たちの後ろを少し離れてついていった。
ルシアンは人々が法廷を後にするのを追いかけるようにして、法院の廊下へ出た。
「セブラン!」
例によってリアーヌを連れていたセブランは立ち止まってゆっくり振り返った。声でルシアンだとわかっていたから、驚きはしない。リアーヌを先に帰らせて、セブランは親友の皇太子と向き合った。
「まさか君がリゼット嬢を助けるとは」
「卑怯な陰謀を黙って見過ごせなかっただけだ」
「なら、わたしの所業も見過ごせないということかな」
ルシアンは一度唇を引き結んで目を伏せたが、ややあって、首を横に振った。
「いや。お前がわたしの友でなければ知りえない情報を使って、リアーヌ嬢に便宜を図ったことについては不愉快だし、裏切られたようで傷ついた。だが、お前を糾弾しようとは思わない」
意外な返答にセブランはやや目を見開いた。
「全てはメールヴァン家の後継ぎゆえの行動だろう。お前が家の事を優先するように、わたしも皇太子として、国家や皇室を優先することがある。それゆえ一方的にお前を責められない。わたしたちは出会った時から皇太子と名家の跡取りだった。そしてこれからも、その立場は変わることはないだろう。今更家を優先したからと目くじら立てるのは、おかしいだろう」
「それでもわたしを側に置くと? また同じ裏切りをするかもしれないのに?」
「それでも許す」
「メールヴァン家の力が惜しいからか?」
「皇太子の立場としては、それもある。だが、一人の人間としては、単純に友を失いたくないだけだ。お前とはまだ、友人でいたい」
セブランはその寛大さが理解できずに、果たして何と答えて良いやらと逡巡した。ただ、その間じっと見つめてくるルシアンの紫の瞳はまっすぐで、裏に思惑など潜ませてはいなかった。
そもそも彼は昔からこうだった。真面目過ぎて遊びや戯れが苦手、まして謀略など。一度言い出したら聞かない頑固なところもある。
「わかった。わたしもまだお前とは友人でいたい。メールヴァン家の跡取りとしてではなく、ただの男としてだ」
その答えを聞いて、ルシアンは安堵の表情を浮かべた。セブランは思わず笑ってしまった。こちらが許される立場なのに、これでは立場が逆だ。
「仮面の噂を流したこと、謝るよ。悪かった。大勢を騙して、君も傷つけてしまった」
「ほんとうだ。あんなやり方より、素直にリーアヌ嬢がどんなに素晴らしい人か演説された方がましだったぞ」
「わかった。もうしない。リアーヌについても、社交界に慣れていないから、その分は手助けするが、それ以上の事はしない。他の令嬢を陥れることもな。約束する」
「では埋め合わせとして、次からはちゃんと私に協力してもらうぞ」
二人は依然と同じように肩を並べて法院の廊下を歩いていった。