第10章 – 認 知(4)

文字数 1,040文字

 認 知(4)



 飯島正行――いいじま まさゆき。
 飯山雅之――いいやま まさゆき。

 
 飯山……それは唯の担当医師であり、

 佐和子の手術を執刀した外科医の名であった。

 それだけ頭にこびりついていた、ということか……? 

 妻だった女の浮気相手、そんな男に怒りひとつぶつけることなく、

 自分は記憶を失ってしまった。

 そしてあろうことか、そんな男にそっくりな名前を、

 自ら付けていたというのであろうか?

 そんな湧き出る想像に、彼は己を呪いたいような気分になる。

 しかし一方で、もう何がどうあろうと、

 すべては終わったことなんだ……と、

 賢明なる冷めた声も聞こえてくるのだ。

 そうして声があらゆる感情を上回った時、彼はやっとの思いで、

 扉を開けるべく鍵を差し入れることができるのだった。

 ちょうど同じ頃、東京のど真ん中で、唯がひとり物思いに耽っていた。

 ホームで父親を見送った唯と武は、

 その後、久しぶりに昼食を共にしたのだ。

 そしてついさっき別れたばかりで、武はそそくさと寮へと帰っていった。

 しかし唯がそのまま仕事へと向かうには、

 まだ少しばかり早過ぎる時間だった。

 だから彼女は喫茶店に入って、余った時間を心静かに過ごそうとする。

 すぐに彼女は、その考えが失敗であったことを痛感するのだ。

 いくら追い払っても、

 脳裏に過去の記憶がまざまざと蘇ってしまう。

 それらはなぜか、入院していた頃の母親のことばかり。

 あの時、彼女が何を考え、どんな気持ちであったのか、

 そんなことばかりが、脳裏から一向に、離れいこうとしないのだった。


                *


「手術したのって、飯山先生だよ、知ってた? お母さん……」

 唯は佐和子を見ないまま、窓からの景色を見つめてそんなことを言った。

 その日は久しぶりに、姉弟連れ立って母親の病室を見舞っていたのだ。

 手術から3日後に目を覚ました佐和子は、ふたりの期待通り、

 順一のことについては一切触れなかった。

 そしてきっと、武彦が病院に手を回し、

 内密のこととなるよう指示したのであろう。

 警察などからの接触も一切なく、

 武が言い出していた自殺未遂であるという嘘は、

 そのまま本当のこととなりつつあった。

 そして2週間ほど経った頃からやっと、佐和子はベッドから起き上がり、

 たまに笑顔を見せるようになる。

 やがて手術からひと月という頃、まもなく退院となる日のことだった。

 唯が、手術をした医師の名を告げた途端、

 佐和子がいきなり問いかけてきた。
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