第六章 裁判 第四話
文字数 3,007文字
ここまで不思議なほど運に恵まれ、さらに仮面舞踏会では皇太子と二人きりになるという大金星を挙げた。順風満帆、ここから皇太子妃の座を手に入れるのだという矢先に、急転直下、訴訟を起こされるとは。シモンは焦った。むざむざメリザンドの主張が認められ、リゼットが故意に仮面に毒を塗ったとされたら、これまでの全ては水泡に帰する。
(だがどうやってリゼットの無実を証明する? カミーユまで捕まっているから、工房の人間に細工がなかったと証明させるのは無理だ。リゼットは徹夜して作業していたから、毒を塗る暇などなかったが、それを言ったらリゼット本人が作っていたと知れて、却って疑いが増すかもしれない)
考えても対策は出てこなかった。そこへブランシュがやってきた。
「リゼットに何の罪もないことは、わたくしたちが一番わかっています。無実を証明する方法を考えましょう」
しかし彼女もこれと言って具体的な方法を思いついているわけではなかった。二人より三人、三人よりは四人だと、ブランシュはいつもの仲間たちを集めようと、シモンを連れて友人たちを訪ねた。
パメラが逗留している宿屋に着いて、入り口で呼び出すと、階段を降りてきたのはパメラではなく、化粧のキツイ中年の女性だった。緑に黒いレースが重ねられたドレスを着ているが、落ち着た色とデザインのはずなのに、どこかけばけばしかった。
「娘は風邪をひいて寝込んでいます。今日はブランシュ様と一緒にまいれません」
パメラの母親だった。
「まぁ、そうですの? もしかしてリゼットが心配で寝込んでしまったのでは?」
「冗談じゃない! そのリゼットとかいう令嬢とうちの娘は無関係です。皇太子妃候補の最有力であるソンルミエール公爵令嬢の顔を腫れさせて、自分がその座に収まろうとした卑怯で油断ならない女だと、噂になっているじゃない。うちの娘まで一緒にしないで頂戴」
パメラの母親はヒステリックにギャーギャーとまくしたてた。ブランシュとシモンが思わず耳をふさいでいると、パメラが階段から降りてきた。
「お母様、リゼット様の事を悪く言うのはおよしになって。お友達が窮地に陥っているのに、知らん顔なんてできないわ」
「何を言うの! お前にまで悪評がたったらどうするつもり。もうリゼットとかかわりあいになってはいけません。早く部屋に戻りなさい」
娘の意見を無視して、母親は凄い力でパメラを階段まで押し戻し、部屋へ連れて行ってしまった。
「とんでもない母親だな」
これまで会ったことがない類の人間だった。シモンが呆けていると、ブランシュはパメラの事を案じつつ、サビーナの屋敷へむかった。
サビーナはすぐに出てきたが、その後を父親のエテスポワール伯爵が追いかけてきて、娘を止めた。
「ブランシュ嬢、この件に娘を巻き込むのはやめていただきたい。そもそもこれはリゼット嬢とメリザンド嬢の間のことであって、あなたも我が娘も関係ないことだ」
「なんて恩知らずな事を言うの、お父様。お話したでしょう最初の夜会で……」
「それとこれとは関係ない。では失礼する」
エテスポワール伯爵は強引に娘を部屋に連れ戻した。
「夜会で陥れられたことは二度と口にするなと言っただろう。蒸し返したら、却ってお前が疑われるかもしれないのだぞ。今回の事はあの時と同じような陰謀かもしれん。だからこそお前は巻き込まれないように立ちまわれ。そうでなければお前まで皇太子妃選びから脱落してしまうぞ」
「保身のために友人を見殺しにしろと? まぁ、流石は娘に頼って権勢を欲する人のお言葉ね」
「サビーナ、何という口を利くんだ。皇太子妃選びに参加させたのはお前のためでもあるんだ」
「何がわたくしのためですか。皇太子妃選びに参加していなければ、それこそ何の事件にも巻き込まれずにすんだわ」
二人の言い争いは続いていたが、ブランシュたちはとっくに屋敷の外へ出されていたの聞こえなかった。
「こうなったら、お父様にお願いするしかないわ」
ブランシュの父法務大臣である。当然法院にも顔が利く。
「流石、大貴族様だ。やはり地位と権力がものを言うのだな」
シモンも急いで馬車に乗り込み、ブランシュの屋敷へ向かった。
その法務大臣は、父親であるポーラック卿に捕まっていた。
「わかるじゃろう。リゼット嬢はそんなひどいことはしない。娘の友人が冤罪の憂き目に遭っているのに、黙って見過ごすのか」
ポーラック公爵は溜息をついて、務めて冷静に父親を諭した。
「法務大臣が娘の友人だからと罪を酌量しては示しがつかないでしょう。それに、まだ罪が確定したわけではありませんから、冤罪というのも少し違う。
なにも捕まったら即座に罪人となるわけではありません。最初の裁判の後、数日間の猶予を与え、そこで被告人には弁解するための準備をさせる。つまり次の裁判で濡れ衣だと証明できれば、リゼット嬢は晴れて釈放されます」
「だからといって、数日間とはいえ、若い娘が冷たい牢獄で過ごさねばならないなんて、あまりにも酷だ。せめて家に帰してやるくらいしてやらんか。法務大臣だからと、四角四面で情がないのはいかんぞ」
「別に冷たい牢獄にはいないですよ。貴族ですし、殺人などの凶悪な犯罪を犯したわけでもありませんから、それなりの宿屋の一室のような所にいます。もちろん、兵士が扉を見張ってはいますが。
大体、仮面に何か細工をして顔を腫れさせたなんて、まったく馬鹿馬鹿しい裁判ですよ。メリザンド嬢もそれで命の危険があったわけでもなし、顔の腫れも薬を塗れば治ったとか。法院ではもっと重大な事件の裁きを下すのに大忙しなのに、迷惑な話です。もちろん、正式に訴えがあったからには、きちんと正規の順序で裁判を行い処理しますがね」
「ではリゼット嬢は冷たい牢獄にはいないし、ソンルミエール家の権勢に押されて、ろくに裁判をせずに罪人の烙印を押される心配はないのだな。お前が真面目で良かった」
ポーラック卿がひとまず引いたので、ポーラック公爵は出仕するために部屋を出た。廊下を早足で歩いていると、向うからブランシュがやってきた。
「言っておくが、リゼット嬢のことで特別に便宜を図ることは無いぞ」
と、先手を打たれてブランシュは何も言えずに父親を見送った。その後やってきた祖父から、少なくともリゼットがひどい目に遭っているわけではないと聞き、多少安心はできたものの、無実を証明する方法は未だにわからないままだった。
「もう一人頼れる人がいるじゃないか。キトリィ王女だ。王女なら何かしら法院に働きかけることができるかもしれない。そうでなくても、アンリエット様なら知恵を貸してくれるのでは」
シモンは二人を促して王宮へ向かった。
リゼットが捕まったことにキトリィは憤慨していたが、彼女を救うために王女の地位を使うのは、却って問題が生じるという。シモンの期待が外れた。
「まず、メリザンド様の顔の発疹はどんな毒によるものなのか確かめなくては。その毒をリゼット様が手に入れたという証拠がなければ、メリザンド様の主張は退けられるでしょう。証拠品として件の仮面を調べることを要請しましょう。もし要請に応じなければ、メリザンド様に後ろ暗いことがあるのではと主張できますわ」
アンリエットは期待通りにリゼットの無実を証明するための第一歩を示してくれた。シモンたちは証拠品提出申請のため、法院へむかった。
(だがどうやってリゼットの無実を証明する? カミーユまで捕まっているから、工房の人間に細工がなかったと証明させるのは無理だ。リゼットは徹夜して作業していたから、毒を塗る暇などなかったが、それを言ったらリゼット本人が作っていたと知れて、却って疑いが増すかもしれない)
考えても対策は出てこなかった。そこへブランシュがやってきた。
「リゼットに何の罪もないことは、わたくしたちが一番わかっています。無実を証明する方法を考えましょう」
しかし彼女もこれと言って具体的な方法を思いついているわけではなかった。二人より三人、三人よりは四人だと、ブランシュはいつもの仲間たちを集めようと、シモンを連れて友人たちを訪ねた。
パメラが逗留している宿屋に着いて、入り口で呼び出すと、階段を降りてきたのはパメラではなく、化粧のキツイ中年の女性だった。緑に黒いレースが重ねられたドレスを着ているが、落ち着た色とデザインのはずなのに、どこかけばけばしかった。
「娘は風邪をひいて寝込んでいます。今日はブランシュ様と一緒にまいれません」
パメラの母親だった。
「まぁ、そうですの? もしかしてリゼットが心配で寝込んでしまったのでは?」
「冗談じゃない! そのリゼットとかいう令嬢とうちの娘は無関係です。皇太子妃候補の最有力であるソンルミエール公爵令嬢の顔を腫れさせて、自分がその座に収まろうとした卑怯で油断ならない女だと、噂になっているじゃない。うちの娘まで一緒にしないで頂戴」
パメラの母親はヒステリックにギャーギャーとまくしたてた。ブランシュとシモンが思わず耳をふさいでいると、パメラが階段から降りてきた。
「お母様、リゼット様の事を悪く言うのはおよしになって。お友達が窮地に陥っているのに、知らん顔なんてできないわ」
「何を言うの! お前にまで悪評がたったらどうするつもり。もうリゼットとかかわりあいになってはいけません。早く部屋に戻りなさい」
娘の意見を無視して、母親は凄い力でパメラを階段まで押し戻し、部屋へ連れて行ってしまった。
「とんでもない母親だな」
これまで会ったことがない類の人間だった。シモンが呆けていると、ブランシュはパメラの事を案じつつ、サビーナの屋敷へむかった。
サビーナはすぐに出てきたが、その後を父親のエテスポワール伯爵が追いかけてきて、娘を止めた。
「ブランシュ嬢、この件に娘を巻き込むのはやめていただきたい。そもそもこれはリゼット嬢とメリザンド嬢の間のことであって、あなたも我が娘も関係ないことだ」
「なんて恩知らずな事を言うの、お父様。お話したでしょう最初の夜会で……」
「それとこれとは関係ない。では失礼する」
エテスポワール伯爵は強引に娘を部屋に連れ戻した。
「夜会で陥れられたことは二度と口にするなと言っただろう。蒸し返したら、却ってお前が疑われるかもしれないのだぞ。今回の事はあの時と同じような陰謀かもしれん。だからこそお前は巻き込まれないように立ちまわれ。そうでなければお前まで皇太子妃選びから脱落してしまうぞ」
「保身のために友人を見殺しにしろと? まぁ、流石は娘に頼って権勢を欲する人のお言葉ね」
「サビーナ、何という口を利くんだ。皇太子妃選びに参加させたのはお前のためでもあるんだ」
「何がわたくしのためですか。皇太子妃選びに参加していなければ、それこそ何の事件にも巻き込まれずにすんだわ」
二人の言い争いは続いていたが、ブランシュたちはとっくに屋敷の外へ出されていたの聞こえなかった。
「こうなったら、お父様にお願いするしかないわ」
ブランシュの父法務大臣である。当然法院にも顔が利く。
「流石、大貴族様だ。やはり地位と権力がものを言うのだな」
シモンも急いで馬車に乗り込み、ブランシュの屋敷へ向かった。
その法務大臣は、父親であるポーラック卿に捕まっていた。
「わかるじゃろう。リゼット嬢はそんなひどいことはしない。娘の友人が冤罪の憂き目に遭っているのに、黙って見過ごすのか」
ポーラック公爵は溜息をついて、務めて冷静に父親を諭した。
「法務大臣が娘の友人だからと罪を酌量しては示しがつかないでしょう。それに、まだ罪が確定したわけではありませんから、冤罪というのも少し違う。
なにも捕まったら即座に罪人となるわけではありません。最初の裁判の後、数日間の猶予を与え、そこで被告人には弁解するための準備をさせる。つまり次の裁判で濡れ衣だと証明できれば、リゼット嬢は晴れて釈放されます」
「だからといって、数日間とはいえ、若い娘が冷たい牢獄で過ごさねばならないなんて、あまりにも酷だ。せめて家に帰してやるくらいしてやらんか。法務大臣だからと、四角四面で情がないのはいかんぞ」
「別に冷たい牢獄にはいないですよ。貴族ですし、殺人などの凶悪な犯罪を犯したわけでもありませんから、それなりの宿屋の一室のような所にいます。もちろん、兵士が扉を見張ってはいますが。
大体、仮面に何か細工をして顔を腫れさせたなんて、まったく馬鹿馬鹿しい裁判ですよ。メリザンド嬢もそれで命の危険があったわけでもなし、顔の腫れも薬を塗れば治ったとか。法院ではもっと重大な事件の裁きを下すのに大忙しなのに、迷惑な話です。もちろん、正式に訴えがあったからには、きちんと正規の順序で裁判を行い処理しますがね」
「ではリゼット嬢は冷たい牢獄にはいないし、ソンルミエール家の権勢に押されて、ろくに裁判をせずに罪人の烙印を押される心配はないのだな。お前が真面目で良かった」
ポーラック卿がひとまず引いたので、ポーラック公爵は出仕するために部屋を出た。廊下を早足で歩いていると、向うからブランシュがやってきた。
「言っておくが、リゼット嬢のことで特別に便宜を図ることは無いぞ」
と、先手を打たれてブランシュは何も言えずに父親を見送った。その後やってきた祖父から、少なくともリゼットがひどい目に遭っているわけではないと聞き、多少安心はできたものの、無実を証明する方法は未だにわからないままだった。
「もう一人頼れる人がいるじゃないか。キトリィ王女だ。王女なら何かしら法院に働きかけることができるかもしれない。そうでなくても、アンリエット様なら知恵を貸してくれるのでは」
シモンは二人を促して王宮へ向かった。
リゼットが捕まったことにキトリィは憤慨していたが、彼女を救うために王女の地位を使うのは、却って問題が生じるという。シモンの期待が外れた。
「まず、メリザンド様の顔の発疹はどんな毒によるものなのか確かめなくては。その毒をリゼット様が手に入れたという証拠がなければ、メリザンド様の主張は退けられるでしょう。証拠品として件の仮面を調べることを要請しましょう。もし要請に応じなければ、メリザンド様に後ろ暗いことがあるのではと主張できますわ」
アンリエットは期待通りにリゼットの無実を証明するための第一歩を示してくれた。シモンたちは証拠品提出申請のため、法院へむかった。