第7章 – 土砂降り 〜 2010年 3月末。

文字数 960文字

 2010年 3月末。



 毎年のことながら、この時季の気温を恨みたい気持ちだった。

 あと数日で4月だというのに、

 ウールのコートが欲しくなるような寒さだった。

 しかし彼はその後、いつものように、

 1年で一番寒いのは2月であると思い出し、

 3月というのは、1月と同様なんだと自ら納得する。

 きっと、今から半日後には、

 こんな寒さのことなど忘れてしまっているのだろう。

 そしてもしかすると、今を最後に、

 二度とこの家には戻ってこれないのかも知れない。

 そんな風に感じられるまでに、

 家族はバラバラになってしまっていたのだ。

 順一が今日、新天地に赴任したあと、家には誰もいなくなってしまう。

 家族3人ともが皆、佐和子の実家へと身を寄せるということだった。

 今日も佐和子はそんな準備に追われ、

 朝からどこかへと出掛けてしまっている。

 あれから武は、学校にまるで行こうとしなかった。

 事件のことは誰にも知られてはおらず、

 なんの心配もないんだと言い含めても、

 部屋から滅多に出てこなくなっていた。

 そんな武に、佐和子は腫れ物に触るように接し続ける。

 片や順一は、武の心に入り込もうと試みてはみるのだが、

 殆ど会話のないまま、今日という日を迎えていた。

 だからといって、佐和子や唯とはどうなんだと問われれば、

 見事に大差ない状態にあるのだった。

 彼は車のキーを手にして、玄関に並べてある革靴を見つめる。

 こうやって履くべき靴が並んでいるのが、唯一、

 普段とは違うところだった。

 何年か前までは、佐和子が毎朝出勤前に、

 こうして並べ置いてくれていたのだ。

 そんなところから察すると、少なくとも佐和子は、
 
 今日が順一の赴任日であることくらいは覚えていたらしい。

 最後に、武に声を掛けていこうか……。
 
 ――父さん、行ってくるから、あとのことはよろしく頼むぞ!

 そんな台詞が脳裏を掠めるが、

 声を掛けたところで、あっちから降りてくるわけがなかった。

 だからといって、こちらから出向いて嫌な顔されるくらいなら、

 声など掛けない方がマシなのだ。

 順一は迷うことなくそんなことを諦め、ひとり玄関に降り立った。

 荷物は既に送ってある。

 だから近所に散歩に出る身軽さで、

 順一はドアの取っ手に手を掛けた。

 あれ? 

 ドアが......動かなかった。
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