第11章 – 2月某日(10)

文字数 887文字

 2月某日(10)



 今から、あなたの部屋に行ってきます。

 何にも起きないでくれればいいと思う気持ちと、

 記憶を取り戻して欲しいという気持ちとが、

 やっぱり、半々となっているわたしです。

 そろそろ、12時を回ってしまう。

 それじゃあ、何かがあったとしても、

 最後はにっこり笑える結末で、ありますように……。

               
              *


 そこで佐和子の日記は終わっていた。

 彼はもう何回読み返したか分からないその日記を、

 佐和子の病室で読んでいる。

 さっきまで唯と武も一緒だったのだ。

 しかし既にふたりはいなくなっており、

 病室には静かな時間が戻っていた。

 ――いずれ近いうちに、自分はこの世からいなくなる。

 訪れるその瞬間が多少伸びたとしても、

 2年や3年ということにはならないだろう。

 しかしそれでも、きっと1年くらいは、

 生き延びられそうに感じていた。

 それは薫だった佐和子のお陰なのか、

 ここ数日も、胃の痛みをまるで感じていなかった。

 だがいずれは、今一度病院で、

 精密検査を受けねばならなくなるだろう……。

 ――その時は、あの医者に頼むとするか?

 そんなことを思い、その時が訪れるまでは、

 できるだけ佐和子の傍にいよう……、

 そして成城の家でふたり、平穏な最期の時間を過ごすのだと、

 彼は心に強くそう思うのであった。

「それでいいよね……佐和子」

 そんな風に尋ねる順一に、

 佐和子は不安そうな頷きで応えていたのである。

「とにかく、貴女が記憶を取り戻せるように、ゆっくり一緒にやっていこうと
 思ってる。これまでの僕たちは、それほどいい夫婦じゃなかったんだ。僕ら
 は20年以上一緒に暮らしてきたのに、ろくに努力もしないで、お互いのこ
 とをちゃんと知ろうとしてこなかった。でも、だからこそきっと、これから
 はお互いのいいところを、たくさん知ることができると思う。少なくとも僕
 たちは今、お互いを嫌いではないしね……」
 
 ――お互いを嫌いではない……。
 
 少なくとも今ある順一と、薫を演じていた頃の彼女は、

 決して、お互いを嫌ってなどいなかった。
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