第1章 - 喪 失(4)

文字数 1,454文字

 喪 失(4)



「この店なんだ……どう? なかなかいい感じだろう?」

 前田が相変わらず、自信たっぷりの言い回しでそんなことを言った。

 いきなり外車と共に現れた前田は、飯島が何も返せないでいる間、

 まるでなだれのように話し続けていたのだ。

 八木から聞いてもらった話は、店のことを考えての辛い決断だった、

 そして......

「店の連中にもさんざん言われちまってさ……でも、一応、食いもん扱ってる
 わけだからよ」

 だから仕方がなかった......許して欲しいと頭を下げる。

「でな、あんた器用だし、きっと向いてると思ってさ……どうだい?」

 そう言われて一緒にやってきたのが、

 彼が長年やっている、かなり大き目のスナックであった。

 そこで、長い間カウンターを仕切っていた男が、

 急に辞めたいと言い出したと、前田は言った。

「大丈夫だって、覚えるまで俺が一緒にやったっていいし、それにママだって
 やれないことはないんだぜ、だから安心しなって!」

 もともと女と始めたスナックで、前田が簡単な料理や飲み物を作り、

 女が客の相手をする、

 そんな店もちょっと前までは、結構繁盛していたのであった。 

 ところが前田だけでなく、女も毎年、確実に歳を取っていく。
 
 それに抗おうと、女はどんどん肌の露出を増やしていったが、

 客足は思うように戻ってはいかないのだった。

「だからまあ、暇なわけよ。で、あんまりこっちも、大した金額は出せないん
 だけどさ」

 少なくとも弁当屋よりは高い賃金を約束すると言って、

 前田は飯島の返事など聞かずに出て行ってしまった。

「美穂子って言うんだ……あと30分もすればやってくるし、事情は全部話し
 てあるから安心しろって!」

 飯島の頭に、そんな前田の残した言葉が、

 何度も何度も蘇っては消えていった。

 ――スナックのカウンター。
   果たしてそんな職が自分に勤まるのだろうか?  

 とにかく記憶のない自分には、到底判断のつかないことなのだ。

 だから彼はすぐに考えることを諦め、

 薄暗いスナックの中をゆっくりと眺めていった。

 すると、目が慣れていないせいもあるのだろうが、

 店の中が異様に暗いことに気がつく。
 
 彼は照明のスイッチを探し当て、

 並んでいるものをひとつずつ捻り、確認していく。

 するといくつもの装飾電球が、意図的に外されているようなのだ。

 もちろん、蛍光灯まで全部点けてしまえば、店内は普通に明るくはなる。

 しかしそんなことをしては、

 スナックとは思えない空間になってしまうに違いない。

 経費節減か――そんな言葉だけは浮かんでくると、

 飯島は苦笑しながらソファへと腰を下ろす。

 すると小さくギィという音がして、ソファが軽く軋んだ。
 
 内装は木彫を基本とした上品な作りであるが、

 いかんせんソファが真っ赤で、どこかの安キャバレーを連想させてしまう。

 その赤黒くなりつつある革にも、

 細かなひび割れがあちこちに入っているのだ。

 カウンター18席に、テーブル席が6つ。

 無理すれば、50人以上入れる広さだった。

 いくら地方都市とはいえ、

 賃貸であるならばそこそこの家賃を払わねばなるまい。

 これじゃあ厳しいな――そんなことを飯島が思っている時、

 突然聞き覚えのない声が店内に響いた。

「あら! 結構いい男じゃない? あなたが飯島さんね……」

 扉の閉まる音と共にそんな声が聞こえ、飯島は慌てて顔を上げる。

 すると暗いせいなのか、聞いていた年齢より若く見える美穂子が、

 胸の谷間をチラつかせて立っているのであった。
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