第七章 芸術祭 第五話
文字数 3,020文字
「わたしも貴殿には同感だ。あの娘はどこか奇妙で突拍子がない。社交界の中で彼女を高く評価する人がおりますが、全く理解できませんな」
「おお、公爵もあの娘と一悶着ありましたからな。心中お察しいたします」
「ポーッラク卿がおっしゃっていたリゼット嬢の特別なバレエとはいったい?」
「なんでも、劇場で踊られているバレエを発展させたようなものだとか。特殊な靴を履くとも」
「ほう……。どんな珍妙な出し物になるか、見ものですな」
ソンルミエール公爵は口の端をあげて笑うと、軽く会釈して離れていった。
皇帝はルシアンとセブランとともに獲物を追っていた。周りには数人の使用人を侍らせている。
「キトリィ王女はリヴェールの楽器を演奏するとか。事前に劇場に運び込みたいと申し入れがあったぞ。国の誇る文化を披露するとは王女らしい立派な振る舞いではないか。リヴェール王は未熟だなんだと手紙に書いて寄越したが、どうして、思いの外しっかりしているのでは」
などと言うので、ルシアンは隣のセブランに小声で訊ねた。
「もしや、父上はここへきて王女を推すつもりだろうか?」
「あの方はなりません。断じてなりません」
後ろに控えていたユーグは、仮面舞踏会でひどい目に遭ったので、すっかりキトリィ王女恐怖症になっていた。
「落ち着け二人とも。芸術祭の審査は芸術家に委ねられる。貴族たちの思惑は大きく影響しないだろう」
「だからこそ心配だ。家の権勢が効かなくなると、令嬢たちは卑怯な手を使って足の引っ張り合いをするのではないか」
ルシアンはわざと歩みを遅くして、皇帝と距離を取った。
「安心しろ。リアーヌは大人しく絵を描いている」
「すまないな。親戚を監視するのは気分が良くないだろう」
「いいや。お前の友情に応えなくてはいけないからな。他の令嬢たちも、目を配っているが、怪しい動きをしている者はない」
ルシアンはリゼットが気になったので、ユーグに訊ねてみた。
「リゼット嬢は毎日河原でパメラ嬢と一緒に大声を出してから、妙な踊りを踊っています。ポーラック公爵のお屋敷にも出入りしていて、夜は遅くまで仕立屋でコルクを削っています」
ユーグも少し困惑しながらの報告だった。
「……まぁ彼女に限って、他人を陥れるようなことはしないだろうが。メリザンドはどうしている? 屋敷にこもっているのか」
「そのようだ。皇后陛下主催でなければ茶会にも顔を出さず、詩作にふけっているとか」
裁判のことがあるので、ルシアンはメリザンドを警戒していた。
当のメリザンドも、ルシアンに疑惑を向けられrていることは百も承知だった。
だからその日も、片手でハープをつま弾きながら、小さなテーブルを体の側に置いて、ペンを走らせ詩を書いていた。そこへ父親が入ってきた。今日の狩猟で得た情報を娘と共有する。
「リゼットの特別な靴が狙い目ですわ。例の仕立屋で作るつもりでしょうから、手を出すのは簡単です。
リゼットに味方するような人たちも、一緒に消えてもらいます。特にブランシュ。賑やかしのくせに、でしゃばりすぎですわ。サビーナもパメラもわたくしの敵ではないとはいえ、リゼットを助けてわたくしの邪魔になるかもしれません。でもお父様、わたくしたちは手を出さないということは、くれぐれもお忘れなく」
「わかっている。自ら手を下さずに、人を動かす。裁判と同じ轍は踏まない」
メリザンドはその言葉に満足そうに微笑んで、ハープをポロンと鳴らした。
そんなことは露知らず、リゼットは着々と芸術祭へ向けて準備を進めていた。衣装も出来上がり、試作を重ねてたトウシューズも前世で使っていた物に近い形になった。
リヴェール大使館の前には特別縦長な荷車がつけていた。入り口からは数人の手によって長大なベルクホルンが慎重に運び出されている。キトリィもアンリエットと一緒にその様子を見守っていた。
「劇場へ運び込んだら、本番までの四日間は毎日一時間だけ演奏して良いと、皇帝陛下がおっしゃってくださいましたわ。本番の舞台でリハーサルができるなんて、幸運なことですわよ」
ホルンの後ろに続く馬車に乗ったアンリエットはキトリィに話しかけた。キトリィは本来楽器のレッスンを好まないため、ベルクホルンの腕前もそこまでではなかったが、この数日間でずいぶん上達していた。本人も披露する日を楽しみにしていた。
ところが、王宮への道すがら事件が起きた。がたりと大きな音がしたかと思うと、馬車が止まった。アンリエットが確かめに出ると、前方の荷車の車輪が外れて、荷台が大きく傾いている。当然ホルンも傾いて、その長い体の半分を石畳に投げ出していた。
確認してみると、衝撃でいたるところにひびが入ってしまっていた。キトリィがマウスピースをつけて吹いてみると、高音のいくつかがまったく鳴らない。
「弱りましたなぁ。大使館のベルクホルンはこれ一本だけ。当然、トレゾールにはございませんから、修理するのも、新しいものを買い求めるのも、不可能でございます」
大使は悲痛な面持ちをしていた。
「じゃあ、わたしは演奏できないの?」
キトリィはアンリエットに抱き着いて泣き始めた。アンリエットは何と言って慰めればよいかわからず、王女を抱きしめて途方に暮れた。
そこへブランシュの屋敷へ向かうリゼットとパメラが通りかかった。二人は泣いている王女と傾いた荷車、それにひびの入った楽器を見て、何が起きたのか悟った。
「王女様泣かないでくださいな。もしかしたらベルクホルンを扱っている店とか、直せる技術者がいるかもしれませんわよ。一度楽器店を探して回りましょう」
望みは薄かったが奇跡が起こらないとも限らない。リゼットは王女とアンリエット、そしてパメラと連れ立って、楽器店の並ぶ通りへ向かった。
手分けして片っ端から尋ねてみるが、どこの店にもベルクホルンは置いていないし、修理できる職人もいない。
リゼットが最後の一軒に入ろうとすると、中からローズが飛び出してきた。彼女は挨拶も憎まれ口も叩かず横切っていった。後ろから侍女が急ぎ足で追いかける。すると数歩もいかないところで、手に持っていた楽器の箱を振り上げて、石畳にたたきつけようとした。
「ちょ、ちょっと待った! 何をなさいますの? 大事な楽器でしょう」
思わずリゼットはその体を掴んで止めた。するとローズが顔をしかめて、痛い、と言った。リゼットが掴んでしまった右肩が痛むようだった。
「楽器があるからなによ! 腕は痛いし指は動かない。演奏なんてできませんわ!」
二日前、ローズはメールヴァン夫人の音楽の集まりに呼ばれていた。夫人は音楽を愛好していて、趣味を同じくする女性たちを集めて、小さな楽団を作っていた。ローズもフルートを得手としていることからこの楽団に入っていた。
集まりが終わって帰宅するとき、階段でつるりと足が滑って派手に転び、踊り場に右半身を強かに打ち付けた。
その拍子に手を離れた楽器は箱ごと階段の一番下まで落ちた。箱から飛び出した木製のフルートは床に当たって真っ二つに割れてしまった。
「メールヴァン夫人は詫びてくれたし、こうやって新しい楽器も手配してくださったわ。でも右腕の痛みが引かないの。医者は薬を塗って按摩を続ければそのうち直るというけれど、芸術祭は四日後なのよ! フルートを構えると肩やひじが痛いし、指も思うように動かない。とてもいつものように演奏できないわ」
「おお、公爵もあの娘と一悶着ありましたからな。心中お察しいたします」
「ポーッラク卿がおっしゃっていたリゼット嬢の特別なバレエとはいったい?」
「なんでも、劇場で踊られているバレエを発展させたようなものだとか。特殊な靴を履くとも」
「ほう……。どんな珍妙な出し物になるか、見ものですな」
ソンルミエール公爵は口の端をあげて笑うと、軽く会釈して離れていった。
皇帝はルシアンとセブランとともに獲物を追っていた。周りには数人の使用人を侍らせている。
「キトリィ王女はリヴェールの楽器を演奏するとか。事前に劇場に運び込みたいと申し入れがあったぞ。国の誇る文化を披露するとは王女らしい立派な振る舞いではないか。リヴェール王は未熟だなんだと手紙に書いて寄越したが、どうして、思いの外しっかりしているのでは」
などと言うので、ルシアンは隣のセブランに小声で訊ねた。
「もしや、父上はここへきて王女を推すつもりだろうか?」
「あの方はなりません。断じてなりません」
後ろに控えていたユーグは、仮面舞踏会でひどい目に遭ったので、すっかりキトリィ王女恐怖症になっていた。
「落ち着け二人とも。芸術祭の審査は芸術家に委ねられる。貴族たちの思惑は大きく影響しないだろう」
「だからこそ心配だ。家の権勢が効かなくなると、令嬢たちは卑怯な手を使って足の引っ張り合いをするのではないか」
ルシアンはわざと歩みを遅くして、皇帝と距離を取った。
「安心しろ。リアーヌは大人しく絵を描いている」
「すまないな。親戚を監視するのは気分が良くないだろう」
「いいや。お前の友情に応えなくてはいけないからな。他の令嬢たちも、目を配っているが、怪しい動きをしている者はない」
ルシアンはリゼットが気になったので、ユーグに訊ねてみた。
「リゼット嬢は毎日河原でパメラ嬢と一緒に大声を出してから、妙な踊りを踊っています。ポーラック公爵のお屋敷にも出入りしていて、夜は遅くまで仕立屋でコルクを削っています」
ユーグも少し困惑しながらの報告だった。
「……まぁ彼女に限って、他人を陥れるようなことはしないだろうが。メリザンドはどうしている? 屋敷にこもっているのか」
「そのようだ。皇后陛下主催でなければ茶会にも顔を出さず、詩作にふけっているとか」
裁判のことがあるので、ルシアンはメリザンドを警戒していた。
当のメリザンドも、ルシアンに疑惑を向けられrていることは百も承知だった。
だからその日も、片手でハープをつま弾きながら、小さなテーブルを体の側に置いて、ペンを走らせ詩を書いていた。そこへ父親が入ってきた。今日の狩猟で得た情報を娘と共有する。
「リゼットの特別な靴が狙い目ですわ。例の仕立屋で作るつもりでしょうから、手を出すのは簡単です。
リゼットに味方するような人たちも、一緒に消えてもらいます。特にブランシュ。賑やかしのくせに、でしゃばりすぎですわ。サビーナもパメラもわたくしの敵ではないとはいえ、リゼットを助けてわたくしの邪魔になるかもしれません。でもお父様、わたくしたちは手を出さないということは、くれぐれもお忘れなく」
「わかっている。自ら手を下さずに、人を動かす。裁判と同じ轍は踏まない」
メリザンドはその言葉に満足そうに微笑んで、ハープをポロンと鳴らした。
そんなことは露知らず、リゼットは着々と芸術祭へ向けて準備を進めていた。衣装も出来上がり、試作を重ねてたトウシューズも前世で使っていた物に近い形になった。
リヴェール大使館の前には特別縦長な荷車がつけていた。入り口からは数人の手によって長大なベルクホルンが慎重に運び出されている。キトリィもアンリエットと一緒にその様子を見守っていた。
「劇場へ運び込んだら、本番までの四日間は毎日一時間だけ演奏して良いと、皇帝陛下がおっしゃってくださいましたわ。本番の舞台でリハーサルができるなんて、幸運なことですわよ」
ホルンの後ろに続く馬車に乗ったアンリエットはキトリィに話しかけた。キトリィは本来楽器のレッスンを好まないため、ベルクホルンの腕前もそこまでではなかったが、この数日間でずいぶん上達していた。本人も披露する日を楽しみにしていた。
ところが、王宮への道すがら事件が起きた。がたりと大きな音がしたかと思うと、馬車が止まった。アンリエットが確かめに出ると、前方の荷車の車輪が外れて、荷台が大きく傾いている。当然ホルンも傾いて、その長い体の半分を石畳に投げ出していた。
確認してみると、衝撃でいたるところにひびが入ってしまっていた。キトリィがマウスピースをつけて吹いてみると、高音のいくつかがまったく鳴らない。
「弱りましたなぁ。大使館のベルクホルンはこれ一本だけ。当然、トレゾールにはございませんから、修理するのも、新しいものを買い求めるのも、不可能でございます」
大使は悲痛な面持ちをしていた。
「じゃあ、わたしは演奏できないの?」
キトリィはアンリエットに抱き着いて泣き始めた。アンリエットは何と言って慰めればよいかわからず、王女を抱きしめて途方に暮れた。
そこへブランシュの屋敷へ向かうリゼットとパメラが通りかかった。二人は泣いている王女と傾いた荷車、それにひびの入った楽器を見て、何が起きたのか悟った。
「王女様泣かないでくださいな。もしかしたらベルクホルンを扱っている店とか、直せる技術者がいるかもしれませんわよ。一度楽器店を探して回りましょう」
望みは薄かったが奇跡が起こらないとも限らない。リゼットは王女とアンリエット、そしてパメラと連れ立って、楽器店の並ぶ通りへ向かった。
手分けして片っ端から尋ねてみるが、どこの店にもベルクホルンは置いていないし、修理できる職人もいない。
リゼットが最後の一軒に入ろうとすると、中からローズが飛び出してきた。彼女は挨拶も憎まれ口も叩かず横切っていった。後ろから侍女が急ぎ足で追いかける。すると数歩もいかないところで、手に持っていた楽器の箱を振り上げて、石畳にたたきつけようとした。
「ちょ、ちょっと待った! 何をなさいますの? 大事な楽器でしょう」
思わずリゼットはその体を掴んで止めた。するとローズが顔をしかめて、痛い、と言った。リゼットが掴んでしまった右肩が痛むようだった。
「楽器があるからなによ! 腕は痛いし指は動かない。演奏なんてできませんわ!」
二日前、ローズはメールヴァン夫人の音楽の集まりに呼ばれていた。夫人は音楽を愛好していて、趣味を同じくする女性たちを集めて、小さな楽団を作っていた。ローズもフルートを得手としていることからこの楽団に入っていた。
集まりが終わって帰宅するとき、階段でつるりと足が滑って派手に転び、踊り場に右半身を強かに打ち付けた。
その拍子に手を離れた楽器は箱ごと階段の一番下まで落ちた。箱から飛び出した木製のフルートは床に当たって真っ二つに割れてしまった。
「メールヴァン夫人は詫びてくれたし、こうやって新しい楽器も手配してくださったわ。でも右腕の痛みが引かないの。医者は薬を塗って按摩を続ければそのうち直るというけれど、芸術祭は四日後なのよ! フルートを構えると肩やひじが痛いし、指も思うように動かない。とてもいつものように演奏できないわ」