第十四章 ジプソフィルの幸せ 第四話
文字数 2,351文字
しばらくして目が覚めると、目に飛び込んできたのは真っ白な天上。しかしシャンデリアはない。むしろ優雅さや豪華さのかけらもない蛍光灯が何本も連なり、青白い光で部屋中余すところなく照らしている。
「えっちゃん!」
ひょっこりと視界に入ってきたのは、同期の紫貴 ゆうやと秋月怜央 。メイクを落として髪もぺちゃんこの私服姿だ。それからもう一人はお手伝いの晴日 つばめだ。半泣きでこちらを見ている。更にもう一人、三島さんもほっとした顔でこちらを見ていた。
(あれ、ここって前世じゃない? もしかしてわたし、戻ってきちゃった?)
戻ってきたというより、そもそも転生すらしていなかったのかもしれない。と、夢園 さゆりはいやに冷静に考えた。周りでは四人がやれナースコールだ、やれ先生を呼べだと言い、スマホで誰かに連絡を取っている。
しばらくすると医者がやってきて、名前を聞かれた。思わずリゼットと答えそうになったが、それはおかしいと、本名の大原悦子と名乗った。それから目の前に三本指を立てられ、次に二本立てられた。それぞれ本数を答えたら、瞼を押し上げられ、小さいライトを眼球に当てられた。
「意識もはっきりしているみたいですし、見たところ異常はなさそうですが、念のため明日CTを取ります」
「わかりました。劇団にも連絡しておきます」
夢園さゆりが答えないので、紫貴ゆうやが代わりに対応した。た。医者は去っていった。
「えっちゃん良かった。心配したんだよ、階段で転んでふらふらしていると思ったら、袖に入った瞬間倒れちゃうんだもん」
秋月怜央は覆いかぶさるように抱き着いてきた。そういえば階段から落ちたのだったと、ボンヤリ思い出す。
「えっちゃんさん、これ使ってください」
と晴日つばめが差し出したのはシートタイプのメイク落とし。クレンジングを使って落とせないから、とりあえずということらしい。
「わたしメイクしたままなの? っていうか、衣装もそのままじゃん。超恥ずい」
がばっと飛び起きて確かめると、パレードの赤いマーメイドドレスを着たままだった。頭飾りと背負い羽は取ってもらっていた。傍らの椅子の上には、ひしゃげたお団子キャップが置いてあった。
「袖で倒れてそのまま救急車乗ったんだから仕方ないよ」
紫貴ゆうやが晴日つばめからメイク落としを取ってぐりぐりと顔のドーランを落とし始めた。晴日つばめも一枚を手に取って、肩や首のドーランを落としはじめる。横目でシーツを見やると、ドーランで肌色に汚れてしまっていた。
「劇団からご両親に連絡いってると思うけど、目が覚めたらな自分で連絡してあげなさい」
三島さんが夢園さゆりの荷物の中から、スマートフォンを差し出した。ロック画面の通知には、椿 えり香 からのメッセージがびっしり表示されていた。指が覚えているロックナンバーを入力して開くと、メッセージアプリには夢園さゆりを心配する椿えり香のメッセージが連なっている。個人のやり取りと、同期のグループとの両方にだ。
「えりちゃん、公演終りに真っ先に電話くれたよ。えっちゃん大丈夫なのって」
夢園さゆりは画面をスクロールして全てのメッセージを読んだ。どれも、大丈夫? 何があったの? なんて似たり寄ったりのメッセージだったが、一つ一つ読んだ。そして、いま目が覚めた。明日念のため検査するけど今のところ問題ないです。とメッセージを送る。即座に既読が付いて、椿えり香から安堵のメッセージが来る。
自然と緩んだ頬に紫貴ゆうやのメイク落としシートがぐいぐい押し付けられた。当然一枚では足りず、顔だけで5枚も使った。
翌日の検査も問題なく、午後には退院の許可が出た。一度劇団に寄って衣装を返してから、その日はのんびりと過ごし、明日からの公演に備えた。
こうして宝川歌劇団娘役としての日常が戻った。トレゾールの日々は全て夢だったのだろう。それにしては嫌にはっきりしていて長かったが。
夢から覚めて現実にげんなりするかというと、そうでもなかった。リゼットも夢園さゆりも結局は同じカスミソウだった。主役にはなれない添え物で、あらゆる苦労に肉体も精神もすり減らしながら、小さく咲き続ける。それが彼女の生きる路だった。
翌日に手紙が届いた。唯一にして最愛のファン立川晴海からだった。
——SNSなどで、夢園さんが階段から落ちてふらふらしていた、翌日は休演したと知って、心配でいてもたってもいられず手紙を書きました。夢園さんが読む頃には、復帰なさっていると思いますが(そうであってほしいと願っています)、お体は大丈夫でしょうか? 大きな怪我にはなっていないでしょうか? もし、すぐに舞台に立てないほどの怪我であれば、無理せずゆっくり直してください。そして元気に舞台に戻ってきてください。わたしは夢園さんの姿が見られるまで、いつまでも待ちます。
心のこもった手紙だった。こんな手紙をくれるファンの顔を曇らせたままにしてはいけないと、公演終りに駆け込みで文具店へ入り、洒落たレターセットを買って、返事を書いた。
——ご心配をおかけしまして申し訳ありません。お医者様が言うには、軽い脳震盪を起こしただけとのことでした。今は元気に舞台で踊っています。
温かい気持ちのこもったお手紙をいただき、とても励みになりました。わたしは舞台の後ろの端っこにしか立てませんが、皆さんが公演を見て楽しい、嬉しいと思ってくださることが、わたしにとっても幸せなのだと、今回一度舞台を離れたことで、心から実感しました。これからも、一生懸命がんばって、皆様を少しでも笑顔にできたらと思っています。どうか見守っていてください。
次回の公演は宝川市民芸術ホールでの公演です。ご都合がよろしければ、是非会場に足をお運びください。
「えっちゃん!」
ひょっこりと視界に入ってきたのは、同期の
(あれ、ここって前世じゃない? もしかしてわたし、戻ってきちゃった?)
戻ってきたというより、そもそも転生すらしていなかったのかもしれない。と、
しばらくすると医者がやってきて、名前を聞かれた。思わずリゼットと答えそうになったが、それはおかしいと、本名の大原悦子と名乗った。それから目の前に三本指を立てられ、次に二本立てられた。それぞれ本数を答えたら、瞼を押し上げられ、小さいライトを眼球に当てられた。
「意識もはっきりしているみたいですし、見たところ異常はなさそうですが、念のため明日CTを取ります」
「わかりました。劇団にも連絡しておきます」
夢園さゆりが答えないので、紫貴ゆうやが代わりに対応した。た。医者は去っていった。
「えっちゃん良かった。心配したんだよ、階段で転んでふらふらしていると思ったら、袖に入った瞬間倒れちゃうんだもん」
秋月怜央は覆いかぶさるように抱き着いてきた。そういえば階段から落ちたのだったと、ボンヤリ思い出す。
「えっちゃんさん、これ使ってください」
と晴日つばめが差し出したのはシートタイプのメイク落とし。クレンジングを使って落とせないから、とりあえずということらしい。
「わたしメイクしたままなの? っていうか、衣装もそのままじゃん。超恥ずい」
がばっと飛び起きて確かめると、パレードの赤いマーメイドドレスを着たままだった。頭飾りと背負い羽は取ってもらっていた。傍らの椅子の上には、ひしゃげたお団子キャップが置いてあった。
「袖で倒れてそのまま救急車乗ったんだから仕方ないよ」
紫貴ゆうやが晴日つばめからメイク落としを取ってぐりぐりと顔のドーランを落とし始めた。晴日つばめも一枚を手に取って、肩や首のドーランを落としはじめる。横目でシーツを見やると、ドーランで肌色に汚れてしまっていた。
「劇団からご両親に連絡いってると思うけど、目が覚めたらな自分で連絡してあげなさい」
三島さんが夢園さゆりの荷物の中から、スマートフォンを差し出した。ロック画面の通知には、
「えりちゃん、公演終りに真っ先に電話くれたよ。えっちゃん大丈夫なのって」
夢園さゆりは画面をスクロールして全てのメッセージを読んだ。どれも、大丈夫? 何があったの? なんて似たり寄ったりのメッセージだったが、一つ一つ読んだ。そして、いま目が覚めた。明日念のため検査するけど今のところ問題ないです。とメッセージを送る。即座に既読が付いて、椿えり香から安堵のメッセージが来る。
自然と緩んだ頬に紫貴ゆうやのメイク落としシートがぐいぐい押し付けられた。当然一枚では足りず、顔だけで5枚も使った。
翌日の検査も問題なく、午後には退院の許可が出た。一度劇団に寄って衣装を返してから、その日はのんびりと過ごし、明日からの公演に備えた。
こうして宝川歌劇団娘役としての日常が戻った。トレゾールの日々は全て夢だったのだろう。それにしては嫌にはっきりしていて長かったが。
夢から覚めて現実にげんなりするかというと、そうでもなかった。リゼットも夢園さゆりも結局は同じカスミソウだった。主役にはなれない添え物で、あらゆる苦労に肉体も精神もすり減らしながら、小さく咲き続ける。それが彼女の生きる路だった。
翌日に手紙が届いた。唯一にして最愛のファン立川晴海からだった。
——SNSなどで、夢園さんが階段から落ちてふらふらしていた、翌日は休演したと知って、心配でいてもたってもいられず手紙を書きました。夢園さんが読む頃には、復帰なさっていると思いますが(そうであってほしいと願っています)、お体は大丈夫でしょうか? 大きな怪我にはなっていないでしょうか? もし、すぐに舞台に立てないほどの怪我であれば、無理せずゆっくり直してください。そして元気に舞台に戻ってきてください。わたしは夢園さんの姿が見られるまで、いつまでも待ちます。
心のこもった手紙だった。こんな手紙をくれるファンの顔を曇らせたままにしてはいけないと、公演終りに駆け込みで文具店へ入り、洒落たレターセットを買って、返事を書いた。
——ご心配をおかけしまして申し訳ありません。お医者様が言うには、軽い脳震盪を起こしただけとのことでした。今は元気に舞台で踊っています。
温かい気持ちのこもったお手紙をいただき、とても励みになりました。わたしは舞台の後ろの端っこにしか立てませんが、皆さんが公演を見て楽しい、嬉しいと思ってくださることが、わたしにとっても幸せなのだと、今回一度舞台を離れたことで、心から実感しました。これからも、一生懸命がんばって、皆様を少しでも笑顔にできたらと思っています。どうか見守っていてください。
次回の公演は宝川市民芸術ホールでの公演です。ご都合がよろしければ、是非会場に足をお運びください。