第七章 芸術祭 第十一話
文字数 2,978文字
人々の驚きと呆れが集まり、リゼットたじろいだ。
「リゼット、あなたはどこまでお人好しなの? こんな目に遭わされたのに犯人を許すなんて」
「そうですわ。わたくしだって許せないんですから、あなたは怒るべきです」
サビーナとブランシュは却ってリゼットを非難するような口ぶりだった。
「リゼット嬢、なぜ悪人を糾弾しようとしないのだ。争いは面倒だとか、そういう気持ちがあるとしても、そこまで寛容になれるとは思えない。あなたのその心の広さはどこからくるものなのだ」
ルシアンに訊ねられ、リゼットは困惑した。壊れたトウシューズと衣装を見た時、確かに怒りも失望も感じたが、犯人がわかっても咎める気持ちが湧いてこない。なぜそうなのか、自分でもよくわからないのだ。
心が広いのではなく、指摘された通り極度の事なかれ主義なのだと、ずっと思っていた。そういう自分を嫌悪したこともあった。しかし今改めて問われると、怒りを発せない理由は他にある気がした。
「なぜ……何故とおっしゃられたら、それは……」
リゼットはルシアンの紫の瞳を見つめた。己を見透かすように透き通った瞳を通して、自らの胸の内にある感情を探し出すように。
「それは、みんな同じだからですわ。皇太子妃候補のわたくしたちはみんな、皇帝陛下、皇后陛下、皇太子殿下、それからそれぞれの親族や社交界の皆様に振り回されているだけなんですわ。
そもそも国一番の淑女というものに、しっかりとした定義がありません。皆様はそれぞの思惑をもって、皇太子妃には誰が相応しい、相応しくないと断じるのです。しばしばそれはただの気まぐれでもあります。会話の受け答えが丁寧だったとか、ダンスの身のこなしが優雅だったとか、服装の趣味がいいとか、なんとなく気に入ったとか。ただ頑張っているだけではだめで、でも正解もない中で、どうすれば皇太子殿下のお目に留まるか、皇帝皇后両陛下に気に入っていただけるか、審査員の方々から評価されるか、良い方法を探してわたくしたちはもがいているのです。
他人を陥れようと考えてしまうのは、もがき苦しんでいるからなんです。ローズ様もリアーヌ様も、裁判を起こした時のメリザンド様も、皆さん上手にもがいただけなんですわ。わたくしはもがくのが下手だから、無様で滑稽な方法しかとれないのです。
なのでわたくしはご令嬢方を非難できません。わたしも同じなのですから。常に共感しているんです、全ての方に。
ですから、今後はずるいことはしないと皇太子妃候補の皆様に約束していただくことで、良しとしてくださいませ。それでも足りないとおっしゃるなら、誰かを罰する代わりに、わたくしたちに優勝の栄誉を下さいませ、皇后陛下」
皇后は醜い争いを繰り広げた者たちを罰しないことにも、リゼットたちを優勝とすることにも賛成できかねた。ただ、後者については芸術家たちが説得に回った。
「ラインダンスは奇抜なだけではありません。音楽は独創性がありながら、聞いてすぐに口ずさめるような親しみやすさがあり、歌詞も建国500年を祝い、この国の明るい未来を歌っていて、今年の芸術祭に相応しいものでした」
「踊りについても、バレエとはまた違った重心の取り方とリズムで、自然と体が音楽に乗って動くような軽快さがありました。そして連続で足を上げる振り付けは、実は技術が必要です。それを貴族のご令嬢方がやってのけたのですから、その努力は賞賛に値します」
遂に皇后はリゼットたちを優勝と認めた。
芸術祭はこれでお開きとなった。最後はドロドロした争いが露呈し、何とも後味が悪かったが、家路につく観客の頭の中には、『ラディアント トレゾール』のフレーズが能天気な明るさで終りなく繰り返され、彼らの心を明るくした。中には鼻歌を歌ったり、小さな声で口ずさみながら劇場を出る人までいた。
他の令嬢たちは悔しがる者もあれば、素直に負けを認めてリゼットたちを褒める者もあった。
七人は着替えて化粧を落とし、楽屋を片付けると各々屋敷へ戻っていった。全てが終わってどっと疲れが押し寄せてきた。皆あくびを噛み殺し、足取りは重かった。
リーアヌとローズは互いが互いを陥れていたことに憤りを感じていたが、嫌味の応酬をするほどの気力もなく、むっつりと不機嫌な顔で馬車までの道を歩いていた。
リアーヌの馬車の前には、セブランが立っていた。これまでならリアーヌは甘えた声を出して駆け寄っていたが、今日はとてもそんな気にはなれず、プイと目をそらした。
「リアーヌ。今回の事はお前の行いに非がある。リゼット嬢が寛大だから許されたのだ。反省して、今後は誰かを陥れることはしないように」
「よくわたくしに説教できますわね。お兄様だって殿下のお友達だからとわたくしに便宜を図っていたくせに。それが殿下にばれて険悪になったら、もう手は貸さないから自力で何とかしろなんて。勝手すぎるわ、お兄様も、メールヴァン家も」
リアーヌはそのまま一人で馬車に乗り込み乱暴に扉を閉めた。
その様子に、ローズは思わず噴き出した。セブランはローズを睨んだ。
「なぜわたしが君を邪険にしていたかわかるかい。しなを作って言い寄ってきていても、ルシアンをものにしたいという腹の底が透けて見えていたからだ。そういう利己的で底意地の悪いところが、君を野望の達成から遠ざけているんだよ。今回リアーヌの絵を台無しにしたこともそうだ」
「利己的で底意地が悪い? それの何がいけなくって? わたくしたちは殿方と違って、そうでもしなければ自力で野心を果たすことなどできないのですわ。わたくしリゼット様のことは好きになれませんけれど、今日のご発言は、なかなか的を射ていると思いましたわ。では失礼いたします」
ローズはどこにそんな力が残っていたのか、すたすたと早足で去っていった。
リゼットがくたくたになって馬車に乗り込もうとした時、後ろからルシアンに呼び止められた。ノエルとシモンは驚いて居住まいを正し、お辞儀をした。リゼットも足を折ってしゃがみ、疲労でヘロヘロだった顔をシャキッとさせた。
「今日の出し物は素晴らしかった。たった四日で、六人の令嬢をまとめあげてあの出し物を完成させたのは相当な労力だっただろう。その手腕に感服した。
それに、最後の言葉は、あなたたちの立場や苦悩を良く伝えていた。あなたの寛大さは、単純な優しさではなく、他者への共感と、取り巻く環境を分析した末にあるのだな。
あれはとても身につまされた。わたしはずっと、未来の皇后に相応しい令嬢を選ぼうと、そしてその素質を見極めんと躍起になっていた。だがそれは、令嬢たちが自分にとって、または皇后として役に立つかどうかを吟味する、傲慢な考え方だった。
傲慢さを捨てて、一人の人間として真摯に向き合うことで、初めて本当の恋人を見つけられるのかもしれない。アンリエットから受けた助言の本当の意味がわかった気がした。あなたのおかげだ。ありがとう」
「勿体ない。わたくしも殿下に訊ねられて、初めてそんな気持ちを抱いていたとわかったのです。だからわたくしこそ感謝しなくてはいけないのです」
帰ってリゼットに礼を言われて、ルシアンは少し笑った。リゼットはその笑顔に思わず頬を熱くした。その熱は、馬車に揺られてもなかなか冷めなかった。
「リゼット、あなたはどこまでお人好しなの? こんな目に遭わされたのに犯人を許すなんて」
「そうですわ。わたくしだって許せないんですから、あなたは怒るべきです」
サビーナとブランシュは却ってリゼットを非難するような口ぶりだった。
「リゼット嬢、なぜ悪人を糾弾しようとしないのだ。争いは面倒だとか、そういう気持ちがあるとしても、そこまで寛容になれるとは思えない。あなたのその心の広さはどこからくるものなのだ」
ルシアンに訊ねられ、リゼットは困惑した。壊れたトウシューズと衣装を見た時、確かに怒りも失望も感じたが、犯人がわかっても咎める気持ちが湧いてこない。なぜそうなのか、自分でもよくわからないのだ。
心が広いのではなく、指摘された通り極度の事なかれ主義なのだと、ずっと思っていた。そういう自分を嫌悪したこともあった。しかし今改めて問われると、怒りを発せない理由は他にある気がした。
「なぜ……何故とおっしゃられたら、それは……」
リゼットはルシアンの紫の瞳を見つめた。己を見透かすように透き通った瞳を通して、自らの胸の内にある感情を探し出すように。
「それは、みんな同じだからですわ。皇太子妃候補のわたくしたちはみんな、皇帝陛下、皇后陛下、皇太子殿下、それからそれぞれの親族や社交界の皆様に振り回されているだけなんですわ。
そもそも国一番の淑女というものに、しっかりとした定義がありません。皆様はそれぞの思惑をもって、皇太子妃には誰が相応しい、相応しくないと断じるのです。しばしばそれはただの気まぐれでもあります。会話の受け答えが丁寧だったとか、ダンスの身のこなしが優雅だったとか、服装の趣味がいいとか、なんとなく気に入ったとか。ただ頑張っているだけではだめで、でも正解もない中で、どうすれば皇太子殿下のお目に留まるか、皇帝皇后両陛下に気に入っていただけるか、審査員の方々から評価されるか、良い方法を探してわたくしたちはもがいているのです。
他人を陥れようと考えてしまうのは、もがき苦しんでいるからなんです。ローズ様もリアーヌ様も、裁判を起こした時のメリザンド様も、皆さん上手にもがいただけなんですわ。わたくしはもがくのが下手だから、無様で滑稽な方法しかとれないのです。
なのでわたくしはご令嬢方を非難できません。わたしも同じなのですから。常に共感しているんです、全ての方に。
ですから、今後はずるいことはしないと皇太子妃候補の皆様に約束していただくことで、良しとしてくださいませ。それでも足りないとおっしゃるなら、誰かを罰する代わりに、わたくしたちに優勝の栄誉を下さいませ、皇后陛下」
皇后は醜い争いを繰り広げた者たちを罰しないことにも、リゼットたちを優勝とすることにも賛成できかねた。ただ、後者については芸術家たちが説得に回った。
「ラインダンスは奇抜なだけではありません。音楽は独創性がありながら、聞いてすぐに口ずさめるような親しみやすさがあり、歌詞も建国500年を祝い、この国の明るい未来を歌っていて、今年の芸術祭に相応しいものでした」
「踊りについても、バレエとはまた違った重心の取り方とリズムで、自然と体が音楽に乗って動くような軽快さがありました。そして連続で足を上げる振り付けは、実は技術が必要です。それを貴族のご令嬢方がやってのけたのですから、その努力は賞賛に値します」
遂に皇后はリゼットたちを優勝と認めた。
芸術祭はこれでお開きとなった。最後はドロドロした争いが露呈し、何とも後味が悪かったが、家路につく観客の頭の中には、『ラディアント トレゾール』のフレーズが能天気な明るさで終りなく繰り返され、彼らの心を明るくした。中には鼻歌を歌ったり、小さな声で口ずさみながら劇場を出る人までいた。
他の令嬢たちは悔しがる者もあれば、素直に負けを認めてリゼットたちを褒める者もあった。
七人は着替えて化粧を落とし、楽屋を片付けると各々屋敷へ戻っていった。全てが終わってどっと疲れが押し寄せてきた。皆あくびを噛み殺し、足取りは重かった。
リーアヌとローズは互いが互いを陥れていたことに憤りを感じていたが、嫌味の応酬をするほどの気力もなく、むっつりと不機嫌な顔で馬車までの道を歩いていた。
リアーヌの馬車の前には、セブランが立っていた。これまでならリアーヌは甘えた声を出して駆け寄っていたが、今日はとてもそんな気にはなれず、プイと目をそらした。
「リアーヌ。今回の事はお前の行いに非がある。リゼット嬢が寛大だから許されたのだ。反省して、今後は誰かを陥れることはしないように」
「よくわたくしに説教できますわね。お兄様だって殿下のお友達だからとわたくしに便宜を図っていたくせに。それが殿下にばれて険悪になったら、もう手は貸さないから自力で何とかしろなんて。勝手すぎるわ、お兄様も、メールヴァン家も」
リアーヌはそのまま一人で馬車に乗り込み乱暴に扉を閉めた。
その様子に、ローズは思わず噴き出した。セブランはローズを睨んだ。
「なぜわたしが君を邪険にしていたかわかるかい。しなを作って言い寄ってきていても、ルシアンをものにしたいという腹の底が透けて見えていたからだ。そういう利己的で底意地の悪いところが、君を野望の達成から遠ざけているんだよ。今回リアーヌの絵を台無しにしたこともそうだ」
「利己的で底意地が悪い? それの何がいけなくって? わたくしたちは殿方と違って、そうでもしなければ自力で野心を果たすことなどできないのですわ。わたくしリゼット様のことは好きになれませんけれど、今日のご発言は、なかなか的を射ていると思いましたわ。では失礼いたします」
ローズはどこにそんな力が残っていたのか、すたすたと早足で去っていった。
リゼットがくたくたになって馬車に乗り込もうとした時、後ろからルシアンに呼び止められた。ノエルとシモンは驚いて居住まいを正し、お辞儀をした。リゼットも足を折ってしゃがみ、疲労でヘロヘロだった顔をシャキッとさせた。
「今日の出し物は素晴らしかった。たった四日で、六人の令嬢をまとめあげてあの出し物を完成させたのは相当な労力だっただろう。その手腕に感服した。
それに、最後の言葉は、あなたたちの立場や苦悩を良く伝えていた。あなたの寛大さは、単純な優しさではなく、他者への共感と、取り巻く環境を分析した末にあるのだな。
あれはとても身につまされた。わたしはずっと、未来の皇后に相応しい令嬢を選ぼうと、そしてその素質を見極めんと躍起になっていた。だがそれは、令嬢たちが自分にとって、または皇后として役に立つかどうかを吟味する、傲慢な考え方だった。
傲慢さを捨てて、一人の人間として真摯に向き合うことで、初めて本当の恋人を見つけられるのかもしれない。アンリエットから受けた助言の本当の意味がわかった気がした。あなたのおかげだ。ありがとう」
「勿体ない。わたくしも殿下に訊ねられて、初めてそんな気持ちを抱いていたとわかったのです。だからわたくしこそ感謝しなくてはいけないのです」
帰ってリゼットに礼を言われて、ルシアンは少し笑った。リゼットはその笑顔に思わず頬を熱くした。その熱は、馬車に揺られてもなかなか冷めなかった。