第4章 – 現れた女(2)

文字数 1,347文字

 現れた女(2)



「ちょっと今日、わたしひとりしかいなくて、手一杯なんです、ごめんなさ
 い!」

 そう言えば分かるだろうと、素直に彼は思っていたのだ。

 さらなる説明がなくても、

 普通なら察してくれるはずだと思っていた。

 しかし結果的に、彼女は閉店までい続ける。

 彼女のそんな行動に、最終的には飯島も感謝することになる。

 だからさんざん感謝の意を述べてから、

 女性の申し出に対して彼は答えた。

「いくら料理が売りだと言っても、やっぱり、スナックであることに変わりは
 ないんです。客あしらいも大事ですし、時には助平なオヤジだってやって来
 るわけですから……」

 飯島はそう言って、チラッと腕時計へと目をやる。
 
 既に閉店して30分が経過しようとしていた。

「とにかく今夜はもう遅いですから、あの……ご自宅はこの辺なんですか?」

 そう告げる相手は終始不安げな顔つきで、さっきまで見せていた、

 毅然とした雰囲気とはまるで別人。
 
 しかしそれでも必死の目を向け、彼女は飯島へと声にする。

「いえ、今はまだ近くのホテル住まいなんです。でも、本当に大丈夫ですか
 ら、だてに何十年も生きていませんし、それに、おっしゃってくださったよ
 うな身分でもありませんから……」

 いいところのお嬢さんが、

 そのまま大人になって勤めるようなところじゃない。

 彼女の言う身分とは、

 さっき飯島がこう続けていたことからきているのだった。

 その女性は佐久間薫といい、

 張られた募集の張り紙を見て入って来たのであった。
 
 歳は45歳で、なんと調理師免許も持っていると言う。
 
 ならばなぜ、厳しいことを言うのかといえば、

 ここ数時間、飯島が彼女を見ていたうえでの結論だった。

「あなたはいいですよ、そんなことしなくても!」
 
 突然、帰った客の皿やらなんやらを片付け出した薫に、

 飯島は慌ててそう告げていたのだ。
 
 しかしその時、薫は少しだけ呆れるような顔を見せ、

「大丈夫ですから……今はご自分のお仕事をちゃっちゃと終わらせてくださ
 い」

 などと返したのだった。

 そしてカクテルの注文に追われている飯島に、さらに続けて言うのである。

「簡単なものなら作れます。ただ、お出しする量とか、こだわりの味なんての
 は、もちろん分かりませんけど」
 
 こんな言葉に飯島は、藁にもすがる思いで、

 不思議なほど素直に任せてしまうのだった。

 基本ひとりになってからは、火を通すような料理は全て断っていた。

 しかし 冷凍庫を覗けば、それなりの材料はふんだんに揃っているのだ。
 
 だからソファに腰掛けるなり、

「つまみはなんでもいいから、適当にこしらえてよ」

 と、大声を上げた数人の客に、薫は次々に料理を作っていった。

 それはコーンバターや鶏のから揚げなど、

 飯島でも作れる簡単なものばかりではあった。

 しかし初めての厨房で、どこに何があるのかさえ分からないなか、

 短時間で作り上げるのはそれなりの経験が必要なはずだ。

 そして客が帰ったあとのテーブルには、

 まさに舐め尽くしたような皿だけが残っている。

 であれば少なくとも料理の方は、合格点をつけても良さそうだった。

 しかし、何度か見かけた彼女の態度には、

 そんな合格点など消し去るほどの、致命的なものが含まれていたのである。
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