第10章 – 認 知(10)

文字数 763文字

 認 知(10)
 


 ――どうしてこんなことをしたの!?

 そんな疑問の声に武彦は、意外にもしっかりとした口調で答えるのだった。

「分かりきったことを……もういらないからだ!」

「それにしたって、家中散らかさなくたっていいじゃない。いらないなら業者
 でもなんでも呼べば、ちゃんときれいにやってくれるわよ」
 
 きっと高価であるに違いない飾り棚の置物や、

 佐和子が値段など知りようもない絵画など、

 全てが武彦の餌食となっていた。

 それらはみんな床に散らばり、足の踏み場にも困るほどだ。

 けれど不思議なことに、佐和子と話す武彦は、

 何もおかしい感じがしない。

 それどころか、彼は以前同様、重々しい威厳と共にいたのである。

 しかし彼はやはり、すでに常人ではなかった。

 佐和子がちょっと外出した際、武彦は同じことを繰り返そうとする。

 重厚な食器棚を、ひとり庭へと引きずり出そうとしたのだ。

 しかし何かに躓き、倒れ込んだ武彦の足元へと、

 その食器棚がまさに襲いかかっていた。

「それでおじいちゃん歩けなくなっちゃって、結局、施設に行くことになった
 んだ。でも最初は大変だったみたい。わたしは1回行っただけなんだけど、
 お母さんはしょっちゅう呼び出されてた。まあ、おじいちゃんの性格じゃ、
 そうなっちゃうよね……」
 
 二度ほど、施設を移る羽目になり、

 次第に武彦も大人しくなっていったのだと言う。

「きっとおじいちゃんはおじいちゃんなりに、おばあちゃんがいなくて寂しか
 ったんだろうね」
 
 そしてその後、坂を転げ落ちるように記憶を失っていく祖父のことを、

 唯はそう言って、遠い目を見せていたのであった。

 ――忘れたかったのかも知れない。

 妻を亡くしたという現実を、

 心のどこかで忘れようとしていたのかも知れないと、

 順一はそんな風にも思うのであった。
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