第九章 エストカピタールにて 第二話
文字数 2,927文字
盗賊たちは斧や鉈やこん棒を手に、顔の下半分を黒いスカーフで覆っていた。あっという間に馬車を囲むと、御者を引きずりおろして拘束した。そして手にした武器で、あるいは手足で馬車を破壊し始めた。たまらずリゼットたちは馬車から飛び出した。夕暮れの赤い空の下で、彼らの姿は一層恐ろしく見えた。
「見逃してほしくば、金目の物をよこしな」
背に腹は代えられない。シモンは渋々財布を投げてよこした。あまり入っていなかったので、盗賊は舌打ちした。
「これっぽっちじゃあ、酒代にもならないぜ。出し渋ってるんじゃあなかろうな」
「急ぎの旅で持ち合わせがないんだ」
シモンの言葉を嘘だと思ったのか、馬車に武器を振り下ろして脅した。
「やめて! 馬車がなかったら間に合わなくなるわ」
「うるせぇ。だったら早く金目のを出せ」
盗賊の一人が馬車を守ろうとするリゼットを押しのけた。
「ぶ、無礼者、こちらは皇太子殿下の思い人、レーブジャルダン子爵令嬢ですよ。危害を加えたら、命はないと思いなさい」
パメラは精一杯勇気を出して盗賊たちを威圧しようとしたが、そんな言葉を聞く彼らではない。
「邪魔だ、どけ!」
リゼットは突き飛ばされ、地面に倒れた。一人の男は殴って黙らせようと、棍棒を振りかざした。リゼットは思わず目をつぶった。
だが、こん棒が振り下ろされることはなく、かわりにパンパンという銃声が鳴り響いた。そして突撃の声と剣戟の音、馬の蹄の音が近付いてくる。恐る恐る目を開けると、目の前には白馬おり、馬上にはなんとルシアンがいた。彼は剣を抜いて盗賊の武器を薙ぎ払った。盗賊は小さな悲鳴を上げて離れていった。
他の盗賊たちも、ルシアンが連れてきた近衛隊によって追い払われ、蜘蛛の子を散らすように森の中へ消えていった。数人の隊士が追いかけて山へ分け入った。
「リゼット嬢、怪我はないか」
ルシアンは剣を納めると馬を降りてリゼットの手を取った。立ち上がったリゼットは我に返ってお辞儀をした。ルシアンはそれをやめさせて、ざっと見て傷を負っていないことを確かめた。
「危ないところをお助けいただきありがとうございます。でもどうして?」
「それは後で話す。それより急いで都へ戻ろう。明日の正午まで時間がない。馬車は動かせるか?」
盗賊に車輪を破壊されたので、動かせはするが揺れがひどいうえに速度が出なくなっていた。
「殿下、もともとこの山道は馬車より馬の方が早く走れます。殿下の愛馬の脚ならばきっと明日の夜明けには到着できるでしょう。先にリゼット嬢を連れてお行き下さい。馬車とシモン殿、パメラ嬢は我々が守ってエスカリエへ送り届けますゆえ」
「わかった」
隊士の言葉を受けてルシアンは再び白馬にまたがった。
(ん? わたしを連れて行くって?)
理解が追いついていないリゼットの前に、御者が馬車に乗るための踏み台を置いた。そしてルシアンの手が差し伸べられる。反射的に踏み台を上がりルシアンの手を取ると、グイっと馬上に引き上げられた。気が付けば、馬上で横抱きに抱えられている。
「わたしにしっかり捕まっていてくれ。では任せたぞ」
隊士たちの敬礼を見届けて、ルシアンは愛馬に鞭を当てた。
(ちょっと、これめっちゃ恥ずかしい! どうしよう!)
リゼットの腰にはルシアンの左手がまわされ、自身も抱き着くようにルシアンにしがみついて、疾走する白馬の上にいる。盗賊に襲われていたところを白馬の王子様が助けに来てくれて、馬に二人乗りするなんて、まるで絵本のプリンセスの物語だ。夢のようなシュチュエーションというのは、実際にやってみると顔から火が出るほど恥ずかしい。
「すまない。しばらく無理をさせるが、耐えてくれ」
ルシアンに恥じらいはなかった。リゼットは元々恥ずかしくて赤くなっていた顔を更に赤らめて、あまり見られないようにルシアンの肩に顔を向けていた。
「あなたが茶会のために昼夜兼行で戻ってくるであろうことは予想できた。だが嵐もあったし、何より夜道は危険が多いから、ひょっとして難儀しているのではないかと様子を見に来てみた。近衛隊を引き連れて大げさかとも思ったが、杞憂ではなかったようだ。何よりあなた方が無事でよかった」
ルシアンは夜道を走りながらそう語った。
(皇太子殿下、またわたしを心配して来てくれたのね)
ただの親切心で片づけることはできないだろう。ブランシュがいったように、これは自惚れてもいいのだとリゼットは思った。
「本当に、ありがとうございます」
リゼットはルシアンの腕の中でただ感謝の言葉をただ繰り返していた。
空が白み始めると、森を抜け、開けた道に出る。遥か向うにエスカリエが見えた。
「あと一息だ」
白馬は疲れを知らないように駆けた。遠くに見えた首都が段々と近づいてくる。だがそれと同時に陽も少しずつ高く上ってゆく。太陽が一番高く上るのが先か、白馬が王宮へたどり着くのが先か。ルシアンは懸命に馬に鞭を当て、リゼットは太陽の位置と、白馬と都市の距離を見比べていた。
太陽が完全に上る前に、二人は王宮の裏手の門へたどり着いた。門にはユーグとセブランが待ち構えていた。
「待って、この格好じゃ」
リゼットは泥だらけのドレスを広げて見せた。
「ご心配なさらず、準備しておいたよ」
と、セブランに通された部屋にはカミーユがいた。彼が出来あいのドレスを持ってきてくれていたのだ。
「正午まであと七分です。着替えに五分もかけられませんよ」
「三分あれば十分よ」
リゼットは王宮のメイドたちに手伝わせて、舞台の早替えさながらのスピードで着替え、二分ですっかり身なりを整えた。ルシアンもセブランもユーグも、着替えの早さに目を丸くして驚いた。
茶会が行われるテラスには、万が一にも遅れてはいけないと早めに集まった令嬢たちが、既に着席していた。
皇后も早めに会場に入り、ちらちらと時計を見ていた。そしてあと二分で正午というところで、もう安心したのか、口を開いた。
「そろそろ時間ですわね。あら、リゼット嬢はいないのかしら?」
台詞のようなわざとらしい問いかけに、令嬢たちは左右を見てリゼットを探した。もちろん姿はない。
「どうやら、遅刻しているようですわ」
メリザンドの答えも決められた台詞のようだった。もちろん、その次の皇后の台詞も決まっている。さも残念そうな顔をして、
「仕方がないわ。リゼット嬢は失格ね」
と、言おうとしたところで、台本にない台詞がテラスに響いた。
「皇太子殿下ならびにリゼット・ド・レーブジャルダン子爵令嬢のお着きです」
ユーグができる限り重々しい声を発した。それと同時に正午の鐘が鳴り、深緑の軍服を着たルシアンにエスコートされて、エメラルドグリーンにカスミソウのレースを重ねた清楚なドレスに身を包んだリゼットが現れた。
(まさか、現れるとは)
皇后もメリザンドも、ローズもリアーヌも驚き、そして口惜しさに奥歯を噛んだ。
リゼットはちらりとルシアンの顔の位置を確認して、膝を少しだけ曲げ頭を低くした。こうすると、理想的な身長差に見える。娘役の技術の一つ、膝折りだ。効果はてきめんで、二人が並ぶ姿はまるで一幅の絵画のように美しく、似合いに見えた。
「見逃してほしくば、金目の物をよこしな」
背に腹は代えられない。シモンは渋々財布を投げてよこした。あまり入っていなかったので、盗賊は舌打ちした。
「これっぽっちじゃあ、酒代にもならないぜ。出し渋ってるんじゃあなかろうな」
「急ぎの旅で持ち合わせがないんだ」
シモンの言葉を嘘だと思ったのか、馬車に武器を振り下ろして脅した。
「やめて! 馬車がなかったら間に合わなくなるわ」
「うるせぇ。だったら早く金目のを出せ」
盗賊の一人が馬車を守ろうとするリゼットを押しのけた。
「ぶ、無礼者、こちらは皇太子殿下の思い人、レーブジャルダン子爵令嬢ですよ。危害を加えたら、命はないと思いなさい」
パメラは精一杯勇気を出して盗賊たちを威圧しようとしたが、そんな言葉を聞く彼らではない。
「邪魔だ、どけ!」
リゼットは突き飛ばされ、地面に倒れた。一人の男は殴って黙らせようと、棍棒を振りかざした。リゼットは思わず目をつぶった。
だが、こん棒が振り下ろされることはなく、かわりにパンパンという銃声が鳴り響いた。そして突撃の声と剣戟の音、馬の蹄の音が近付いてくる。恐る恐る目を開けると、目の前には白馬おり、馬上にはなんとルシアンがいた。彼は剣を抜いて盗賊の武器を薙ぎ払った。盗賊は小さな悲鳴を上げて離れていった。
他の盗賊たちも、ルシアンが連れてきた近衛隊によって追い払われ、蜘蛛の子を散らすように森の中へ消えていった。数人の隊士が追いかけて山へ分け入った。
「リゼット嬢、怪我はないか」
ルシアンは剣を納めると馬を降りてリゼットの手を取った。立ち上がったリゼットは我に返ってお辞儀をした。ルシアンはそれをやめさせて、ざっと見て傷を負っていないことを確かめた。
「危ないところをお助けいただきありがとうございます。でもどうして?」
「それは後で話す。それより急いで都へ戻ろう。明日の正午まで時間がない。馬車は動かせるか?」
盗賊に車輪を破壊されたので、動かせはするが揺れがひどいうえに速度が出なくなっていた。
「殿下、もともとこの山道は馬車より馬の方が早く走れます。殿下の愛馬の脚ならばきっと明日の夜明けには到着できるでしょう。先にリゼット嬢を連れてお行き下さい。馬車とシモン殿、パメラ嬢は我々が守ってエスカリエへ送り届けますゆえ」
「わかった」
隊士の言葉を受けてルシアンは再び白馬にまたがった。
(ん? わたしを連れて行くって?)
理解が追いついていないリゼットの前に、御者が馬車に乗るための踏み台を置いた。そしてルシアンの手が差し伸べられる。反射的に踏み台を上がりルシアンの手を取ると、グイっと馬上に引き上げられた。気が付けば、馬上で横抱きに抱えられている。
「わたしにしっかり捕まっていてくれ。では任せたぞ」
隊士たちの敬礼を見届けて、ルシアンは愛馬に鞭を当てた。
(ちょっと、これめっちゃ恥ずかしい! どうしよう!)
リゼットの腰にはルシアンの左手がまわされ、自身も抱き着くようにルシアンにしがみついて、疾走する白馬の上にいる。盗賊に襲われていたところを白馬の王子様が助けに来てくれて、馬に二人乗りするなんて、まるで絵本のプリンセスの物語だ。夢のようなシュチュエーションというのは、実際にやってみると顔から火が出るほど恥ずかしい。
「すまない。しばらく無理をさせるが、耐えてくれ」
ルシアンに恥じらいはなかった。リゼットは元々恥ずかしくて赤くなっていた顔を更に赤らめて、あまり見られないようにルシアンの肩に顔を向けていた。
「あなたが茶会のために昼夜兼行で戻ってくるであろうことは予想できた。だが嵐もあったし、何より夜道は危険が多いから、ひょっとして難儀しているのではないかと様子を見に来てみた。近衛隊を引き連れて大げさかとも思ったが、杞憂ではなかったようだ。何よりあなた方が無事でよかった」
ルシアンは夜道を走りながらそう語った。
(皇太子殿下、またわたしを心配して来てくれたのね)
ただの親切心で片づけることはできないだろう。ブランシュがいったように、これは自惚れてもいいのだとリゼットは思った。
「本当に、ありがとうございます」
リゼットはルシアンの腕の中でただ感謝の言葉をただ繰り返していた。
空が白み始めると、森を抜け、開けた道に出る。遥か向うにエスカリエが見えた。
「あと一息だ」
白馬は疲れを知らないように駆けた。遠くに見えた首都が段々と近づいてくる。だがそれと同時に陽も少しずつ高く上ってゆく。太陽が一番高く上るのが先か、白馬が王宮へたどり着くのが先か。ルシアンは懸命に馬に鞭を当て、リゼットは太陽の位置と、白馬と都市の距離を見比べていた。
太陽が完全に上る前に、二人は王宮の裏手の門へたどり着いた。門にはユーグとセブランが待ち構えていた。
「待って、この格好じゃ」
リゼットは泥だらけのドレスを広げて見せた。
「ご心配なさらず、準備しておいたよ」
と、セブランに通された部屋にはカミーユがいた。彼が出来あいのドレスを持ってきてくれていたのだ。
「正午まであと七分です。着替えに五分もかけられませんよ」
「三分あれば十分よ」
リゼットは王宮のメイドたちに手伝わせて、舞台の早替えさながらのスピードで着替え、二分ですっかり身なりを整えた。ルシアンもセブランもユーグも、着替えの早さに目を丸くして驚いた。
茶会が行われるテラスには、万が一にも遅れてはいけないと早めに集まった令嬢たちが、既に着席していた。
皇后も早めに会場に入り、ちらちらと時計を見ていた。そしてあと二分で正午というところで、もう安心したのか、口を開いた。
「そろそろ時間ですわね。あら、リゼット嬢はいないのかしら?」
台詞のようなわざとらしい問いかけに、令嬢たちは左右を見てリゼットを探した。もちろん姿はない。
「どうやら、遅刻しているようですわ」
メリザンドの答えも決められた台詞のようだった。もちろん、その次の皇后の台詞も決まっている。さも残念そうな顔をして、
「仕方がないわ。リゼット嬢は失格ね」
と、言おうとしたところで、台本にない台詞がテラスに響いた。
「皇太子殿下ならびにリゼット・ド・レーブジャルダン子爵令嬢のお着きです」
ユーグができる限り重々しい声を発した。それと同時に正午の鐘が鳴り、深緑の軍服を着たルシアンにエスコートされて、エメラルドグリーンにカスミソウのレースを重ねた清楚なドレスに身を包んだリゼットが現れた。
(まさか、現れるとは)
皇后もメリザンドも、ローズもリアーヌも驚き、そして口惜しさに奥歯を噛んだ。
リゼットはちらりとルシアンの顔の位置を確認して、膝を少しだけ曲げ頭を低くした。こうすると、理想的な身長差に見える。娘役の技術の一つ、膝折りだ。効果はてきめんで、二人が並ぶ姿はまるで一幅の絵画のように美しく、似合いに見えた。