第7章 – 土砂降り 〜 2010年 3月末(18)

文字数 1,296文字

 2010年 3月末(18)



「父さん……大丈夫……?」

 それが誰の声なのか、初めは、まるで分からなかった。

「……ここ、は……?」

 なんとか、そう声にしながら、ゆっくりと目を開けようとする。

 しかし、思うように瞼が持ち上がらなかった。

 微かに光を感じて、朝になっていることだけを知る。

「ここ、病院だから安心して……だから、無理に目を開けない方がいいよ。も
 し鏡なんて見たら、父さん、卒倒しちゃうって……」

 たけし......なのか? 

 やっとそんな確信を得て、彼は右目を少しだけ開けることができた。
 
 すると順一の寝ている姿を、

 武が真剣な顔つきで見下ろしているのが見える。

 順一は知らぬ間に、唯と同じ病院へ担ぎ込まれていた。

 意識が朦朧とするなか、聞こえていたサイレンは、

 彼のいる場所目がけて響かせていたらしい。

「姉ちゃんのスマートフォンに、あいつらからメッセージが入ったんだ。きっ
 と、殺人犯にはなりたくなかったんだよ。父さんを寝かせたって場所を知ら
 せてきて、急いで救急車を呼べってさ……」
 
 そして武は、指示された場所へと救急車を向かわせ、
 
 義父の病院へと搬送させていたのである。

 もともとは彼らも、ここまで痛めつける気ではなかったのだろう。

 しかし順一が気味の悪いほどの粘りを見せ、
 
 思わずのことになってしまった......に、違いない。

 もし、順一が死ぬようなことにでもなれば、

 彼らもただでは済まないに決まっていた。

 警察に追われるのはもちろんだが、

 どうせバックには、それなりの組織が存在しているのだ。

 だから事の成り行き次第では、彼らにとっても順一同様、

 命に関わるようなことなのかも知れない。

 武の説明によれば、順一は見た目ほど重篤な状態ではなく、

 二週間も安静にしていれば、恐らくは退院できるだろうということだった。

 骨の何本かは確実に折れ曲がり、

 いくつか内臓が潰れたくらいに思っていた彼は、

 意外とタフな自分に驚いていたのである。

「警察には届けないって返しといたよ……いいよね? 姉ちゃんのこともある
 し」

「構わん、さ……もちろん、だ」
 
 たったこれだけ返すのに、顎の骨がギシギシと痛んだ。

「さっきまで、母さん来てたんだ……でもじいさん一緒だったから、さっさと
 連れて帰っちゃったよ」
 
 相変わらず嫌なジジイだと、武は笑ってそう続けた。

 見舞いに訪れていた佐和子は偶然、

 看護師の会話を耳にしてしまっていたのだそうだ。

「ハーフだったってね、流れちゃった赤ちゃん……あれって高校生でしょ? 
 あんな可愛らしい顔して、ホント今時の娘って怖いわよね!」
 
 そんなことを話す看護師は、きっと佐和子を、

 唯の母親などと微塵も思わなかったに違いない。

 そこは通常であれば、即ち、あえて医師に呼ばれでもしない限り、
 
 病院関係者しか訪れない場所だった。

 病院に勤める医師たちの部屋や、
 
 リラックスルームなどがその通路には並んでいたのである。

 しかし、なぜか佐和子はそこを訪れた。

 そして会話をしながら歩く看護師ふたりへ、

 いきなり声を荒らげ、大騒ぎを繰り広げていたのだった。
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