第十一章 番狂わせのからくり 第六話
文字数 2,968文字
リアーヌは屋敷の客間で茶菓子を置いたテーブルを挟み、ローズと対面していた。感想文差し替えの企みで彼女を生贄にしたことについては、もう散々口喧嘩を済ませていたし、二人とも関心は最後の舞踏会の番狂わせに移っていたので、罵り合うでもなく穏やかに会話していた。
「それにしてもおかしいですわ」
ローズはティーカップを睨んで言った。
「だって、殿下が男色家だったとして、お側にセブラン様のような色男がいて、食指を動かさないわけがないと思いませんこと? でもあのお二人には、そんな噂とんと聞きませんわ」
「それは、お兄様が女性たちを侍らせていたから、噂の立ちようがなかったし、そもそも殿下も最初から諦めていたということで、説明がつきますわ。お兄様は、まったくそういう気のないお方ですし」
「でも不自然ですわ。セブラン様以外にも、見目のいい若い殿方はいます。特に近衛隊なんて宝庫じゃございませんの。でも殿下は誰とも噂になったことはない」
「まさか、殿下の男色は嘘だとおっしゃりたいの? それなら皇帝皇后両陛下が躍起になって治療をするはずはございません。だいたい、何のための嘘なのか。考えすぎですわ」
リアーヌに鼻で笑われても、ローズの中に生まれた疑惑は消えなかった。
「舞踏会ではリゼットの泣きっ面を拝めて胸がスッとしましたけど、結局妃選びは全てご破算で、皇太子妃の座は空いたまま。まだあきらめるには早いということですわ。この番狂わせ、何か裏があるはず。そして絶対にリゼットが絡んでいるに違いありません。探ってみる価値はありそうですわ」
「まぁ、探りたいならどうぞご勝手に。確証のない憶測で動いて共倒れなんてご免ですもの。それに、男色家の皇太子殿下なんて、頼まれたって嫁ぎたくないですわ。それだったら、他の名門のご子息の方がましです」
家の方針もあいまって、リアーヌはもはや皇太子妃への興味が失せていた。助力が望めなそうにないので、ローズは一人でリゼットを探る算段をつけた。
そのリゼットは馬車に揺られていた。都から南へ伸びる街道をゆき、とある農村を目指す。
「まったく、なんでお前が従者を連れ戻しにそいつの故郷へ行くんだ」
対面に座ったシモンは、まだ失望と呆れと怒りが収まらず、頭を掻きむしった。
リゼットはセブランに、ユーグの行き先に心当たりはないかと訊ねた。反対に、知ってどうするのかと問われ、こう返した。
「会いたいのです。とにかく会って、それで可能であれば殿下のところへ戻ってきてほしいのです」
「馬鹿な! そんなことをしたら、皇太子はますます皇太子妃を選ぶのを拒絶するぞ。どうしてお前は恋敵を利するようなことをするんだ。何で自ら幸せを打ち捨てようとするんだ」
ユーグがルシアンを愛しているということを知っているのは、ノエルとシモンとリゼットだけだったので、他の者は全く話についてゆけず、目を白黒させていた。
「お兄様、殿下のお心はわたくしにないの。殿下の相手が誰であろうと、その二人が両想いなのだったら、片思いのわたくしは諦めるのが筋でしょう。それが恋愛の作法だと思うわ。それにノエルの言う通り、無理やりお妃になっても、わたくしが辛いだけなんだわ。だから、もう皇太子妃にはならなくていいわ」
「だとしても、わざわざ会いに行く必要なんてないだろう。諦めたならあの二人のことなど放っておけばいい」
「それは無理よ。だってここまで首を突っ込んでしまったんだもの。あとは知らんぷりなんてできないわ」
「このお人好しめ!」
セブランはルシアンからユーグを探して欲しいと持ち掛けられていた。彼がルシアンから聞き出した情報によれば、彼が身を落ち着けられる場所は故郷以外には思い当たらないとのことだった。それでリゼットは納得していないシモンを連れて、急遽ユーグの故郷へと向かったのだ。
「お嬢様、確かに無理にお妃になる必要はないと申し上げましたが、お嬢様の不幸を望んでいるわけではありませんよ」
隣に座ったノエルは後ろめたい気持ちもあるのか、窓の外ばかり見ているリゼットに言った。リゼットは景色から目を離さずに答えた。
「誰に言われたからするのではないわ。わたくし自身がそうしたいと思ったの」
馬車は二日目に目的の村に到着した。川辺の小規模なな農村で、小さな宿屋と酒場を除いて、他は全て民家だった。村の中心を小川が突っ切っていて、数か所に木造の橋がかかっている。河の左側は軒並み畑をやっているようで、村の周りは殆ど農地だった。反対側には牛や羊が放牧されているので、右側は畜産業となっているようだ。
これほど小さな村ならすぐに見つかるだろうと、リゼットは通りかかった農夫を呼び止めた。
「もし、おたずねしますが、この村にユーグという若者はおりませんか? つい最近都から戻ってきたはずなのですけれど」
「そんな若い男は知りません」
続けて二、三人に訊ねてみたが、皆知らないと首を振る。
「おかしいですね。もしかして、故郷に戻っていないのでしょうか?」
ノエルが首をかしげる。とにかくここまで来たのだからもう少し探してみるべきだと、リゼットたちはまず河の左側を探した。だが見つからなかった。
そこで、河の右側へ行ってみることにした。河の方へ向かうと、木造の橋の上を、赤いスカーフを頭に巻いたひょろっと背の高い娘が、卵がいっぱい入った籠をもってこちらへ歩いてきた。そしてリゼットたちを見ると、急に踵を返して戻っていった。
「ねぇ、あの人、わたくしたちを避けたようではなかった?」
「そうか? 用事でも思い出したんだろう。それかよそ者が珍しくて怖くなったか」
二人は大して気に留めていないようだったが、リゼットは無性に気になって、早足で娘を追い、橋を渡った。
娘は橋の側の民家の陰で、籠を地面におろして一息ついているようだった。リゼットは後ろから近付いて、声をかけた。
「もし、お訊ねしますが……」
娘はびくっと振り向いた。目が合った瞬間リゼットは息をのんだ。服装は村娘そのものだったが、その顔は紛れもなくユーグだったからだ。
彼女は籠を打ち捨てて走り出した。リゼットは一呼吸遅れてから慌てて後を追いかけた。
「お兄様、あの娘さんがユーグよ!」
忘れずに後ろに向かって叫ぶと、シモンとのエルが何やら言葉を交わしているのが聞こえた。リゼットはスカートをしっかり持ちあげてユーグの後を追った。しかし相手は身軽なので、どんどん引き離されてしまう。村はずれの鶏小屋のあたりまできて、また見失ってしまった。
(こんな小さな村で見失うなんて、かくれんぼしてるみたいだわ)
シモンもノエルも追いついてきた。このあたりで姿を消したなら、近くに隠れているかもしれない。そう話す間にも、シモンはじっとリゼットの後ろの鶏小屋を睨んでいた。そして足音を殺して近づき、素早く扉を開けた。
するとユーグがそこにいた。鶏たちが小屋の中でばたばた騒ぐも構わず、シモンはその手頸を掴んで無理やり小屋から引きずり出した。
「隠れられる場所なんてそこしかないだろう。おまけにさっき卵を持っていたしな」
「名推理ですね、シモン様」
ノエルのヨイショはおいておいて、リゼットは捕まった娘をまじまじと見つめた。ユーグはきまり悪そうにリゼットの視線から逃れた。
「それにしてもおかしいですわ」
ローズはティーカップを睨んで言った。
「だって、殿下が男色家だったとして、お側にセブラン様のような色男がいて、食指を動かさないわけがないと思いませんこと? でもあのお二人には、そんな噂とんと聞きませんわ」
「それは、お兄様が女性たちを侍らせていたから、噂の立ちようがなかったし、そもそも殿下も最初から諦めていたということで、説明がつきますわ。お兄様は、まったくそういう気のないお方ですし」
「でも不自然ですわ。セブラン様以外にも、見目のいい若い殿方はいます。特に近衛隊なんて宝庫じゃございませんの。でも殿下は誰とも噂になったことはない」
「まさか、殿下の男色は嘘だとおっしゃりたいの? それなら皇帝皇后両陛下が躍起になって治療をするはずはございません。だいたい、何のための嘘なのか。考えすぎですわ」
リアーヌに鼻で笑われても、ローズの中に生まれた疑惑は消えなかった。
「舞踏会ではリゼットの泣きっ面を拝めて胸がスッとしましたけど、結局妃選びは全てご破算で、皇太子妃の座は空いたまま。まだあきらめるには早いということですわ。この番狂わせ、何か裏があるはず。そして絶対にリゼットが絡んでいるに違いありません。探ってみる価値はありそうですわ」
「まぁ、探りたいならどうぞご勝手に。確証のない憶測で動いて共倒れなんてご免ですもの。それに、男色家の皇太子殿下なんて、頼まれたって嫁ぎたくないですわ。それだったら、他の名門のご子息の方がましです」
家の方針もあいまって、リアーヌはもはや皇太子妃への興味が失せていた。助力が望めなそうにないので、ローズは一人でリゼットを探る算段をつけた。
そのリゼットは馬車に揺られていた。都から南へ伸びる街道をゆき、とある農村を目指す。
「まったく、なんでお前が従者を連れ戻しにそいつの故郷へ行くんだ」
対面に座ったシモンは、まだ失望と呆れと怒りが収まらず、頭を掻きむしった。
リゼットはセブランに、ユーグの行き先に心当たりはないかと訊ねた。反対に、知ってどうするのかと問われ、こう返した。
「会いたいのです。とにかく会って、それで可能であれば殿下のところへ戻ってきてほしいのです」
「馬鹿な! そんなことをしたら、皇太子はますます皇太子妃を選ぶのを拒絶するぞ。どうしてお前は恋敵を利するようなことをするんだ。何で自ら幸せを打ち捨てようとするんだ」
ユーグがルシアンを愛しているということを知っているのは、ノエルとシモンとリゼットだけだったので、他の者は全く話についてゆけず、目を白黒させていた。
「お兄様、殿下のお心はわたくしにないの。殿下の相手が誰であろうと、その二人が両想いなのだったら、片思いのわたくしは諦めるのが筋でしょう。それが恋愛の作法だと思うわ。それにノエルの言う通り、無理やりお妃になっても、わたくしが辛いだけなんだわ。だから、もう皇太子妃にはならなくていいわ」
「だとしても、わざわざ会いに行く必要なんてないだろう。諦めたならあの二人のことなど放っておけばいい」
「それは無理よ。だってここまで首を突っ込んでしまったんだもの。あとは知らんぷりなんてできないわ」
「このお人好しめ!」
セブランはルシアンからユーグを探して欲しいと持ち掛けられていた。彼がルシアンから聞き出した情報によれば、彼が身を落ち着けられる場所は故郷以外には思い当たらないとのことだった。それでリゼットは納得していないシモンを連れて、急遽ユーグの故郷へと向かったのだ。
「お嬢様、確かに無理にお妃になる必要はないと申し上げましたが、お嬢様の不幸を望んでいるわけではありませんよ」
隣に座ったノエルは後ろめたい気持ちもあるのか、窓の外ばかり見ているリゼットに言った。リゼットは景色から目を離さずに答えた。
「誰に言われたからするのではないわ。わたくし自身がそうしたいと思ったの」
馬車は二日目に目的の村に到着した。川辺の小規模なな農村で、小さな宿屋と酒場を除いて、他は全て民家だった。村の中心を小川が突っ切っていて、数か所に木造の橋がかかっている。河の左側は軒並み畑をやっているようで、村の周りは殆ど農地だった。反対側には牛や羊が放牧されているので、右側は畜産業となっているようだ。
これほど小さな村ならすぐに見つかるだろうと、リゼットは通りかかった農夫を呼び止めた。
「もし、おたずねしますが、この村にユーグという若者はおりませんか? つい最近都から戻ってきたはずなのですけれど」
「そんな若い男は知りません」
続けて二、三人に訊ねてみたが、皆知らないと首を振る。
「おかしいですね。もしかして、故郷に戻っていないのでしょうか?」
ノエルが首をかしげる。とにかくここまで来たのだからもう少し探してみるべきだと、リゼットたちはまず河の左側を探した。だが見つからなかった。
そこで、河の右側へ行ってみることにした。河の方へ向かうと、木造の橋の上を、赤いスカーフを頭に巻いたひょろっと背の高い娘が、卵がいっぱい入った籠をもってこちらへ歩いてきた。そしてリゼットたちを見ると、急に踵を返して戻っていった。
「ねぇ、あの人、わたくしたちを避けたようではなかった?」
「そうか? 用事でも思い出したんだろう。それかよそ者が珍しくて怖くなったか」
二人は大して気に留めていないようだったが、リゼットは無性に気になって、早足で娘を追い、橋を渡った。
娘は橋の側の民家の陰で、籠を地面におろして一息ついているようだった。リゼットは後ろから近付いて、声をかけた。
「もし、お訊ねしますが……」
娘はびくっと振り向いた。目が合った瞬間リゼットは息をのんだ。服装は村娘そのものだったが、その顔は紛れもなくユーグだったからだ。
彼女は籠を打ち捨てて走り出した。リゼットは一呼吸遅れてから慌てて後を追いかけた。
「お兄様、あの娘さんがユーグよ!」
忘れずに後ろに向かって叫ぶと、シモンとのエルが何やら言葉を交わしているのが聞こえた。リゼットはスカートをしっかり持ちあげてユーグの後を追った。しかし相手は身軽なので、どんどん引き離されてしまう。村はずれの鶏小屋のあたりまできて、また見失ってしまった。
(こんな小さな村で見失うなんて、かくれんぼしてるみたいだわ)
シモンもノエルも追いついてきた。このあたりで姿を消したなら、近くに隠れているかもしれない。そう話す間にも、シモンはじっとリゼットの後ろの鶏小屋を睨んでいた。そして足音を殺して近づき、素早く扉を開けた。
するとユーグがそこにいた。鶏たちが小屋の中でばたばた騒ぐも構わず、シモンはその手頸を掴んで無理やり小屋から引きずり出した。
「隠れられる場所なんてそこしかないだろう。おまけにさっき卵を持っていたしな」
「名推理ですね、シモン様」
ノエルのヨイショはおいておいて、リゼットは捕まった娘をまじまじと見つめた。ユーグはきまり悪そうにリゼットの視線から逃れた。