第一章 労多くして功少なし 第四話
文字数 2,972文字
「つばめちゃんめっちゃうまいやん! さすがえっちゃん。娘役力の塊!」
と、声をかけてきたのは、上級生の
「えっちゃんはホンマ娘役力高いからなぁ。アクセサリーとかかつらのセンスええし、スカートさばきも綺麗やし、えっちゃんのお手伝いしてたら、絶対いい娘役になれるよ」
娘役力。誰が言い出したのか知らないが、娘役に求められる技術を指してこういうようになった。もっとも、定義についてはボンヤリしていて、必ずしも技術力を指すわけではなく、例えば
とにかく、褒め言葉には違いない。
「娘役力の塊って、そんなことないですよ……」
「いいや、えっちゃんは下級生やけど、これだけは敵わへんと思うとる。わたしが初めて輪っかのドレス着たときなんか、もうバフバフ揺れて大変やってん。舞白はあかん、って上級生たちが手取り足取り教えてくれてんけどな、ぜんぜん綺麗に歩けへんのよ。一個上の上級生が遅くまでつきおうてくれて、なんとか舞台上では目立たへんくらいにはなれたんやけど。
それと比べたらつばめちゃん上達早い。もちろんつばめちゃんがコツ掴むの上手いのもあるんやろうけど、やっぱり先生がええねん」
この娘役力なるものは、夢園さゆりも今は退団した上級生の手伝いをしながら学んだ。憧れの先輩のように素敵な娘役になりたいと、熱心に学んできた。だがそれを評価されても、嬉しいという素直な気持ちが浮かび上がってこなかった。
「みこさん、このスカートとっても素敵ですね。お役のイメージに合わせてるんですか?」
晴日つばめが舞白美湖の身に着けているスカートを褒めた。
宝川の娘役の稽古スタイルは、レオタードに黒いタイツ、化繊で作られた稽古スカートだ。スカートはロングドレスを着てのダンスシーンなどで、普段から長さに慣れていないと転ぶという理由で着用するのだが、がっつりダンスをしない場面でも、芝居でも大抵身に着けている。衣装がひざ丈のスカートであればひざ丈のスカートを穿く。パンツスタイルでない限り、大抵は何かしらのスカートを穿いているのだ。
スカートは色とりどりで、フリルやレースが付いている。レオタードもレースがあしらってあったり、胸下で布が切り換えられていたりと、可憐なものが多い。それらを役柄や場面のイメージに合わせてコーディネートして身に着ける。トップ娘役の
舞白美湖のスカートは、深紅の地紋の入ったサテンで、裾には並上にカーブしたフリルが二段つき、さらにフリルの付け根に沿って金のブレードが走っている。そのスカートの下に、輪っかのパニエを入れているので、まるで貴族のドレスさながらである。
「そう。新しく作ってもろうたんよ」
舞白美湖は得意げにスカートの輪っかを軽く押さえて、くるりと回って見せた。
練習なのだから、そんな華美なものを着なくてもいいだろう。しかし、衣装の重さを感じておきたいとか、役のイメージを膨らませるためとか、稽古のモチベーションを上げるとか、おしゃれで可愛いスカートが穿きたい、とかいう理由で、このスタイルが定着した。ジャージのズボンにTシャツなどで稽古場に現れたら、気でも触れたのかと思われるくらいには。
こういうスカートは、市販ではなかなかお目にかかれない。オーダーメイドで作成を請け負う業者がいる。そこから買うか、退団する先輩から譲り受けるか、ファンからプレゼントされるかして、何着も集めるのだ。
振り付けで足を上げても、輪っかを入れても大丈夫なくらい、たっぷりと布を使っている。オーダーしたとなると、それなりにお金がかかる。舞白美湖が穿いているスカートなど、生地や装飾の様子からして、7000円以上はしていると思われる。
(やっぱりお嬢様なんだな)
夢園さゆりは心の中で溜息をついた。
歌劇団の生徒は入団7年目以降は公演ごとにそれぞれ取り決めたギャラをもらうことになっている。舞白美湖は夢園さゆりより上級生なので、恐らく彼女より少し多く貰っているとは思うが大きく差が開いているとは考えられない。だから正確には舞白美湖がお金持ちなのではなく、彼女の実家がお金持ちで、娘へ支援ができるということである。本人が明るくおしゃべりで、あっけらかんとしているので、普段の会話の中からお金持ちであることがうかがい知れた。なんでも大阪では有名な資産家の娘らしい。
そもそも宝川歌劇の生徒として生きるためにはお金がかかる。ダンスのために靴を買わなけれないけなかったり、劇団のレッスンのほかに、個人的にレッスン行って技術を磨かなくてはいけない。それから整体など、体のケアも自分で気を配らなくてはいけないし、舞台化粧と染髪と整髪剤で肌と髪は痛み放題だから、美容のケアも怠れない。
娘役となると、こんな稽古スカートにはじまり、かつらもアクセサリーもと、更なる出費がある。劇団から手当てが出るとはいえ、それですべてが賄えるわけではない。純粋な給料だけでやっていこうとしたら、毎月赤字である。
そしてそのどれよりも重要で、一番困難なのがチケットさばきであった。
公演を打つのだから、チケットが売れなければ意味がない。一般的な演劇の世界と同じく、宝川歌劇の生徒にもチケットノルマが存在する。基本は毎公演ごとに一人3枚のチケットが割り振られる。
席はトップスター、路線、上級生から順番に割り振られる。稽古が佳境を迎えた頃、チケットの割り振りが出た。この時ばかりは、夢園さゆりは憂鬱になる。親戚友人に声をかけても、さばききれる数ではない。大体自分が宝川歌劇に入ったからと言って、周囲の人間がみな宝川歌劇団のファンとは限らない。チケットも安くないし、当然同じ公演を何度も見るなんて普通は考えられない。さばききれるか、不安でたまらなかった。
「えっちゃん。チケットだけどさ、ちょっと手伝おうか」
と、本公演の稽古終りにひっそりと声をかけてきたのは、同期の
誰にとっても困難なチケット捌き。同期や仲の良い生徒同士で助け合いが生まれる。
「ほんと? 助かる。じゃあお願いするね」
彼女は最近、手持ちのチケットだけでは足りなくて、同期に声をかけることが増えた。彼女の親や友人が急にチケットを多く買い始めたということではなく、ファンが増えたということだ。
宝川歌劇の生徒にはそれぞれファンがおり、私設のファンクラブがある。こうした私設ファンクラブを通してファンにチケットを売りさばくのが一番の方法だ。
ただし、当たり前だがファンの数はトップスターや路線の生徒であればあるほど多く、そうでなければ少ない。ファンクラブも、一部の路線男役スターしか正式に設立できず、その他の多くの場合は、ただのファンの集まり程度のものであった。非路線娘役の夢園さゆりにはもちろんファンクラブはなく、ごく少数のファンに、細々とチケットを売っているのが現状だ。