第4章 – 現れた女(9)

文字数 1,056文字

 現れた女(9)
 


 それから、救急車を呼ぶという由香を制止し、

 痛みが治まるのをじっと待った。

 結局、飯島が立ち上がることができたのは、

 日が上がり始めてからのことになる。

 彼は酔った勢いで由香の家に上がり込み、

 トランクス一丁で眠ってしまっていた。
 
 そしてその隣には、やはり下着姿の由香がいたのである。

 飯島はそれから、その足で病院へ向かうと約束し、

 弁当屋へ出勤する由香とは駅で別れた。
 
 駅までの道すがら、彼は何度も尋ねようと思いながらも、

 結果、昨夜のことを聞けぬままであった。

 血で真っ赤に染め上がった蒲団は、由香のベッドの隣に敷かれており、

 そこにふたりで並び寝ていたのだ。

 どうして? 何かあったのか?――そんなことを口にするだけで、

 第三者が聞いていれば、大笑いをするに違いない。

 兎にも角にも検査結果は、ここ数日のうちにも出るということだった。

 そしてそんな結果が、

 けっして芳しいものではないことを飯島は重々承知していた。

 弁当屋で血を吐いた時から、なぜこの土地で記憶を失い倒れていたのか、

 なんとなく知り得た気がしていたのである。

 ――きっと……助かるような病気ではない。
 
 だから気の弱い自分は、自業自縛となってしまった。

 恐らくは、何かがあったのだ。

 それは自ら望んだものなのか?

 どちらにせよその何かとは、きっと記憶を失うほどの衝撃だったのだろう。

 そんなさまざまな思いを紐解きながら、

 飯島はひとり開店準備を進めていた。
 
 そして開店まで30分を切った頃、いきなり由香が現れるのだ。

「もう……仕事早退して来ちゃいました!」

 スナックの扉を開けるなり、

 由香がそう言って飯島の元へと駆け寄って来る。

「検査……どうだったんですか?」

 その声は微妙に震えるように響き、

 視線はカウンター越しの飯島へと向けられる。

 由香は以前から言っていたのだ。

 ここのところすっかり痩せたように見える彼には、

 きっとどこか悪いところがあるに違いないと。

 ゆえに本当であれば、「大丈夫だよ」、と声にできれば一番だ。

 けれど飯島はこの時、もう由香に嘘をつくことができなかった。

 だからといって、自分は治らないのだとも告げられない。

 だから彼はその時点で、確実に見込めることだけを言葉にするのであった。

「2、3日で結果が出るから……そうしたら、真っ先に由香ちゃんに知らせる
 よ」

 そう言って、彼なりに最高の笑顔を由香へと向けたのである。
 
 飯島のそんな顔つきに、

 由香は少しだけホッとした顔を見せるのだった。
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