第11章 – 2月某日(3)

文字数 839文字

 2月某日(3)



 ――静岡に行ったんだ……あの時……。

 佐和子の見つめる先に、少しだけおかしくなったと分かる玲子と、

 その隣で微笑む順一が並び写っている。

 そしてそこには、「ようこそ静岡」という看板が、

 妙に目立って写し出されているのだった。

 完全におかしくなる前に、どこか旅行に連れていきたいと、

 順一は結婚前言っていたのだ。

「お袋の実家ってすぐ目の前が海でさ、田舎だけど凄くいいところなんだ……
 一度家族みんなで行ってみないか?」

 子供たちがまだ小さい頃、

 そんな言葉を何度となく、順一は佐和子に投げかけていた。

 ――だけどわたしは、そんな彼の言葉に……耳さえ傾けなかった……。

 もしかすると彼は今、玲子の生まれ故郷にいるのかも知れない。

 ふと、そんなことを思いついた途端、目の前の光景が揺らぎ始める。

「あなた……」

 ふと声になった言葉と共に、思わず涙が溢れ出た。

 本人の意思とはまるで関係なく、

 それはしばらくの間、彼女の頬を伝い続けるのであった。

 それから2日後、佐和子はしばらくぶりに唯と会った。

 残された家をどうすべきか、彼女と相談するためにだ。

「売るのは止めようよ。もしもさ、お父さんが帰ってきたら、絶対に悲しむっ
 て……」
 
 そんな唯の言葉に、佐和子は家を人に貸すことに決める。

「でさ……お母さんはどこに住むの? やっぱり、成城の家?」

「しばらく旅行でもしながら考えるわ……メール入れるから、あなたもたまに
 は連絡ちょうだいね」
 
 そんな言葉で別れたふたりは、

 それからほぼ1年後、病院での再会を果たすこととなる。
 
 佐和子は唯と別れたその足で、新幹線で静岡へと向かった。

 しかし義母の実家の住所さえ知らないのだ。

 考えてみれば、義母のことで知っていることなど、

 彼女にはまるでないままであった。

 それでも静岡の街は、彼女をすぐに目的の場所へと導いてくれる。

 いくつかの写真を見せただけで、玲子の生まれ故郷と思しき街の名を、

 彼女は教えてもらえていたのであった。
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