第9章 – 覚醒

文字数 957文字

 覚醒



 ここは……いったいどこだ? 

 押し潰されそうな不安と共に、

 彼は懸命に思い出そうとしていたのだ。

 ――僕は、ここで何をして……?

 物凄い頭痛で目覚めていた彼は、まずは最初、そんなことを思っていた。

 そして身体を起こそうと、半身の体勢となった蒲団の中に、

 女の剥き出しの背中が目に飛び込んでくる。

 声を立てれば起きてしまう、そんなことを思って、

 彼はあまりにも慎重に寝床を抜け出したのだ。

 ――顔を見れば、思い出すんだろうか……?

 女は今も、暗い隣の部屋で、微かな寝息を立てて眠っている。

 しかし彼には、再び見に行く勇気などなかった。

 慌てて部屋にあったジャケットとズボンを着込み、

 今一度、部屋の様子をじっくりと眺める。

 しかしいくら眺めても、

 やはりまるで覚えなどなく、彼は早々に表へと出て行くのだった。

 外に出るとすぐに、もう一枚何か羽織ってこなかったことを後悔する。

 風が吹く度に体温がみるみる下がり、

 手足がその冷たさに痛むようだった。

 今は……いったいいつなんだろう……? 

 冬に近い秋口か、

 春の訪れを待つ冬であるのか、

 それさえも、辺りの暗さに判別がつかない。

 ――僕は、狂ってしまったのか? 

 さっき目覚めた部屋だけでなく、

 薄っすら見える外の景色も、彼の知らない世界であったのだ。

 ――僕は本当に……僕なんだろうか? 

 ふとそんなことを感じ、彼は玄関にあった鏡を見つけ、

 恐る恐る顔を映し、見ていたのである。

 すると髪型だけは別人のようだったが、

 その顔は、知り尽くしている己の顔に違いない。

 ――僕は……岩井順一に間違いないんだ! 

 そんな思いに、少しだけ安堵していた。

 ではどうして、自分はこんなところにいるのか? 

 彼は何度も思い出そうとするのだが、

 やはり最後に残っている記憶は、雨の中に立つ自分の姿だけ。

 ――あれから僕に……いったい何があったんだろう?

 恐ろしいことをしてしまった。

 確かにそんな思いもあるにはあった。

 しかしそれ以上に、その後の記憶がないことの方が恐ろしかった。

 彼は通りへと出て行く前に、今一度さっきまでいたアパートを振り返る。

 薄っすらと見えるその建物は、

 彼に昔の記憶を呼び覚ましていくのであった。

 昔……こんなアパートに、僕は住んでいたことがあった。
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